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1 ー薬師ロンー

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「その兵士達、豹を捜しているらしいのよ」

 林に囲まれた一軒家の庭で薬草を取っていた時だった。庭先から訪れた女性レノアが、好奇心旺盛な顔で突然そんなことを言ってきたのは。

「豹?」
 朝露で濡れた足元を気にもせず新鮮な薬草を摘みながら、少年ロンは眉をひそめておうむ返しに問うた。

 まだ青年にはなりきれない、かといって子供でもない年頃だ。
 大きな黒い瞳と淡いピンクの唇を持つロンは、抱えた薬草の紫の花が良く似合っていた。
 肩の上ではねた黒髪はまだ櫛を通していない。朝はまず起きたらすぐに庭に生えた薬草を摘み取る。それが日課だ。ロンは自分の身繕いを後回しにしていた。

 そのはねたままの頭で薬草を摘んでいる最中に、レノアは訪れた。
 目的は薬を買いたいとのことだったわけだが、レノアはまるでそれが目的のように楽しそうに豹の話を始めた。
 ロンは開いた扉にレノアを招き入れた。彼女が繋いだ手には、丸い目をくりくりさせた息子のイーサがおり、慣れない足取りで、てとてとついてくる。

「こんな山奥まで来て、豹捜し?兵士も色々大変だね。豹なんて見たことないけど」
 ロンはまるで興味ないと、適当な返事をした。その返事にレノアは口を尖らせる。
「本当なんだってば。二人の兵士と、長い銀髪の綺麗な男の子一人。この辺じゃ見たことのない綺麗な子よ。村の入り口で会ったから、その内この家にも来るかも」
 レノアは真剣な眼差しだ。ロンは軽く笑って返した。
 この辺りに兵士が来ることはまずない。
 ロンは今までこの辺りで兵士を見たことはなかった。ロンの家から少し離れた所にある村に入っても、兵士はいない。山を下りたふもとの町にいるかいないかだ。

 持っていた薬草を大きなテーブルの上に広げると、少しだけ開いた花からふわりと花粉が舞った。辺りに甘く芳しい香りが広がっていく。
 その匂いにつられたかのように、ロフトから人が下りてきたのにロンは気が付いた。レノアもそれに気付いて挨拶をする。

「セウ、今からお出かけ?」
「いらっしゃいレノア。これから薬草を売りに出るんだよ」
 セウと呼ばれた青年は、剣を片手にゆっくりと板張りの階段を下りてきた。
 通った鼻筋にかかる栗色の毛が、二階の窓から入る光で金にも見える。
 鼠色の裾の長いジャケットは、今日の天気には少し暑そうだ。雨も避けられる素材の為、厚手にできているのだ。膝まで伸びた茶色のブーツはしっかり履いていないので、紐が地面をすって音を鳴らした。

「今日は、どうしたの?誰か病気?」
「夫がちょっと風邪気味でね。あとチトリ除けのリースが欲しくて」
 肩をすくめてレノアは笑う。セウは成る程とロンの手許を見やった。
 ロンは側の棚から幾つかの瓶を取り出して、中から草や根を出した。それらを慣れた手付きですり鉢で細かくし、そのまま油紙に包んでいる。

「はい、お待たせ。食後に煎じて飲んでね。リースはこれから作るから、作り終わったら持ってくよ。作るのに時間かかるからさ」
 手渡した油紙の包みの代わりに、ロンはレノアから硬貨を渡された。机にある赤い箱からおつりを取り出すと、そのままレノアに渡す。
「助かるわ。昨日の風でチトリ除けのリースがどこかに飛んでいってしまったから、急に必要になっちゃって。ほら、この時期ってチトリが生え易いでしょう。この子も最近あちこち動けるもんだから、チトリを触ったりして怪我をしたら嫌だしね」
「心配だったら玄関だけじゃなく、窓にも飾るといいよ。今の時期のチトリは種子を残すのに特別人を襲うから。窓から蔦を伸ばしてくることもあるからね。とりあえずうちの持ってって飾りなよ」
「ありがとう。草木に絡まれて血を吸われるのは勘弁してもらいたいわ。この間、羊が襲われたってお隣が嘆いていたわよ。あなたの作ったリースを羊の首にぶら下げるしかないわって。本気でやるかもしれないわね」
「すぐ作って持ってくよ。それまでこれで我慢して」
 ロンは苦笑して、玄関の外に飾ってあった日に焼けた薬草のリースをレノアに渡した。日は経っているがまだ香りがある。効能に影響はない。

「ほんと、あなたみたいな腕のいい薬師がいて良かったわ。昔は下の町まで買いに行かなきゃいけなくて。しかもあまり腕のいい者じゃないから、たまに効かなかったりするのよ。女の薬師だったからかしらねえ。女の薬師は良くないって言われるようになったけれど、本当なのかもしれないわね」
 レノアはリースを抱えながら、指をくわえて紫の花を物ほしそうに見つめていたイーサを引きずるようして、来た道を戻っていく。
 ここから続く道の先、小さな村に戻るのだ。この辺りにはその村しか人は住んでいない。
 後ろ手を振るイーサに応えて、ロンは小さくため息をついた。

「女の薬師は良くない、か」
 ぽつりと呟いて、ロンは扉を閉めた。
「下らない噂だ。気にするなよ」
 セウはロンの考えていることはお見通しだと、その大きな手でロンの黒い髪をなでた。
 ロンの後頭部の髪がぐしゃりと逆立つ。
「分かってる…」
 別に初めて聞いた言葉ではない。何度かよく耳にした言葉だ。

 ただ、その言葉を聞く度に、胸の中がしくしくと痛む気がした。それから地面に落ちる気がした。
 顔に出しているつもりはないのに、気落ちしているのだとセウは気付くのだ。

 ロンの髪の毛をこねくり回すのはセウだけで、セウだけが知っている。
 ロンの母親も薬師だったと言うことを。
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