32 / 50
32 ー孤高のリング・ヴェルー
しおりを挟む
「‥‥‥いない」
いないーっ。
庭園に沿った道を走りながら、ロンは心の中で叫んだ。
人が振り返ったので口から出ていたかもしれない。庭園の周囲を丸々一周した。走って一周し、もう二周目に入った。しかし眺める庭園の中、人陰はぽつぽつあるが、どれも鎧を着た騎士達。警備がいればリングはいない。
柵の周りには警備達だらけだが、中の方にいるのだろうか。それとも今日は来ていないのか。
ため息が出たが、ここで諦めてはシェインに黙って出てきた意味がない。
ロンはいきなり座り込んで屈伸をすると、柵の側の木立の影に身を潜めながら人気がないのを確認し、持っていたつるを柵の中の木の枝にからめた。
軽く跳躍した瞬間、ロンの身体は宙に浮き、つるに引っ張られるようにして飛ぶと、柵を楽々越えた。
これくらいはお手の物だ。何でもないと再び辺りを警戒する。木陰に隠れながらロンは素早く移動した。
遠めに警備の兵士が見えたが、彼等から気付かれないように屈んで動く。
暗くなってきても庭園は街灯があるので少々明るい。草木から顔を出せばすぐにも警備がよってきそうだ。
背の高い木が多いので、その影を使ってどんどん奥へ入り込んだ。
薬師ならば自分の使う薬草がどんな状態か、常に観察すると思うのだ。少なくともロンはそうだ。ちゃんと育っているか、虫はついていないか、病気になっていないか、毎日朝昼晩見回っては手を入れた。
王族専属薬師で庭師がいても母はそうだった。だから、彼が母の教えを乞うた時期が少しでもあれば、きっと毎日訪れていると思うのだ。そうであればいい。
植物園の中心に、水のたまった小さな池が作られている。街灯に照らされたその池の中に、鮮やかな花がひらき、それを眺めている者がいた。
そこに佇むリングは生気の無い人形のようで、彼の孤影をおもんばかる者はいない。孤独のまま植物に囲まれて生きていくのが運命か。ロンはそれを打ち消せればいいと思った。
何かを待つように、リングはその瞳を池に注いでいる。
孤高の頂きにその身を置いているようで、ひどく哀しく見えた。
リングは池に手を伸ばすと、濡れるのを気にせず優しく花を手にとり、地面にある木箱へ入れた。
あの花から何を作るのか、それを問う為にもロンは彼の側へ歩んだ。
「お前…」
「この間は、どうもありがとう」
ロンが現れて一瞬は驚愕したか、少しだけ表情が揺れた。けれどすぐに元の顔に戻ってしまってロンの顔を見つめた。
「間に合ったか」
「うん。本当にありがとう。あなたのおかげで助かった。間に合わなかったらどうしようかと思ったけど、今は話もできるようになったから。だから、あの時のお礼をしようと思って、これ、こないだのお礼」
ロンが鞄から出した包みを手にして、リングはその中身を確かめた。水色に光る真珠の様な小さな種を見てリングは目を細めた。
「ルティス。珍しい種だな。種と同じ色の花を咲かせ、その花びらですくった水を飲めば殆どの病を治し、老いを遅らせる」
「種は何十年昔のでも植えれば芽は出る。ただ花を咲かせるのに苦労するけどね。でも,あなたなら咲かせられるでしょう」
「太古の花だ。これを持つ者も珍しい」
「貰いものなんだ。でも、あなたに貰ってほしい」
母から譲り受けた薬草の中の一つだ。
これをいつか使うことになるとしても、リングに持っていてほしかった。母アリアの師事を得ていたのならば、その使い方を知っているだろう。
リングはそれを袋に入れ直すと、何か考えるようにそれを握りしめてロンを仰いだ。
「名を、聞いていなかったな。私は、リング。リング・ヴェルだ」
「俺…、私は、ロン」
「ロン。薬師のロンか」
確かめるように言いながら、目蓋を頬に落として、リングはその水色の瞳を伏せた。
「やはりお前が、ロンガニアか」
確信を得た口調に、ロンは瞠目した。
「アリアの娘ロンガニア。本当にシェインについていたのか。道理で失敗が多いわけだ。アリアの娘が攻撃を緩和しているのでは、マルディンもうるさく言ってくるわけだな」
「あなたが…っ」
「最近、注文が多い。初めは気付かれない程度のものでいいと言っていたものが、今ではどんなものでもいいから奴を倒せるものと言ってきた。あの力を前に戦える怪異など、簡単に作れるものではないのに」
リングにしかできないよ。あんな化け物を作るのはね。
ティオの言葉を急に思い出して、ロンは身体が震えてきた。
恐ろしさにではない、怒りにだ。
母親はそんな調薬を教えたりしない。薬は助ける為にあるのだと言った母に、大きく反する行為だ。
「あなたは薬師なのに、人を攻撃することしかしないの?薬はそんな事の為にあるの?」
信じていた。そう、信じていたのだ。会って数日も経っていないリングを、そんな真似をするはずないと信じていた。
感情の表れない顔でも瞳の中には意志があった。他に諂い権力を手に入れる事を望む者の目には見えなかった。だから彼は違うと思っていたのに。
「薬師は、他を助ける為に存在する者。他を傷つけてはならない」
「え?」
リングはぽそりと呟いた。微かな声はロンの耳に届く。
「使い方を間違えるな…。お前は、アリアと同じことを言う」
「その言葉を覚えていながら、何故」
「専属薬師にその考えは浸透していない。王族を守る為には攻撃の力が必要だと説いている。けれど、アリアだけが薬師と逆のことを言った」
瞬きもせずに見つめられた瞳は、サファイアの輝きを持っていた。
見とれている暇などないのに、その瞳には力があり、逸らすことができない。
意志のある中に小さな哀しみを感じて、ロンは食い入るように見つめた。
「お前は、アリアだけに教わったんだな」
その声音は確かに穏やかな優しさを含んでいた。
まるで母親の教えを憂いていたような、ロンが母親と同じ意志を持っていたことに喜ぶような、暖かな響き。
「…あの人は、本当に死んでしまったのか?」
微かな月明かりがリングをひどく美しく見せた。
いないーっ。
庭園に沿った道を走りながら、ロンは心の中で叫んだ。
人が振り返ったので口から出ていたかもしれない。庭園の周囲を丸々一周した。走って一周し、もう二周目に入った。しかし眺める庭園の中、人陰はぽつぽつあるが、どれも鎧を着た騎士達。警備がいればリングはいない。
柵の周りには警備達だらけだが、中の方にいるのだろうか。それとも今日は来ていないのか。
ため息が出たが、ここで諦めてはシェインに黙って出てきた意味がない。
ロンはいきなり座り込んで屈伸をすると、柵の側の木立の影に身を潜めながら人気がないのを確認し、持っていたつるを柵の中の木の枝にからめた。
軽く跳躍した瞬間、ロンの身体は宙に浮き、つるに引っ張られるようにして飛ぶと、柵を楽々越えた。
これくらいはお手の物だ。何でもないと再び辺りを警戒する。木陰に隠れながらロンは素早く移動した。
遠めに警備の兵士が見えたが、彼等から気付かれないように屈んで動く。
暗くなってきても庭園は街灯があるので少々明るい。草木から顔を出せばすぐにも警備がよってきそうだ。
背の高い木が多いので、その影を使ってどんどん奥へ入り込んだ。
薬師ならば自分の使う薬草がどんな状態か、常に観察すると思うのだ。少なくともロンはそうだ。ちゃんと育っているか、虫はついていないか、病気になっていないか、毎日朝昼晩見回っては手を入れた。
王族専属薬師で庭師がいても母はそうだった。だから、彼が母の教えを乞うた時期が少しでもあれば、きっと毎日訪れていると思うのだ。そうであればいい。
植物園の中心に、水のたまった小さな池が作られている。街灯に照らされたその池の中に、鮮やかな花がひらき、それを眺めている者がいた。
そこに佇むリングは生気の無い人形のようで、彼の孤影をおもんばかる者はいない。孤独のまま植物に囲まれて生きていくのが運命か。ロンはそれを打ち消せればいいと思った。
何かを待つように、リングはその瞳を池に注いでいる。
孤高の頂きにその身を置いているようで、ひどく哀しく見えた。
リングは池に手を伸ばすと、濡れるのを気にせず優しく花を手にとり、地面にある木箱へ入れた。
あの花から何を作るのか、それを問う為にもロンは彼の側へ歩んだ。
「お前…」
「この間は、どうもありがとう」
ロンが現れて一瞬は驚愕したか、少しだけ表情が揺れた。けれどすぐに元の顔に戻ってしまってロンの顔を見つめた。
「間に合ったか」
「うん。本当にありがとう。あなたのおかげで助かった。間に合わなかったらどうしようかと思ったけど、今は話もできるようになったから。だから、あの時のお礼をしようと思って、これ、こないだのお礼」
ロンが鞄から出した包みを手にして、リングはその中身を確かめた。水色に光る真珠の様な小さな種を見てリングは目を細めた。
「ルティス。珍しい種だな。種と同じ色の花を咲かせ、その花びらですくった水を飲めば殆どの病を治し、老いを遅らせる」
「種は何十年昔のでも植えれば芽は出る。ただ花を咲かせるのに苦労するけどね。でも,あなたなら咲かせられるでしょう」
「太古の花だ。これを持つ者も珍しい」
「貰いものなんだ。でも、あなたに貰ってほしい」
母から譲り受けた薬草の中の一つだ。
これをいつか使うことになるとしても、リングに持っていてほしかった。母アリアの師事を得ていたのならば、その使い方を知っているだろう。
リングはそれを袋に入れ直すと、何か考えるようにそれを握りしめてロンを仰いだ。
「名を、聞いていなかったな。私は、リング。リング・ヴェルだ」
「俺…、私は、ロン」
「ロン。薬師のロンか」
確かめるように言いながら、目蓋を頬に落として、リングはその水色の瞳を伏せた。
「やはりお前が、ロンガニアか」
確信を得た口調に、ロンは瞠目した。
「アリアの娘ロンガニア。本当にシェインについていたのか。道理で失敗が多いわけだ。アリアの娘が攻撃を緩和しているのでは、マルディンもうるさく言ってくるわけだな」
「あなたが…っ」
「最近、注文が多い。初めは気付かれない程度のものでいいと言っていたものが、今ではどんなものでもいいから奴を倒せるものと言ってきた。あの力を前に戦える怪異など、簡単に作れるものではないのに」
リングにしかできないよ。あんな化け物を作るのはね。
ティオの言葉を急に思い出して、ロンは身体が震えてきた。
恐ろしさにではない、怒りにだ。
母親はそんな調薬を教えたりしない。薬は助ける為にあるのだと言った母に、大きく反する行為だ。
「あなたは薬師なのに、人を攻撃することしかしないの?薬はそんな事の為にあるの?」
信じていた。そう、信じていたのだ。会って数日も経っていないリングを、そんな真似をするはずないと信じていた。
感情の表れない顔でも瞳の中には意志があった。他に諂い権力を手に入れる事を望む者の目には見えなかった。だから彼は違うと思っていたのに。
「薬師は、他を助ける為に存在する者。他を傷つけてはならない」
「え?」
リングはぽそりと呟いた。微かな声はロンの耳に届く。
「使い方を間違えるな…。お前は、アリアと同じことを言う」
「その言葉を覚えていながら、何故」
「専属薬師にその考えは浸透していない。王族を守る為には攻撃の力が必要だと説いている。けれど、アリアだけが薬師と逆のことを言った」
瞬きもせずに見つめられた瞳は、サファイアの輝きを持っていた。
見とれている暇などないのに、その瞳には力があり、逸らすことができない。
意志のある中に小さな哀しみを感じて、ロンは食い入るように見つめた。
「お前は、アリアだけに教わったんだな」
その声音は確かに穏やかな優しさを含んでいた。
まるで母親の教えを憂いていたような、ロンが母親と同じ意志を持っていたことに喜ぶような、暖かな響き。
「…あの人は、本当に死んでしまったのか?」
微かな月明かりがリングをひどく美しく見せた。
21
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
東雲の空を行け ~皇妃候補から外れた公爵令嬢の再生~
くる ひなた
恋愛
「あなたは皇妃となり、国母となるのよ」
幼い頃からそう母に言い聞かされて育ったロートリアス公爵家の令嬢ソフィリアは、自分こそが同い年の皇帝ルドヴィークの妻になるのだと信じて疑わなかった。父は長く皇帝家に仕える忠臣中の忠臣。皇帝の母の覚えもめでたく、彼女は名実ともに皇妃最有力候補だったのだ。
ところがその驕りによって、とある少女に対して暴挙に及んだことを理由に、ソフィリアは皇妃候補から外れることになる。
それから八年。母が敷いた軌道から外れて人生を見つめ直したソフィリアは、豪奢なドレスから質素な文官の制服に着替え、皇妃ではなく補佐官として皇帝ルドヴィークの側にいた。
上司と部下として、友人として、さらには密かな思いを互いに抱き始めた頃、隣国から退っ引きならない事情を抱えた公爵令嬢がやってくる。
「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいませ」
彼女が執拗にルドヴィークに求婚し始めたことで、ソフィリアも彼との関係に変化を強いられることになっていく……
『蔦王』より八年後を舞台に、元悪役令嬢ソフィリアと、皇帝家の三男坊である皇帝ルドヴィークの恋の行方を描きます。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
私は聖女じゃない?じゃあいったい、何ですか?
花月夜れん
恋愛
ボクは君を守る剣になる!私と猫耳王子の恋愛冒険譚。――最終章
ここはいったいどこ……?
突然、私、莉沙《リサ》は眩しい光に包まれ、気がつけば聖女召喚の魔法陣の上に落っこちていた。けれど、私は聖女じゃないらしい。私の前にもう呼び出された人がいるんだって。じゃあ、なんで私は喚ばれたの? 魔力はあるから魔女になれ?
元の世界に帰りたいと思っている時に、猫耳王子が私の前に現れた。えっと、私からいい匂いがする? そういえば、たまたま友達の猫にあげるためにマタタビ棒(お徳用10本入り)を持っていたんだった。その中から一本、彼にプレゼントすると、お返しに相棒になって帰る方法を探してくれるって! そこから始まる帰る方法を探す異世界冒険の旅路。
私は無事もとの世界に帰れるのか。彼がいるこの世界を選ぶのか。
普通の人リサと猫耳王子アリス、二人が出会って恋をする物語。
優しい物語をキミへ。
――本編完結――
外伝を少し追加します。(21,2,3~)
本編番外編投稿(21,3,20)
この作品は小説家になろう様カクヨム様でも連載中です。
セルフレイティングは念のためです。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる