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104 ー子供ー

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 遠くで聞き覚えのある音がする。
 テンポの同じそれは、数度繰り返しても止まらない。

 この音は何だったろうか。そう思った時、地面にごとりと何かが落ちて、まだ同じテンポを行なっているのに気づき、目が覚めた。

 ゆっくり起き上がると、そこにはもうフォーエンの姿はなかった。
 シーツの上はまだ暖かかったので、起きてから時間は経っていないようだが、もう部屋を出た後である。
 理音はスマフォが床の上でまだブイブイ言っているのを聞きながら、ベッドから身を下ろした。

「フォーエン、ちゃんと眠れたのかな」
 どう考えてもフォーエンの方が神経質そうだ。隣に誰がいようと、がっつり眠れる理音とは違かろう。
 こうなると、わざわざ夜に来なければならない状況を作っていることが、問題な気がする。

 昼の配達員はやめなくていいとは言われたわけだが、フォーエンの負担が増えるだけな気がしてきた。
 配達員も慣れてきて、セイリンやハルイに注意を受けることは少なくなってきているところではあるが、始めたのにすぐ辞めるというのも手間をかけさせる。
 ここは、フォーエンにもう一度尋ねた方がよかろうか。

 文を配達しながら、理音はそのことばかりを考えていた。
 人と一緒に眠るのはやはり負担があるだろう。それが赤の他人であればなおさら。

 嫌だろうな。
 それを考える自分に、負担などはなくとも。


「邪魔だよ!」
「おっ」
 考え事をしている時に、いきなり後ろから肩を押されて、理音は文の乗ったお盆を持ったまま膝をついた。手に持っていた文ががしゃりと音を出して、地面に散らばる。
「ぼうっとしてんな」
 そう言ったのはぶつかってきた子供だが、見知らぬ顔だ。
 カルシウム足りないんだろうか。な、お怒り顔を見せて鼻を鳴らすと、置き台詞に、女みたいな顔しやがって。ときたものだ。
 女だし。とは言わないが、廊下はそんなに狭くないのに、後ろからぶつかってきて謝りもしないのはいかがなものなのか。
 しかしあれわざとかしら、と思いつつ、今の勢いで散らばった札を拾った。折らないでよかったと安心する。木札なので、運が悪いとぽきりと折れそうで怖い。
 
 子供の姿はもう廊下になかった。
 同じ色の着物を着ていたので、彼も配達員である。年齢、推定十四、五歳。
 人がそんなにいない廊下なのにぶつかってきたことを考えると、自分は知らないところであの子供に悪いことをしたのかしらと思案する。全くもって思い出せないが。

 配達員はいいとこの坊ちゃんが集まる、いわゆる政界に入るためのインターンみたいなものだ。お試しで働くことができ、宮廷で働くお偉いさんなどに顔を覚えてもらうための簡単な手立てとして活用されている。
 その彼らは寮で暮らす。食事も同じで住処も同じだ。
 理音はそこに入っていないので彼らに会う時は働いている時だけで、顔と名前が一致することはなかった。昼食は共にしているが、見も知らない人の話になるわけがなく、知っている人間は同じグループのセイリンとハルイだけになった。
 彼ら二人は寮住まいなので顔見知りも多いだろうが、他の友人の話をすることはなかった。なので理音は誰も知らない。のである。

 誰だろうな。と思いつつ、結局それはどうでもいいことだった。
 集団でいると、ああいう類の意味のわからない者は一人や二人いるものである。相手をするだけ時間が無駄なので、忘れることが無難だ。なのですぐに理音は忘れた。
 そんなことよりフォーエンの睡眠具合を考える方が優先順位が高いのだと、フォーエンの機嫌を損ねないように、何をどう聞こうかそればかりを考えて仕事を行なっていたのだ。

「なあリオン、お前ミンランに何かしたか?」
「誰、ミンランって」
 その名が出たのは、次の日の昼だった。

 昼食は食堂でとるわけだが、ビーフンのような少し硬めの麺を汁に浸して食べている時にハルイが言った。
「カン少輔の息子だよ。最近、リオンのことをやたら悪く言っている」
 付け加えたのはセイリンだ。しかし、それを聞いても全くピンとこない。
「知らない。私子供たちは、セイリンとハルイしかわからないし」
「自分も子供のくせに、子供たちとか言うな」
 それを言われると困るが、突っ込みを気にせず、それ誰?と聞いてみる。
「今、ほらあそこの真ん中の、前髪の短い子だよ。五人で食べて三人の中にいる」
 目線で促されて、そちらをちらりと見やった。一人で何かを話しているか、注目を浴びるように一人だけ背筋を伸ばした。

「ああ、昨日いきなり後ろからぶつかってきた子だ。何で悪口?」
「それを聞いてんだって。何したんだよお前。あいつめんどくさいぞ」
 何をしたかって、こちらが聞きたい。そして面倒臭いとはどう言う意味か。聞かなくても何となくわかるが聞いてみる。
「よく下位の子を泣かしてる。上位の子にはしないんだけれど、人を見て気の弱そうな子を虐めてるってとこかな」
「しょうもな。私、気弱そうに見える?」
「全然」
 二人ともハモってくれる。自分もそれはわかっている。

「だから、何かをしたのかって聞いてんだよ。お前がハク大輔の紹介もらってるって、みんな知ってるから誰もちょっかい出さないけど、それでもあいつがお前のこと悪く言ってるから、絶対何かしただろうって」
「ミンランは何人か追い出してる。気づかれないところで嫌がらせをするんだ。僕が知ってる限りだと、殴られたりとかもある」
 子供の虐めである。手加減を知らない、陰湿なものだろうか。
「暴力か。それはやだね。一人ならいいけど、集団で来られたら困るな」
「お前なら、やり返せると思うけどよ」
 数日一緒にいるだけでその返しである。どれだけ気強く思われているのだろう。

「やり返したら、立場がまずくなるかどうかなんだけれど。リオンなら大丈夫かな」
「さあ、どうだろ。続けられなくなるかもしれないなあ」
 問題を起こせば働くのを辞めさせられるだろう。条件の中にそれが入っている。無駄に目立つことはフォーエンは良しとしない。
 そうすると、またレイセン宮に閉じ込められることになる。

「何かしたんだって、絶対」
「いや全く覚えない。昨日ぶつかってきて、初めて顔見たくらい。ぶつかって来られたのも忘れてた」
「お前って…」
「リオンって…」
 二人ともため息を吐いてくれる。呆れるというよりは、お前ってそうだよね。みたいな納得のため息だ。
「まあ、気をつけてみるよ。殴り返さないように。私こっち来てから結構色々やられてやり返してるんだけど、気をつけてみるね」
「何をされてんだよ」
 女郎にされたり、斬られそうになったりである。

 よくよく思い返せば、かなりひどい目にあっているわけだ。その度、不屈の根性と反撃魂で乗り越えてきたわけだが。
 ここで子供の虐めとは。
 中学生の虐めである。想像がつかない。女の子であれば予想がつくが、男の子の虐めは想像できない。

「子供たちは、武器持ち歩かないよね」
「それはないけどよ。だから、子供たちってやめろ」
 ハルイはそれだけは気に食わないとがなる。子供に子供と言われたくないらしい。
「ないならいいや。一応、反撃できそうなのは持ち歩いてるから」
「何を持ち歩いてんだお前は…」

 理音は、念のための胸元のボールペンを確認する。
 これで手のひらを刺すくらいはできるわけである。帯にはカッターを忍ばせていた。
 これはもう確率の問題だ。子供の姿でも襲われるかもしれないと、常に持ち歩いている。
 それからスマフォだ。音をたてるのに丁度いいので、いつでも持っている。
 まあ、刀で襲われたらどうにもならないのだが。前のようにノートパソコンを振り回すことはできなかった。

「まあいいや、嫌味とかくらいならほっとけばいいし、暴力振るわれたら、股蹴ればいいんでしょ?反撃してバレないとこってそこだけだし」
「お前、鬼畜」
 ハルイは寒気がすると肩を震わせた。隣でセイリンが絵も言わぬ顔をしてくる。
「とりあえず教えてくれてありがと。二人はそのミンランってのに何かされたりする身分になるの?私といて巻き込まれたりしない?」
「しねー。俺の父親あいつんちより上だし」
「僕もないよ」
 その返事をいただければ、何も心配する必要はない。
 ハルイはお前の話だと、忠告してくれる。

 ハク大輔の紹介であっても、身分があるわけではない。むしろ、理音には何の身分がないと皆が知っている。
 仮出仕とも言える配達員をする者は、高位の者の子供であり、そうでない者は宮廷に入られない。けれど理音は、その親が誰か不明でも、配達員を行っている謎の存在だ。
 ハク大輔が推薦しただけで、短絡的に後ろ盾がいないと考えれば、理音を新しい虐めの対象とする者がでるかもしれない。
 それがミンランだとしたら、
 下手をすればせっかくの働き口がなくなってしまう。それは避けたい。
 ただ、フォーエンの疲労を考えれば、今後続けられるかわからないのだが。

 帰られるまでに、あと何日必要か。
 その間何度もフォーエンと同じベッドで眠るのは、理音からも避けたいことなのだ。
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