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135 ーフォーエン 番外編1ー

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「どう?どうかな?」
 少しばかり心配そうな。けれどどこか期待に満ちた顔をして、机から身を乗り出す。

 自分が麗仙宮に訪れる時、リオンはいつも同じ着物をまとっていたが、最近ではこの宮にいる者として恥ずかしくない、後宮の華として当然の装いをしていた。
 髪や肌の色に合う、薄い金の生地に真紅の花が大きくあしらわれ、春を望むような小さな花々が咲き誇る装いは、リオンの笑顔によく似合う。

 リオンの髪は黒でありながら若干こげ茶の混じった明るい色で、瞳もそれと同じような色だった。光が当たれば髪も瞳も明るい茶色に見える。肌は健康そうな白に近い薄橙で、大きな瞳に長い睫毛を持ち、目鼻立ちの整った顔をしていた。


 聖王院に現れた時は、平民なのか、足元に布を巻かずだらしなく素肌を晒した格好をしていたが、着ていた服は上等で、この国の平民とは質の違った身なりだった。
 そして、この国の言葉を話さず、聞いたことのない言語を口にした。

 意思の疎通ができない上に、女とも思えない淫らに足をさらけ出す衣で、壁を登る暴挙まで行ったと聞いて呆れたものだ。

 捕らえて宮に閉じ込めたせいか、近付けば威嚇するように睨み付けてくる。慣れない犬のようだと思った。
 警戒するのは当然だろうが、それはこちらも同じ。しかし、言葉が話せないので、どこから来たかも問えない。放っておくといつも四阿から池を眺め、何故か椅子に座らず地面に不思議な敷物を敷いて、足をだらしなく出した。

 足を隠せと注意してもそっちのけ、手に持った小さな箱を離さず、常に不審な目線を自分によこす。
 そうして、不思議な箱で曲を奏で、景色を絵にした。それを当たり前のように行っていたが、その内やり方を教えてくれた。

 警戒していたのはほんの一瞬で、自分が手を出せば嫌そうな顔を隠しもしなかったが、諦めるようにすると、言葉なしでも分かるように丁寧に仕草だけで方法を教えてくる。

 あまり考えていないのだろうとは思ったが、警戒を忘れてくったくなく笑い、些末なことに大きな目を瞬かせた。貴族では考えられない表情の豊かさと態度に、こちらが挙動を監視するのも馬鹿らしくなったほどだ。


 リオンはずずいと身を乗り出してくる。机に肘を置き、上目遣いで自分を見る。
 その作法は褒められることではない。男を上目遣いで見上げるなど、言語道断だ。淫らに誘っていると言われても仕方のない、恥ずべき行為だが、リオンに作法を教えてはいないので、そこは見ないふりをした。

 そもそもリオンにはそのやましい心が一切ない。皇帝に対して媚びるようならば、もう少し言葉遣いを何とかするだろう。
 何も考えていないことがわかっているので、注意はしない。

 皇帝の妃としてこの宮を使用する者の威厳も尊厳も、それどころか教養も全くない所作だが、今はそれを良しとしていた。
 宮の外では男として通している。問題はない。

 側仕えの女官たちが顔をしかめるのはわかりきっているので、ツワとその麾下にしか部屋を同じにはさせなかった。
 リオンはそれに気づきもせず、自分に成否を問うていた。


「おいし?食べれる?ダメかな?味、好きじゃない?」
 リオンは自分が口に運んだ、不思議な食べ物の味がうまいかうまくないか、ただそれだけを心配した。

 薄焼きに果物を乗せ、乳白色の形も固まっていない、泡のような柔らかなものを乗せた、ただそれだけの食べ物。
 印象はそれだけで、不思議なものはその泡くらい。けーきはふわふわ言っていたが、おそらくこれのことだろうと想像する。

 そのふわふわが乗せられたのは、平民が主食にもする薄焼きだ。丸く薄く焼いたものを折り畳んで食べるのだが、中に肉のささみや野菜を入れる。目の前の薄焼きには肉や野菜は挟まれていないが、甘い果物が乗っていることを考えると、味が想像できなかった。
 しかし、口にすれば味ったことのない甘みと酸味の混じった複雑な、けれど間違いなく美味である食べ物を舌に感じ、自分はリオンを見遣った。

「これがくれーぷか?」
「そう。小麦粉とね、お砂糖とか混ぜて焼いた物と、果物乗せて、あと生クリーム。えっと、豆乳とか油混ぜて、泡だててお砂糖入れたのを乗せてる。あと蜂蜜もかけてある」

 けーきとなる物は作るのが難しいからと、リオンはくれーぷなる物を自分に作った。
 本来なら誕生日にけーきを作るのだが、作るのが難しいからくれーぷにしたと、勢いよく言った。
 きっと、自分が麗仙宮に来るのを待ち、ツワに予定を聞きながら、このくれーぷを作ったのだろう。

 リオンの宮に行くのは二日前に決まり、それを通達するのはその日の午後だ。それをツワから聞き、かまどに火をつけて、自らで調理したのが想像できた。
 誕生式典で甘い物を作ると決心したか、すぐに練習を始めていたようだ。

 作るにも材料がなかったらしく、その材料を作ることから始めたので、本当に作れるのか心配だったらしい。
 満足なものができたと思いつつも、自分の口に合うものか不安だったようだ。

 いつもどこか自信に溢れており、こうであると決めたなら頑としてその意を変えることのないリオンだが、この日ばかりは自分の一行を不安気に見守っていた。
 毒味をしようともせず、ただ自分が食すのを待っていた。

 本来ならば毒味を済ませたもの、目の前で食し、自分の前に運ぶ女官の姿があるはずだがそれがなかった。しかし、リオンが自分の前に出したくれーぷに、ツワが毒味は終えているのだと、小さく頷いた。リオンが作る傍でそれを行っていたのだろう。リオンは気づいていないようだ。

「かまどがね、使ったことなくて、焦げちゃうかなって思ったんだけど、お台所の人がね、手伝ってくれたの」

 失敗作は私が食べたんだけど、ちゃんとクレープだったから、大丈夫だと思う。でもフォーエン甘いのあんまり好きじゃないから、おいしく食べれるかなって。
 心配はそこなのだと、リオンは腰を折って、再び自分を上目遣いにして顔を仰いだ。

 いつもよりずっと真剣な瞳を持って、自分の口にそのリオンが自ら作ったくれーぷが合うのか、心配気に見守る姿が愛らしい。

 添えられた竹の小刀で淡い薄黄色の生地を切り、飾られた果物と、泡立てられた乳白色の泡とを一緒に口に運ぶと、感じたことのない濃厚な味わいと、甘味を持ちながら果物の持つ酸味が合わさった、複雑な味が舌に乗せられる。

 果物はそのものを使っているのではなく、砂糖で煮ているようだ。素材以外の味も感じ、甘くも酸っぱくもあった。けれど喉に染み入り、深い味わいが喉を通り過ぎる。


「うまいな」
「ほんと?!」
 喉を通ったくれーぷの甘味のように、リオンはぱあっと、頬を紅色に染めて甘い顔を見せ、喜びを顔に満遍なく表わした。

「よかった!甘すぎたらどうしようと思ったの。少しお砂糖控えたんだけど、それでも甘かったら食べられないかなって」
 そう言って、花を咲かすように、朗らかに笑む。

 その顔をリオンは時折し、それを見るたびに、胸がふわりと浮くような感覚を感じた。
 今もそう。胸の中が空に浮くような、浮遊感を持っている。

「果物もね、一緒に食べれば甘すぎないと思うの。ツワさんと選んだんだけど、酸っぱい方がフォーエンの好みに合うと思って。甘くなさそうな果物選んだんだよ」
「ああ。酸味が丁度いいな」
 その言葉にリオンは破顔する。

 リオンは気持ちを表情に出すのがうまい。
 貴族は心の動きを顔に出さないものだ。そう幼い頃から躾けられ、それは無意識でも行えるようにさせられる。

 表情は是非を表すもの。容易く顔に出してはならない。相手に心の内を気取られるべきではなく、自らの心に秘すものである。
 表情を出すことは愚かな行為だ。それは今でも理解しており、当然だと思っている。その面によっては、動く麾下や対する貴族の動向が変化するからだ。

 けれど、なぜだろう。リオンの飾り気ない笑顔を見るたびに、胸が締め付けられる気がする。
 出会った時から、リオンは表情がとても豊かだった。愚かだと思いながら、正直な心根に、なぜか揺さぶられるものがあった。

「今度は、もっと難しいの作るね。フォーエンが食べれそうなやつ。果物系が平気なら、フルーツタルトとかいけるかも。かまどで作れると思うんだ。クッキー作って、タルト型に固めて、カスタード果物でいけるから、きっと平気」

 何かを想像しているであろう。リオンは握り拳をつくり、新しいものを作るのだと、決意している。
 何度か失敗したのか、ツワが小さな苦笑いを口端に含めたが、仕方なさそうにリオンを温かな瞳で見守った。

 ツワはリオンを気に入っているようだ。それに少なからず安堵し、リオンの作ったくれーぷに竹串で切れ目を入れる。
 その様子を見て、ふぉーくとないふが欲しいなぁ。と呟いたが、敢えて問いはしなかった。どうせ好きに作って、何も気にせず自分の前に出すのだろう。嫌味もなく、ただ思うままに、リオンは損得なしに好きなことを行動に移す。

 それが後宮で許されぬことでも、彼女ならばお構いなしだろう。
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