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season4-4:部屋(viewpoint日和)
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部屋には、そこに住む人の表れていると思う。私の場合、手に入れたものに愛着が湧いてなかなか捨てられないからたまってしまう。だから何かを買うときには厳選するようにしている。
雅の部屋には殺風景なほど物がない。目に付くのはベッドとテレビくらいのものだ。そのテレビすら私と付き合いはじめたころは置かれていなかった。あの頃はデートで外出することが少なくて、部屋の中でまったりと過ごすことが多かった。そんなときに暇を持て余して「去年話題になった映画、DVDになったんだって~。見たいなぁ」とつぶやいた翌週にはテレビが設置された。私への罪滅ぼしのつもりで奮発したのだと思う。
雅は部屋で過ごすときには本を読んでいることが多いから、この部屋のテレビは私専用みたいなものだ。
今日も雅は狭いワンルームの大半を占めているセミダブルのベッドにうつ伏せで寝転がって本を読んでいる。
雅はそうして本を読みながら、ひざを曲げて足先をフラフラと揺らすのだけど、そのスピードが速くなると物語りが盛り上がっていて、ピタッと止まると息詰まるシーンで、フワフワと横揺れをはじめるとロマンチックなシーンなのだとわかるのが面白い。
わざと不愛想を装ってポーカーフェイスをしたがる雅だけど、最近は感情をそのまま出してくれることも多くなった。だけどその分だけ隠している感情が見えなくなった気がする。
私はベッドを背もたれにして座り、レンタルしてきた映画を見ていた。視界の端で雅の足がゆっくりと揺れている。この揺れ方は本に集中しているときだ。
一方私は映画に集中できずにいた。なぜなら映画がまったく面白くないからだ。
上映しているときには、観客動員数や興行収入がニュースになるほど人気を博した映画だったから、前編と後編の両方を借りてきてしまった。まだ前編の半分にも至らないのだけど、もう飽きてきてしまっている。それでもこれから面白くなるのかもしれないと期待を込めて画面を見続けていた。
それでも画面を眺めているのにも飽きはじめて窓辺に視線を移す。そこには小さな鉢植えの花が二つ並んでいた。昨日、草吹主任のお店で買ってきたものだ。
部屋に余計な物を置くことを嫌がる雅だから、鉢植えを渡しても喜ばないかもしれないと思っていた。ところが雅は私の予想に反して鉢植えを喜び、早速窓辺に飾る場所を用意した。そして今朝は鼻歌交じりで鉢に水をあげていた。
ひとつは自宅に持って帰るつもりだったけれど、そんなに雅が喜んでいるのなら、このまま並べておこうかなと思っている。
再びテレビ画面に視線を戻したけれどやっぱり集中して見ることができない。
本に集中して楽しそうに揺れる雅の足がちょっと腹立たしく感じたから、腕を伸ばしてその足を抑えてみた。
すると雅は本から視線を外すことなく「んー、どうしたのー?」と間延びした声で言う。
「その本面白い?」
「まぁまぁかな。映画は面白い?」
「んー、まぁまぁかなぁ~」
私はそう答えて雅の足を開放すると雅は本のページをペラっとめくった。
この映画よりも矢沢さんたちを見ている方がよっぽど面白い。面白いなんて言ったら矢沢さんは怒るかもしれないけれど、彼女たちがこれからどうなっていくのか、まったく予測できなくて目が離せない気持ちになる。
かつては自分だけを好きになってくれなくても、側にいられればそれでいいと思っていた。だけど雅が私を見てくれるようになって、やはり好きな人に好きだと言ってもらえるのは幸せだと感じる。
満月さんも輝美も友だちだから、二人とも幸せになってほしい。
だけど二人とも矢沢さんのことを好きになった。そしてその矢沢さんは恋愛がわからない。
そんな三人が同じように幸せになるのは難しいと思う。
だったら私は私のやり方で三人の近くにいて三人がどんな未来を描くのか近くで見ていたい。とても無責任な野次馬みたいだと輝美は噛みつくかもしれない。
それでも私は三人とも大好きだから近くで見ていたい。
映画を眺めながらそんなことを考えていると携帯がブルっと震えた。画面を確認すると矢沢さんからのメッセージだった。
『こんにちは。突然メッセージを送ってすみません。昨日はご迷惑をお掛けしました。それからどうもありがとうございました』
きっと懸命に考えて何度も打ち直したのだろうと感じられる丁寧な口調に思わず笑みが浮かぶ。
昨日、草吹主任のお店を飛び出した矢沢さんを見つけてからお店まで送り届けた。その後、草吹主任や用賀さんとどんな話をしたのかは気になっている。
月曜日に顔を見たら尋ねようかと思っていたけれど、矢沢さんから連絡をもらえるとは思っていなかった。
「誰から?」
本に集中していたはずの雅が反応した。
「矢沢さんから~」
「矢沢さんって矢沢陽? メッセージのやり取りするほど仲よかったっけ?」
「昨日仲良くなったの」
「ふーん」
それだけ言うと雅は再び本に意識を戻す。私は矢沢さんのメッセージの続きを読んだ。
『昨日、あれから光恵さんたちとお話ができました。それで少し相談したいことがあります。大丈夫でしょうか?』
私はすぐに返事を打つ。
『お話できてよかったですね。相談、もちろんOK!』
それから少し考えて言葉を追加した。
『よかったらこれから会いませんか? 今、雅の家なんです。矢沢さんのお宅に伺ってもいいですか?』
メッセージを送信すると、私はテレビのリモコンを持ち上げてビデオを停止させる。そうしてベッドに片手を置いて立ち上がった。
雅は窮屈そうに首をひねって私を見上げる。
「どうしたの?」
「ちょっと出掛けてくる」
「今から?」
「うん」
なんだか不満そうな雅を放ってクローゼットの中から洋服を取り出し部屋着を脱ぎ捨てた。雅はジッと私の様子を伺っている。
着替え終えたとき矢沢さんから了承の旨と住所が送られてきた。私はそれを確認してから軽く化粧をする。
「楽しそうだね」
雅は本に栞を挟んで手元に置くと体を起こした。
「そう?」
楽しいのかもしれない。矢沢さんが私にこうして連絡をくれたということは、私に彼女たちのドラマを最前列で見る権利をくれたということだ。
不謹慎かもしれないけれど、それはうれしいし楽しい。
一通りの準備を終えて私は玄関に向かう。雅はベッドの上に座った姿勢で再び本を読みはじめていた。
「そんなに時間はかからないと思うから」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます」
そうして私は雅の部屋を出た。
地図アプリに矢沢さんから送られてきた住所を入力して、指示に従って足を進める。しばらく駅の方角に進むと、途中の十字路で駅とは違う方向へと誘導される。
雅の部屋へと向かう道からたった一本外れただけで、そこはまるっきり知らない街になった。
ご近所さんが買いに来ているのであろう古い佇まいのたこ焼き屋、住宅街の真ん中にポツンと現れる雑貨店、遊具がひとつも置かれていない小さな公園、そうした見知らぬ景色を眺めるのは面白かった。
景色を楽しみながらしばらく歩いたとき、地図アプリが目的地に到着したことを伝える。目の前には古いアパートがあった。
アパートの端に付いている階段を上るとギシギシと軋む音がした。部屋の前に置かれている洗濯機を避けるようにして二階の細い通路を進み、矢沢さんから教えられた部屋の前で足を止める。すると自動ドアのように勝手にドアが開いた。
「えっと、いらっしゃい」
矢沢さんが少し照れながら頭を下げる。
「すごいタイミングですね」
「階段の音が聞こえたので……」
「ああ、そっかー」
「どうぞ」
矢沢さんに促されて私は部屋に入った。
玄関を入るとすぐに小さなキッチンがあり、その横に小さな冷蔵庫が置いてある。その上にはいくつかの花が飾ってあった。
六畳の畳の部屋の真ん中にテーブルが一つ。端には畳んだ布団が置いてある。そして小物や本が入れられているカラーボックスの上にも花が飾ってあった。
築年数が長いアパートの部屋だけど、几帳面に掃除や整理がされているから清潔感がある。物は多くないが雅とは違って必要最小限のものを大切に使っているという印象だ。
「あの、座布団もないんですけど……適当に座ってください」
私はテーブルの脇に腰を下ろした。
矢沢さんはそそくさとキッチンに行くと、冷蔵庫の中から麦茶を取り出してグラスに注ぐ。そしてそれをテーブルの上に置いた。
それから矢沢さんはその場に立ち尽くしてモジモジとしている。
「座りませんか?」
矢沢さんを見上げて言うと「はい」と小さく答えてようやく座った。
「あ、あの、人が来るの、はじめてなので……緊張して……」
「わぁ、じゃあお友だちでこの部屋に来るの、私が第一号なんですね!」
私はそう言いながら、満月さんや輝美に恨まれるかな? なんて考える。
「友だち……」
矢沢さんはつぶやくと小さく笑みを浮かべた。こういうところは純粋にかわいいと思う。きっと満月さんや輝美は矢沢さんのこんな面に惹かれているのだろう。
「それで相談ってなんですか?」
私は早速本題を切り出した。
「あの、光恵さんや用賀さんと話をして……」
そうして矢沢さんはゆっくりと昨日のことを話してくれた。それは、満月さんと輝美に、矢沢さんの気持ちをそのまま伝えてみてはどうかという内容だった。
「家に帰ってからずっと考えてて。それでやっぱり二人にちゃんと話をしようと思いました」
「もしかしたら矢沢さんも、二人も傷つくことになるかもしれませんよ? 二人に好きじゃない、友だちでいましょうって伝えるだけでもいいんじゃないんですか?」
考え抜いて出した答えだとは思うけれど確認せずにはいられなかった。もしも矢沢さん自身が傷つきたくないのであれば、単に二人に断るだけでいいと思う。矢沢さんの今の気持ちを伝えても、二人が理解してくれるとは限らないし、判断を相手にゆだねるような真似に怒る可能性だってある。
私は二人のことを知っているから、きっとそんなことはないだろうと思う。それでも矢沢さんにその覚悟がないのならばもっと簡単な方法を取るべきだろう。
「でも、私なんかを好き……って言ってくれたのはうれしくて。野崎さんのことも、輝美ちゃんのことも……その……大切だと思うから、逃げちゃだめだと思うので……ちゃんと、話がしたいです」
おそらく不安はあるのだろう。それでも向き合おうと決意したのだと感じた。
「わかりました。それで私は何をすればいいんですか?」
「えっと、どうやって野崎さんと輝美ちゃんに話せばいいのかわからなくて……」
「どうやってとは?」
「電話とかメッセージとかでいいのかな? とか、会って話した方がいいのかな? とか……でも野崎さんは会社で会うけど、輝美ちゃんはどうすればいいだろうって思ったらわからなくなってしまって……」
「そういう話なら電話よりも会って話した方がいいと思いますけど……」
「やっぱりそうですよね」
矢沢さんの表情が若干暗くなる。
「会うのは嫌なんですか?」
「嫌というわけではないんですけど、うまく話せるかわからないし、ちょっと怖いというか……」
「電話なら話せるんですか?」
「電話なら台詞を紙に書いて読めばできるんじゃないかと思ったんですけど」
私は少し考えてから提案をする。
「それなら二人一緒に呼び出しちゃいましょう」
「え? でも……」
「善は急げだから明日にしましょう。何か用事はありますか?」
「特にないですけど、明日ですか?」
矢沢さんは目を彷徨わせて戸惑っている。
「大丈夫ですよ。私も付いていきますから」
そう告げると少しホッとしたように息を付いた。
二人への連絡も私が引き受け、待ち合わせの場所や時間を決めて矢沢さんの部屋を出た。
矢沢さんはそんな急で二人が来てくれるのかと心配していたけれど、私はそこの心配はしていなかった。
うまくいけばいいなと思いながら雅の部屋に帰る。
思ったより時間がかかってしまったから雅が拗ねているかもしれない。そう思って私は手土産を買って帰ることにした。
合鍵で玄関を開けて中に入るとおいしそうな匂いが漂っている。
「ただいま~」
「おかえり」
キッチンで料理を作っていた雅がチラリと私の方を見て笑顔を見せた。拗ねてはいないようだ。
「何作ってるの?」
「あり合わせで適当に~」
「お土産にタコ焼き買ってきたんだけど……」
「たこ焼き?」
「うん。矢沢さんの家の近くで売ってたから」
「へー、そんなお店があるんだ。じゃあ夕食に食べよう。もうすぐできるからちょっと待ってて」
私は雅の言葉に従って部屋の奥に移動するといつものようにベッドを背もたれにして座った。そして携帯を手に取り、帰る道すがら考えたメッセージを満月さんと輝美に送信する。
するとすぐに満月さんから電話がかかってきた。
―― メッセージを見たんだけど、これってどういうこと?
「そののままだよ」
―― 矢沢さんからの呼び出しなんだよね? 一体、どんな話なの?
「うーん、それは私からは話せないよ」
―― どうしよう……
満月さんは困ったようにつぶやいた。満月さんならば、即答で「行く」と言うと思っていたから意外だ。
そうして満月さんと話をしている間に料理が完成したようで、雅がテーブルに料理を並べてくれた。
青椒肉絲に鶏肉ときゅうりのサラダ風の和え物、卵スープとたこ焼きだ。
「満月さんは来たくないの?」
―― いやいや! そうじゃないよ! ほら、みんなで会うとはいえ休みの日に矢沢さんと会うんでしょう? それってほぼデートじゃない。何を着ていけばいいんだろうと思って。
私は思わず吹き出してしまった。
「裸でなければ何でもいいんじゃなーい?」
―― 裸で出掛けたことなんて一度もないよ。
「じゃぁ雅に相談する?」
―― え? 今雅の家なの?
「うん、そうだよ。今からごはん食べるの」
―― あー、邪魔してごめん。別に雅に相談するほどのことじゃないから……。
「そうなの? 困ったときは雅に聞くのかと思った」
―― なんでも聞いてるわけじゃない……あ、でもやっぱり替わってもらえる?
「わかった」
私は雅に携帯を差し出した。雅は少し首をひねってから面倒くさそうな顔を作って手を伸ばす。
「なに?」
雅のふてくされたような声がなんだかおかしい。少し前まではこんなことが日常茶飯事だった。
満月さんからの電話を雅が受け、雅は満月さんへの想いを隠して面倒くさいフリをする。そして私はその様子を全く気にしていないフリをして眺めるのだ。
だけど今の雅がしている『面倒くさいフリ』は私に対して、もう満月さんのことは何とも思ってないと示すためのものだ。
そんなところが雅のかわいいところだと思う。。私は口もとを隠して笑いを堪えた。
雅の満月さんへの想いはかなりわかりやすかったと思う。私よりも雅の側にいた満月さんは、本当に雅の気持ちに気付いていなかったのだろうか。
雅は満月さんのことを「鈍い」とか「目が腐っている」なんて言っていたけれど本当にそれだけだろうか。
「そんなの私に聞かれても知らないよ。裸でなけりゃ何でもいいんじゃないの?」
雅が眉根を寄せて電話の向こうの満月さんに言う。もしかしたら別の話をしているのではないかと思ったけれど、本当に明日着ていく服の相談をしていたようだ。
満月さんとの話を終えて私に電話を返した雅はため息をついた。
「一体何なの?」
「明日、矢沢さんと会うんだよ」
「矢沢陽と? それをどうして日和が?」
「明日は私が仲人になるの」
「何それ?」
「満月さんと輝美を呼んで、矢沢さんと引き合わせるんだよ」
すると雅は自分が作った料理を口に運んで渋い顔をした。
「それは日和が行かなきゃいけないものなの?」
私も料理を食べはじめる。雅は料理が好きだというわけではないみたいだけど、無駄に器用だからおいしい料理を作る。今日の料理もおいしい。さっきの渋い顔は味に対して浮かべたものではないようだ。
「まぁ、私がかき回しちゃったところはあるからね」
「でも三人のことは三人に任せておけばいいじゃない」
「えー、私もどうなるか見たいもん」
私が答えると、雅はたこ焼きを口に運んでますます渋い顔をした。
「たこ焼き、おいしくない? 冷えちゃったからかな?」
私はそう言ってたこ焼きに箸を伸ばす。
「いや、たこ焼きはおいしいよ。うん、おいしい。また今度買いに行こう」
「あ、公園もあったから、たこ焼きを買って公園で食べるのも楽しそうだね」
「いいね」
そうして雅はようやく笑みを浮かべた。
食事を終えて片付けまで終わってもまだ輝美からの返事はない。もしかしたらバイト中なのかもしれない。それならば遅い時間になるだろう。
私はのんびり待とうと決めて映画の続きを見ることにした。
映画はまだ前編の半分を過ぎたくらいだ。後編を見終えるまでに輝美から返事がこればいいのだけれどと思いつつ画面を眺める。
雅が私の横に並んで座ってテレビ画面を眺めた。
「これ、面白い?」
「うーん、まぁまぁ?」
「面白くないんだね。それでもまだ見るの?」
「せっかく借りたんだし。それに後半面白くなるかもしれないでしょう?」
そう答えてみたけれどあまり期待できないと思う。
「そう……じゃあ私、お風呂に入ってくる」
雅はそう言って立ち上がると浴室に行った。どうやら明日私が矢沢さんに付き合って出掛けることをまだ納得していないようだ。
最近、矢沢さんや輝美のことを気にしていたから、少し雅を放置しすぎていたかもしれない。
矢沢さんの件は明日三人を引き合わせたらひとまずは落ち着くと思う。そうしたらもう少し雅のことをかまってあげることにしよう。
私自身は今までとさほど変わっていないと思う。だけど雅は変わった。それは私に向き合ってくれたことで起きたうれしい変化なのだけど、少し戸惑ってしまうこともある。
例えば以前は週末だって会えるとは限らなかった。雅から誘われることはほとんどなかったし、満月さんとの約束があれば私より満月さんを優先した。だけど最近は毎週末に雅から「今日は来る?」と連絡がある。
それに「どこかに出掛けようか?」と誘ってくれるようになった。私は雅の部屋で何をするでもなくぼんやりと過ごすのも好きだから、出掛けずにのんびりしようと伝えるとあからさまにガッカリとした顔をする。
平日に会社まで迎えに来て一緒に夕食を食べることもある。
そんな雅の変化がときどき私の不安を掻き立てるのだ。
雅の気持ちを疑っているわけではない。
だけど雅の私に対する想いは、満月さんに対する想いほど強くないのではないかと思う。
満月さんへの想いを振り切ったとき、たまたまそばにいた私にそれまで果たせなかった想いをぶつけているだけではないかと考えてしまう。
雅が私のことを気に掛けて大切にしてくれるほど、そんな風に考えてしまうのだから、私も馬鹿なんだと思う。
雅が満月さんを好きだということを承知で雅と付き合い、嫉妬心を抱きながらもそれを隠してやってきた。
ようやく雅が私を見てくれるようになったのに、私はいまだに満月さんに嫉妬をしている。
「出たけど、日和はどうする?」
雅がお風呂から出て声を掛けたのは、映画の前編がちょうど終わるタイミングだった。
「んー、私も入ろうかな」
私は立ち上がって見終わったブルーレイを抜き取ってケースに収めてから浴室に向かった。
雅は私よりも長風呂だ。お風呂で考えごとをするクセもある。
私はサッと髪と体を洗って湯船に浸かった。私は長くお風呂に入るとすぐにのぼせてしまう。以前、雅と一緒にお風呂に入って大変なことになってからお風呂は別々に入ることが多い。
だけどお風呂で語り合うのが良いという話をどこかで聞いたような気がする。来週にでも一度試してみよう。
私があっという間にお風呂を出てリビングに戻ると、雅がドライヤーを持って待ち構えていた。
「髪、乾かしてあげる」
「今日はなんだか変だよ? どうしたの?」
「別に、何もないよ」
そう言って雅は私の腕を引いて座らせた。
「明日、雅も一緒に行く?」
「えー、それはいいよ。私が行っても邪魔なだけでしょう」
とりあえず満月さんは動揺するだろうと思う。
そして雅がドライヤーのスイッチを入れたので会話はそこで止まった。
雅は丁寧に私の髪を指で梳きながらドライヤーの風をあてていく。なんだか妙に心地良くて少し眠たくなってきた。
私はテーブルの上に置き去りにしていた携帯を取って画面を確認する。まだ輝美からの返事は来ない。
「はい、終わり」
ドライヤーのスイッチを切って雅が言った。
「ありがと」
雅がドライヤーを片付けるのを横目で見ながら、私は映画の後編のケースを持ち上げる。
「まだ見るの?」
「うん」
「つまらないのに?」
「つまらなくはないよ」
「でも面白くもないんでしょう?」
「後半は面白いかもしれないよ?」
「そう」
雅は少し不満そうに唇を尖らせたけれど、それ以上は何も言わずに本を持ってラグマットに座った。
私はブルーレイをセットしてその隣に座る。
「何の本?」
「これは仕事の勉強用」
「真面目だねぇ」
「まあね」
映画の序盤は前編のおさらいだ。正直、さっき見終えたばかりだし、おさらいをしてもらわなくてはいけないほど複雑な内容でもない。
後編に入ればもしかしてと少しは思っていたのだけれど、面白くなりそうな予兆はない。かなりヒットしたのだからきっと多くの人にとっては面白いのだろう。ただ私の感覚とは合わないようだ。
眠気を堪えながら画面を眺め続けて、映画が終盤に差し掛かったところでようやく輝美から電話がかかってきた。
私はリモコンで映画を止めて電話に出る。
―― 遅いっ
輝美はいきなり大きな声で言った。私は少し電話から耳を離す。なんだかとても機嫌が悪そうだ。
「なぁに、輝美」
私は素知らぬ顔で返事をする。
―― いくら遅い時間っていってもまだ寝てたわけじゃないでしょう。早く出なさいよ。
「んー、寝てないけど寝てたかも~」
つまらない映画のせいで半分くらいは眠っていたような気がする。
―― 何意味の分からないこと言ってるの?
「それで何の用?」
輝美から電話が来る用件なんてひとつしかないけれど、念のために確認しておく。
―― 陽さんのことに決まっているでしょう!
「何の用」に「陽さん」なんてダジャレみたいだな、と思って少し遊んでみることにした。
「だから何の用なの?」
―― 陽さん、矢沢陽さんのこと!
輝美の声がさらに大きくなる。やはり今日はすこぶる機嫌が悪いようだ。あまりからかいすぎると用件を伝える前に電話を切られてしまうかもしれない。さすがにそれでは矢沢さんに申し訳ない。
「ああ、矢沢さんね。輝美、ちょっと声が大きすぎない?」
―― 日和が寝ぼけたこと言ってるからでしょう!
ますます輝美の声が大きくなる。輝美のように素直に感情をぶつけられたら楽しいだろうなと思う。
「矢沢さんから輝美に会いたいから連絡して欲しいって言われたから~」
―― なんで日和から?
「友だちだから?」
答えながら、本当に「友だち」と公言していいのかなとも思ったけれど、矢沢さん本人もうれしそうにしていたし、友だちということで問題ないだろう。
―― 嘘つかないでよ、陽さんが日和と友だちなわけがないでしょう。
どうやら輝美の中での私の評価はかなり低いようだ。面白いからといってからかい過ぎたからかもしれない。
そのとき雅が机の上にパサリと本を置いた。どうしたのかと視線を送ると、私の方に手を伸ばしてきた。
私は携帯を胸に押し当てて輝美に聞こえないようにして「雅? どうしたの?」と声を掛けた。
だけど雅は答えずに私の首に腕を回すとグッと引き寄せた。そして私の耳や首筋にキスを落とす。
「ちょっと? んっ、ちょっと雅、今話してるんだからいたずらしないで」
そう言いながら雅の顔をグイっと押しのけた。雅は唇を尖らせて恨みがましそうな目を向ける。
「っと、ごめんね。何の話だっけ? ああ、矢沢さんのことだったよね」
―― そ、そう、陽さんのこと。
なんだか急に輝美の声が大人しくなった。怒りが収まったのだろうか。
「なんだか気まずくて連絡しづらいって言うから」
話しながら雅の様子を伺うと不満そうな表情を浮かべたままじっと私のことを見ていた。
―― そう、なんだ……
「それで、明日は来られるの?」
と輝美に尋ねたとき雅は再び私に体を寄せて、今度は服の裾から手を入れて肌に指を這わせた。
「って、だから雅!」
その手を叩き落とすと、今度はあからさまにシュンとして膝を抱えてしまった。
―― 行く。
輝美の短い返事が耳に届く。
「了解。矢沢さんに伝えておくね」
―― よろしく
輝美との電話も終わるのだけど、雅はそっと立ち上がってモゾモゾとベッドにもぐりこんでしまう。
そのまま輝美との電話を切ろうと思ったのだけど、ひとつ言い忘れたことがあったのを思い出した。
「満月さんも一緒だから」
伝えるべきことを伝え終えて私は電話を切る。切る直前に輝美の叫び声が聞こえたような気がするけれど、大体何を言ったのかは想像がつくからかけ直す必要はないだろう。
私は携帯をテーブルの上に置いてベッドに上がる。雅は私に背中を向けて頭から布団を被っていた。
「雅?」
声を掛けても雅は答えない。
「みーやーびー?」
布団を引き剥がそうとしたけれど雅はギュッと布団を掴んで抵抗した。
仕方なく私は雅の隣に横になって雅を背中から抱きしめて頬を寄せる。
「どうしたの雅? 嫉妬でもしちゃった?」
すると雅はクルっと向きを変えて私の体に腕を回すと胸に顔をうずめた。チラリと見えたその顔が少し赤くなっていた。急にセックスがしたくなったわけじゃなくて、本当に嫉妬をして電話の邪魔をしようとしていたみたいだ。
私はそのまま雅の頭を撫でる。私は手の平に当たる雅の少し硬い髪の感触が好きだった。
しばらく髪を撫でていると、雅の手がモゾモゾと服の中に入ってきたから、結局セックスはするつもりなんだな、と思いながらそのまま身を任せた。
ベッドに入ったのはさほど遅い時間ではなかったけれど、眠りにつけたのが朝方近くになったため、目が覚めたときにはお昼になろうとしていた。
それから遅い朝食とも早い昼食ともいえる食事をして、ゆっくりと身支度を整える。そうして気が付くと矢沢さんとの待ち合わせの時間が迫っていた。
「じゃあ私はこれで帰るね」
玄関まで見送りに来た雅に言う。
「これからみんなで会うの?」
「うん、そうだよ。まずここの駅で矢沢さんと待ち合わせ」
「そう」
なんだか雅は不満そうだ。
「一緒に行く?」
「行かない」
「そう? じゃあね」
「うん……」
何かを言おうとして雅は我慢しているように見えた。私は少し後ろ髪を引かれ思いで部屋を後にする。
駅に向かいながら私を見送って雅の顔を思い浮かべていたらひとつのアイデアが浮かんだ。
雅と一泊旅行をしよう。よく考えてみたら二人で旅行をしたことがない。長風呂は苦手だけど温泉は好きだから温泉旅行にしよう。温泉に浸かって雅とゆっくりと話をしよう。
そう考えたらなんだかウキウキしてきた。
駅で待ち合わせた矢沢さんはガチガチに緊張していたけれど、輝美の度重なるツッコミのおかげで少しリラックスして話ができたようだ。
矢沢さんの話を聞いた満月さんと輝美は、それでも好きだからいつまでも待つ。くらいの答えを出すと思っていた。
ところが輝美は「二人と付き合ってください」と言い出した。公式二股と言うのだろうか。そんな輝美はやっぱり面白い。
それからカラオケボックスで早めの夕食を軽く食べて、私だけ先に帰ってきた。
もう少し覗いていたい気持ちもあったけれど、いつまでも部外者が顔を突っ込むべきではない。
それに雅の様子も気にかかるから、家に帰ったら電話をして話し合いの結果を教えてあげよう。それから温泉旅行にも誘おう。そうしたらきっと機嫌を直してくれるはずだ。
そうして家路を急いでいると、私の部屋の前に人影があるのを見つけた。少し警戒したけれどすぐにそれが雅だとわかった。
「雅? どうしたの?」
「ああ、おかえり」
「ただいま。中で待っててもよかったのに」
「鍵がないから」
「あ、そっか」
いつも私が雅の部屋に行くから、私の部屋の合鍵を雅に渡していなかった。
「合鍵、渡しておこうか?」
「あー、いや、いい」
雅は首を横に振った。それがちょっとショックだった。確かにあまり使う機会はないかもしれないけれど、雅は喜んで受け取ってくれると思っていた。
私は玄関の鍵を開けて雅を部屋に招き入れる。
「ご飯食べたの?」
「まだ。日和は?」
「私は食べてきちゃった。何か作ろうか?」
「作れるの?」
「作れるよ~」
料理は雅の方が上手いから私が料理を披露したことはない。だけど私だって一人暮らしをしているのだから、少しくらいは作ることができる。
そうして冷蔵庫の中を確認したけれど、週末は雅の部屋にいるから食材を買い置きしていない。
「冷凍ピラフしかないんだけど」
「それでいいよ」
「わかった」
私は冷凍ピラフを平皿に入れて、ラップをかけると電子レンジに突っ込んだ。
料理ができなくても特に困らない。世の中には便利なものがあるのだ。
ピラフが温まるのを待ちながら私は雅の様子を眺める。落ち着かない様子で膝を立てて座り、キョロキョロと部屋の中を見回していた。
どうして突然ウチに来たのだろう。前に突然ウチに来たときには別れを告げられた。まぁ、その後すぐに改めて付き合うことになったのだけれど、きっと今日も何か話があって来たはずだ。
この週末はなんだか様子がおかしかったし、考えごともしていたみたいだから、今からその話をするのだろう。
考えてみてもどんな話をするつもりなのか想像もつかない。
グラスに麦茶を注いてテーブルに置くと、電子レンジがピピっと鳴って出来上がりを知らせた。
鍋掴みを探したけれど見つからなかったので、タオルを使って電子レンジの中からピラフの皿を取り出す。そしてそのままソロソロとテーブルまで運んだ。
雅はなんだか苦笑いを浮かべている。
「なに?」
「いや、なんでもない」
雅はそう言うとラップを剥がしてスプーンを差し入れた。フーフーと覚ましながらピラフを口に運ぶ。
「おいしい?」
「うん。まあまあ」
私はかなりおいしいと思うのだけど、雅の中ではそれほどでもないらしい。自分が作ったものではないけれどちょっと悔しい。
「明日仕事でしょう? 泊まっていくの?」
「あ、いや、すぐに帰る」
「何か用事があった?」
「あー、うん……」
雅は少し話しづらそうにしながら、黙々とピラフを口の中に放り込んでいった。
そんなに話しづらい内容なのだろうか。一瞬別れ話だろうかという思いがよぎる。それはないと否定しても一度浮かんでしまうとなかなか消えない。
雅はあっという間にピラフを平らげるとスプーンを置いて麦茶をグビリと飲んだ。
「一体なに?」
私は平静を装って尋ねる。
「うん、実は引っ越そうと思ってて」
「引っ越し?」
なんだか拍子抜けしてしまった。そんな話をするためにわざわざ訪ねてくるなんて想像できるはずがない。
「どうして急に引っ越しなんて」
「あー、ウチ、狭いでしょう?」
「一人暮らしならあんなもんじゃない?」
「ああ、うん。一人なら十分なんだけどさ……」
私が首をひねると、雅は少し照れたように頬を掻きながら続けた。
「二人で住むには狭いでしょう?」
「二人?」
「その……一緒に住まない?」
「え?」
あまりに唐突でどう返事をしていいのかわからなかった。
「嫌かな?」
「嫌っていうわけじゃないけど……。どうして急に?」
付き合い自体は一年以上になるけれど、ちゃんと向き合って付き合いはじめたのはついこの間だ。
「日和が帰るのが寂しいから……」
雅は言いながら恥ずかしくなったのか顔を伏せてしまう。
「ん?」
「土曜日に矢沢陽の部屋に行ったでしょう? そのとき「いってらっしゃい」って送り出して、日和は「ただいま」って帰ってきて、なんかそれがいいなって思って」
話しているうちに観念したのか雅は顔をあげて真っすぐに私を見た。
「今日、ウチを出るとき「行ってきます」じゃなくて「じゃあね」って出て行ったでしょう。それがすごく寂しかった」
「もしかしてずっとそのことを考えてたの?」
「うん。話そうと思ったんだけど、日和、矢沢陽のことに夢中だったから……」
それで拗ねていたのか。謎が解けてなんだかスッキリした。
「さっきこの部屋の合鍵をいらないって言ったのは?」
「一緒に住むなら必要ないでしょう」
「そっか」
「それで、どう?」
雅は真剣なまなざしを私に送る。冗談で言っているわけではないのは十分に分かる。だけどこんな急に言われてもすぐに返事はできない。
「ごめん、ちょっと考えさせて」
「あー、まぁ、そうだよね。うん。わかった」
雅はそう言って笑顔を作っていたけれど、落胆の色は隠せていない。
「あのね、来週末、温泉旅行に行こうと思ってたの」
私は考えていた提案を話す。
「温泉?」
「二人で旅行したことなかったでしょう?」
「そうだね。温泉か、今から予約できるかな?」
雅は努めて明るい顔で答える。
「紅葉シーズンの前だし、まだ大丈夫じゃない?」
「そうだね。どこがいいだろう?」
「近場でどこかって思ってたんだけど、やっぱり温泉はやめようか」
「どうして? 温泉に行きたかったんだよね?」
「そうなんだけど、部屋探しにしようか」
「それって、一緒に住んでくれるってこと?」
「んー、まだわからないけど、部屋探しをしてる間にその気になるかも?」
「じゃあ、来週は日和が住みたくなるような部屋を探しに行こう、温泉は今から良さそうなところを探すから」
雅は子どものような笑顔を見せて言った。
雅の部屋には殺風景なほど物がない。目に付くのはベッドとテレビくらいのものだ。そのテレビすら私と付き合いはじめたころは置かれていなかった。あの頃はデートで外出することが少なくて、部屋の中でまったりと過ごすことが多かった。そんなときに暇を持て余して「去年話題になった映画、DVDになったんだって~。見たいなぁ」とつぶやいた翌週にはテレビが設置された。私への罪滅ぼしのつもりで奮発したのだと思う。
雅は部屋で過ごすときには本を読んでいることが多いから、この部屋のテレビは私専用みたいなものだ。
今日も雅は狭いワンルームの大半を占めているセミダブルのベッドにうつ伏せで寝転がって本を読んでいる。
雅はそうして本を読みながら、ひざを曲げて足先をフラフラと揺らすのだけど、そのスピードが速くなると物語りが盛り上がっていて、ピタッと止まると息詰まるシーンで、フワフワと横揺れをはじめるとロマンチックなシーンなのだとわかるのが面白い。
わざと不愛想を装ってポーカーフェイスをしたがる雅だけど、最近は感情をそのまま出してくれることも多くなった。だけどその分だけ隠している感情が見えなくなった気がする。
私はベッドを背もたれにして座り、レンタルしてきた映画を見ていた。視界の端で雅の足がゆっくりと揺れている。この揺れ方は本に集中しているときだ。
一方私は映画に集中できずにいた。なぜなら映画がまったく面白くないからだ。
上映しているときには、観客動員数や興行収入がニュースになるほど人気を博した映画だったから、前編と後編の両方を借りてきてしまった。まだ前編の半分にも至らないのだけど、もう飽きてきてしまっている。それでもこれから面白くなるのかもしれないと期待を込めて画面を見続けていた。
それでも画面を眺めているのにも飽きはじめて窓辺に視線を移す。そこには小さな鉢植えの花が二つ並んでいた。昨日、草吹主任のお店で買ってきたものだ。
部屋に余計な物を置くことを嫌がる雅だから、鉢植えを渡しても喜ばないかもしれないと思っていた。ところが雅は私の予想に反して鉢植えを喜び、早速窓辺に飾る場所を用意した。そして今朝は鼻歌交じりで鉢に水をあげていた。
ひとつは自宅に持って帰るつもりだったけれど、そんなに雅が喜んでいるのなら、このまま並べておこうかなと思っている。
再びテレビ画面に視線を戻したけれどやっぱり集中して見ることができない。
本に集中して楽しそうに揺れる雅の足がちょっと腹立たしく感じたから、腕を伸ばしてその足を抑えてみた。
すると雅は本から視線を外すことなく「んー、どうしたのー?」と間延びした声で言う。
「その本面白い?」
「まぁまぁかな。映画は面白い?」
「んー、まぁまぁかなぁ~」
私はそう答えて雅の足を開放すると雅は本のページをペラっとめくった。
この映画よりも矢沢さんたちを見ている方がよっぽど面白い。面白いなんて言ったら矢沢さんは怒るかもしれないけれど、彼女たちがこれからどうなっていくのか、まったく予測できなくて目が離せない気持ちになる。
かつては自分だけを好きになってくれなくても、側にいられればそれでいいと思っていた。だけど雅が私を見てくれるようになって、やはり好きな人に好きだと言ってもらえるのは幸せだと感じる。
満月さんも輝美も友だちだから、二人とも幸せになってほしい。
だけど二人とも矢沢さんのことを好きになった。そしてその矢沢さんは恋愛がわからない。
そんな三人が同じように幸せになるのは難しいと思う。
だったら私は私のやり方で三人の近くにいて三人がどんな未来を描くのか近くで見ていたい。とても無責任な野次馬みたいだと輝美は噛みつくかもしれない。
それでも私は三人とも大好きだから近くで見ていたい。
映画を眺めながらそんなことを考えていると携帯がブルっと震えた。画面を確認すると矢沢さんからのメッセージだった。
『こんにちは。突然メッセージを送ってすみません。昨日はご迷惑をお掛けしました。それからどうもありがとうございました』
きっと懸命に考えて何度も打ち直したのだろうと感じられる丁寧な口調に思わず笑みが浮かぶ。
昨日、草吹主任のお店を飛び出した矢沢さんを見つけてからお店まで送り届けた。その後、草吹主任や用賀さんとどんな話をしたのかは気になっている。
月曜日に顔を見たら尋ねようかと思っていたけれど、矢沢さんから連絡をもらえるとは思っていなかった。
「誰から?」
本に集中していたはずの雅が反応した。
「矢沢さんから~」
「矢沢さんって矢沢陽? メッセージのやり取りするほど仲よかったっけ?」
「昨日仲良くなったの」
「ふーん」
それだけ言うと雅は再び本に意識を戻す。私は矢沢さんのメッセージの続きを読んだ。
『昨日、あれから光恵さんたちとお話ができました。それで少し相談したいことがあります。大丈夫でしょうか?』
私はすぐに返事を打つ。
『お話できてよかったですね。相談、もちろんOK!』
それから少し考えて言葉を追加した。
『よかったらこれから会いませんか? 今、雅の家なんです。矢沢さんのお宅に伺ってもいいですか?』
メッセージを送信すると、私はテレビのリモコンを持ち上げてビデオを停止させる。そうしてベッドに片手を置いて立ち上がった。
雅は窮屈そうに首をひねって私を見上げる。
「どうしたの?」
「ちょっと出掛けてくる」
「今から?」
「うん」
なんだか不満そうな雅を放ってクローゼットの中から洋服を取り出し部屋着を脱ぎ捨てた。雅はジッと私の様子を伺っている。
着替え終えたとき矢沢さんから了承の旨と住所が送られてきた。私はそれを確認してから軽く化粧をする。
「楽しそうだね」
雅は本に栞を挟んで手元に置くと体を起こした。
「そう?」
楽しいのかもしれない。矢沢さんが私にこうして連絡をくれたということは、私に彼女たちのドラマを最前列で見る権利をくれたということだ。
不謹慎かもしれないけれど、それはうれしいし楽しい。
一通りの準備を終えて私は玄関に向かう。雅はベッドの上に座った姿勢で再び本を読みはじめていた。
「そんなに時間はかからないと思うから」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます」
そうして私は雅の部屋を出た。
地図アプリに矢沢さんから送られてきた住所を入力して、指示に従って足を進める。しばらく駅の方角に進むと、途中の十字路で駅とは違う方向へと誘導される。
雅の部屋へと向かう道からたった一本外れただけで、そこはまるっきり知らない街になった。
ご近所さんが買いに来ているのであろう古い佇まいのたこ焼き屋、住宅街の真ん中にポツンと現れる雑貨店、遊具がひとつも置かれていない小さな公園、そうした見知らぬ景色を眺めるのは面白かった。
景色を楽しみながらしばらく歩いたとき、地図アプリが目的地に到着したことを伝える。目の前には古いアパートがあった。
アパートの端に付いている階段を上るとギシギシと軋む音がした。部屋の前に置かれている洗濯機を避けるようにして二階の細い通路を進み、矢沢さんから教えられた部屋の前で足を止める。すると自動ドアのように勝手にドアが開いた。
「えっと、いらっしゃい」
矢沢さんが少し照れながら頭を下げる。
「すごいタイミングですね」
「階段の音が聞こえたので……」
「ああ、そっかー」
「どうぞ」
矢沢さんに促されて私は部屋に入った。
玄関を入るとすぐに小さなキッチンがあり、その横に小さな冷蔵庫が置いてある。その上にはいくつかの花が飾ってあった。
六畳の畳の部屋の真ん中にテーブルが一つ。端には畳んだ布団が置いてある。そして小物や本が入れられているカラーボックスの上にも花が飾ってあった。
築年数が長いアパートの部屋だけど、几帳面に掃除や整理がされているから清潔感がある。物は多くないが雅とは違って必要最小限のものを大切に使っているという印象だ。
「あの、座布団もないんですけど……適当に座ってください」
私はテーブルの脇に腰を下ろした。
矢沢さんはそそくさとキッチンに行くと、冷蔵庫の中から麦茶を取り出してグラスに注ぐ。そしてそれをテーブルの上に置いた。
それから矢沢さんはその場に立ち尽くしてモジモジとしている。
「座りませんか?」
矢沢さんを見上げて言うと「はい」と小さく答えてようやく座った。
「あ、あの、人が来るの、はじめてなので……緊張して……」
「わぁ、じゃあお友だちでこの部屋に来るの、私が第一号なんですね!」
私はそう言いながら、満月さんや輝美に恨まれるかな? なんて考える。
「友だち……」
矢沢さんはつぶやくと小さく笑みを浮かべた。こういうところは純粋にかわいいと思う。きっと満月さんや輝美は矢沢さんのこんな面に惹かれているのだろう。
「それで相談ってなんですか?」
私は早速本題を切り出した。
「あの、光恵さんや用賀さんと話をして……」
そうして矢沢さんはゆっくりと昨日のことを話してくれた。それは、満月さんと輝美に、矢沢さんの気持ちをそのまま伝えてみてはどうかという内容だった。
「家に帰ってからずっと考えてて。それでやっぱり二人にちゃんと話をしようと思いました」
「もしかしたら矢沢さんも、二人も傷つくことになるかもしれませんよ? 二人に好きじゃない、友だちでいましょうって伝えるだけでもいいんじゃないんですか?」
考え抜いて出した答えだとは思うけれど確認せずにはいられなかった。もしも矢沢さん自身が傷つきたくないのであれば、単に二人に断るだけでいいと思う。矢沢さんの今の気持ちを伝えても、二人が理解してくれるとは限らないし、判断を相手にゆだねるような真似に怒る可能性だってある。
私は二人のことを知っているから、きっとそんなことはないだろうと思う。それでも矢沢さんにその覚悟がないのならばもっと簡単な方法を取るべきだろう。
「でも、私なんかを好き……って言ってくれたのはうれしくて。野崎さんのことも、輝美ちゃんのことも……その……大切だと思うから、逃げちゃだめだと思うので……ちゃんと、話がしたいです」
おそらく不安はあるのだろう。それでも向き合おうと決意したのだと感じた。
「わかりました。それで私は何をすればいいんですか?」
「えっと、どうやって野崎さんと輝美ちゃんに話せばいいのかわからなくて……」
「どうやってとは?」
「電話とかメッセージとかでいいのかな? とか、会って話した方がいいのかな? とか……でも野崎さんは会社で会うけど、輝美ちゃんはどうすればいいだろうって思ったらわからなくなってしまって……」
「そういう話なら電話よりも会って話した方がいいと思いますけど……」
「やっぱりそうですよね」
矢沢さんの表情が若干暗くなる。
「会うのは嫌なんですか?」
「嫌というわけではないんですけど、うまく話せるかわからないし、ちょっと怖いというか……」
「電話なら話せるんですか?」
「電話なら台詞を紙に書いて読めばできるんじゃないかと思ったんですけど」
私は少し考えてから提案をする。
「それなら二人一緒に呼び出しちゃいましょう」
「え? でも……」
「善は急げだから明日にしましょう。何か用事はありますか?」
「特にないですけど、明日ですか?」
矢沢さんは目を彷徨わせて戸惑っている。
「大丈夫ですよ。私も付いていきますから」
そう告げると少しホッとしたように息を付いた。
二人への連絡も私が引き受け、待ち合わせの場所や時間を決めて矢沢さんの部屋を出た。
矢沢さんはそんな急で二人が来てくれるのかと心配していたけれど、私はそこの心配はしていなかった。
うまくいけばいいなと思いながら雅の部屋に帰る。
思ったより時間がかかってしまったから雅が拗ねているかもしれない。そう思って私は手土産を買って帰ることにした。
合鍵で玄関を開けて中に入るとおいしそうな匂いが漂っている。
「ただいま~」
「おかえり」
キッチンで料理を作っていた雅がチラリと私の方を見て笑顔を見せた。拗ねてはいないようだ。
「何作ってるの?」
「あり合わせで適当に~」
「お土産にタコ焼き買ってきたんだけど……」
「たこ焼き?」
「うん。矢沢さんの家の近くで売ってたから」
「へー、そんなお店があるんだ。じゃあ夕食に食べよう。もうすぐできるからちょっと待ってて」
私は雅の言葉に従って部屋の奥に移動するといつものようにベッドを背もたれにして座った。そして携帯を手に取り、帰る道すがら考えたメッセージを満月さんと輝美に送信する。
するとすぐに満月さんから電話がかかってきた。
―― メッセージを見たんだけど、これってどういうこと?
「そののままだよ」
―― 矢沢さんからの呼び出しなんだよね? 一体、どんな話なの?
「うーん、それは私からは話せないよ」
―― どうしよう……
満月さんは困ったようにつぶやいた。満月さんならば、即答で「行く」と言うと思っていたから意外だ。
そうして満月さんと話をしている間に料理が完成したようで、雅がテーブルに料理を並べてくれた。
青椒肉絲に鶏肉ときゅうりのサラダ風の和え物、卵スープとたこ焼きだ。
「満月さんは来たくないの?」
―― いやいや! そうじゃないよ! ほら、みんなで会うとはいえ休みの日に矢沢さんと会うんでしょう? それってほぼデートじゃない。何を着ていけばいいんだろうと思って。
私は思わず吹き出してしまった。
「裸でなければ何でもいいんじゃなーい?」
―― 裸で出掛けたことなんて一度もないよ。
「じゃぁ雅に相談する?」
―― え? 今雅の家なの?
「うん、そうだよ。今からごはん食べるの」
―― あー、邪魔してごめん。別に雅に相談するほどのことじゃないから……。
「そうなの? 困ったときは雅に聞くのかと思った」
―― なんでも聞いてるわけじゃない……あ、でもやっぱり替わってもらえる?
「わかった」
私は雅に携帯を差し出した。雅は少し首をひねってから面倒くさそうな顔を作って手を伸ばす。
「なに?」
雅のふてくされたような声がなんだかおかしい。少し前まではこんなことが日常茶飯事だった。
満月さんからの電話を雅が受け、雅は満月さんへの想いを隠して面倒くさいフリをする。そして私はその様子を全く気にしていないフリをして眺めるのだ。
だけど今の雅がしている『面倒くさいフリ』は私に対して、もう満月さんのことは何とも思ってないと示すためのものだ。
そんなところが雅のかわいいところだと思う。。私は口もとを隠して笑いを堪えた。
雅の満月さんへの想いはかなりわかりやすかったと思う。私よりも雅の側にいた満月さんは、本当に雅の気持ちに気付いていなかったのだろうか。
雅は満月さんのことを「鈍い」とか「目が腐っている」なんて言っていたけれど本当にそれだけだろうか。
「そんなの私に聞かれても知らないよ。裸でなけりゃ何でもいいんじゃないの?」
雅が眉根を寄せて電話の向こうの満月さんに言う。もしかしたら別の話をしているのではないかと思ったけれど、本当に明日着ていく服の相談をしていたようだ。
満月さんとの話を終えて私に電話を返した雅はため息をついた。
「一体何なの?」
「明日、矢沢さんと会うんだよ」
「矢沢陽と? それをどうして日和が?」
「明日は私が仲人になるの」
「何それ?」
「満月さんと輝美を呼んで、矢沢さんと引き合わせるんだよ」
すると雅は自分が作った料理を口に運んで渋い顔をした。
「それは日和が行かなきゃいけないものなの?」
私も料理を食べはじめる。雅は料理が好きだというわけではないみたいだけど、無駄に器用だからおいしい料理を作る。今日の料理もおいしい。さっきの渋い顔は味に対して浮かべたものではないようだ。
「まぁ、私がかき回しちゃったところはあるからね」
「でも三人のことは三人に任せておけばいいじゃない」
「えー、私もどうなるか見たいもん」
私が答えると、雅はたこ焼きを口に運んでますます渋い顔をした。
「たこ焼き、おいしくない? 冷えちゃったからかな?」
私はそう言ってたこ焼きに箸を伸ばす。
「いや、たこ焼きはおいしいよ。うん、おいしい。また今度買いに行こう」
「あ、公園もあったから、たこ焼きを買って公園で食べるのも楽しそうだね」
「いいね」
そうして雅はようやく笑みを浮かべた。
食事を終えて片付けまで終わってもまだ輝美からの返事はない。もしかしたらバイト中なのかもしれない。それならば遅い時間になるだろう。
私はのんびり待とうと決めて映画の続きを見ることにした。
映画はまだ前編の半分を過ぎたくらいだ。後編を見終えるまでに輝美から返事がこればいいのだけれどと思いつつ画面を眺める。
雅が私の横に並んで座ってテレビ画面を眺めた。
「これ、面白い?」
「うーん、まぁまぁ?」
「面白くないんだね。それでもまだ見るの?」
「せっかく借りたんだし。それに後半面白くなるかもしれないでしょう?」
そう答えてみたけれどあまり期待できないと思う。
「そう……じゃあ私、お風呂に入ってくる」
雅はそう言って立ち上がると浴室に行った。どうやら明日私が矢沢さんに付き合って出掛けることをまだ納得していないようだ。
最近、矢沢さんや輝美のことを気にしていたから、少し雅を放置しすぎていたかもしれない。
矢沢さんの件は明日三人を引き合わせたらひとまずは落ち着くと思う。そうしたらもう少し雅のことをかまってあげることにしよう。
私自身は今までとさほど変わっていないと思う。だけど雅は変わった。それは私に向き合ってくれたことで起きたうれしい変化なのだけど、少し戸惑ってしまうこともある。
例えば以前は週末だって会えるとは限らなかった。雅から誘われることはほとんどなかったし、満月さんとの約束があれば私より満月さんを優先した。だけど最近は毎週末に雅から「今日は来る?」と連絡がある。
それに「どこかに出掛けようか?」と誘ってくれるようになった。私は雅の部屋で何をするでもなくぼんやりと過ごすのも好きだから、出掛けずにのんびりしようと伝えるとあからさまにガッカリとした顔をする。
平日に会社まで迎えに来て一緒に夕食を食べることもある。
そんな雅の変化がときどき私の不安を掻き立てるのだ。
雅の気持ちを疑っているわけではない。
だけど雅の私に対する想いは、満月さんに対する想いほど強くないのではないかと思う。
満月さんへの想いを振り切ったとき、たまたまそばにいた私にそれまで果たせなかった想いをぶつけているだけではないかと考えてしまう。
雅が私のことを気に掛けて大切にしてくれるほど、そんな風に考えてしまうのだから、私も馬鹿なんだと思う。
雅が満月さんを好きだということを承知で雅と付き合い、嫉妬心を抱きながらもそれを隠してやってきた。
ようやく雅が私を見てくれるようになったのに、私はいまだに満月さんに嫉妬をしている。
「出たけど、日和はどうする?」
雅がお風呂から出て声を掛けたのは、映画の前編がちょうど終わるタイミングだった。
「んー、私も入ろうかな」
私は立ち上がって見終わったブルーレイを抜き取ってケースに収めてから浴室に向かった。
雅は私よりも長風呂だ。お風呂で考えごとをするクセもある。
私はサッと髪と体を洗って湯船に浸かった。私は長くお風呂に入るとすぐにのぼせてしまう。以前、雅と一緒にお風呂に入って大変なことになってからお風呂は別々に入ることが多い。
だけどお風呂で語り合うのが良いという話をどこかで聞いたような気がする。来週にでも一度試してみよう。
私があっという間にお風呂を出てリビングに戻ると、雅がドライヤーを持って待ち構えていた。
「髪、乾かしてあげる」
「今日はなんだか変だよ? どうしたの?」
「別に、何もないよ」
そう言って雅は私の腕を引いて座らせた。
「明日、雅も一緒に行く?」
「えー、それはいいよ。私が行っても邪魔なだけでしょう」
とりあえず満月さんは動揺するだろうと思う。
そして雅がドライヤーのスイッチを入れたので会話はそこで止まった。
雅は丁寧に私の髪を指で梳きながらドライヤーの風をあてていく。なんだか妙に心地良くて少し眠たくなってきた。
私はテーブルの上に置き去りにしていた携帯を取って画面を確認する。まだ輝美からの返事は来ない。
「はい、終わり」
ドライヤーのスイッチを切って雅が言った。
「ありがと」
雅がドライヤーを片付けるのを横目で見ながら、私は映画の後編のケースを持ち上げる。
「まだ見るの?」
「うん」
「つまらないのに?」
「つまらなくはないよ」
「でも面白くもないんでしょう?」
「後半は面白いかもしれないよ?」
「そう」
雅は少し不満そうに唇を尖らせたけれど、それ以上は何も言わずに本を持ってラグマットに座った。
私はブルーレイをセットしてその隣に座る。
「何の本?」
「これは仕事の勉強用」
「真面目だねぇ」
「まあね」
映画の序盤は前編のおさらいだ。正直、さっき見終えたばかりだし、おさらいをしてもらわなくてはいけないほど複雑な内容でもない。
後編に入ればもしかしてと少しは思っていたのだけれど、面白くなりそうな予兆はない。かなりヒットしたのだからきっと多くの人にとっては面白いのだろう。ただ私の感覚とは合わないようだ。
眠気を堪えながら画面を眺め続けて、映画が終盤に差し掛かったところでようやく輝美から電話がかかってきた。
私はリモコンで映画を止めて電話に出る。
―― 遅いっ
輝美はいきなり大きな声で言った。私は少し電話から耳を離す。なんだかとても機嫌が悪そうだ。
「なぁに、輝美」
私は素知らぬ顔で返事をする。
―― いくら遅い時間っていってもまだ寝てたわけじゃないでしょう。早く出なさいよ。
「んー、寝てないけど寝てたかも~」
つまらない映画のせいで半分くらいは眠っていたような気がする。
―― 何意味の分からないこと言ってるの?
「それで何の用?」
輝美から電話が来る用件なんてひとつしかないけれど、念のために確認しておく。
―― 陽さんのことに決まっているでしょう!
「何の用」に「陽さん」なんてダジャレみたいだな、と思って少し遊んでみることにした。
「だから何の用なの?」
―― 陽さん、矢沢陽さんのこと!
輝美の声がさらに大きくなる。やはり今日はすこぶる機嫌が悪いようだ。あまりからかいすぎると用件を伝える前に電話を切られてしまうかもしれない。さすがにそれでは矢沢さんに申し訳ない。
「ああ、矢沢さんね。輝美、ちょっと声が大きすぎない?」
―― 日和が寝ぼけたこと言ってるからでしょう!
ますます輝美の声が大きくなる。輝美のように素直に感情をぶつけられたら楽しいだろうなと思う。
「矢沢さんから輝美に会いたいから連絡して欲しいって言われたから~」
―― なんで日和から?
「友だちだから?」
答えながら、本当に「友だち」と公言していいのかなとも思ったけれど、矢沢さん本人もうれしそうにしていたし、友だちということで問題ないだろう。
―― 嘘つかないでよ、陽さんが日和と友だちなわけがないでしょう。
どうやら輝美の中での私の評価はかなり低いようだ。面白いからといってからかい過ぎたからかもしれない。
そのとき雅が机の上にパサリと本を置いた。どうしたのかと視線を送ると、私の方に手を伸ばしてきた。
私は携帯を胸に押し当てて輝美に聞こえないようにして「雅? どうしたの?」と声を掛けた。
だけど雅は答えずに私の首に腕を回すとグッと引き寄せた。そして私の耳や首筋にキスを落とす。
「ちょっと? んっ、ちょっと雅、今話してるんだからいたずらしないで」
そう言いながら雅の顔をグイっと押しのけた。雅は唇を尖らせて恨みがましそうな目を向ける。
「っと、ごめんね。何の話だっけ? ああ、矢沢さんのことだったよね」
―― そ、そう、陽さんのこと。
なんだか急に輝美の声が大人しくなった。怒りが収まったのだろうか。
「なんだか気まずくて連絡しづらいって言うから」
話しながら雅の様子を伺うと不満そうな表情を浮かべたままじっと私のことを見ていた。
―― そう、なんだ……
「それで、明日は来られるの?」
と輝美に尋ねたとき雅は再び私に体を寄せて、今度は服の裾から手を入れて肌に指を這わせた。
「って、だから雅!」
その手を叩き落とすと、今度はあからさまにシュンとして膝を抱えてしまった。
―― 行く。
輝美の短い返事が耳に届く。
「了解。矢沢さんに伝えておくね」
―― よろしく
輝美との電話も終わるのだけど、雅はそっと立ち上がってモゾモゾとベッドにもぐりこんでしまう。
そのまま輝美との電話を切ろうと思ったのだけど、ひとつ言い忘れたことがあったのを思い出した。
「満月さんも一緒だから」
伝えるべきことを伝え終えて私は電話を切る。切る直前に輝美の叫び声が聞こえたような気がするけれど、大体何を言ったのかは想像がつくからかけ直す必要はないだろう。
私は携帯をテーブルの上に置いてベッドに上がる。雅は私に背中を向けて頭から布団を被っていた。
「雅?」
声を掛けても雅は答えない。
「みーやーびー?」
布団を引き剥がそうとしたけれど雅はギュッと布団を掴んで抵抗した。
仕方なく私は雅の隣に横になって雅を背中から抱きしめて頬を寄せる。
「どうしたの雅? 嫉妬でもしちゃった?」
すると雅はクルっと向きを変えて私の体に腕を回すと胸に顔をうずめた。チラリと見えたその顔が少し赤くなっていた。急にセックスがしたくなったわけじゃなくて、本当に嫉妬をして電話の邪魔をしようとしていたみたいだ。
私はそのまま雅の頭を撫でる。私は手の平に当たる雅の少し硬い髪の感触が好きだった。
しばらく髪を撫でていると、雅の手がモゾモゾと服の中に入ってきたから、結局セックスはするつもりなんだな、と思いながらそのまま身を任せた。
ベッドに入ったのはさほど遅い時間ではなかったけれど、眠りにつけたのが朝方近くになったため、目が覚めたときにはお昼になろうとしていた。
それから遅い朝食とも早い昼食ともいえる食事をして、ゆっくりと身支度を整える。そうして気が付くと矢沢さんとの待ち合わせの時間が迫っていた。
「じゃあ私はこれで帰るね」
玄関まで見送りに来た雅に言う。
「これからみんなで会うの?」
「うん、そうだよ。まずここの駅で矢沢さんと待ち合わせ」
「そう」
なんだか雅は不満そうだ。
「一緒に行く?」
「行かない」
「そう? じゃあね」
「うん……」
何かを言おうとして雅は我慢しているように見えた。私は少し後ろ髪を引かれ思いで部屋を後にする。
駅に向かいながら私を見送って雅の顔を思い浮かべていたらひとつのアイデアが浮かんだ。
雅と一泊旅行をしよう。よく考えてみたら二人で旅行をしたことがない。長風呂は苦手だけど温泉は好きだから温泉旅行にしよう。温泉に浸かって雅とゆっくりと話をしよう。
そう考えたらなんだかウキウキしてきた。
駅で待ち合わせた矢沢さんはガチガチに緊張していたけれど、輝美の度重なるツッコミのおかげで少しリラックスして話ができたようだ。
矢沢さんの話を聞いた満月さんと輝美は、それでも好きだからいつまでも待つ。くらいの答えを出すと思っていた。
ところが輝美は「二人と付き合ってください」と言い出した。公式二股と言うのだろうか。そんな輝美はやっぱり面白い。
それからカラオケボックスで早めの夕食を軽く食べて、私だけ先に帰ってきた。
もう少し覗いていたい気持ちもあったけれど、いつまでも部外者が顔を突っ込むべきではない。
それに雅の様子も気にかかるから、家に帰ったら電話をして話し合いの結果を教えてあげよう。それから温泉旅行にも誘おう。そうしたらきっと機嫌を直してくれるはずだ。
そうして家路を急いでいると、私の部屋の前に人影があるのを見つけた。少し警戒したけれどすぐにそれが雅だとわかった。
「雅? どうしたの?」
「ああ、おかえり」
「ただいま。中で待っててもよかったのに」
「鍵がないから」
「あ、そっか」
いつも私が雅の部屋に行くから、私の部屋の合鍵を雅に渡していなかった。
「合鍵、渡しておこうか?」
「あー、いや、いい」
雅は首を横に振った。それがちょっとショックだった。確かにあまり使う機会はないかもしれないけれど、雅は喜んで受け取ってくれると思っていた。
私は玄関の鍵を開けて雅を部屋に招き入れる。
「ご飯食べたの?」
「まだ。日和は?」
「私は食べてきちゃった。何か作ろうか?」
「作れるの?」
「作れるよ~」
料理は雅の方が上手いから私が料理を披露したことはない。だけど私だって一人暮らしをしているのだから、少しくらいは作ることができる。
そうして冷蔵庫の中を確認したけれど、週末は雅の部屋にいるから食材を買い置きしていない。
「冷凍ピラフしかないんだけど」
「それでいいよ」
「わかった」
私は冷凍ピラフを平皿に入れて、ラップをかけると電子レンジに突っ込んだ。
料理ができなくても特に困らない。世の中には便利なものがあるのだ。
ピラフが温まるのを待ちながら私は雅の様子を眺める。落ち着かない様子で膝を立てて座り、キョロキョロと部屋の中を見回していた。
どうして突然ウチに来たのだろう。前に突然ウチに来たときには別れを告げられた。まぁ、その後すぐに改めて付き合うことになったのだけれど、きっと今日も何か話があって来たはずだ。
この週末はなんだか様子がおかしかったし、考えごともしていたみたいだから、今からその話をするのだろう。
考えてみてもどんな話をするつもりなのか想像もつかない。
グラスに麦茶を注いてテーブルに置くと、電子レンジがピピっと鳴って出来上がりを知らせた。
鍋掴みを探したけれど見つからなかったので、タオルを使って電子レンジの中からピラフの皿を取り出す。そしてそのままソロソロとテーブルまで運んだ。
雅はなんだか苦笑いを浮かべている。
「なに?」
「いや、なんでもない」
雅はそう言うとラップを剥がしてスプーンを差し入れた。フーフーと覚ましながらピラフを口に運ぶ。
「おいしい?」
「うん。まあまあ」
私はかなりおいしいと思うのだけど、雅の中ではそれほどでもないらしい。自分が作ったものではないけれどちょっと悔しい。
「明日仕事でしょう? 泊まっていくの?」
「あ、いや、すぐに帰る」
「何か用事があった?」
「あー、うん……」
雅は少し話しづらそうにしながら、黙々とピラフを口の中に放り込んでいった。
そんなに話しづらい内容なのだろうか。一瞬別れ話だろうかという思いがよぎる。それはないと否定しても一度浮かんでしまうとなかなか消えない。
雅はあっという間にピラフを平らげるとスプーンを置いて麦茶をグビリと飲んだ。
「一体なに?」
私は平静を装って尋ねる。
「うん、実は引っ越そうと思ってて」
「引っ越し?」
なんだか拍子抜けしてしまった。そんな話をするためにわざわざ訪ねてくるなんて想像できるはずがない。
「どうして急に引っ越しなんて」
「あー、ウチ、狭いでしょう?」
「一人暮らしならあんなもんじゃない?」
「ああ、うん。一人なら十分なんだけどさ……」
私が首をひねると、雅は少し照れたように頬を掻きながら続けた。
「二人で住むには狭いでしょう?」
「二人?」
「その……一緒に住まない?」
「え?」
あまりに唐突でどう返事をしていいのかわからなかった。
「嫌かな?」
「嫌っていうわけじゃないけど……。どうして急に?」
付き合い自体は一年以上になるけれど、ちゃんと向き合って付き合いはじめたのはついこの間だ。
「日和が帰るのが寂しいから……」
雅は言いながら恥ずかしくなったのか顔を伏せてしまう。
「ん?」
「土曜日に矢沢陽の部屋に行ったでしょう? そのとき「いってらっしゃい」って送り出して、日和は「ただいま」って帰ってきて、なんかそれがいいなって思って」
話しているうちに観念したのか雅は顔をあげて真っすぐに私を見た。
「今日、ウチを出るとき「行ってきます」じゃなくて「じゃあね」って出て行ったでしょう。それがすごく寂しかった」
「もしかしてずっとそのことを考えてたの?」
「うん。話そうと思ったんだけど、日和、矢沢陽のことに夢中だったから……」
それで拗ねていたのか。謎が解けてなんだかスッキリした。
「さっきこの部屋の合鍵をいらないって言ったのは?」
「一緒に住むなら必要ないでしょう」
「そっか」
「それで、どう?」
雅は真剣なまなざしを私に送る。冗談で言っているわけではないのは十分に分かる。だけどこんな急に言われてもすぐに返事はできない。
「ごめん、ちょっと考えさせて」
「あー、まぁ、そうだよね。うん。わかった」
雅はそう言って笑顔を作っていたけれど、落胆の色は隠せていない。
「あのね、来週末、温泉旅行に行こうと思ってたの」
私は考えていた提案を話す。
「温泉?」
「二人で旅行したことなかったでしょう?」
「そうだね。温泉か、今から予約できるかな?」
雅は努めて明るい顔で答える。
「紅葉シーズンの前だし、まだ大丈夫じゃない?」
「そうだね。どこがいいだろう?」
「近場でどこかって思ってたんだけど、やっぱり温泉はやめようか」
「どうして? 温泉に行きたかったんだよね?」
「そうなんだけど、部屋探しにしようか」
「それって、一緒に住んでくれるってこと?」
「んー、まだわからないけど、部屋探しをしてる間にその気になるかも?」
「じゃあ、来週は日和が住みたくなるような部屋を探しに行こう、温泉は今から良さそうなところを探すから」
雅は子どものような笑顔を見せて言った。
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