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第八話
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おおっ、と唸りたくなうほどの秋晴れで、絶好の野球観戦日和になった土曜日。
女子高生も長々と実践していると化粧の仕方なんかも慣れたもので、ものの数日で「ノーメイク風ナチュラルメイク」をマスターしたと自負している。必要な機材(?)は揃っており、その方法論も日記に確立されていた。やはりこの大崎マコト、なかなかマメな戦略家であったらしい。
秋色コーデ(笑)に全身を包み、いざ向かうは神宮球場。
試合は十三時開始だか、集合は十一時。早めに行って、ちょっと腹ごしらえをしてからのんびりと野球観戦をしよう、というラインを昨日の夜に田端クンから貰った。
なるほど、高校生らしく球場の高い食事を食べないようにしたいという狙いなんだななるほどね――というのは表面的な話。いや、実際にラインにもそういう言葉が書かれていたが、本質はそこではない。
一緒にいる時間を出来るだけ長くしたい、という狙いだ。
実に自信家の発想だな、と一人唸る。朝から二人で、ということはその日一日は話題を提供し続ける自信があるということである。
別にデートは野球場で終わるわけではあるまい。駅についたらはいサヨナラ、ということには高校生とはいえ流石にそうはならないだろう。エッチなホテルに行くとは思ってはいないが、晩御飯くらいはご一緒するだろうし、そうすると事実上おはようからおやすみまで二人で過ごすことになる。
そういう活動は、私にはとても荷が重かった。そこまでエスコートする自信がなかったからだ。しかし今は女性の立場、しかも誘われた側なので気楽な臥所である……これって逆差別か?
と、とうとうと考えて駅前に突っ立っていると、遠くの方に男の影が見えた。
五反田である。しかも前進黒ずくめ。
なるべくこちらの視界に入らないように努力している姿はひしひしと伝わってはくるが、こちらもそういうことがあるとは予想していたので、見つけるのは容易かった。
ちなみに見つけたのはここが初めてではない。家を出た時から、こちらの後ろをつけていたのは知っている。そのまま同じ改札をくぐり、車両こそ離れてはいたが同じ電車に乗り、また同じ改札を時間差で出て、今に至るというわけだ。
何も彼の尾行、あるいはストーキングが極端に下手なワケではない。こういうこともあるだろう、と第六感のお告げで私が想定していたから気付けたのに他ならない。だってこういうパターン、ありがちでしょう?
と、目の端でストーカーを追っていると、本命が、
「おまたせー。ごめんごめん、ちょっと家出るの遅れちゃってー」
「いいのいいの。私がちょっと早く来すぎちゃったみたい。別に遅れてないよ」
時刻は十時五十五分。男が現れるのには早すぎず、遅すぎずという時間だ。時間ぴったりに来る男は、想定外を想定していない、という烙印を押されるし、逆に20分も30分も前に来るような男は、重い男だ。個人的には五分前を最適解に推したい。
「じゃあ、ちょっと何か食べてから球場に行こうか」
「そうだねー。どこいく?」
「うーん……」
と唸った彼のスマホを覗き込むと、よさげなカフェが画面にチラり。
なかなか準備のよい男じゃないか、と見上げると先日に引き続き照れたような顔の彼。
「あ、あの大崎さん?」
「あ、ごめんごめん。そこ、きれいでいいね。そこにしようよッ」
もちろん計算ずくである。このまま股間を握ってもよかったのだが、それはただの痴女である。かわいい女に日中物理的に距離を詰められる。これは男として、なかなかどうして嬉しいものなのだ。
手こそつなぎはしないが、さながらカップルの物理的距離でお目当てのカフェに向かう。おっと、もちろん後方には黒い影だ。
☆
結局球場に着いたのは十二時半過ぎ。選手が試合前の練習を引き上げ、アナウンスでスターティング・メンバーが発表されていた。
「ちょうどいい時間だね」と私が言うと、
「もうちょっと早く来ても良かったかもね。なんなら練習も見たかったし」
そうかもしれない、と答える。
初めに訪れたのは、なかなかに綺麗な、写真写りの良さそうな――今風に言えば、「映え」そうな――カフェだった。
お、なかなかいいじゃない、と思ったのは束の間。もう店員の手際が悪いこと悪いこと。
人気店らしく店員の手が回っていないことも分かるけれど、なかなかどうしてどうなの? という面が目立った。
注文を取りに来るのが遅い、注文を忘れる、料理が遅い、というか飲み物くらい先に持ってきたらどうなんだ?
もちろんイライラしていた気持ちはおくびにもださないが、田端クンも店の不手際、もとい動きの悪さには気付いていたようで、しきりに、
「ごめんね。もう少しで来ると思うから」
と何度も言っていた。
別段彼が悪いわけでもないので私は気にしていなかったが、こう改めて謝られると好感度が上がるというものである。女性にはまず謝れ、という格言があるが、これは蓋し名言なのだ。
だから、彼としてはカフェで失点したと思っているかもしれないが、個人的にはむしろ彼自身には加点してあげてもいいとも思っている。何様のつもりだ? というのはさておいて。
と、いうわけで彼からするとだが若干の失点を乗り越えて、球場に辿り着いた頃にはそれなりの時間が経っていたのである。
ちなみに、カフェの死角に近い席でも後方に黒い影だ。しかも二人。
五反田と香織である。香織もなぜか黒づくめで、おまけにサングラスをしていた。途中で五反田にも渡したらしく、黒ずくめにサングラスの男女二人、しかもそれなりに美男美女といういで立ちであったのでむしろ目立っている。引き続き、気づかないフリだ。
「ここ、割と見やすい席でよかったね。本当にありがとう」
神宮球場のバックネット席。ラガーさんのように審判後ろべったり、ということはないがその少し上あたり。野球場の中ではなかなかハイソな席に相当する。
「それはなにより。消化試合だから、たまたまチケット貰えたんだ、って親父が言ってたよ」
「ふうん、そうなんだ」少し小悪魔っ気を出して、「それなら、今度お父さんに挨拶にいかなきゃだねー」
「いいよいいよそんなの!」また慌ててかぶりをふる田端クン。「本当に、たまたま余ってただけなんだって!」
「あら、そう? でもそんなことしたら、また田端クンが『お礼しなきゃ!』とか言っちゃうかもしれないからね。よしておこうかな」
そう言って笑う。
そうなんだよ、と田端クンもつられて笑い、そのすぐ後に一瞬だけ「その手があったか……」という表情。
ねえよ。
舞台は十月の神宮球場。スワローズ対ベイスターズの、いわゆる消化試合だ。セ・リーグでは五位と六位で激しくしのぎを削っていた両雄であるが、最終二試合に勝負がもつれ込んだ様子だ。
そしてこの裏では、クライマックスシリーズで本当にしのぎを削った試合が行われているので、こちらはもう牧歌的もいいところ。攻めるも守るも、さながら秋の練習試合の様相だ。別に五位だって六位だって、何も変わらない。
さて問題の試合はというと、なかなかタフな試合であった。初回に四球と失策絡みでスワローズが先制するも、先発した高卒一年目の地元出身、期待のルーキーが次々に連打を許し、二回の裏にはベンチからタオル。
「あの選手と一度だけ試合したことがあったよ。練習試合で、相手はBチーム。僕が去年いた高校は、それこそ今よりもずっと弱い高校だったけど、なぜか彼が調整のために一イニングだけ登板した」
「どうだったの?」
「いやもう――」恍惚、という表情をして「全くモノが違ったね。これは捉えた、と思ったストレートが、気づいたら視界から消えていた。スライダーだったんだね」
そんな彼でも通用しない、と少しため息をつく田端クン。
私の友人に言わせれば、「高卒でプロに行くような奴は、生まれたころからモノが違う。同じ土俵で戦っているとは思えないね」とのことだったので、全くもってその通りなのだろう。そしてそんな彼ですら、滅多打ちにあうプロ野球。しかも最下位決定戦。いやはや、現実は気がめいりますな。
その後少し膠着して、試合が再び動いたのは七回裏。
この膠着して、というのが私の野球観戦で好きな要素の一つだ。野球観戦、というのは目を話していても大体は大丈夫という、スポーツとしてはかなり特殊だと思う。サッカーなら、少なくともゴール前でわちゃわちゃ競り合っている瞬間は見ていなくてはならないし、ハーフラインから突如ロングボールが飛んでくることもある。ボクシングも、ラッキーパンチでチャンピオンがいつひっくり返るか全くわからない。
ところが野球は、たまに投手がホームラン、なんていう場面もあるが大抵は諸々の前兆があり、そこだけちゃんと踏まえていると目を向けた方が良い場面というのはかなり限定的になる。それ以外のタイミングは、空想にふけったり、仕事のことを考えたり、横にいるイイ男とお茶べりしていてもよいわけで。
「このピッチャー、五反田と比べてどう?」
「どうって、較べるまでもないよ。相手はプロだよ? その辺の高校生と比べる方が間違ってるよ」
「でも、最初に出てきたピッチャーより、五反田の方がコントロール、よさそうに見えるけれど」
「うーん、でもプロとアマだとストライク・ゾーンが違うからなあ……」
という野球の話をしてみたり、
「ねえ、私のノックって、正直なところどう? 迷惑?」
「いやそんなことないよ! ウチの高校はちゃんとノック打てる選手が限られていて、しかもそういうやつこそノックを受けるべき選手だから。そういう意味では、本当に助かっている……本当だよ!」
「うふふ、そうならいいんだけど」
と笑って返したり、
「香織と、最近どうなのよ?」
「え、香織って……品川さん? いやあ、どうということもないけれど……なんで?」
「え、何でって?……なんでもない。いいの」
とまたウフフ、と笑ったり、
「はげぴょんの授業、もう少し分かり易いといいんだけどねー」
「仕方ないよ。ああいう教え方しか出来ない人だし。あれで二十年やってるってことは、まあそれなりにあれはあれで効果があるんじゃないのかな?」
「でも、ほぼほぼ写経みたいな授業になってるよ。しかも、みんな写真撮るだけじゃない。あれは先生にとっても大変だと思うわ。こう、プライド的な意味でも」
「女子高生が先生のプライドを気にするって……そっちのほうが、先生にとっては嫌じゃない?」
「100%そうかもね!」
「は?」
といって、二人して笑う。
そんな風に時間を使えて、親睦が深まるのが野球場の魅力である。親密度、大。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
と言ったのが、五回の裏。
案の定、激混み。消化試合でこの人数とは、と思うがよくよく見ると女性用は空いている。そうだよな、消化試合を好き好んでいる女性は少ないだろうし、消化試合をデート会場に選ぶ男もそうはいないだろう。
しかし、私のお目当てはお花を摘みに行くことではない。キョロキョロを周りを見渡し、
「いた!」
と叫んだ。やはり五反田と香織だ。
向こうも私に気が付いたらしく、「やべ」だの「ほら言ったじゃない」だのが聴こえるが、そこは五回の裏のごった返し。二人組、しかも両手にホットドックやらポテトやらを抱えた彼らを補足するのは容易かった。
「……何してるのよ」
若干の剣幕を醸し出し問い詰めると、
「ええと……デート、かな?」
五反田が答えて、
「そうそう。デートなの、デート。いやまったく、奇遇ねこんなところで。マコトもデート?」
とあまりに白々しい白々しさで言葉を引き継ぐ香織。
ふうんそうなのへーそうなんだ、と感想を述べた後、二人のファッションを上から下までおすぎとピーコして、
「なかなかいい感じのペアルックじゃないこと?」フっと笑い、「探偵……気取り、ってトコ?」
「いやそんなんじゃなくて!」全身黒ずくめでサングラスな男が、弁解しようがない弁解を始める。「これはそう……趣味、というか趣味! そう趣味なんだよ! な!」
隣にいた黒ずくめの女に同意を求め、
「そうそう……趣味、趣味なのよッ。最近こういうの流行ってるのよ……多分」
女の方は自信がなくなったご様子。最後まで突っ走って欲しかった。
「ふうん、分かった。そういう趣味なのね。了解了解」そう言って、席に戻る、前に一言、
「でも、野球じゃなくて人を観察する、というのは良い趣味とは言えないわねえ」
そう言って、五反田の首に下げた双眼鏡をピンと指で弾いた。
ウッ、と言葉にならないうめき声を上げた彼を尻目に客席へと戻る。ふと目を向けると、少し俯く彼が。
――罪な女だ!
その後は淡々と――言い換えれば見所なく――試合が進み、そのままベイスターズが勝利した。名誉ある最下位決定戦は明日に持ち越されたわけだ。
「楽しみね!」と笑顔を向けると、
「……案外趣味が悪いね」と田端クンがボソりと言う。
大丈夫、この反応は想定内だ。誰もかれもが清廉潔白な人間を「抱きたい」ワケではない。そりゃあそうだ。ミロのヴィーナスとクラスの渋カジナオン、どちらが抱きたいかと聞かれるとおそらく後者だろう。高嶺の花から売れるとは限らないのだ。
なので、私の目的は如何に田端クンに「抱かれるか」という点に焦点が移りつつあった。
理由はいくつかある。
まず、この世界は――忘れがちにはなるが――現実ではない。それは間違いない。なぜなら、股間に手を入れた時点で毎分六千回転の洗濯機でシェイクされる世界には私はいなかったはずである。
加えて、その股間の息子がいない、というのもこれも忘れてはいるが理由の一つである。天使な小生意気宜しく私の認識が大いに間違っている可能性も無きにしも非ずだが、ひとまずその可能性は棄却したい。もし小生意気状態なら、それはそれでOKだし。それはそれでオイシイから。
そしてこちら別件にはなるのだが、女子高生として生まれ堕ちた以上、そろそろ仮面ライダーセクロスしておきたいわけで。
割合としては、前者7、後者3。本音を言えば、後者が9。
そういう訳で、そろそろ物語を少し進ませなければ――もとい、進ませたいという訳だ。
その相手としては幼馴染的ポジションの五反田は避けたいところだった。何故ならちょっとやっぱりその後の関係もあるので、いかにこの世界の住民ではない私と言えども、ちょっとワンナイト・ラブるには抵抗があるというものだ。
さりとて行きずりの男なんて夢を見るよりまず――という状況は私の美学に反する。というより、常識的にNGなのではないだろうか。足軽女にはなりたくない。
というわけで、白羽の矢を立てたのがこの田端クンだ。
容姿端麗でジャニーズ系ではないけれど、整った顔をしている。相手にとって不足なし――と、いうのは私の、この身体の内なる声も含めた趣味嗜好ではあり――実情は少し違う。
端的には、帰国子女だから、そういうの、慣れているのではないだろうか。言い換えると、彼にとってはゆきずりの女になれるのではないだろうかという目論見である。
要すれば、後腐れなくヤれる精神性を有している身近なキレイ所、として適任なのがこの田端クンなのである。
球場を出て青山通りを歩く彼の横顔を見て、ここに至る目論見を改めて確認していたら、
「この後……どうする?」と声を掛けてくれる彼。
そうねえ、とりあえずちょっと休んでいく――とは言えないだろう。それは痴女である。夕闇迫る、といった時間帯にベッド・インとは花の女子高生は言えない。
「そうだね――」と言って、時間を稼ぐ。
いつもならここで「ちょっと一杯」と言って、その後はお決まりのコースで問題はないわけだが、悲しいかな我々は高校生。どちらかと言うと大人びている我々ではあるのだが、未成年飲酒は避けたい、というより振り向かなくとも黒装束の追手がかかっているこの状況では、流石にまずかろうというところ。
となると、
「カラオケなんか――どう?」
と私が提案するのは中々どうしてベスト・アンサーではないかと自賛したい。
「カラオケ、か。うん、いいね! そうしよう!」と田端クンが明るいお返事。一応、言質という意味で彼の意見も聞いておこうと、
「カラオケ、嫌だった?」と上目遣いを向けると、
「いやいや、とんでもない! むしろ僕から言おうと思っていたところだよ」
「普段女の子とどんなとこ、行ってるの?」ジャブを飛ばす。
うーん、と宙を見上げたあと、
「野球ばっかりやってるから、あんまり行かないかな!」
と爽やかな笑顔。
――信じないぞ!
女子高生も長々と実践していると化粧の仕方なんかも慣れたもので、ものの数日で「ノーメイク風ナチュラルメイク」をマスターしたと自負している。必要な機材(?)は揃っており、その方法論も日記に確立されていた。やはりこの大崎マコト、なかなかマメな戦略家であったらしい。
秋色コーデ(笑)に全身を包み、いざ向かうは神宮球場。
試合は十三時開始だか、集合は十一時。早めに行って、ちょっと腹ごしらえをしてからのんびりと野球観戦をしよう、というラインを昨日の夜に田端クンから貰った。
なるほど、高校生らしく球場の高い食事を食べないようにしたいという狙いなんだななるほどね――というのは表面的な話。いや、実際にラインにもそういう言葉が書かれていたが、本質はそこではない。
一緒にいる時間を出来るだけ長くしたい、という狙いだ。
実に自信家の発想だな、と一人唸る。朝から二人で、ということはその日一日は話題を提供し続ける自信があるということである。
別にデートは野球場で終わるわけではあるまい。駅についたらはいサヨナラ、ということには高校生とはいえ流石にそうはならないだろう。エッチなホテルに行くとは思ってはいないが、晩御飯くらいはご一緒するだろうし、そうすると事実上おはようからおやすみまで二人で過ごすことになる。
そういう活動は、私にはとても荷が重かった。そこまでエスコートする自信がなかったからだ。しかし今は女性の立場、しかも誘われた側なので気楽な臥所である……これって逆差別か?
と、とうとうと考えて駅前に突っ立っていると、遠くの方に男の影が見えた。
五反田である。しかも前進黒ずくめ。
なるべくこちらの視界に入らないように努力している姿はひしひしと伝わってはくるが、こちらもそういうことがあるとは予想していたので、見つけるのは容易かった。
ちなみに見つけたのはここが初めてではない。家を出た時から、こちらの後ろをつけていたのは知っている。そのまま同じ改札をくぐり、車両こそ離れてはいたが同じ電車に乗り、また同じ改札を時間差で出て、今に至るというわけだ。
何も彼の尾行、あるいはストーキングが極端に下手なワケではない。こういうこともあるだろう、と第六感のお告げで私が想定していたから気付けたのに他ならない。だってこういうパターン、ありがちでしょう?
と、目の端でストーカーを追っていると、本命が、
「おまたせー。ごめんごめん、ちょっと家出るの遅れちゃってー」
「いいのいいの。私がちょっと早く来すぎちゃったみたい。別に遅れてないよ」
時刻は十時五十五分。男が現れるのには早すぎず、遅すぎずという時間だ。時間ぴったりに来る男は、想定外を想定していない、という烙印を押されるし、逆に20分も30分も前に来るような男は、重い男だ。個人的には五分前を最適解に推したい。
「じゃあ、ちょっと何か食べてから球場に行こうか」
「そうだねー。どこいく?」
「うーん……」
と唸った彼のスマホを覗き込むと、よさげなカフェが画面にチラり。
なかなか準備のよい男じゃないか、と見上げると先日に引き続き照れたような顔の彼。
「あ、あの大崎さん?」
「あ、ごめんごめん。そこ、きれいでいいね。そこにしようよッ」
もちろん計算ずくである。このまま股間を握ってもよかったのだが、それはただの痴女である。かわいい女に日中物理的に距離を詰められる。これは男として、なかなかどうして嬉しいものなのだ。
手こそつなぎはしないが、さながらカップルの物理的距離でお目当てのカフェに向かう。おっと、もちろん後方には黒い影だ。
☆
結局球場に着いたのは十二時半過ぎ。選手が試合前の練習を引き上げ、アナウンスでスターティング・メンバーが発表されていた。
「ちょうどいい時間だね」と私が言うと、
「もうちょっと早く来ても良かったかもね。なんなら練習も見たかったし」
そうかもしれない、と答える。
初めに訪れたのは、なかなかに綺麗な、写真写りの良さそうな――今風に言えば、「映え」そうな――カフェだった。
お、なかなかいいじゃない、と思ったのは束の間。もう店員の手際が悪いこと悪いこと。
人気店らしく店員の手が回っていないことも分かるけれど、なかなかどうしてどうなの? という面が目立った。
注文を取りに来るのが遅い、注文を忘れる、料理が遅い、というか飲み物くらい先に持ってきたらどうなんだ?
もちろんイライラしていた気持ちはおくびにもださないが、田端クンも店の不手際、もとい動きの悪さには気付いていたようで、しきりに、
「ごめんね。もう少しで来ると思うから」
と何度も言っていた。
別段彼が悪いわけでもないので私は気にしていなかったが、こう改めて謝られると好感度が上がるというものである。女性にはまず謝れ、という格言があるが、これは蓋し名言なのだ。
だから、彼としてはカフェで失点したと思っているかもしれないが、個人的にはむしろ彼自身には加点してあげてもいいとも思っている。何様のつもりだ? というのはさておいて。
と、いうわけで彼からするとだが若干の失点を乗り越えて、球場に辿り着いた頃にはそれなりの時間が経っていたのである。
ちなみに、カフェの死角に近い席でも後方に黒い影だ。しかも二人。
五反田と香織である。香織もなぜか黒づくめで、おまけにサングラスをしていた。途中で五反田にも渡したらしく、黒ずくめにサングラスの男女二人、しかもそれなりに美男美女といういで立ちであったのでむしろ目立っている。引き続き、気づかないフリだ。
「ここ、割と見やすい席でよかったね。本当にありがとう」
神宮球場のバックネット席。ラガーさんのように審判後ろべったり、ということはないがその少し上あたり。野球場の中ではなかなかハイソな席に相当する。
「それはなにより。消化試合だから、たまたまチケット貰えたんだ、って親父が言ってたよ」
「ふうん、そうなんだ」少し小悪魔っ気を出して、「それなら、今度お父さんに挨拶にいかなきゃだねー」
「いいよいいよそんなの!」また慌ててかぶりをふる田端クン。「本当に、たまたま余ってただけなんだって!」
「あら、そう? でもそんなことしたら、また田端クンが『お礼しなきゃ!』とか言っちゃうかもしれないからね。よしておこうかな」
そう言って笑う。
そうなんだよ、と田端クンもつられて笑い、そのすぐ後に一瞬だけ「その手があったか……」という表情。
ねえよ。
舞台は十月の神宮球場。スワローズ対ベイスターズの、いわゆる消化試合だ。セ・リーグでは五位と六位で激しくしのぎを削っていた両雄であるが、最終二試合に勝負がもつれ込んだ様子だ。
そしてこの裏では、クライマックスシリーズで本当にしのぎを削った試合が行われているので、こちらはもう牧歌的もいいところ。攻めるも守るも、さながら秋の練習試合の様相だ。別に五位だって六位だって、何も変わらない。
さて問題の試合はというと、なかなかタフな試合であった。初回に四球と失策絡みでスワローズが先制するも、先発した高卒一年目の地元出身、期待のルーキーが次々に連打を許し、二回の裏にはベンチからタオル。
「あの選手と一度だけ試合したことがあったよ。練習試合で、相手はBチーム。僕が去年いた高校は、それこそ今よりもずっと弱い高校だったけど、なぜか彼が調整のために一イニングだけ登板した」
「どうだったの?」
「いやもう――」恍惚、という表情をして「全くモノが違ったね。これは捉えた、と思ったストレートが、気づいたら視界から消えていた。スライダーだったんだね」
そんな彼でも通用しない、と少しため息をつく田端クン。
私の友人に言わせれば、「高卒でプロに行くような奴は、生まれたころからモノが違う。同じ土俵で戦っているとは思えないね」とのことだったので、全くもってその通りなのだろう。そしてそんな彼ですら、滅多打ちにあうプロ野球。しかも最下位決定戦。いやはや、現実は気がめいりますな。
その後少し膠着して、試合が再び動いたのは七回裏。
この膠着して、というのが私の野球観戦で好きな要素の一つだ。野球観戦、というのは目を話していても大体は大丈夫という、スポーツとしてはかなり特殊だと思う。サッカーなら、少なくともゴール前でわちゃわちゃ競り合っている瞬間は見ていなくてはならないし、ハーフラインから突如ロングボールが飛んでくることもある。ボクシングも、ラッキーパンチでチャンピオンがいつひっくり返るか全くわからない。
ところが野球は、たまに投手がホームラン、なんていう場面もあるが大抵は諸々の前兆があり、そこだけちゃんと踏まえていると目を向けた方が良い場面というのはかなり限定的になる。それ以外のタイミングは、空想にふけったり、仕事のことを考えたり、横にいるイイ男とお茶べりしていてもよいわけで。
「このピッチャー、五反田と比べてどう?」
「どうって、較べるまでもないよ。相手はプロだよ? その辺の高校生と比べる方が間違ってるよ」
「でも、最初に出てきたピッチャーより、五反田の方がコントロール、よさそうに見えるけれど」
「うーん、でもプロとアマだとストライク・ゾーンが違うからなあ……」
という野球の話をしてみたり、
「ねえ、私のノックって、正直なところどう? 迷惑?」
「いやそんなことないよ! ウチの高校はちゃんとノック打てる選手が限られていて、しかもそういうやつこそノックを受けるべき選手だから。そういう意味では、本当に助かっている……本当だよ!」
「うふふ、そうならいいんだけど」
と笑って返したり、
「香織と、最近どうなのよ?」
「え、香織って……品川さん? いやあ、どうということもないけれど……なんで?」
「え、何でって?……なんでもない。いいの」
とまたウフフ、と笑ったり、
「はげぴょんの授業、もう少し分かり易いといいんだけどねー」
「仕方ないよ。ああいう教え方しか出来ない人だし。あれで二十年やってるってことは、まあそれなりにあれはあれで効果があるんじゃないのかな?」
「でも、ほぼほぼ写経みたいな授業になってるよ。しかも、みんな写真撮るだけじゃない。あれは先生にとっても大変だと思うわ。こう、プライド的な意味でも」
「女子高生が先生のプライドを気にするって……そっちのほうが、先生にとっては嫌じゃない?」
「100%そうかもね!」
「は?」
といって、二人して笑う。
そんな風に時間を使えて、親睦が深まるのが野球場の魅力である。親密度、大。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
と言ったのが、五回の裏。
案の定、激混み。消化試合でこの人数とは、と思うがよくよく見ると女性用は空いている。そうだよな、消化試合を好き好んでいる女性は少ないだろうし、消化試合をデート会場に選ぶ男もそうはいないだろう。
しかし、私のお目当てはお花を摘みに行くことではない。キョロキョロを周りを見渡し、
「いた!」
と叫んだ。やはり五反田と香織だ。
向こうも私に気が付いたらしく、「やべ」だの「ほら言ったじゃない」だのが聴こえるが、そこは五回の裏のごった返し。二人組、しかも両手にホットドックやらポテトやらを抱えた彼らを補足するのは容易かった。
「……何してるのよ」
若干の剣幕を醸し出し問い詰めると、
「ええと……デート、かな?」
五反田が答えて、
「そうそう。デートなの、デート。いやまったく、奇遇ねこんなところで。マコトもデート?」
とあまりに白々しい白々しさで言葉を引き継ぐ香織。
ふうんそうなのへーそうなんだ、と感想を述べた後、二人のファッションを上から下までおすぎとピーコして、
「なかなかいい感じのペアルックじゃないこと?」フっと笑い、「探偵……気取り、ってトコ?」
「いやそんなんじゃなくて!」全身黒ずくめでサングラスな男が、弁解しようがない弁解を始める。「これはそう……趣味、というか趣味! そう趣味なんだよ! な!」
隣にいた黒ずくめの女に同意を求め、
「そうそう……趣味、趣味なのよッ。最近こういうの流行ってるのよ……多分」
女の方は自信がなくなったご様子。最後まで突っ走って欲しかった。
「ふうん、分かった。そういう趣味なのね。了解了解」そう言って、席に戻る、前に一言、
「でも、野球じゃなくて人を観察する、というのは良い趣味とは言えないわねえ」
そう言って、五反田の首に下げた双眼鏡をピンと指で弾いた。
ウッ、と言葉にならないうめき声を上げた彼を尻目に客席へと戻る。ふと目を向けると、少し俯く彼が。
――罪な女だ!
その後は淡々と――言い換えれば見所なく――試合が進み、そのままベイスターズが勝利した。名誉ある最下位決定戦は明日に持ち越されたわけだ。
「楽しみね!」と笑顔を向けると、
「……案外趣味が悪いね」と田端クンがボソりと言う。
大丈夫、この反応は想定内だ。誰もかれもが清廉潔白な人間を「抱きたい」ワケではない。そりゃあそうだ。ミロのヴィーナスとクラスの渋カジナオン、どちらが抱きたいかと聞かれるとおそらく後者だろう。高嶺の花から売れるとは限らないのだ。
なので、私の目的は如何に田端クンに「抱かれるか」という点に焦点が移りつつあった。
理由はいくつかある。
まず、この世界は――忘れがちにはなるが――現実ではない。それは間違いない。なぜなら、股間に手を入れた時点で毎分六千回転の洗濯機でシェイクされる世界には私はいなかったはずである。
加えて、その股間の息子がいない、というのもこれも忘れてはいるが理由の一つである。天使な小生意気宜しく私の認識が大いに間違っている可能性も無きにしも非ずだが、ひとまずその可能性は棄却したい。もし小生意気状態なら、それはそれでOKだし。それはそれでオイシイから。
そしてこちら別件にはなるのだが、女子高生として生まれ堕ちた以上、そろそろ仮面ライダーセクロスしておきたいわけで。
割合としては、前者7、後者3。本音を言えば、後者が9。
そういう訳で、そろそろ物語を少し進ませなければ――もとい、進ませたいという訳だ。
その相手としては幼馴染的ポジションの五反田は避けたいところだった。何故ならちょっとやっぱりその後の関係もあるので、いかにこの世界の住民ではない私と言えども、ちょっとワンナイト・ラブるには抵抗があるというものだ。
さりとて行きずりの男なんて夢を見るよりまず――という状況は私の美学に反する。というより、常識的にNGなのではないだろうか。足軽女にはなりたくない。
というわけで、白羽の矢を立てたのがこの田端クンだ。
容姿端麗でジャニーズ系ではないけれど、整った顔をしている。相手にとって不足なし――と、いうのは私の、この身体の内なる声も含めた趣味嗜好ではあり――実情は少し違う。
端的には、帰国子女だから、そういうの、慣れているのではないだろうか。言い換えると、彼にとってはゆきずりの女になれるのではないだろうかという目論見である。
要すれば、後腐れなくヤれる精神性を有している身近なキレイ所、として適任なのがこの田端クンなのである。
球場を出て青山通りを歩く彼の横顔を見て、ここに至る目論見を改めて確認していたら、
「この後……どうする?」と声を掛けてくれる彼。
そうねえ、とりあえずちょっと休んでいく――とは言えないだろう。それは痴女である。夕闇迫る、といった時間帯にベッド・インとは花の女子高生は言えない。
「そうだね――」と言って、時間を稼ぐ。
いつもならここで「ちょっと一杯」と言って、その後はお決まりのコースで問題はないわけだが、悲しいかな我々は高校生。どちらかと言うと大人びている我々ではあるのだが、未成年飲酒は避けたい、というより振り向かなくとも黒装束の追手がかかっているこの状況では、流石にまずかろうというところ。
となると、
「カラオケなんか――どう?」
と私が提案するのは中々どうしてベスト・アンサーではないかと自賛したい。
「カラオケ、か。うん、いいね! そうしよう!」と田端クンが明るいお返事。一応、言質という意味で彼の意見も聞いておこうと、
「カラオケ、嫌だった?」と上目遣いを向けると、
「いやいや、とんでもない! むしろ僕から言おうと思っていたところだよ」
「普段女の子とどんなとこ、行ってるの?」ジャブを飛ばす。
うーん、と宙を見上げたあと、
「野球ばっかりやってるから、あんまり行かないかな!」
と爽やかな笑顔。
――信じないぞ!
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青春
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「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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