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4−2 仕打ち

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 クリストフの婚約者候補として王宮に入ってから受けた嫌がらせは、数えきれないほどだった。

 初日から、まず、水差しに泥が含まれていた。出されたお茶も泥水。案内されたお風呂も泥水入り。よく泥を混ぜて運んできたものだと感嘆するほどだったが、水に関して何かされても、ラシェルにとって痛くも痒くもない。
 ただ、まともに歓迎されていないことは、良く理解できた。

 クリストフには気付かれないように努力しているようで、たまに運ばれるクリストフと共にしない食事は生臭く、肉の代わりに虫やネズミが丸々入っている。むしろよく入れたと感心した。

 いつその皿を、持ってきたメイドの顔に押し付けてやろうと思ったが、それなりに耐えていた。相手をするだけ無駄だからだ。王宮は王妃の思う通り動く場所で、それにクリストフは気付いていない。しかし、根を上げずに過ごせば、嫌がらせはエスカレートするばかり。

 虫やネズミを捕らえるのが嫌になったのか、食事はすぐに出されなくなる。クリストフとの食事は仕方なく出してくるが、クリストフに気付かれないように、異物は入っていた。お茶にインクが混じっていたこともある。
 固形物でも飲み物でも、トビアに綺麗にしてもらい、遠慮なく口にする。メイドたちは笑っていたが、ラシュルが反応しないので、彼女たちの自信を喪失させてしまったかもしれない。

 ラシェルも耐えてばかりではなかった。メイドたちの愚行をクリストフに知らせていたが、クリストフは調査すると言って証拠を掴めなかった。王妃が隠匿したからだ。王妃が否定すれば、クリストフはそれを信じ、ラシェルの言葉を信じない。

 ラシェルは高価な物を望んだことなどなかったが、王妃たちがクリストフに嘘を伝え続けていた。ラシェルが高価な物をねだってばかりだと思い込んでいる。言葉では必要ないと言っていても、本心はそうではないのだと、言いくるめられていたのだ。

(私のことを、信じようとも思っていない)
 クリストフは、無意識にラシェルを見下していることも分かっていない。

 貧乏子爵令嬢ならば、高価な物に憧れるのだと、当然に思っている。欲しい物を手に入れられないのならば、盗んでも仕方がない身分なのだと考えている。市井の者には盗みを犯すものがいるからだ。

 クリストフがラシェルをどう思っているのか、どう見ているのか、良く分かった。
 だから、こちらも勝手にさせてもらう。





 王宮の状況を分かっていないラシェルは、詳しく動きを知る必要があった。
 どうせ誰かを呼んでも誰も部屋に来ないし、放置されてばかりなのだから、ラシェルが部屋を出ても、誰にも気付かれない。勝手にうろついても、ラシェルの顔を覚えている者などほとんどいない。

 ラシェルはメイドに紛れて、王宮内を移動した。ラシェルに嫌がらせをしている輩。王妃と王妃推薦の婚約者候補。彼女たちに同調したメイドたち。彼女たちはメイドのラシェルにまったく気付かない。
 いつか仕返ししてやりたくもなったが、愚かな者たちを相手にするのは面倒だ。外に出ることを計画するために、あちこちをうろついて自由に動いていた。愚かなのは彼女たちであって、ラシェルではない。

(一人だけ、助けてくれたメイドがいたから、それだけが幸いね)

 城の中については彼女に聞いた。食料を持ってきてくれたりしたが、王妃に見付かれば大変なことになる。だから、どんな造りになっているのか、どこに食料が保管されているかを聞いた。
 彼女のおかげで、それなりに情報は得ることができた。だから外に出て、街で働いていた時の店で、何でも屋のサイラスに仕事を紹介してもらい、もしもの時は名を変えてどこかで働けるように依頼しておいた。
 そのうち、王妃によって修道院送りにでもされると、心配していたからだ。
 最悪、殺されることも。

 どれだけの間、ラシェルが苦しんでいたのか、クリストフにはわからないだろう。
 婚約者として王宮に連れてこられて混乱していても、大丈夫だというだけで、何もしてくれない。
 人の言葉を信じず、王妃や他の女性たちの話は信じる。初めは耐えようと思ったが、耐えても未来があるように思えなくなっていった。

 それなりの情はあったから、頑張ろうと思ったが、クリストフが信じてくれないならば、頑張ることなどできない。
 そうして起こった盗難事件。クリストフはラシェルが盗みをしたと信じ、ラシェルの言葉など一切信じようとしなかった。

 離宮送りが決まり、一晩閉じ込められていたが、普段からメイドは側におらず、食事が運ばれてこないのもいつも通りで、扉の前に兵士がいる以外違いがないことに、クリストフは気付いてもいない。

 いつも通り抜け出して街に行けば、ラシェルのひどい噂が早速流れていた。
 婚約者は悪女だ。王子を騙して私欲を満たしている。王妃に飛びかかり、王妃の侍女を傷付けたと。

 たとえ運良くラシェルが王宮に戻っても、街の者たちはクリストフの婚約者を歓迎しないだろう。それを踏まえた噂を流すまで徹底していた。
 その噂を流したのが王妃だと、クリストフは信じない。王妃の言うことを鵜呑みにし、現実を見ようともしない。頑なにクリストフはラシェルの味方をしてくれない。

 クリストフは気付いていないから。それならば仕方ないのだろうか?
 ラシェルは何度もクリストフに訴え、王妃たちの虚言を否定し続けていた。けれど、ラシェルよりも王妃を優先し、王妃の言う通りにし続けた。

 その結果がこれだ。

 嵐だったのは運が良かった。死体が出なくても、おかしいと思われない。
 ラシェルでなければ殺されていた。クリストフがまた街に出て、その辺の女の子に一目惚れでもすれば、ラシェルの二の舞だろう。

(精霊使いで良かったわ。馬車を落として、激流の中逃げたとは思わないでしょう)

 だが、これでもう、ラシェルは自由になった。
 ラシェルは、もう会うことのない男との思い出を、濁流と共に流し終えたのだ。
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