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137 ープロローグー
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フォーエンのお誕生日会が滞りなく何も起こらず済んだことは、フォーエンを支持する者たちからすれば安堵することだった。
ヘキ卿から後で聞いたわけだが。
前回、イベント中にフォーエン暗殺未遂事件が起きたことを鑑みれば、それくらいは容易に想像つく話だ。
警備も実際のところかなり神経質になっていたようである。
それもヘキ卿から耳にした。
そのフォーエンは、誕生日会の長い宴の後、ほとんど時間を空けずに理音の宮にやってきた。
宴が夜中まで続いたため、その時間に理音の部屋に来ても何の問題もないのだが、まあ、他から見れば色々と噂をしたくなるらしい。
「本当に、仲睦まじくて、嬉しいよ」
「いやー」
ヘキ卿の満面な笑顔に言われて、目線を逸らしてしまった。
仲睦まじいって、どんな想像をしたかを、想像したくない。
「前にも言ったけれど、陛下が君のような子を選んだことに、私は安心したんだ」
ヘキ卿は安堵のため息を、お茶をすすりながらしてくれる。
目線を逸らすことしかできない理音は、うつむきながら同じく茶をすすった。
部屋に戻って、新しいゲームを教えて、結構いい時間まで対戦してたとは言えない。
理音の得意なゲームで、オセロの様に頭を使ったとしても、どちらかと言うと操作方法と相手を潰す方法を熟知している者が勝ち易いゲームをプレイしていたわけだ。
無論それは理音の方がやり慣れているゲームである。初心者であるフォーエンにこれでもかと容赦なく戦った結果、連戦に続く連戦を行ってしまった。
何せ負けず嫌いフォーエン。勝つまで諦めない。
何戦やったかわからなくなった頃、さすがにフォーエンが眠気で虚ろになってきて、眠ることにした。
フォーエンは酒も飲んでいたので、尚更と言うか、眠くなって当然の時間までゲームをしていたのである。
それを、ヘキ卿に言うわけにはいかない。
「本当。嬉しいよ」
そう何度も言われると、謝りたくなる。
誰か、ヘキ卿に、あれは囮なんです。って言ってくれないだろうか。
誰って、フォーエンだが。
「他の者も噂をしていたよ。陛下が選ばれた方がどなたなのかわからないことは問題だが、選ばれた方がいるのだと言うことは良いことだと。今までは妃たちのいる後宮にすら足を踏み入れなかったからね」
「そうなんですかー…」
「そうだよ、リオン!陛下は今まで全く、足を向けようともしなかったんだ」
いや、そんな力説してくれなくてもいい。
妃選びに関しては、今は余裕がないから。と本人から聞いている。今後選ぶこともわかっている。
だから、他に相手がいなかったんだよ。君が初めて陛下に選ばれた、唯一の女性なんだ!なんて意味を含めてこられると、苦笑いどころか苦しくて息ができなくなってきそうだ。
「今回、君が怪我をした件であらぬ噂を立てる者もいたけれど、これで皆も安心するよ。やっとお世継ぎができるのではないかと」
「ゲッホ!」
お茶が喉から気管に入った。
大きくむせて、ヘキ卿は苦しそうに咳をする理音を解放しながら、生ぬるい笑顔を向けてくれた。
もう、いたたまれないんだが。
ヘキ卿には言っておこうよ、フォーエン。
自分がいたたまれない。自分がだ。
ヘキ卿の完全なる勘違い。それを意図としてやっている身で何を言うかであるが、本気で信じられて、照れることないと微笑まれたらもう、話を変えるしかないだろうが。
なのに、もっと言いたいと、ヘキ卿は一人頷いて話を続けていく。
「今後、身分などで問題にならないように、どなたかの養女に入るとは思うけれど、何も心配することはないよ」
にこにこ、にこにこ。満面の笑み。
いや、ヘキ卿。
まずフォーエンが一体自分をどこから連れてきたのか、根本から考えてもらえないだろうか。大体そこに関してはどう説明を受けているのだろうか。それも聞けない。
怪しげな噂が消えてくれるのはいいのだが、それを消すのも自分と言う、意味のわからなさ。どこからどう突っ込んでいいのかわからない。
皇帝陛下の相手がどこの誰かもわからなくていい。とか言うのも意味がわからない。いいのかそれで。いいの?
ヘキ卿曰く、全く興味を持ってもらえないと胃を痛める者も多かった。らしいので、そこはそれでいいとか。本当かよ。
つまり、前々より男色ではないかと思われていたようである。
それ、本人に言ってみていいかな。
「そんなに、心配されてたんですか?」
「皆は心配するよ。多くの妃を持ちながら、後宮に一度も足を踏み入れない。誰が何と言おうと、頑なに足を向けなかったんだ。その内、実力行使に出るしかないのでは、と考える者もいると思っていたからね。実際、行おうとした者もいるし」
「実力行使って…」
「いや、もちろん、処罰をされたよ。不審者として」
それはそれでさもありなん。
あまりに手を出してこないから、娘から襲わせたってことだろうか。それを不審者扱いされる娘も哀れすぎる。
けれどそこまで嫌がっていたのならば、成る程、男色の噂はすんなり流れてしまうわけなのだ。
「内政のこともあるから、自重しているだけって、はっきり言えばよかったのに」
意図としてはそこなのだから、誰もが納得する答えなのではないのだろうか。
けれど、ヘキ卿はゆっくりと首を振る。
「君も知っての通り、この国は未だ混乱の中だからね。やはりお世継ぎがいないと言うことは、それだけ不安定なんだよ。もし陛下に何かがあれば、また次の皇帝を決めなければならない。その度に誰が後継者なのか、国内で諍いが起きる。国が安定しないと言うことは、他国からは攻められ易くなってしまう」
「他国、ですか」
この国以外に国がある。それは当然なのだが、新鮮な響きだった。
「この国は三つの国に囲まれているからね。山と川に阻まれてはいるけれど、それでも攻め入ってくることはできる。内政が安定していないことは承知しているのだから、隙あらばと言うことはあるんだよ。今の所、その兆候はないけれど、それがいつまで続くとは限らない。隣国と戦争は度々起きているからね」
それこそ暗殺とかしている余裕なんてないわけだ。けれど、それが繰り返し起きている。
後継者がいるだけで磐石になるとは思わないが、次の指揮者がいるだけで混乱も減るのだ。どちらにしても子供に指揮を取らせるわけがないので、よくある後ろ盾のような者が台頭するのだろう。
納得するには微妙な話だ。そもそも世襲にしなければ、国を担うだけの知恵と行動力を持った者ならば、誰でもいいような気がするのだけれども。まあ、それは言うまい。
「その中で、やっと君を選んでくれた。安心したんだよ」
その言葉には、心苦しさがこみ上げてくる。
結局、フォーエンは誰も選んでいない。世継ぎができるかもしれない期待には応えられない。
喜びは張りぼての上にある。
「その内、ちゃんとした奥さんを選びますよ。身分とか、知識とか、教養とか兼ね合わせた人が。皇帝陛下だったら頭の回転がいい人がいいだろうし、皇帝陛下に見合う人を選ぶと思います」
「それは、リオンはそれでいいの?」
「え?」
それでいいも何も、自分に選ぶ権利はない。フォーエンもまた、そのつもりもないのだから、自分の意思は関係ないだろう。
思って、それを胸の中で締め付けた。
ああ、嫌だな。そう思う。自分で言って、何を傷ついているのだろう。
「確かに君に身分はないのだろうね。あればこんなに秘密裏に後宮に住まわすことはできない。身分があれば正式に後宮に入ればいいだけのことなのだから。今後、身分のある女性が続々後宮に入ることだろう。それで君を苦しめることになるかもしれない。けれど、選ぶのは陛下自身だよ。陛下の心を得ているのならば、君がそんなことを望む必要はないよ」
ヘキ卿は憂えるように言った。フォーエンに愛されていれば、自分が不安になる必要などないのだと。
けれど、そもそも論点が違う。それを口にすることはできない。
「ヘキ卿、私はフォーエンが幸福であればいいんです。彼が今後穏やかに暮らしていけることがわかれば、それで。その時、傍にいる人は私じゃない。フォーエンもそれはわかっています。だから、その話はもうやめてもらっていいですか?」
「…リオン」
心が沈んでいくのを感じるのが嫌だ。
自分にその資格はないのだから、壇上に登ることもない。登る必要もない。
帰らなければならないこと。長くいられないこと。それをもどかしく思うこともあるけれど、それでもやはりここは自分の世界ではないのだから、考えることすら虚しくなった。
「あ、そう言えば、今度お出掛けするらしいんですよ。まだ全然仕事覚えてないんですけど、何日か皇帝陛下にくっついて行かなきゃならないそうです」
フォーエンから聞いたのだが、詳しくは聞いていない。
ここより離れた町に行かなければならないらしく、それに同行しろとのことだった。
前のように市場偵察みたいなものかと聞いたらそうだと言っていたので、またしばらく滞在するのだろう。だとしたら囮としての仕事になる。
それは聞いたりはしなかったけれど。
「数日なのか数十日なのか、こっちって移動が大変だから、その町の遠さによっては長くなるかもしれないんですが」
「…シジュウだね。聞いているよ」
「しじゅう?って所なんですか?聞いているんならよかったです。折角お仕事貰えたのに、お休みすることになっちゃうから」
ヘキ卿は哀れむような顔をして、けれど会話を変えた理音に何も言おうとはしなかった。だから、理音もまた、そのまま別の会話へ進めた。
もういいではないか。自分たちはそんな関係ではないのだから。
「シジュウは別の州だからね、行くには時間がかかる」
「別の州、ですか」
ニューヨーク州とか、カリフォルニア州とか、そう言うカテゴリーでいいのだろうか。
「シジュウはキ州だよ。州都がシジュウ。大きな都だ」
「都?州に都なんですね。県庁所在地みたいなものかな」
「けんちょ…?」
「あ、いえいえ。じゃあ、国があって、州があって、町ですか?もっと細かい住所はあるだろうけれど」
「国があって、州があり、群、許、町だね」
予想外の言葉出てきた。
「国で関東地方で県で、区で町みたいなもんかな。しゅう、ぐん、きょ、まちですね。覚えておこう」
「キ州、ヤカ群、コツ許、シジュウの都だ」
ややこしい。
渋い顔をしていると、ヘキ卿は軽く笑んだ。
「キ州、シジュウの都で大丈夫だよ。それで通じる。ここがシャビスでいいのと同じく」
東京、みたいなものだろう。首都であれば誰でも通じる都市の名前と言うわけだ。ならばシジュウは関西大阪市みたいなものだろうか。
このエイシ国は幾つかの州に分かれている。
ヘキ卿は休憩が終わっても、わかりやすくこの国のことを教えてくれた。
よくよく考えてみれば、この国のことを全く何も知らない。国名と都の名前くらいしかわかっていない。国の歴史や実情を聞く機会はなかった。皇帝が何代か続いて死んだくらいである。
「この国には十三の州があるんだ。その全てに都がある。だから州都も十三。キ州は隣の州だよ。シジュウに行くまでに、大体十五日はかかる」
「十五日ですか!?」
エシカルに行くまで馬車に乗り続けて約半日かかった。多くの町を通った気がするが、州を出ていなかったらしい。隣の州に行くのにそれほどかかるとは思わなかった。
「馬車でゆっくり進んで十五日ほどだよ。そこまで遠い場所ではない」
寝泊まりを含めて十五日。その距離を車で行けばどれくらいの時間を要するのか。想像できない。
往復で三十日。それから滞在時間を含めて数日。一ヶ月以上かかる旅行になりそうだ。
「隣の州ってことは、遠くの州に行くことになったら、もっとすごく時間かかるんですか?」
「そうだね。ここから一番遠い北の州に行くには道も険しいから、あそこに行くとなると何日かかるのかな。行ったことがないから、どれ程時間が必要なのか、私もわからないね」
「そうなんですか」
意外だ。
何が意外って、この国思ったより大国っぽいところがである。
大陸にある国だとしたら、隣国が虎視眈々と狙ってきている場合、後継者争いなんてしている余裕などあるように思えない。それでまだ攻め込まれていないとなると、攻め込みにくい大きさの国だからとも言えるのかどうか。
十三の州をまとめている余裕もあるのだろうか。都ですら、もういっぱいいっぱいな気がしてたまらないのだが。
「この国って、皇帝が結構替わってるけど、他の州は安定しているんですか?」
理音の問いに、ヘキ卿は一度言葉を飲み込んだ。
「州にはね、州の長がいる。州を護る州候と言うんだけれど、州候がまとめているから、州にもよるんだ」
「州による…」
州のトップがいる。それが州を護る。知事みたいなものが独自に方針を行っているのだろうか。
それによっては安定していない場所もあるわけだ。ヘキ卿の言い方によれば。
「この国はまだまとまりが悪い場所もある。何せ州が十三で、それも広大な土地を要しているからね。陛下はそれらを全てまとめなければならないんだ。都だけでなく、地方の州にも目を向けなければならない。キ州に行かれるのもその一環だろうね」
行って、暗殺者を探すわけになるのか。
ならばそこに罠を仕掛けに行くと考えるべきだろう。別の州に行くのに女を連れたら、きっと沽券に関わる。
ここは男尊女卑の国だ。それを見越してフォーエンは自分を連れて行くのだろう。
「武器でも用意してもらおうかなあ」
「え?」
「いえ。旅行の間、お休みします。帰ってきたら、またよろしくお願いします」
「うん。気をつけて行っておいで。シジュウはいい所だよ。皇帝陛下の生まれ故郷だからね」
「フォーエンの故郷…」
生まれはシャビスではないのか。
そう言おうとして、声を掛けてきたメイラクによって、長い休憩は終わった。
怒りの笑顔にヘキ卿は焦りながらいそいそと部屋に戻って行く。理音も急いで自分の仕事に戻った。
数十日。
この都から離れている間。
それを考えていると、ふと思うのだ。
「元の世界に帰る日が来るかな…」
結局、二ヶ月ちょっとは、いつの間にか過ぎていた。
頭を怪我して寝台でごろごろ過ごしている間に、とっくに過ぎてしまっていたのである。
殆ど眠って過ごしていたため、それに気づかなかったと言う、間抜けな話だ。
流星があったかもわからない。その日を数えていても、最近曇り空が多いため、空が見えなかった可能性はある。
ただ最近ずっと不安に思っているのは、カウントの間隔が合っているかどうかだ。
予定では、二ヶ月とちょっとの間で流星は見られるはずだった。前回帰られた日数を数えればそれで間違いない。
しかし、宮廷が戦いになった時に流れた星もそうだったのではないかと、不安がこみ上げる。あの流星はカウントしていない。
もしあれが帰るための流星であれば、いつ流星が起きるのかわからなくなる。
リン大尉の所にいた時には曇りで見られなかったわけだが、もし曇り云々関係なく流星がなかった場合、流星のターンを計算することが難しくなった。
フォーエンの言う星読み、前に会った彦星の所に行って聞くのが一番早いだろうか。星を読むことで自分がここから帰られるのかがわかるらしいのだから。
それを、今まではしてこなかった。次に帰られる流星があと少しで来ると思っていたからだ。
だが、それが過ぎた。
帰るまではフォーエンの傍にいようと思っているが、帰る時を知りたいとも思う。
旅行の間に、次の流星が来るだろうか。
来ない場合、彦星に相談すべきかもしれない。
旅行の内に帰ることになるのならば、それでいいのだけれど。
旅支度をすることはないけれど、やはり武器はほしいなと思い返した。
小刀とか。カッターよりは戦えそうなものが欲しい。
戦えるわけではないので、できて相手の虚をつくくらいなのだが。
ただでやられるわけにはいかないのだし、やり返すくらいのものは持っていたいのだけれど。
ヘキ卿から後で聞いたわけだが。
前回、イベント中にフォーエン暗殺未遂事件が起きたことを鑑みれば、それくらいは容易に想像つく話だ。
警備も実際のところかなり神経質になっていたようである。
それもヘキ卿から耳にした。
そのフォーエンは、誕生日会の長い宴の後、ほとんど時間を空けずに理音の宮にやってきた。
宴が夜中まで続いたため、その時間に理音の部屋に来ても何の問題もないのだが、まあ、他から見れば色々と噂をしたくなるらしい。
「本当に、仲睦まじくて、嬉しいよ」
「いやー」
ヘキ卿の満面な笑顔に言われて、目線を逸らしてしまった。
仲睦まじいって、どんな想像をしたかを、想像したくない。
「前にも言ったけれど、陛下が君のような子を選んだことに、私は安心したんだ」
ヘキ卿は安堵のため息を、お茶をすすりながらしてくれる。
目線を逸らすことしかできない理音は、うつむきながら同じく茶をすすった。
部屋に戻って、新しいゲームを教えて、結構いい時間まで対戦してたとは言えない。
理音の得意なゲームで、オセロの様に頭を使ったとしても、どちらかと言うと操作方法と相手を潰す方法を熟知している者が勝ち易いゲームをプレイしていたわけだ。
無論それは理音の方がやり慣れているゲームである。初心者であるフォーエンにこれでもかと容赦なく戦った結果、連戦に続く連戦を行ってしまった。
何せ負けず嫌いフォーエン。勝つまで諦めない。
何戦やったかわからなくなった頃、さすがにフォーエンが眠気で虚ろになってきて、眠ることにした。
フォーエンは酒も飲んでいたので、尚更と言うか、眠くなって当然の時間までゲームをしていたのである。
それを、ヘキ卿に言うわけにはいかない。
「本当。嬉しいよ」
そう何度も言われると、謝りたくなる。
誰か、ヘキ卿に、あれは囮なんです。って言ってくれないだろうか。
誰って、フォーエンだが。
「他の者も噂をしていたよ。陛下が選ばれた方がどなたなのかわからないことは問題だが、選ばれた方がいるのだと言うことは良いことだと。今までは妃たちのいる後宮にすら足を踏み入れなかったからね」
「そうなんですかー…」
「そうだよ、リオン!陛下は今まで全く、足を向けようともしなかったんだ」
いや、そんな力説してくれなくてもいい。
妃選びに関しては、今は余裕がないから。と本人から聞いている。今後選ぶこともわかっている。
だから、他に相手がいなかったんだよ。君が初めて陛下に選ばれた、唯一の女性なんだ!なんて意味を含めてこられると、苦笑いどころか苦しくて息ができなくなってきそうだ。
「今回、君が怪我をした件であらぬ噂を立てる者もいたけれど、これで皆も安心するよ。やっとお世継ぎができるのではないかと」
「ゲッホ!」
お茶が喉から気管に入った。
大きくむせて、ヘキ卿は苦しそうに咳をする理音を解放しながら、生ぬるい笑顔を向けてくれた。
もう、いたたまれないんだが。
ヘキ卿には言っておこうよ、フォーエン。
自分がいたたまれない。自分がだ。
ヘキ卿の完全なる勘違い。それを意図としてやっている身で何を言うかであるが、本気で信じられて、照れることないと微笑まれたらもう、話を変えるしかないだろうが。
なのに、もっと言いたいと、ヘキ卿は一人頷いて話を続けていく。
「今後、身分などで問題にならないように、どなたかの養女に入るとは思うけれど、何も心配することはないよ」
にこにこ、にこにこ。満面の笑み。
いや、ヘキ卿。
まずフォーエンが一体自分をどこから連れてきたのか、根本から考えてもらえないだろうか。大体そこに関してはどう説明を受けているのだろうか。それも聞けない。
怪しげな噂が消えてくれるのはいいのだが、それを消すのも自分と言う、意味のわからなさ。どこからどう突っ込んでいいのかわからない。
皇帝陛下の相手がどこの誰かもわからなくていい。とか言うのも意味がわからない。いいのかそれで。いいの?
ヘキ卿曰く、全く興味を持ってもらえないと胃を痛める者も多かった。らしいので、そこはそれでいいとか。本当かよ。
つまり、前々より男色ではないかと思われていたようである。
それ、本人に言ってみていいかな。
「そんなに、心配されてたんですか?」
「皆は心配するよ。多くの妃を持ちながら、後宮に一度も足を踏み入れない。誰が何と言おうと、頑なに足を向けなかったんだ。その内、実力行使に出るしかないのでは、と考える者もいると思っていたからね。実際、行おうとした者もいるし」
「実力行使って…」
「いや、もちろん、処罰をされたよ。不審者として」
それはそれでさもありなん。
あまりに手を出してこないから、娘から襲わせたってことだろうか。それを不審者扱いされる娘も哀れすぎる。
けれどそこまで嫌がっていたのならば、成る程、男色の噂はすんなり流れてしまうわけなのだ。
「内政のこともあるから、自重しているだけって、はっきり言えばよかったのに」
意図としてはそこなのだから、誰もが納得する答えなのではないのだろうか。
けれど、ヘキ卿はゆっくりと首を振る。
「君も知っての通り、この国は未だ混乱の中だからね。やはりお世継ぎがいないと言うことは、それだけ不安定なんだよ。もし陛下に何かがあれば、また次の皇帝を決めなければならない。その度に誰が後継者なのか、国内で諍いが起きる。国が安定しないと言うことは、他国からは攻められ易くなってしまう」
「他国、ですか」
この国以外に国がある。それは当然なのだが、新鮮な響きだった。
「この国は三つの国に囲まれているからね。山と川に阻まれてはいるけれど、それでも攻め入ってくることはできる。内政が安定していないことは承知しているのだから、隙あらばと言うことはあるんだよ。今の所、その兆候はないけれど、それがいつまで続くとは限らない。隣国と戦争は度々起きているからね」
それこそ暗殺とかしている余裕なんてないわけだ。けれど、それが繰り返し起きている。
後継者がいるだけで磐石になるとは思わないが、次の指揮者がいるだけで混乱も減るのだ。どちらにしても子供に指揮を取らせるわけがないので、よくある後ろ盾のような者が台頭するのだろう。
納得するには微妙な話だ。そもそも世襲にしなければ、国を担うだけの知恵と行動力を持った者ならば、誰でもいいような気がするのだけれども。まあ、それは言うまい。
「その中で、やっと君を選んでくれた。安心したんだよ」
その言葉には、心苦しさがこみ上げてくる。
結局、フォーエンは誰も選んでいない。世継ぎができるかもしれない期待には応えられない。
喜びは張りぼての上にある。
「その内、ちゃんとした奥さんを選びますよ。身分とか、知識とか、教養とか兼ね合わせた人が。皇帝陛下だったら頭の回転がいい人がいいだろうし、皇帝陛下に見合う人を選ぶと思います」
「それは、リオンはそれでいいの?」
「え?」
それでいいも何も、自分に選ぶ権利はない。フォーエンもまた、そのつもりもないのだから、自分の意思は関係ないだろう。
思って、それを胸の中で締め付けた。
ああ、嫌だな。そう思う。自分で言って、何を傷ついているのだろう。
「確かに君に身分はないのだろうね。あればこんなに秘密裏に後宮に住まわすことはできない。身分があれば正式に後宮に入ればいいだけのことなのだから。今後、身分のある女性が続々後宮に入ることだろう。それで君を苦しめることになるかもしれない。けれど、選ぶのは陛下自身だよ。陛下の心を得ているのならば、君がそんなことを望む必要はないよ」
ヘキ卿は憂えるように言った。フォーエンに愛されていれば、自分が不安になる必要などないのだと。
けれど、そもそも論点が違う。それを口にすることはできない。
「ヘキ卿、私はフォーエンが幸福であればいいんです。彼が今後穏やかに暮らしていけることがわかれば、それで。その時、傍にいる人は私じゃない。フォーエンもそれはわかっています。だから、その話はもうやめてもらっていいですか?」
「…リオン」
心が沈んでいくのを感じるのが嫌だ。
自分にその資格はないのだから、壇上に登ることもない。登る必要もない。
帰らなければならないこと。長くいられないこと。それをもどかしく思うこともあるけれど、それでもやはりここは自分の世界ではないのだから、考えることすら虚しくなった。
「あ、そう言えば、今度お出掛けするらしいんですよ。まだ全然仕事覚えてないんですけど、何日か皇帝陛下にくっついて行かなきゃならないそうです」
フォーエンから聞いたのだが、詳しくは聞いていない。
ここより離れた町に行かなければならないらしく、それに同行しろとのことだった。
前のように市場偵察みたいなものかと聞いたらそうだと言っていたので、またしばらく滞在するのだろう。だとしたら囮としての仕事になる。
それは聞いたりはしなかったけれど。
「数日なのか数十日なのか、こっちって移動が大変だから、その町の遠さによっては長くなるかもしれないんですが」
「…シジュウだね。聞いているよ」
「しじゅう?って所なんですか?聞いているんならよかったです。折角お仕事貰えたのに、お休みすることになっちゃうから」
ヘキ卿は哀れむような顔をして、けれど会話を変えた理音に何も言おうとはしなかった。だから、理音もまた、そのまま別の会話へ進めた。
もういいではないか。自分たちはそんな関係ではないのだから。
「シジュウは別の州だからね、行くには時間がかかる」
「別の州、ですか」
ニューヨーク州とか、カリフォルニア州とか、そう言うカテゴリーでいいのだろうか。
「シジュウはキ州だよ。州都がシジュウ。大きな都だ」
「都?州に都なんですね。県庁所在地みたいなものかな」
「けんちょ…?」
「あ、いえいえ。じゃあ、国があって、州があって、町ですか?もっと細かい住所はあるだろうけれど」
「国があって、州があり、群、許、町だね」
予想外の言葉出てきた。
「国で関東地方で県で、区で町みたいなもんかな。しゅう、ぐん、きょ、まちですね。覚えておこう」
「キ州、ヤカ群、コツ許、シジュウの都だ」
ややこしい。
渋い顔をしていると、ヘキ卿は軽く笑んだ。
「キ州、シジュウの都で大丈夫だよ。それで通じる。ここがシャビスでいいのと同じく」
東京、みたいなものだろう。首都であれば誰でも通じる都市の名前と言うわけだ。ならばシジュウは関西大阪市みたいなものだろうか。
このエイシ国は幾つかの州に分かれている。
ヘキ卿は休憩が終わっても、わかりやすくこの国のことを教えてくれた。
よくよく考えてみれば、この国のことを全く何も知らない。国名と都の名前くらいしかわかっていない。国の歴史や実情を聞く機会はなかった。皇帝が何代か続いて死んだくらいである。
「この国には十三の州があるんだ。その全てに都がある。だから州都も十三。キ州は隣の州だよ。シジュウに行くまでに、大体十五日はかかる」
「十五日ですか!?」
エシカルに行くまで馬車に乗り続けて約半日かかった。多くの町を通った気がするが、州を出ていなかったらしい。隣の州に行くのにそれほどかかるとは思わなかった。
「馬車でゆっくり進んで十五日ほどだよ。そこまで遠い場所ではない」
寝泊まりを含めて十五日。その距離を車で行けばどれくらいの時間を要するのか。想像できない。
往復で三十日。それから滞在時間を含めて数日。一ヶ月以上かかる旅行になりそうだ。
「隣の州ってことは、遠くの州に行くことになったら、もっとすごく時間かかるんですか?」
「そうだね。ここから一番遠い北の州に行くには道も険しいから、あそこに行くとなると何日かかるのかな。行ったことがないから、どれ程時間が必要なのか、私もわからないね」
「そうなんですか」
意外だ。
何が意外って、この国思ったより大国っぽいところがである。
大陸にある国だとしたら、隣国が虎視眈々と狙ってきている場合、後継者争いなんてしている余裕などあるように思えない。それでまだ攻め込まれていないとなると、攻め込みにくい大きさの国だからとも言えるのかどうか。
十三の州をまとめている余裕もあるのだろうか。都ですら、もういっぱいいっぱいな気がしてたまらないのだが。
「この国って、皇帝が結構替わってるけど、他の州は安定しているんですか?」
理音の問いに、ヘキ卿は一度言葉を飲み込んだ。
「州にはね、州の長がいる。州を護る州候と言うんだけれど、州候がまとめているから、州にもよるんだ」
「州による…」
州のトップがいる。それが州を護る。知事みたいなものが独自に方針を行っているのだろうか。
それによっては安定していない場所もあるわけだ。ヘキ卿の言い方によれば。
「この国はまだまとまりが悪い場所もある。何せ州が十三で、それも広大な土地を要しているからね。陛下はそれらを全てまとめなければならないんだ。都だけでなく、地方の州にも目を向けなければならない。キ州に行かれるのもその一環だろうね」
行って、暗殺者を探すわけになるのか。
ならばそこに罠を仕掛けに行くと考えるべきだろう。別の州に行くのに女を連れたら、きっと沽券に関わる。
ここは男尊女卑の国だ。それを見越してフォーエンは自分を連れて行くのだろう。
「武器でも用意してもらおうかなあ」
「え?」
「いえ。旅行の間、お休みします。帰ってきたら、またよろしくお願いします」
「うん。気をつけて行っておいで。シジュウはいい所だよ。皇帝陛下の生まれ故郷だからね」
「フォーエンの故郷…」
生まれはシャビスではないのか。
そう言おうとして、声を掛けてきたメイラクによって、長い休憩は終わった。
怒りの笑顔にヘキ卿は焦りながらいそいそと部屋に戻って行く。理音も急いで自分の仕事に戻った。
数十日。
この都から離れている間。
それを考えていると、ふと思うのだ。
「元の世界に帰る日が来るかな…」
結局、二ヶ月ちょっとは、いつの間にか過ぎていた。
頭を怪我して寝台でごろごろ過ごしている間に、とっくに過ぎてしまっていたのである。
殆ど眠って過ごしていたため、それに気づかなかったと言う、間抜けな話だ。
流星があったかもわからない。その日を数えていても、最近曇り空が多いため、空が見えなかった可能性はある。
ただ最近ずっと不安に思っているのは、カウントの間隔が合っているかどうかだ。
予定では、二ヶ月とちょっとの間で流星は見られるはずだった。前回帰られた日数を数えればそれで間違いない。
しかし、宮廷が戦いになった時に流れた星もそうだったのではないかと、不安がこみ上げる。あの流星はカウントしていない。
もしあれが帰るための流星であれば、いつ流星が起きるのかわからなくなる。
リン大尉の所にいた時には曇りで見られなかったわけだが、もし曇り云々関係なく流星がなかった場合、流星のターンを計算することが難しくなった。
フォーエンの言う星読み、前に会った彦星の所に行って聞くのが一番早いだろうか。星を読むことで自分がここから帰られるのかがわかるらしいのだから。
それを、今まではしてこなかった。次に帰られる流星があと少しで来ると思っていたからだ。
だが、それが過ぎた。
帰るまではフォーエンの傍にいようと思っているが、帰る時を知りたいとも思う。
旅行の間に、次の流星が来るだろうか。
来ない場合、彦星に相談すべきかもしれない。
旅行の内に帰ることになるのならば、それでいいのだけれど。
旅支度をすることはないけれど、やはり武器はほしいなと思い返した。
小刀とか。カッターよりは戦えそうなものが欲しい。
戦えるわけではないので、できて相手の虚をつくくらいなのだが。
ただでやられるわけにはいかないのだし、やり返すくらいのものは持っていたいのだけれど。
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「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
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