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149 ー夢ー

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「庭で、草を食す馬鹿がいるか!」

 いきなり後頭部を拳骨で殴られて、理音は頭を抑えながら身悶えた。口に入った黄色の花弁をもぐもぐ咀嚼しながら。
 それを飲み込んで、拳骨をくれた相手を見上げる。

「フォーエン、今日は早いね」

 夕闇が空を覆い始める、日暮れの時間。
 西日も陰りつつある僅かな光がフォーエンの背に降り注ぎ、まるで絵画のように美しかった。
 いや、絵画のごとき美しき人は、握った拳がそのままである。

 フォーエンは拳を握ったまま、それを振り下ろしそうな顔で理音を見下ろしていた。
 雷を落とす一歩手前は断罪する神か天使のようだが、そんな怒ることないじゃん。と口にすれば、それが振り下ろされるのはわかっていた。不機嫌なご主人様に追い討ちの言葉は危険だ。

「飲み込んだものをさっさと吐き出せ!お前でも病になったらどうする!」
 そう言って、人の口に手を突っ込もうとしてきた。何をする気だと、理音も応戦する。

 お前でも病になったらって、どういう意味だ。いつも通り失礼な男だ。
 フォーエンは襟足をがっしり掴んで理音が逃げようとするのを抑えてきた。襟足を狙うとは、まるで犬猫の首を引っ掴むように扱ってくれる。柔道技でもかけてくる気か。

「大丈夫だよ。食べられる花だから」
「そういう問題か!」
 そういう問題じゃなかったら何だと言うのか。理音は地面に美しく咲く花を指差して、これは食べられる!と断言する。

 肉厚の葉と花を持ち、ほのかに甘い香りが懐かしさを感じる。
 エディブルフラワー、所謂食用の花は我が家では当たり前に食卓で飾られた。庭に咲く花は、押し花以外にも利用することがある。サラダに混ざったプリムラの花は、甘味とちょっとした苦味を持つので、アクセントには丁度いい。
 だから、それを久し振りに口にしたかっただけである。

 もう一枚を千切って口に入れると、やはりフォーエンは拳骨で殴ってきた。
「吐き出せ!!」
 人の襟元を掴んで、フォーエンは凄んできた。理音の素知らぬ顔のもぐもぐ咀嚼音に苛ついたか、頰をつねってひねってくる。
 何故いつも人の頰を、リスの頬袋のように伸ばしてくるのか。

「いひゃいってば!」
「庭で草を食むお前が悪い!」
 草を食むって、まるで馬か羊の餌のように言ってくれる。

 フォーエンは目くじらをたてて怒ってくる。怒りんぼで仕方ない男だ。
 自分の素行は置いておいて、理音は自分の両頰をさすった。力一杯引っ張ってくれるものだから、本当に伸びてきそうな気がする。

「うちではサラダとかに使う花なの。懐かしいなって思っただけ」
「さらだとは何だ」

 めんどくせえ。

 眉を顰めて問うてくる男は、何も言っていないのにもう一度理音の頰を捻り上げた。釣り糸に引っ掛けられた魚状態だ。理音は片足で立ち上がって、痛みに飛び跳ねる。飛び跳ねないとフォーエンの手が上がるばかりなのだ。

「ただの前菜!野菜の盛り付け!」
「素直にそう言えばいい」

 言って理音の頰から手を離す。放り出されて理音は頰をさすった。ひりひりどころかびりびり痛い。
 人の表情だけで判断して攻撃してくる。何て腹の立つ男なのか。お互い話ができなかった頃の名残は、こちらにとって不利になることが多い気がする。

「花は愛でるものだろう。食すものではない」
「愛でたりしないじゃん」
 言い返すとフォーエンは冷ややかな視線を送ってくる。それ以下のことをしているのがわかんないのか、この女。の目線だ。

「愛でないなら、どれが食べられるか教えてあげるのに」
「いらん」
 即答してきて、フォーエンはすたすたと理音から離れていく。そうしてしばらくすると理音に振り向いた。
「何をしている。さっさと来い」

 当たり前に人が後ろを歩んでくると思っているのか、偉そうにフォーエンは命令した。 
 全く、どこの王様だ。いや、王様だったわ。
 歯をむき出して半眼で睨みつけていると、フォーエンは手を伸ばしてくる。

「さっさと来い」
 その手にすぐに飛びつくと思っているのか。本当に俺様な男だ。
 それに易々とのってしまう自分も情けない。

 その手の平を掴むつもりが、フォーエンはそれをすり抜けて理音の背に手をかける。まるで当たり前のように、そうやって人の身体に触れてくる。

 囮役にその手はどうかと思う。

 触れる手は俺様なくせに力の強いものではない。理音の歩みに揃えてゆっくり歩いてくれる。
 エスコートなんて言葉がこの国にあるかは知らないが、それを当然とやってくるのだ、腹が立って仕方がない。
 優しい手は人の心臓をわし摑みにしてくれる。

 その手は離れない。囚われて逃げ出したくなっても、きっと離れることはないだろう。
フォーエンはその後、腹が減っているのなら、と言って花の形をあしらった、クッキーのようなお菓子を出してくれた。
 どれだけ食い意地がはっていると思われているんだろうか。無論食べるが。

 クッキーを頬張れば、それを口元に運ぶように要求してくる。恥ずかしげもなく簡単に言ってくれる。
 人のことをからかっているのか、よくわからない。断れば睨め付けてくる。子供みたいな王様。
 口に運べば手をとって指ごと噛み付いてくる。いや、その後殴ったが。
 病気の時に食べさせてから、やけに人に食べさせようとするのは気のせいではないだろう。

 幼児がえりはこちらにとって毒だ。
 時折急に触れたくなる。それを気付かれているのか、フォーエンは触れさせようとする。
 その白皙の長い指に触れて、艶やかな黒髪に触れていられたらいいのに。
 そう思いながら遠ざけなければとも思う。

「フォーエン…」
 横に眠っている彼の頰に触れてはいけない。その吐息に触れてはいけない。
 だからいつも思う。

 離れている間に、離れられればいいと。
 近くにいれば、離れられなくなるから。



 どごん、と何かが叩きつけられた音と共に、右足に激痛が走った。
 同時に勢いよく扉が開く音がする。

「いかがしました!」
「…寝台から落ちました…」

 入り込んできた兵士に、理音は地面に寝転びながら情けなく言った。
 どうやら寝相が悪かったらしい。

 右足が重いので、それが寝台からはみ出ると、そのまま引きづられるように地面に落ちる。だから右足の痛みは洒落にならないほど痛い。痛みに悶えて涙を堪えながら、兵士に起き上がるのを手伝ってもらう。

 しょうもない。手伝ってくれた兵士も苦笑いだ。

 
 朝の目覚めに侍女が湯桶を持ってきて、それで顔を洗う。
 右手が動かないので左手だけですくった湯で顔を撫でるように洗う。着替えや髪は手伝ってもらう。何せ立ったり座ったりができないので、着物を羽織ってから帯を結んでもらった。

 今日着させてもらった着物は、白に桜色の帯と言う、自分では絶対にチョイスしない色だ。帯には花模様が刺繍されて、着物が無地でも充分華な装いだった。
 お似合いですと言われて、一応微笑んでおく。口端からヒビが入りそうになるが、そこは何とか我慢だ。

 いつも通り朝食をいただいて、あとは自由である。昼前に老齢の医師が怪我の具合を診に来てくれる以外、特に予定はない。
 侍女によると祭りの最中、州で部族たちを集めた会議が行われるそうだ。丁度全部族を集めるので、集められた時に全て行いたいのだろう。合理的と言うか、何度も集まることを好まないのかもしれない。話を聞いていると、部族はあまり仲がよろしくないのだから。

 それでも祭りは盛況で、他国からの多くの商人も店を構えた。装飾品やら服など珍しいものが手に入ったのだと、侍女は嬉しそうに教えてくれた。
 この州は他国の物も手に入りやすい。

「フォーエン、そう言うこと、気にしそう」
 一体何が出回っているのか。何が売れているのか。商人のルート。それから、部族の動向。
 そもそも、そんな祭りがあって、彼は何の手も出さないのだろうか。フォーエンならば秘密裏にでも調査はしていそうなのに。

 誰か人をやるか、それとも、
「フォーエンが、来たりとか」
 するわけがないので、すぐに頭を振る。

 フォーエン欠乏症で、夢にまで見てしまった。全く質の悪い夢だ。喜びを夢に抱いている余裕などないのに、しゃしゃり出てきて余韻を残していく。
 このままではあちらに帰る日が来てしまう。早くフォーエンに襲われた事実を伝えなければならないのに。

「リオンちゃーん、出掛けようー」
 届いたノックの音と同時に声がかけられて、扉からレイシュンが現れた。返事もしていないのに扉を開けるのはいかがなものかと思うが、それを言う前にレイシュンの格好へ目がいった。

「不思議な、格好してますね」
「そうでしょー。似合うかな?」
「似合うと言うか…」
 大丈夫なのだろうか、その格好。

 レイシュンはくるりと回って見せてくれる。女子がスカートひらひらさせて服を見せるかのように。いえ、自分はそんなことやりませんが。
 いつも派手な色の着物を着ているのだが、本日の装いは全く違ったものだった。

 薄ねずみ色の着物。重ねも二枚ほどだろうか。下はズボンで靴もブーツではなく、草履のようなものだった。その草履の紐が膝下まであり、それでズボンを固定している。
 帯は辛うじてレイシュンの色とも言える赤であったが、鮮やかな赤ではなく、黒に近い濃い赤色だった。
 その姿はどう見ても市井の物。一般市民の着る、普段着である。剣を佩いてはいたが、一見町人に見えた。

「それで、お出掛けということは?」
「うん」

 爽やかな笑顔で頷いたその顔に、一抹の不安を覚えたのは気のせいではないと思う。
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