上 下
167 / 244

167 ー信用ー

しおりを挟む
「顔色があまり良くないねえ」

 白髭の医師ナモリは理音の顔を見ながら、いつも通りと検診を始めた。
「雪が降りそうだから、冷やさないようにしないとね。まだ身体は本調子じゃない」

 空は鉛色で、雨でも降ればみぞれにでもなりそうな寒さだ。部屋には火鉢が置かれ、時折侍女が薪を足しに来る。炭ではないので、定期的にチェックをしにきてくれた。

 もうストーブが焚かれる時期らしい。本当に冬が来るのが早い。いつも温室にいるがそれでも冷えている実感はあった。膝かけや上着が厚手の物に変わったからだ。
 侍女が火鉢に薪を突っ込む。火鉢と言っても椅子くらいの大きさのもので、コテージにでもあるような石油ストーブみたいだ。近寄ると、暖かいより熱い。網の上で餅とか焼きたくなる。

 背中の傷を診るため、冷えるからと部屋を温めてくれたようだ。
 手足の傷はもう小さな痕を残してほとんど治っている。ただ、背中だけはまだかさぶたが残っており、眠っていると時折かゆくなったりちょっとした痛みが走ったりしていた。

 傷は確かに残り、手鏡で見る限り、手のひらサイズの痕が刻まれていた。くぼんでいると言うか、皮が集まって縮れたみたいになっている。伸ばそうにも伸びないし、触ると痒い。
 穴が空いたみたいだな。と思いながら、やっぱりそれをかいた。
 別に背中だし、傷と言っても、日が経てばもう少し薄れだろう。多分。そして、そこまで気にするものでもなかった。水着とか着ない限り、見られることはない。

 基本、理音は適当である。きっともっとしっかり痕があっても、気にしない。だって背中だし。程度である。腹だったらさすがに嫌かな、と思うだろうが。
 そして、足や腕はそこそこ治ってきていた。どこかにぶつければ痛みにもんどりうつが、それがなければ問題ない。
 ナモリは丁寧に理音の傷を診ながら、薬を塗った。

「傷はもういいが、折れた手足や強く打った背中は冷えで痛むかもしれないよ。足の添え木は取るけれど、だからと言って激しく動いてはいけない。お嬢さんはよく庭をうろついているようだが、添え木を取れば足に負担がかかる。あまり無理をして出歩かないように」
 ナモリは理音の足に添えてあった木を取ると、包帯を巻き直した。薬を塗り、あとは包帯で固定するのみだ。

 添え木がなくなると途端に寒さを感じる。木がなくなるだけでも暖かさが断然違った。
 心許ない包帯は理音の足を軽くさせる。その分立ち上がり力を入れれば、足首に微かに痺れるような痛みを感じた。
 足首をずっと固定していたせいで足首の筋肉が固まっているのだろう。ナモリも時折足首を動かすように勧めた。
 腕の包帯は取られており、痛みがあるようなら薬を塗るようにと、小さな陶器の入れ物に入った練り薬を手渡された。乾燥しないように蓋が付いていたが密閉はされていない。そのためそんなに量は入っていなかった。表面は乾いているが、そのままでもぷうんと鼻につく匂いがした。

「この薬も自家製ですか?」
「ああ、リンネが育てた葉を練ったものだよ」
「練るのはナモリさんですか?ジャカさん?」
「城にある薬を作るのは私の役目だよ。ジャカが作るのは城内でも一部の者たちのためだ」

 なる程、やはり重要な任務を担う者に、ジャカが作った薬は使わせていないのだ。おそらく下働きか、そこまで重要性のない衛兵など、何かがあっても問題ない者には使用を許している。
 それ以外の者には、ジャカからは薬草だけをもらい、ナモリが薬を作るのだろう。
「門番や大切な場所を守る者も、ジャカの薬を使わないように伝えられているがね」
 はっきりと言われてふとナモリの顔を見上げる。ナモリは苦い顔をしたがすぐにそれを消した。

「ジャカさんはそこまでレイシュンさんに信用されていないんですね。まあ、薬ですから当然でしょうけれど」
「レイシュン様は州侯でいらっしゃる。いつ毒が混ざるかもわからない庭で作った薬を重宝はできないよ」
「ですよね…」
 そもそも作っている場所が悪い。庭にあって建物内ではないのだから、いくら施錠しているとは言え、誰が侵入するかわからない。草のままであれば毒の混入がわかるのだし、そうでなければ確信を持って信用はできないだろう。

「とは言え、よくやっている子供だよ。リンネも植物の手入れに集中できていいと言っていた。ジャカのお陰で倉庫は綺麗になったしな」
 ジャカが来る前は棚を使わず、部屋に薬ごと置かれていただけだったそうだ。植物は育てられても、管理までは行き届いていなかったようだ。
 薬棚を見れば几帳面なところがわかる。リンネにとってジャカが入ったのは良かったのだろう。

「ジャカさんも、この湿布薬の作り方知っているんですか?」
「どうだろうね。私が薬の作り方を教えたりはしないし、ジャカに私が何か助言することはあり得ないよ。残念だが身分が違いすぎているし、ジャカはそれをよく理解している」

 身分のせいでまともな対談は行えない。前にジャカを入れて話すことができたのは、理音がいたからだと言う。
 ナモリの言い分だが、どこか残念そうに言うのは、ナモリが本来なら協力し合いたい表れだろう。しかし、現実的にレイシュンの側近の養子になったとは言え、元男娼ではナモリと直接対話できるほどの身分は得られていないらしい。町の子供くらいならともかく、男娼と言うのが尾を引いているのだ。

 レイシュンのように自ら許しているのは例外中の例外で、養子と言う名の下男と言うのが周囲の評価のようだ。
 それに、とナモリは続ける。

「ジャカはバラク族に通ずることがあるからね」
「バラク族、ですか」

 レイシュンを暗殺しようとしているらしい、バラク族はレイシュンからもちろん警戒されている。
 レイシュンはバラク族から命を狙われている。リ・シンカも同類だろう。そのバラク族とジャカが通ずるとなれば、レイシュンが警戒しないわけがなかった。
 しかし、

「バラク族と繋がりがあるのに、レイシュンさんはジャカさんを庭師にしたんですか?しかも、薬に関わる仕事で」
「そうだね…」
 ナモリは少し間をとったが、小さく息を吐くと少しずつ話し始めた。

 レイシュンから理音がウルバスを殺した犯人を探していることは聞いているのだろう。ジャカがそうだとは思いたくないと言い、けれど真実を見つけて疑いを晴らしてやりたい気持ちが強いのだと口にした。

 ジャカは妹のために遊郭で働いていた。姉を亡くし住むところも仕事もないジャカは、食べる物もなく困窮していた。妹を連れて日雇い仕事をしたり物乞いをしたりしても、妹は身体が弱く体調を崩すことが多い。道端で野垂れ死ぬところを、バラク族の長、セオビに助けられたそうだ。

「いや、正確には助けられたわけではないね。拾われて、売られたと言った方がいい。妹は預かるから、身体を売って働かされたんだと」
「妹さんを人質に取られたってことですか」
「働くには妹を見る者が必要になる。けれど、そのあても無い。だとしたら、それにのるしかなかったんだろう」

 妹を盾にジャカを働かせて、その利益を紹介料としてもらう。妹は貴族の家で奉公させた。つまりバラク族のセオビは、元手無しに金銭を得ることになったわけだ。
 理音は無性に強い憤りを感じた。理不尽なことに対する怒りは、どこにも発散されない。
 なぜ、そんな人道に外れたことがまかり通るのか、恨むにも何に恨んでいいかわからない、行き場のない気持ちが溜まっていく気がする。

「借金があって売られたわけではないから、自由がないわけではないらしく、妹に会うことは何度かあるそうだよ。ただ、普通なら妹の奉公先が決まれば喜びたいところだが、ジャカに似て器量のある子だったらしいから、別の心配もあってね」
 ナモリのぼかした言い方に理音は何とも言えない気持ちを感じた。
 貴族に奉公で器量が良いのならば、想像に難くない。

 だからジャカは働きながらも、妹の心配ばかりしているそうだ。まだ幼いとは言え、いつその奉公先の貴族が触手を伸ばすかわからない。とにかく働いて妹を引き取らないことには、安心できないはずだ。
 そしてよりによってと言うか想像通りと言うか、その貴族がリ・シンカなのだ。
 妹を人質にとられているのならば、レイシュンが信用するわけない。するわけないのにジャカを取り込んだ。
 レイシュンの思惑が見え隠れする。

「ジャカはウルバスだけじゃなく、セオビもリ・シンカも恨んでるってことですよね」
 通じていると言うのとは違う気がする。むしろ強く憎むのではないだろうか。
 しかし、そんな単純ではないのだと、ナモリは首を振った。
「孤児を拾って仕事を斡旋するのは、この州じゃ普通にある。食糧不足で死亡する親や子は多いからね。それについては、そこまで恨まれることではないんだよ。王都の方にはわからないだろうが」
 理音はその言葉に愕然とした。孤児を保護するのに遊郭に売るのがデフォルトと言うのは、倫理としていかがなものなのだろうか。しかしここではそれがまかり通るのだ。

 そうなってしまうとレイシュンがジャカを信頼するのは尚更難しい。レイシュンであれば恨みを逆手にとり、リ・シンカやバラク族の情報を得ようとするだろう。しかしジャカにその気持ちがなければ、レイシュンはジャカを得ようとするだろうか。

 理音はうーんと唸る。レイシュンに対してひどく想定しすぎだろうか。しかしどうしてレイシュンの含むような玲瓏な雰囲気が気になるのだ。どちらにしてもレイシュンはジャカを信頼しているわけではない。取り込む姿勢はバラク族やリ・シンカへのポーズにすら思えてくる。ジャカを信頼しているのだと考えるように。

 理音が首を傾げていると、ナモリは苦笑する。
「レイシュン様は特別な考え方をされる方だからね。レイシュン様にとってジャカは興味のある人物なのだと思うよ」

 興味があれば近くに置いておきたくなる。そんな損得なしで人を得ようと考える人なのだと、ナモリは言った。言われて納得もする。ジャカを信頼しなくとも、側に置きたくなるような何かを持っているのだろう。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

竜帝陛下と私の攻防戦

えっちゃん
恋愛
彼氏だと思っていた相手にフラれた最悪な日、傷心の佳穂は考古学者の叔父の部屋で不思議な本を見付けた。 開いた本のページに浮き出てきた文字を口にした瞬間、突然背後に現れた男によって襲われてしまう。 恐怖で震える佳穂へ男は告げる。 「どうやら、お前と俺の心臓が繋がってしまったようだ」とー。 不思議な本の力により、異世界から召喚された冷酷無比な竜帝陛下と心臓が繋がってしまい、不本意ながら共に暮らすことになった佳穂。 運命共同体となった、物騒な思考をする見目麗しい竜帝陛下といたって平凡な女子学生。 相反する二人は、徐々に心を通わせていく。 ✱話によって視点が変わります。 ✱以前、掲載していた作品を改稿加筆しました。違う展開になっています。 ✱表紙絵は洋菓子様作です。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

処理中です...