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200 ーシヴァ少将ー
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「失礼します。今日もよろしく願いします」
午後になってヘキ卿の部屋に挨拶をしにいくと、そこにはメイラクの他、ヨウなどヘキ卿の部下たちが集まっていた。
「やあ、リオン。今日も頑張ってね。では、あとは頼んだよ」
「承知しました」
言って、ヘキ卿とメイラクは部屋を出て行った。気のせいかな、二人とも着物が暗い。ヘキ卿はおしゃれ番長らしくいつも艶やかな色や模様のある着物を着ているのだが、ずっと色の抑えられた紺色の着物を着ていた。メイラクはいつも落ち着いた色の着物なのだが、それよりも更に暗い、黒に近い着物だった。
「何か、あったんですか?」
「シヴァ少将の部下が亡くなったんだ」
ヨウは自分たちの部屋に戻るよう促しながら、今朝方起きた話を教えてくれた。
どうやら昨日の地震で落ちてきた瓦礫に運悪く当たり、即死したらしい。
「あの地震でですか…」
よほど建物が緩い造りだったのだろうか。震度3程度の揺れだ。少し長めの地震だったわけだが、自分の家なら倒れる物もないだろう。
しかもまたシヴァ少将だ。最近不幸続きである。
ヘキ卿とメイラクはその部下と懇意だったらしく、葬式に行くそうだ。身内ではないので籠もったりするわけではないらしいが、食事などは魚肉の入らない物を食べるなど、生き物を殺生しない食事になる。前にラカンの城で食べた食事と同じだ。精進料理である。
「昔もね、立ってられないほど大きな揺れがあって、その時は建物が天井から落ちてきたんだよ。それから補強などもしているから城はしっかりしているのだけどね」
その人は建物の中ではなく、屋根のある回廊を歩いている時に物が落ちてきて当たってしまったらしい。運が悪すぎる。
「昨日はそこまでの揺れではなかったけれど」
ヨウは残念そうに言った。そこまで親しいわけではなかったが、顔見知りだったようだ。まだ若い方でこれからの人だったのに、と肩を下ろす。
「最近地震多かったですしね」
「昔あった揺れよりずっと軽いものだよ」
十年ほど前の話だろうか。昔大きな地震があったのは皆が言っている。ヨウはその頃まだ働く歳ではなかったようだが、良く覚えているそうだ。
元々王都の街に住んでいるので、その時の地震は子供心に恐ろしかったらしい。
「その時ってそんなに揺れたんですか」
「怖かったね。建物が音をたてて揺れていたよ。石垣なども壊れたりしてね」
「そうですか」
ならば、後宮の抜け道はそれでガスの漏れが濃くなったのかもしれない。十年もあれば濃度も濃くなると思ったが、地震で隙間でも広がってガスの放出量が増えていれば当然だった。
部屋に戻り仕事に入ると、いつも通りの仕事を渡された。今日も数字と計算機を交互に睨めっこだ。紙がないので計算機に慣れるしかないのである。うむむ。役立たずにならないように努力が必要なのだ。
バイトみたいなものだが、商品並べるとか配膳するとか、レジやるとか、学生でもできる仕事は国の中枢だととても少ないのである。だったら何ができるんだって話になるくらい、何にも出来ない役立たずさだ。
いやー、実際自分何ができるかって言われて、本当に困る。何できるっけ。こっちは星の並びが違うのでこの知識は使えないし、あと何あるの?文字は読めても書けないと言う切なさ。文字見て書き写すのですら苦労がある。
お掃除と皿洗いかな。そして荷物運び。
努力していない人間に現実は厳しかった。切ない。なおかつ自分にはこの世界の常識がない。あれ、もしかしてこの世界の子供レベル。いや以下なのか?
フォーエンに学校作ってもらって、自分が行かなきゃダメなやつじゃないか?
「リオン、それ終わったら、ちょっと付き合ってくれる?」
「はい?もう終わります。すぐ終えます」
「うん。終わったら声かけて」
ヨウに声をかけられて、今手元にある書類仕事を急いで終えると、ヨウは大きな口で急がなくていいよ。と笑ってくれる。最近ヨウの笑い顔は癒しだ。ニコニコ笑っていてくれると、こちらもニコニコになる。
あの眉間にシワばっか集めてる男にそのニコニコ分けてあげて欲しい。
「ちょっと荷物を取りに行きたいんだ」
「お任せください。お荷物運び頑張ります!」
「そんな張り切る」
ヨウは笑ってくれるが、唯一まともにできる仕事である。それを言うと、ヨウは更に笑った。
「そんなことはないよ。今は計算だけだけれど、これから少しずつやる事も増えていくからね。できることが増えてくれると僕たちも助かる」
今後は計算以外に新しい仕事をくれるらしい。理音は大きく頷いた。役立たずからちょっと役立たずに昇進できるかもしれない。
ヨウはあの部屋の中では一番年下なので、雑用も多いらしい。データ分析に使う資料を運ぶため、人手が欲しかったようだ。データ分析もアナログの木札や紙から探して統計するしかない。物量があるので意外に力仕事が増えるのである。アナログ大変すぎる。
「資料を整理しようにも、人手が足りないんだよ。どこも忙しい」
「結構みなさんぱたぱた動いてますもんね」
お偉いさんの多いこの場所は、セイリンとハルイがいた棟に比べて、結構時間が早く流れている体感がある。それは皆さんばりばり働いているからで、移動時間のんびり歩いている人は少ないのだ。
何せお偉いヘキ卿ですら食事を取らずに書類をあさっているくらいである。それを考えたら、フォーエンの忙しさは目が回るレベルじゃなかろうか。
「あ、こっち通ろうか」
ヨウが回廊を渡ろうとして足を止めた。前にある回廊は屋根はあるが渡り廊下のようになっている。人が二人並べばきつきつの回廊だが、今は誰もいない。
ヨウは迂回して建物の中に入っていく。窓から回廊が見えていたが、歩いていると石の壁と低木に囲まれて見えなくなった。
けれど建物から再び外に出て右に曲がると、その回廊がもう一度見えてきた。回路の出口を跨ぎ、奥の棟へと移動する。距離的には回廊を通った方が早かったのだが、わざと避けたのなら、その理由を思い浮かべた。
「もしかして、あそこが、ですか?」
「…そう。さすがに昨日の今日だしね」
シヴァ少将の部下が亡くなっていたのが、その回廊らしい。天井の一部でも落ちて頭部に当たったのだろう。何ともやるせない事故だ。
「こちらはあまり人が通らないからね。倒れていてもしばらく気付かれなかっただろう。古い資料を保管している倉庫しかないから」
「そうですか…」
確かにこちらの棟は人通りがない。回廊も途中から見えなくなる上、その脇に低木が植えられているので、一見して誰かが倒れていても気付きにくいだろう。庭園を突き抜けるような回廊だが、その倉庫がある棟に行く用がなければ誰も通らないらしい。
遠回りした道は別の棟になるがこちらにも人はいなかった。こちらは倉庫ばかりのようだ。
「静かですもんね。しんとしてる」
「こちらの棟は少し古いんだよ。建物の造りが違うでしょう?だから揺れで壊れてしまったんだろうね」
もし人がいたらもっと早く見つけられて治療できたかもしれないだろうに。
ヨウはつらいことだと言いながら回廊を背にして倉庫のある棟に入っていった。一つの棟を倉庫にしているのはどこでも同じらしい。三階建ての建物全ての部屋に資料が眠っているらしく、ここから何回も往復して資料を集めるようだ。それは人手がいる。
そう言えば前にセイリンとハルイで倉庫に物を詰めに行ったのを思い出す。あの時も何度も往復して荷物を片付けた。ここからヘキ卿部屋まで距離があるのでこれは時間がかかりそうだ。
「さ、始めよう」
ヨウの掛け声に理音は大きく頷いた。
資料なのだから古いものは木簡で、紙はほとんどない。木簡は集まると結構重い。箱に入れてぷるぷる両腕を震えさせながら運ぶのは結構な運動になる。これなら布に包んで背中に背負って運んだ方が重くない気がする。風呂敷ほしい。
「リオン、無理しないで運ぶようにね」
ヨウはさほど身長が高いわけでもなく細めの体躯をしているのに、いくつもの木簡を入れた箱をひょいっと持つ。筋力の違いが恨めしい。理音は数を少し減らして箱を持ち上げて運んでいく。
これは、結構、中々、きつい。
何回か往復すれば腕が痛くなってくる。ヨウのスピードについていけないので、後からとことこ往復する。
「無理しないようにね。怪我もあるんだし」
「大丈夫です!」
怪我はもう大丈夫だ。少し違和感を感じることはあるが、その程度である。それとは関係なく、自分の筋肉が足りない。物運びまで役立たずになるわけにはいかない。
箱を持ち運ぶのに腕が耐えきれなくなり、理音は上着を脱ぐとそこに木簡を入れ、背中に背負うことにした。
「おう、楽。これ、楽」
そうだよね。腕の力で運ぶとか大変なのだ。けれど背負えばもっと早く運べる。
それで運んでいたら前から来たヨウに目を剥かれた。何故だろうか。
何度か繰り返し、言われた物を全て運び終える頃には、すでに夕方になっていた。
「はー。終わったー」
「ありがとう。かなり早く運べたよ」
何度往復したことか。部屋の隅に並んだ木簡を見る限り、ぱっと見数がわからないほど運んできていた。これをいつも一人でやっていたとは。大変すぎる。
「まさか上着で運ぶとは思わなかったけれど」
ヨウは苦笑いで肩を竦める。いや、あの運び方の方がとても楽だった。次からは風呂敷用意してもらいたいくらいだ。
ただし上着が埃と汚れにまみれた。洗うの大変かもしれない。申し訳ない。
持ってきた資料を順番に並べてこれから必要な情報をピックアップして分析するので、先は長そうだ。資料を整理しておかないとデータのように途中入力できないアナログの怖さ。ヨウは念入りに順番をチェックして入力、もとい書き写すのを手伝っていると、もう仕事時間の終わりだ。
明日から分析のお仕事である。大変そうだがちょっと楽しみ。
部屋を出る頃にはヘキ卿とメイラクは戻ってきていた。結構お葬式長い時間行うようだ。ヘキ卿は今日ほとんど仕事ができていなかったので、これからまだ仕事をするらしい。可哀想すぎる。
案外お偉いさんはブラックだった。
日も落ちて寒さが増す時間、理音はいつも通り戻る道を歩いていた。まだ仕事をしている人もいるがほとんどが帰り支度だ。
その中に濃いめの着物を着ている人たちを数人見かけた。お葬式に行っていたのだろう。冬のお葬式とか切ないなあ。いやいつでも寂しいものだけれど、冬だとその気持ちが一層増す感じる気がする。
祖父の葬式を思い出すのは、一番直近だからだろうか。雨の降る寒い日で、焼き場の煙が小雨の中上るのを眺めていた。焼き場に行く頃は涙も治まっていたけれど、小さなお骨になって戻ってきた時には、本当にもういないのだと改めて思った。
そんなことを考えていたら、人気のいない通路でシヴァ少将がこちらに向かってくるのが見えた。背中を少しだけ丸めるように歩いていて、とても疲れているのか意気消沈しているのか、表情が暗い。
色々続いているのでさすがにまいっているのだろう。部下が連続で亡くなっているのだし。
つらいなあ。
団体で歩いているがシヴァ少将が一番前で、後ろにお付きの人たちが後を追ってくる。いつもは数人いるが今日は二人しかいない。珍しい。いつも五人以上引き連れているのに。
シヴァ少将についている人はいつも同じだった。一人は目の細い色白の人で、年上だろう。三十代くらいの細身の人だ。平安時代の絵みたいな顔をしているのでよく覚えている。もう一人は武士のような眉が太くがたいのいい人だった。こちらも三十は過ぎているだろう。
シヴァ少将はため息を吐くように肩を下ろしたかと思うと、一瞬ふらりとかしいだ。
「シヴァ少将!?」
後ろの麿っぽい平安男性がすぐに気付いて肩を取った。もう一人の武士も慌てて声をかける。
「ご気分が!?大丈夫ですか」
「いえ、大丈夫です…」
武士の声かけにシヴァ少将はそう小さく言った。小さく言ったが、比較的近くにいた自分にも微かに聞こえた。
大丈夫です?
そう言ってシヴァ少将は頭を軽く抑えて前髪を掻き上げる。掻き上げた瞬間、目が合った。
一瞬だった。けれど、それは確かに間違いのない、素の表情だった。
「大丈夫ですか」
理音は躊躇なく声をかけた。シヴァ少将は既に真っ直ぐ立ち上がり何ともないと二人に口にしていたが、それでも声をかけた。
「誰だ!シヴァ少将に失礼な!」
「どこの者だ」
大物には声をかけられるまでかけてはいけない。通り過ぎるまで壁際に避けなければならない。それを行わず声をかけた理音にお付きの二人はすぐに反応した。悪くすれば斬られる。そんな雰囲気を出すように怒鳴ったが、理音は躊躇わなかった。
「医務局お連れしますか?」
笑顔で言えば二人はいきり立つ。
「下がれ!こちらはシヴァ少将だぞ!」
「ご気分が悪そうでしたので。よろしければご案内します」
「何をっ」
武士の方が剣に手を乗せた。その剣が抜かれる前、手を伸ばしたのはシヴァ少将だ。
「気分が悪い。声を上げるな」
「は、申し訳ありません」
諌められた二人は揃って頭を下げる。少しだけ見上げたシヴァ少将は、微かに強張っていた。
「ヘキ卿の部下だ。お前たちは先に戻っていろ」
「は、しかし」
「行け」
シヴァ少将は有無を言わさず二人を先に進める。二人はこちらを何度も振り返ったが頭を下げて先に進んだ。後ろ姿が曲がり角で見えなくなった途端、シヴァ少将は理音の手を引っ張った。
それに抗うことはない。引かれた手に促されて理音は走り出した。掴まれた手は見覚えのある手だった。
この手を繋いで、桜の下を歩いた。
「要くん」
「理音…」
人気のない廊下に入り込んで、シヴァ少将、小河原要は、愁眉を見せて静かに理音の名を呼んだ。
午後になってヘキ卿の部屋に挨拶をしにいくと、そこにはメイラクの他、ヨウなどヘキ卿の部下たちが集まっていた。
「やあ、リオン。今日も頑張ってね。では、あとは頼んだよ」
「承知しました」
言って、ヘキ卿とメイラクは部屋を出て行った。気のせいかな、二人とも着物が暗い。ヘキ卿はおしゃれ番長らしくいつも艶やかな色や模様のある着物を着ているのだが、ずっと色の抑えられた紺色の着物を着ていた。メイラクはいつも落ち着いた色の着物なのだが、それよりも更に暗い、黒に近い着物だった。
「何か、あったんですか?」
「シヴァ少将の部下が亡くなったんだ」
ヨウは自分たちの部屋に戻るよう促しながら、今朝方起きた話を教えてくれた。
どうやら昨日の地震で落ちてきた瓦礫に運悪く当たり、即死したらしい。
「あの地震でですか…」
よほど建物が緩い造りだったのだろうか。震度3程度の揺れだ。少し長めの地震だったわけだが、自分の家なら倒れる物もないだろう。
しかもまたシヴァ少将だ。最近不幸続きである。
ヘキ卿とメイラクはその部下と懇意だったらしく、葬式に行くそうだ。身内ではないので籠もったりするわけではないらしいが、食事などは魚肉の入らない物を食べるなど、生き物を殺生しない食事になる。前にラカンの城で食べた食事と同じだ。精進料理である。
「昔もね、立ってられないほど大きな揺れがあって、その時は建物が天井から落ちてきたんだよ。それから補強などもしているから城はしっかりしているのだけどね」
その人は建物の中ではなく、屋根のある回廊を歩いている時に物が落ちてきて当たってしまったらしい。運が悪すぎる。
「昨日はそこまでの揺れではなかったけれど」
ヨウは残念そうに言った。そこまで親しいわけではなかったが、顔見知りだったようだ。まだ若い方でこれからの人だったのに、と肩を下ろす。
「最近地震多かったですしね」
「昔あった揺れよりずっと軽いものだよ」
十年ほど前の話だろうか。昔大きな地震があったのは皆が言っている。ヨウはその頃まだ働く歳ではなかったようだが、良く覚えているそうだ。
元々王都の街に住んでいるので、その時の地震は子供心に恐ろしかったらしい。
「その時ってそんなに揺れたんですか」
「怖かったね。建物が音をたてて揺れていたよ。石垣なども壊れたりしてね」
「そうですか」
ならば、後宮の抜け道はそれでガスの漏れが濃くなったのかもしれない。十年もあれば濃度も濃くなると思ったが、地震で隙間でも広がってガスの放出量が増えていれば当然だった。
部屋に戻り仕事に入ると、いつも通りの仕事を渡された。今日も数字と計算機を交互に睨めっこだ。紙がないので計算機に慣れるしかないのである。うむむ。役立たずにならないように努力が必要なのだ。
バイトみたいなものだが、商品並べるとか配膳するとか、レジやるとか、学生でもできる仕事は国の中枢だととても少ないのである。だったら何ができるんだって話になるくらい、何にも出来ない役立たずさだ。
いやー、実際自分何ができるかって言われて、本当に困る。何できるっけ。こっちは星の並びが違うのでこの知識は使えないし、あと何あるの?文字は読めても書けないと言う切なさ。文字見て書き写すのですら苦労がある。
お掃除と皿洗いかな。そして荷物運び。
努力していない人間に現実は厳しかった。切ない。なおかつ自分にはこの世界の常識がない。あれ、もしかしてこの世界の子供レベル。いや以下なのか?
フォーエンに学校作ってもらって、自分が行かなきゃダメなやつじゃないか?
「リオン、それ終わったら、ちょっと付き合ってくれる?」
「はい?もう終わります。すぐ終えます」
「うん。終わったら声かけて」
ヨウに声をかけられて、今手元にある書類仕事を急いで終えると、ヨウは大きな口で急がなくていいよ。と笑ってくれる。最近ヨウの笑い顔は癒しだ。ニコニコ笑っていてくれると、こちらもニコニコになる。
あの眉間にシワばっか集めてる男にそのニコニコ分けてあげて欲しい。
「ちょっと荷物を取りに行きたいんだ」
「お任せください。お荷物運び頑張ります!」
「そんな張り切る」
ヨウは笑ってくれるが、唯一まともにできる仕事である。それを言うと、ヨウは更に笑った。
「そんなことはないよ。今は計算だけだけれど、これから少しずつやる事も増えていくからね。できることが増えてくれると僕たちも助かる」
今後は計算以外に新しい仕事をくれるらしい。理音は大きく頷いた。役立たずからちょっと役立たずに昇進できるかもしれない。
ヨウはあの部屋の中では一番年下なので、雑用も多いらしい。データ分析に使う資料を運ぶため、人手が欲しかったようだ。データ分析もアナログの木札や紙から探して統計するしかない。物量があるので意外に力仕事が増えるのである。アナログ大変すぎる。
「資料を整理しようにも、人手が足りないんだよ。どこも忙しい」
「結構みなさんぱたぱた動いてますもんね」
お偉いさんの多いこの場所は、セイリンとハルイがいた棟に比べて、結構時間が早く流れている体感がある。それは皆さんばりばり働いているからで、移動時間のんびり歩いている人は少ないのだ。
何せお偉いヘキ卿ですら食事を取らずに書類をあさっているくらいである。それを考えたら、フォーエンの忙しさは目が回るレベルじゃなかろうか。
「あ、こっち通ろうか」
ヨウが回廊を渡ろうとして足を止めた。前にある回廊は屋根はあるが渡り廊下のようになっている。人が二人並べばきつきつの回廊だが、今は誰もいない。
ヨウは迂回して建物の中に入っていく。窓から回廊が見えていたが、歩いていると石の壁と低木に囲まれて見えなくなった。
けれど建物から再び外に出て右に曲がると、その回廊がもう一度見えてきた。回路の出口を跨ぎ、奥の棟へと移動する。距離的には回廊を通った方が早かったのだが、わざと避けたのなら、その理由を思い浮かべた。
「もしかして、あそこが、ですか?」
「…そう。さすがに昨日の今日だしね」
シヴァ少将の部下が亡くなっていたのが、その回廊らしい。天井の一部でも落ちて頭部に当たったのだろう。何ともやるせない事故だ。
「こちらはあまり人が通らないからね。倒れていてもしばらく気付かれなかっただろう。古い資料を保管している倉庫しかないから」
「そうですか…」
確かにこちらの棟は人通りがない。回廊も途中から見えなくなる上、その脇に低木が植えられているので、一見して誰かが倒れていても気付きにくいだろう。庭園を突き抜けるような回廊だが、その倉庫がある棟に行く用がなければ誰も通らないらしい。
遠回りした道は別の棟になるがこちらにも人はいなかった。こちらは倉庫ばかりのようだ。
「静かですもんね。しんとしてる」
「こちらの棟は少し古いんだよ。建物の造りが違うでしょう?だから揺れで壊れてしまったんだろうね」
もし人がいたらもっと早く見つけられて治療できたかもしれないだろうに。
ヨウはつらいことだと言いながら回廊を背にして倉庫のある棟に入っていった。一つの棟を倉庫にしているのはどこでも同じらしい。三階建ての建物全ての部屋に資料が眠っているらしく、ここから何回も往復して資料を集めるようだ。それは人手がいる。
そう言えば前にセイリンとハルイで倉庫に物を詰めに行ったのを思い出す。あの時も何度も往復して荷物を片付けた。ここからヘキ卿部屋まで距離があるのでこれは時間がかかりそうだ。
「さ、始めよう」
ヨウの掛け声に理音は大きく頷いた。
資料なのだから古いものは木簡で、紙はほとんどない。木簡は集まると結構重い。箱に入れてぷるぷる両腕を震えさせながら運ぶのは結構な運動になる。これなら布に包んで背中に背負って運んだ方が重くない気がする。風呂敷ほしい。
「リオン、無理しないで運ぶようにね」
ヨウはさほど身長が高いわけでもなく細めの体躯をしているのに、いくつもの木簡を入れた箱をひょいっと持つ。筋力の違いが恨めしい。理音は数を少し減らして箱を持ち上げて運んでいく。
これは、結構、中々、きつい。
何回か往復すれば腕が痛くなってくる。ヨウのスピードについていけないので、後からとことこ往復する。
「無理しないようにね。怪我もあるんだし」
「大丈夫です!」
怪我はもう大丈夫だ。少し違和感を感じることはあるが、その程度である。それとは関係なく、自分の筋肉が足りない。物運びまで役立たずになるわけにはいかない。
箱を持ち運ぶのに腕が耐えきれなくなり、理音は上着を脱ぐとそこに木簡を入れ、背中に背負うことにした。
「おう、楽。これ、楽」
そうだよね。腕の力で運ぶとか大変なのだ。けれど背負えばもっと早く運べる。
それで運んでいたら前から来たヨウに目を剥かれた。何故だろうか。
何度か繰り返し、言われた物を全て運び終える頃には、すでに夕方になっていた。
「はー。終わったー」
「ありがとう。かなり早く運べたよ」
何度往復したことか。部屋の隅に並んだ木簡を見る限り、ぱっと見数がわからないほど運んできていた。これをいつも一人でやっていたとは。大変すぎる。
「まさか上着で運ぶとは思わなかったけれど」
ヨウは苦笑いで肩を竦める。いや、あの運び方の方がとても楽だった。次からは風呂敷用意してもらいたいくらいだ。
ただし上着が埃と汚れにまみれた。洗うの大変かもしれない。申し訳ない。
持ってきた資料を順番に並べてこれから必要な情報をピックアップして分析するので、先は長そうだ。資料を整理しておかないとデータのように途中入力できないアナログの怖さ。ヨウは念入りに順番をチェックして入力、もとい書き写すのを手伝っていると、もう仕事時間の終わりだ。
明日から分析のお仕事である。大変そうだがちょっと楽しみ。
部屋を出る頃にはヘキ卿とメイラクは戻ってきていた。結構お葬式長い時間行うようだ。ヘキ卿は今日ほとんど仕事ができていなかったので、これからまだ仕事をするらしい。可哀想すぎる。
案外お偉いさんはブラックだった。
日も落ちて寒さが増す時間、理音はいつも通り戻る道を歩いていた。まだ仕事をしている人もいるがほとんどが帰り支度だ。
その中に濃いめの着物を着ている人たちを数人見かけた。お葬式に行っていたのだろう。冬のお葬式とか切ないなあ。いやいつでも寂しいものだけれど、冬だとその気持ちが一層増す感じる気がする。
祖父の葬式を思い出すのは、一番直近だからだろうか。雨の降る寒い日で、焼き場の煙が小雨の中上るのを眺めていた。焼き場に行く頃は涙も治まっていたけれど、小さなお骨になって戻ってきた時には、本当にもういないのだと改めて思った。
そんなことを考えていたら、人気のいない通路でシヴァ少将がこちらに向かってくるのが見えた。背中を少しだけ丸めるように歩いていて、とても疲れているのか意気消沈しているのか、表情が暗い。
色々続いているのでさすがにまいっているのだろう。部下が連続で亡くなっているのだし。
つらいなあ。
団体で歩いているがシヴァ少将が一番前で、後ろにお付きの人たちが後を追ってくる。いつもは数人いるが今日は二人しかいない。珍しい。いつも五人以上引き連れているのに。
シヴァ少将についている人はいつも同じだった。一人は目の細い色白の人で、年上だろう。三十代くらいの細身の人だ。平安時代の絵みたいな顔をしているのでよく覚えている。もう一人は武士のような眉が太くがたいのいい人だった。こちらも三十は過ぎているだろう。
シヴァ少将はため息を吐くように肩を下ろしたかと思うと、一瞬ふらりとかしいだ。
「シヴァ少将!?」
後ろの麿っぽい平安男性がすぐに気付いて肩を取った。もう一人の武士も慌てて声をかける。
「ご気分が!?大丈夫ですか」
「いえ、大丈夫です…」
武士の声かけにシヴァ少将はそう小さく言った。小さく言ったが、比較的近くにいた自分にも微かに聞こえた。
大丈夫です?
そう言ってシヴァ少将は頭を軽く抑えて前髪を掻き上げる。掻き上げた瞬間、目が合った。
一瞬だった。けれど、それは確かに間違いのない、素の表情だった。
「大丈夫ですか」
理音は躊躇なく声をかけた。シヴァ少将は既に真っ直ぐ立ち上がり何ともないと二人に口にしていたが、それでも声をかけた。
「誰だ!シヴァ少将に失礼な!」
「どこの者だ」
大物には声をかけられるまでかけてはいけない。通り過ぎるまで壁際に避けなければならない。それを行わず声をかけた理音にお付きの二人はすぐに反応した。悪くすれば斬られる。そんな雰囲気を出すように怒鳴ったが、理音は躊躇わなかった。
「医務局お連れしますか?」
笑顔で言えば二人はいきり立つ。
「下がれ!こちらはシヴァ少将だぞ!」
「ご気分が悪そうでしたので。よろしければご案内します」
「何をっ」
武士の方が剣に手を乗せた。その剣が抜かれる前、手を伸ばしたのはシヴァ少将だ。
「気分が悪い。声を上げるな」
「は、申し訳ありません」
諌められた二人は揃って頭を下げる。少しだけ見上げたシヴァ少将は、微かに強張っていた。
「ヘキ卿の部下だ。お前たちは先に戻っていろ」
「は、しかし」
「行け」
シヴァ少将は有無を言わさず二人を先に進める。二人はこちらを何度も振り返ったが頭を下げて先に進んだ。後ろ姿が曲がり角で見えなくなった途端、シヴァ少将は理音の手を引っ張った。
それに抗うことはない。引かれた手に促されて理音は走り出した。掴まれた手は見覚えのある手だった。
この手を繋いで、桜の下を歩いた。
「要くん」
「理音…」
人気のない廊下に入り込んで、シヴァ少将、小河原要は、愁眉を見せて静かに理音の名を呼んだ。
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