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17 青紫

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「母上、今日は気分が悪いのです」
「クリストフ、今日は王の誕生祭。ですが、王が体調不良なのだから、あなたが対応しなければなりません。あなたまでも体調が悪いとなれば、この国の者たちが不安になってしまうでしょう」
「それはそうかもしれませんが」

 王の不調時に、王の誕生パーティをなぜ行うのか。それが慣例だからだ。母上ならばそう言うだろう。王が不在ならば、次の王として知らしめるためにも、王の代理をしっかり行えと。
 そうであろう、母上は、

「あなたが王太子であることを、皆に知らしめるのです」
 と、義務であるかのように当然と言い放つ。
 なぜそこまでこだわるのか。時折疑問に感じる。

 クリストフには弟がいる。まだ幼く、今何歳かも覚えていないが、第二夫人が産んだ子供が一人いた。
 王が娶ったその第二夫人は、体調が悪いなどの理由で、ほとんど表に出てこない。もちろんその子供もだ。存在感のない、第二夫人とその子供。数回会ったことはあっても、記憶は朧げになるほどで、顔もなんとなく程度でしか覚えていなかった。
 その弟が気になるのか知らないが、母上は王太子としての立場に固執する。

「弟は、どうせ来ないのでしょう?」
「第二王子として、参加予定ですよ」

 母上は微笑みながら、参加を口にするが、幼いはずなので、どちらにしても第二夫人と一緒でなければならない。そうであれば、いつも通り顔だけ見せて、すぐに退場するだろう。
 そんな第二夫人と弟だ。後継者争いなどという言葉は耳にすることはなかった。王太子になることは、王が健在な頃に決まり、その頃弟は生まれていなかったこともある。

 だから、自分も参加しなくても良いではないか。今まで通り母上が指揮し、献上される贈り物を受け取ればいい。どうせすぐに建国記念パーティやら、なんやらと、催事が続くのだから。

「パーティの気分ではないのです」
 だから参加をする気がない。そう暗に示すと、母上は眉を下げ、哀れむように目尻に涙を溜めた。

「わかっていますよ。クリストフ。あなたがどれだけ心に傷を負っているか」
 その言葉に、唇を噛み締める。ラシェルの遺体が王宮に運び入れられて、まだ日も経っていない。王子の婚約者候補が事故死したのだから、むしろ喪に服する時間が必要だ。せめて、偲ぶ時を与えてほしい。
 しかし、母上はゆるりと首を振った。

「けれど、彼女はそんなあなたを見て、どう思うかしら。静かに、安心して眠らせてあげるためにも、あなたはしっかりしなくてはなりません」
「それは、そうかもしれません。ですが、」
 言いかけて、口を閉じた。落ち着くまで滞在するだけだと言って、離宮への滞在に頷いたのはクリストフだ。

「さあ、クリストフ。準備をなさい。多くの者たちが集まっているのだから」
「わかりました」
 返答に、母上は目を細めて微笑みを湛える。

「令嬢の葬儀は王宮で行おうと思ったのだけれど、子爵夫妻がどうしても子爵家で行いたいと言っていたそうよ。最後の別れを家族で過ごしたいのでしょう。大きな葬儀にしたくないそうだから、そこは汲み取ってあげないといけませんね。あなたは、彼女の眠りを妨げぬよう、直接墓に向かうと良いでしょう」
「そんな、」
「クリストフ。彼女は子爵夫妻の、たった一人の娘ですよ。最後くらい、三人にさせてあげましょう」

 母上は手を取り、祈るように言うと、悲しいけれど。と付け足した。
 側にいてやればよかったのに、そうしなかった罰のようだ。母上の言葉に、ただ頷くしかできなかった。






「クリストフ王子、王の誕生を心からお祝い、……お顔の色があまり良くないようですが」
「ああ、少し、気分が良くなくて」
「それは。どうぞ、ご自愛くださいませ」

 パーティで挨拶してくる者たちを適当に相手しながら、クリストフは今すぐ退席したい気持ちをなんとか抑えて、ひとり佇んだ。

 母上は笑顔を振りまき、周囲に集まる者たちの挨拶を受けている。国母として、十分な働きをしている女性だ。
 それに比べて、第二夫人はやはり一瞬現れて、体調が良くないのだとパーティをすぐに辞する。弟の第二王子は姿も現さなかった。第二夫人はそこまで顔色は悪いように思えなかったが、青に近い白色の肌をしていたので、外に出ている雰囲気はない。きっと弟も似たようなものなのだろう。

 母上がなんでも取り仕切っているのだから、第二夫人がいない方が動きやすい。だからいなくてもいいのだ。
 なんと言っても、誕生パーティであるのに、その誕生日を迎える人が、ここに来ていない。

 父親である王は、大きく存在感のある人だった。子供の頃は、いつかあのように立派な人になりたいと思っていたものだ。しかし、気付けばベッドから離れなれられないほど、ひどく弱ってしまった。

 最初はただの風邪だった。微熱が続いて、調子が悪いという程度。すぐに治るし、寝込むほどではない。
 しかしそれが、いつの間にか増えていく。元気になるが、また微熱。何度も続くうちに、起きていてもベッドから動けなくなり、そのうち寝たきりになった。起きてはいるが、移動できるほどの体力がないのだ。

 弟である公爵が事故死した時、王は病を押して葬儀に出ようとしたが、直前で体調を崩し、欠席を余儀なくされた。そして、その事件のせいでさらに体調を崩し、今では起きているのか寝ているのかもわからない。たまに部屋に見舞いに行っても、眠っているからと追い返されるからだ。

 自身の誕生パーティも、母上から王の言葉を皆に伝えるだけ。この一年、王は表に一切出てきていない。
 だからなのか。母上が王太子殿下たる姿を、皆に見せろというのは。
 そんなこと、今は考える気も起きないというのに。

「クリストフ様、お久し振りでございます」
「叔父上。お久しぶりですね」

 母上の弟、ハンネス・エーメリ侯爵が声をかけてきた。母上にあまり似ておらず、気の弱さが出るような細身の男だ。母上はあまりよく思ってはいないのか、弟にかける声はあまり柔らかなものではない。母上の嫌がる、はっきりしない態度と声の小ささのせいだろう。

 エーメリ侯爵は挨拶をしつつ、ちらりと母上を横目で見て、こちらに視線が向いていないことを確認する。そういうところが、嫌がられる理由の一貫だ。
 クリストフもこの男はあまり好きではなかった。おどおどとしつつ、ねっとりとした視線を向けてくる。言いたいことでもあるようだが、はっきりと口にしない。

 エーメリ侯爵家は領土運営がうまく、王国でも財産の多い家だが、現在の侯爵は若干心許ない。そのため、母上がなにかと便宜を図っていた。使えない当主よりも、母上が動いて侯爵家を保っているようなものかもしれない。王妃として実家が廃れては母上の恥になる。それで仕方なく手伝っているにすぎない。そうでなければ、とっくに見捨てている家だ。

「今日は、おめでたい日ではありますが、クリストフ様のお心の傷はいかほどかと。王妃様もクリストフ様を心から憂いてらっしゃいました。私は子爵令嬢にはお会いできませんでしたが、王妃様がそれはそれは、よい方を選んだと、喜んでおりましたのに」
「ラシェルは素晴らしい女性だった」
「そうでしょうとも。ですが、とても残念なことでした。しかし、クリストフ様にはもっとふさわしい方がいらっしゃることでしょう」

 ラシェルの死を悼むふりをして、他にも女がいるなどと、言われたくはない。怒りが滲み出そうになると、エーメリ侯爵は不快な気分にすぐに気付いたと、焦ったような顔をした。

「そ、そういえば、王弟の息子、公爵が、珍しく表に出てきたようですよ。クリストフ様と会うことも少なくなっておるでしょうが、隣国のパーティに出席されていらっしゃったとか」
「隣国のパーティ?」
「ええ、そのようです。そんな話を耳にしまして」

 公爵はそんな隣の国のパーティに出席していて、今日の王の誕生パーティには出席していないのか。
 ヴァレリアン・ブルダリアス公爵。もうずっと会っていない。どうして王宮に来なくなったのか知らないが、特に会いたい理由もない。ヴァレリアンもまた、王弟が死に、王が倒れているため、そこまで王宮に思うところはないのだろう。

 引きこもっているという噂も耳にしている。そのヴァレリアンが婚約者でも見つけたのか、女性を連れてパーティに参加した。さして興味のない話だ。
 エーメリ侯爵は一人で話している。そのパーティがどんな風だったらしいとか、どんな人が来ていたらしいとか。行ってもいないのに、話し続ける。

(いい加減、うるさい。静かにしてくれないだろうか)

「身分など気にしていないのか、男爵令嬢だったそうですよ。まあ、美しい人だったようでしたけれど。瞳の色が印象的だったようでして。なんと言っていたかな。宝石のような、そう、アメジストのような瞳と言っていましたよ。それよりもう少し青色の、宝石のような瞳。公爵様の隣にいても遜色のない、存在感のある女性だったとか」
「アメジスト……?」
「ええ、そうらしいですよ。まるで宝石のようで」
「違う。色の話だ! 青紫の瞳をしていたのか!?」
「え? ええ、そうですね。青というよりは、紫に近い色だったとか」
「公爵。公爵領か!」
「は? いえ、隣国のパーティに出席されていて」

(ラシェルは公爵領の近くの川に落ちた。公爵領の近くだ)

「名前は。その女性の名前はなんと言った!?」
「は、そ、それは、申し訳ありません。存じませんで、クリストフ様!?」

(ラシェルだ。ラシェルに違いない!)

 青紫色の瞳の女性など、ラシェル以外にいない。
 そう思えば、すぐに足が動いた。パーティなどどうでもいい。主役のいないパーティに、なぜ自分が出席しなければならないのか。そんなことよりも、ラシェルを探さなければ。

 公爵領へ。もう一度、彼女を助けるために。
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