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170 ー企みー

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「エンシさんについてたお医者さんって、どんな人だったんですかね?」
「さあ。私はお会いしたことはございませんが、レイシュン様はお会いしたことがあるかもしれません」
「そうなんですか?」

 レイシュンがこの州の州侯になった時、エンシは死んでいる。その医師はエンシが死んでからすぐに南の国に旅立ったのだから、いつ会うことがあるのだろう。
「レイシュン様はこの城に用向きもございましたから、足を運んだことはございます」
 州侯になるのに前の州侯から指名されたのだから、レイシュンが州侯になる前でもエンシを手伝う者に会った可能性はあるのか。

 理音はふうん、と呟いて、顎を撫でる。レイシュンが若い頃会っても、病気や怪我がない限り医師に話し掛けることはないと思うが。
「そう言えば、戦いがあったって言ってましたね。今の皇帝陛下が皇帝になる前」
 レイシュンが大司の尊の話をしてくれた時に言っていた。凶星が流れた後各地で戦が激化。その際にレイシュンも死を覚悟したことがあるのだと。内戦も多いような話を聞いたし、そんな戦いの時にでも会ったのだろうか。

「前の皇帝陛下の名により行われた大幅な改革に難を示した者たちが反旗を翻した戦いですが、最近のことです。その頃レイシュン様は既に州侯に任命されていました」
 フォーエンが皇帝となって何年も経っているわけではない。戦いで医師と知り合ったわけではないのだと否定された。

「十年近く前の戦いの時ではないでしょうか。州と州との対立があった際、多くの者が死にました。その時の功績によってレイシュン様は前州侯より目を掛けられました」
 戦いで功績を残したのならばレイシュンは武よりなのだろうか。どちらかと言うと暗躍していそうだが。その時の戦いで州侯の覚えが良かったのならば、若いのに余程よい仕事をしたのは間違いない。

「そこで前州侯さんに覚えてもらったなら、お医者さんに会ってもおかしくないですね」
「わかりません。戦いには参加しておられましたが、そこで医師に会うかは。戦いの場所はここではありませんし」
 どうやら違うらしい。時系列や戦いの場所がどこかわからず理音は首を傾げた。年表とかほしい。

「あの戦いは熾烈なものでしたから、よく覚えております」
 ギョウエンは思い出したように、気鬱な顔を見せて言った。ギョウエンもその戦いに出ていたのだろう。
「その時の戦いでは、リ・シンカや周囲の部族も関わっておりましたので、忘れようにも忘れられないのです」

 州の戦い中、漁夫の利でバラク族がテリトリーを増やした。当時王都から派遣された兵だったレイシュンだが、戦いの最中に別の部族にも手を出して戦いを増やされたため、かなり苦い思い出になったらしい。無論背景にリ・シンカの影がちらつき、前州侯も頭を痛めていた。
 レイシュンはそれを継続して対応している。

 結構因縁の相手のなんだなあ。と頷いて、理音はもう一度木札を見直した。日本語の文字ならば年も何となく想像つくが、見慣れない文字から年齢を想像するのは難しい。

「ナモリさんと同じくらいの歳の人だったんですかねえ?」
「いえ、お若い方だったと聞いています」
 若いってどれくらいだろう。首を傾げると、あなたくらいだと言われた。十年前で自分と同じくらいならば、今頃二十代半ばだ。
 その人がこの木札に、言われたままに描いたのだろうか。

 木札の絵は墨一色で描かれていたが、特徴をしっかり捉えた細かい描写がされていた。似たような植物と間違えないように、色や肌触り、サイズを文字で記し、注釈を入れている。
 見目を間違えれば大きなミスになる。それこそ食べられるキノコと毒キノコを間違えるように、死に至る。
 そうならないための気遣いが見られた。描いた人は役に立つ物を自分のミスで取り返しのつかないことにならないように、丁寧に詳細に描いたのだ。
 この人は、木札を分けて描くことに疑問を抱かなかったのだろうか。

「分けて描く意味って何だろう」
「何でしょうね」

 独り言にギョウエンが反応してくれる。一緒に考えてくれるのかと思ったが、ぬぼっと扉の前で立つだけだ。考えているのかわからない顔である。

 無表情の灰青色の瞳を見上げて、理音はじっとその瞳を見つめた。こちらで見たことのない薄い色。光の強い場所では眩しくて見にくいだろう。肌や髪の色からしても、直射日光の強い場所で生まれたわけではなさそうだ。

「ギョウエンさんって、元々この国の方なんですか?」
 突然の質問に面食らったのか、聞かれたくない質問だったのか、一瞬片眉をぴくりと動かした。
「それが、何か?」
 肯定とも否定ともとれない答え方をする。バラク族が西の方と言っていたので外国の人だとは思うが、若干不機嫌な声音だったので聞かれたくないことなのかもしれない。深くは問わず理音は聞きたいことを口にした。

「南の国の人って、そんなにこの国に来るのかなって」
「…あまり、ないでしょうね」
「ないんですか?」
「ありません。正直申し上げて、南の国からすればこの国は片田舎です。玉の採れる大地はありますが、荒野ばかり続く痩せた土地とそれを囲む過酷な環境の山脈が立ちはだかる。侵略するには危険が伴い、しかも利益が少ない。北西の国はともかく、南の国はこの国に興味がございません。南から商人は参りますが、南の人間ではありませんので。商人は玉と交換するためにこの州まで来ます。南の国の人間がこの国に来ることは多くはない」

 特別な宝石が採れるならば奪うのはありそうだが、南の国は豊かで世界の先進国の一つでもあるので、危険を犯してまで宝石のために侵略はしてこないのだそうだ。あったとしても国境にいる小さな民族がちょっかいを出してくる程度。この国からすればそれはそれで困るらしいが、南の国が完全に領土を奪いに来るのとは話が違う。

「この国が南の国の先端技術を欲することの方が多く、むしろこちらから南の国へ行くことの方が多いでしょう。しかし、田舎者と侮られることが多いのです。こちらに来るのは商人ばかりです。この州にも多く参ります。薬草を売りに来ることも多々ございますから」
 ならば、なぜエンシはこの国に来たのだろう。医師として来たのならば、国境なき医師団のごとく慈悲からの行動だったのか。それとも南の国にいられないような何かがあって逃げて来たのだろうか。

「存じません。医師エンシは他州より入り皇帝に気に入られた特殊な道を持つ者です。どのようにしてこの国に入り込んだかは、耳にしたことはございません」
 そこまで過去は有名ではないと、ギョウエンはかぶりを振る。ただ医師としての技術が高く、それだけで皇帝付き医師になった特殊な人物だったのだ。普通ならば身元もわからない者を皇帝付き医師にするなどあり得ないことである。

 そう聞くと、自分もそうだな。などと考えてしまうが、それは言うまい。
 ほっとため息をついて、理音はもう一度木札を満遍なく確認する。
 表に番号、植物の絵、裏に効能。どの札もどの札も同じ。

「あれ?」
「何でしょう」
  番号順に見ていくと、同じ植物が描かれている。同じは同じでも葉の部分と実部分で分かれているのだ。
 よくよく見れば、部分ごとに描かれており、後ろに効能が書いてある。花や実、茎や根、葉、それぞれがそれぞれ効能が違うと、同じ植物でも何種類かの木札になっていた。
 部分によっては薬草の作り方が違う。そのため木札を分けているのだ。一概に効能を全て書いているわけではない。しっかりどの部分がどんな効能があるのか、わかりやすく記されている。

「何だ。じゃあ、やっぱり片割れがあるんだ」
 そもそも植物の名前が書かれていないのでわからなかったが、同じ植物を描いている。もしかしたら、片割れに名前と作り方が書いてあるのかもしれない。
 理音の呟きにギョウエンは何のことかと近付いて来た。手元の木札を無表情のまま覗き込んでくる。

「木札をわざと読みにくくさせて残す人って、どんな人だと思います?」
 またも突然の質問に、ギョウエンはさすがに怪訝な顔を見せた。すぐに元の無表情に戻り、考えるように目線を横にずらす。
「意地が悪いか、その知識を他人に渡したくなかったか」
「そうですね。意地が悪いはあるかもしれないです。でも、他人に渡したくなかったら、わざわざ他人に書かせて残したりしないですよね」
「…そうでしょうね」

 だから、意地が悪い。であっているのだ。エンシは意地悪く、木札を分けて書くように言ったのだろう。そしてその後何かがあり、製法だけがなくなった。
 木札の問題は解決した。
 理音はうん、と頷く。

「この木札には毒は記されていないので、木札を探しても仕方ないですね」
「何故でしょうか?」
 話の脈絡がわからないと、段々ギョウエンの顔に表情が生まれる。灰青色の瞳が濁り、不機嫌が感じられた。慣れると表情は読めるものだ。
 どこかの王様を思い出して、つい口端を上げる。

「ギョウエンさんって、皇帝陛下にお会いされたことあります?」
 さらに別の質問を投げると、ギョウエンはさすがに眉を顰めた。問いに対する問いは苛立ちが募るものだ。
「ご拝顔を許される身分ではありませんので」
「皇帝陛下もね、そう言う顔するんです。ギョウエンさんみたいに無表情で、でも時々、眉を寄せる」

 眉間にシワをつくり、不機嫌を表す。眉と眉の間に指差すと、ギョウエンが途端に困惑の表情をさせた。
 なぜ、理音がそんなことを知っているかと言う顔をしている。
 うん、うん。嘘にしても程があるよね。
 言いたいことはわかると、内心頷いて、しかし、理音はその考えを肯定させる言葉を発する。

「この木札、写して皇帝陛下に送ってくださることってできます?王都の医療水準って、エンシさんがいなくなってから相当落ち込んでるみたいなんですよね。前に皇帝陛下が風邪引いた時も大騒ぎだったので」
「え、いえ…」
 どう返答していいか、ギョウエンは明かに対応に困った顔を見せる。

「私からと言えば皇帝陛下は受け取って下さるし、その輸送料も皇帝陛下にお願いして大丈夫ですし。あ、木札の写しが大変なら私やりますし。って、レイシュンさんに言ってもらっていいですか?」
 ギョウエンが気を付けろ、と忠告をくれるのならば、こちらの意図を訝しがっても、レイシュンに伝えてくれるだろう。

「何を、企んでいるのですか?」
「保身です」
 理音の言葉に、ギョウエンは肩を下ろすと、困惑の顔をやめた。
「そのような言葉に、レイシュン様は動かされないと思います」
「嘘じゃないですよ」
 
 嘘ではないが、差出人自分、フォーエン宛で送ったら、向こうで誰だこの差出人ってなると思う。分かったら分かったで、後でこっぴどく怒られると思う。まともに届くかは知らないが、フォーエンの耳に入れば届くと思う。

 ギョウエンはやはり困惑顔になって首を傾げた。
「ハク大輔が、口添えをすると言うことでしょうか」
「ああ、ハク大輔が見れば届けてはくれるでしょうね」
 言われて頷く。ハク大輔なら間違いなく届けてくれる。理音の反応にギョウエンは尚更首を傾げた。

「皇帝陛下はこの札には興味ありますよ。本人風邪で一時期怪しかったですからね。医療水準が低いこと気にしてましたし」
「あなたは一体…」

「皇帝陛下もきっとお喜びになります。それとね、もう一つお願いがあるんです」
 今自分は最大限の嘘顔にっこりをしているだろうと、不似合いさを心の奥底にしまって、口端を大きく上げた。
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