無職で何が悪い!

アタラクシア

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2章「宝石が並ぶ村」

68話「消えゆる感情!」

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立ち尽くすカエデ。地面には痛みにもがく村長の妻がいる。

自分の好きな人を痛めつけた女。そんな女を心底軽蔑したような顔を浮かべ向ける。その女の胸。心臓が位置する場所に足の裏を置いた。

「……」

力を入れてるようには見えない。それでももがいていた女の動きがピタッと止まった。


ミシミシ。

潰れる音。プレス機で硬いものを潰しているような音。女の胸にヒビがピキピキと付いていく。

細い線は体に段々と跡をつけながら大きくなっている。ヒビがひとつ増える度に女の叫びが大きくなる。


カエデの表情は変わらない。殺すことに躊躇いなどない。ただ力を入れる。

呼吸をするのが当たり前のように。生きるために何かを食べるのが当たり前のように。カエデは足の力を緩めることはなかった――。








「――ダメ!!」

叫ぶ。声の主はウォーカー。怒りに満ちたカエデの動きがピシッと止まった。

「……クリスタリアンは数の少ない種族。これ以上殺してしまったら絶滅してしまう」

震える声。化け物を相手にしているかのような恐怖。恐れ。それでも少女は語りかけた。

「ヘキオンさんは生きてる……痛めつけられて瀕死の状態だけど生きてる。……だからもうこれ以上殺す必要は無い。カエデが殺す必要は無い……」

怪物になろうとしている1歩手前の少年。そんな少年の足を止めるためにウォーカーは語りかけた。話しかけた。これ以上怪物にさせないようにするために。


「そうだカエデ……それ以上進めば戻れなくなるぞ。それ以上進めば……ヘキオンと一緒に居られなくなるぞ」

スプリング。自分を見直すキッカケを作ってくれたヘキオン。その恩人を止めるため、この男もカエデに語りかけた。

「……もう……終わりだ」











「――そうだな」

戻る表情。真っ黒な顔が明るくなる。いつものカエデの表情。だけどその顔はどことなく悲しそうな顔だった。




壁にもたれかかるように座らされたクリスタリアンの2人。

「こいつらはここに放置する。まぁ死にはしないだろうし、それでいいな」
「「うん」」

カエデに呼応する。冷静になったカエデを見て、2人はほっとしたようだ。


「とりあえずヘキオンを治療してあげたい。さっさとここから出るぞ」
「あぁ。ここに地図がある。本物かは分からないが、これを辿れば――」
「おいおい、考えろよ。もっと速い方法があるだろ?」

ヘキオンを抱き抱えるカエデ。

「もっとはやい方法って……なんだ?」
「まぁまぁ。もっとこっちに近寄れ」

不思議そうな顔を浮かべながらも、カエデに近づく2人。……何かを察したのはウォーカーの方だった。

「あはは……もしかして……もしかする?」
「ん?え?どうしたんだウォーカー?なんでそんな震えてんだ?」

2人を抱き抱える。力強く。それはそれは力強く。もうガッシリと。

「なんだなんだ?何する気だ?」
「ま、待ってよカエデ。ヘキオンさんは怪我してるからね。私もまだ覚悟できてないんだけど」
「――頭を引っ込めておけよ。ぶつかったら死ぬぞ」
「ちょっ、ちょっと待って――」


飛び上がった。ロケットのように。垂直に。カエデの力で飛び上がったのなら天井まで余裕で届く。それは理解できるだろう。

だがカエデの力に耐えられる地殻はそうそうない。そしてここら辺の地盤の硬さはカエデの力よりも下だ。カエデよりも柔らかい。じゃあどうなるか。例えるなら豆腐に鉄球がぶつかるのと同じだ。


天井はカエデの力に押し負け、カエデの頭が岩石を押しのけ進む。それはドリル。例えるなら隕石。地面を掘り進めるモグラ。それとも弾丸か。

「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!????」」

そんな抱きしめられてる2人の可哀想な叫びがカエデの耳に届くことは無かった。










「――死ぬかと思ったァァァァ!!!」

瀕死のスプリング。あまりの驚きと恐怖からか、冷や汗をびっしりとかいていた。

「ねぇ前も言ったよね!!??言うのが遅いって!!!死ぬかと思ったんだけど!!!???」
「だって急いでたし……」
「あとちょっとで死人が2人増えてたかもしれないんですけど!!!???」
「……ごめんなさい」

さっきまで鬼のような顔をしていた男とは思えないほどの素直さ。同一人物とは思えないほどだ。

「はぁ……もうほんとに訳わかんない人だなぁ」
「それって褒め言葉?」
「悪口に決まってるでしょ!!」

ポコポコとカエデを叩く。これまたさっきまでの男とは思えないほど従順だ。無抵抗で殴られ続けている。なんかちょっと嬉しそうだ。





「……お前らには見苦しいところを見せちゃったな」

力のない声。どす黒さが全く感じられない声だ。

「別にいいさ。ちょっとやりすぎな気もするが……それくらい大切な人なんだろ?ヘキオンは」
「うん。そりゃあ大事さ。この子を守るためならこの世界を壊したっていい」
「お前ならあながち冗談にもならなそうだな」

冗談にしてはいささか怖い気もするが。


「ヘキオンさんは幼馴染とか兄妹だったりするの?」
「え?なんでだ?」
「なんでって……そこまで大事な人なんでしょ?怒ってクリスタリアンをほとんど殺すくらいなんだし……」
「そりゃあ大事な人だよ。心の底から大事さ」


不信。何かが心の中で引っかかる。

「……ちょっと聞いてもいいか?」

聞いたのはスプリング。だ。

「なんだ?」
「ヘキオンと出会ってどれぐらい経つ?」
「えーっと……3ヶ月とちょっとかな?」





「――え?」

驚く2人。それは当たり前といえば当たり前だ。




見た目は異形なクリスタリアンといえど、それでも生きている。人間と同じように知性を持って暮らしている。現に村を作って暮らしていた。

そんなクリスタリアンをこの男はほとんど殺している。ヘキオンに危害を加えたのは村長とその妻のみ。協力者はいるが、危害は加えてないものばかりだ。

怒る気持ちは分かる。しかし見ていただろう。あの尋常ではない怒りよう。ウォーカーとスプリングがいなければ、全てを殺し尽くしていたであろう。それほどの怒りを宿していた。

それほど怒っていた理由。それが出会って3ヶ月しか経っていない少女のためだ。……客観的に見れば異常という他ないだろう。




「たった……3ヶ月……」

目の前でカエデの行動を見ていた2人だからこそ驚きは大きい。そして恐怖を抱くのもごく自然だ。


「とりあえずヘキオンを治療しないと。俺はベネッチアへ行くが……お前らも行くか?」
「――いや、俺らはいい。お前に乗るのはもうコリゴリだしな」
「そうか……ならここでお別れか」

寂しそうな顔。自分の怒りを沈めてくれた者たちだ。もう少し一緒に居たかったのだろう。

「ヘキオンに言っておいてくれ。『また会えたらその時はよろしく』ってな」
「わかった。伝えておくよ……ヘキオンを狙ったりはしてないよな?」
「馬鹿言うな。俺はウォーカー一筋だ」
「さすがにそれはキモイよお兄ちゃん」
「なっっ――妹に反抗期が来てしまった!」

笑いが起きた。優しい笑い。台風が去った時のような穏やかさがある。


「――それじゃあまた。どこかで会おう」
「おう」
「バイバーイ!」

2人が手を振る。ウォーカーは大きく、スプリングは細かく。

そんなふたりを優しい顔で見つめたカエデ。ベネッチアの方角へと体を向け、光のような速さで走っていったのだった。







「――一緒に行動しなくてよかったの?お兄ちゃん?」

カエデが見えなくなった頃。まぁカエデが走ったすぐだ。ウォーカーがスプリングに話しかけた。

「あの馬鹿げた速度のヤツに乗るのはもう勘弁だね。別にベネッチアへ行く理由もないだろ」
「それもそうだね」



「それに。カエデと一緒にいるのは怖い」
「……」
「カエデは異常だ。あれだけ強いのには何か理由があると思っていたんだが……なんとなくわかった」
「……なんなの?その強い理由は?」



「――。人として……生物としての何かが壊れてるんだ。何かは分からないけど……失ったらいけないものを無くしている」

スプリングの目には憐れみがあった。自分の妹を助けてくれた恩人でもある男への憐れみ。

「……そうなのかな」
「根は良い奴なんだと思うんだ。……どこで壊れたのか。なんで壊れたのか。それは分からない」

何かが壊れている。2人が思い浮かべるのは、怒っていた時のカエデではなく、ヘキオンを見つめる時の優しい顔であった。



「ヘキオンを殺さなくて本当によかったよ」
「そういえばなんでヘキオンさんを殺さなかったの?普通のお兄ちゃんなら顔を見られてる以上は絶対に殺すはずなのに」
「ん?それはな――」

自分よりも背の低いウォーカーの頭をクシャクシャと撫でる。ウォーカーは嬉しそうな、困ったような、ちょっと怒ったような表情を浮かべた。

「わっわっ!?」
「――オロオロしてる情けない姿がお前に似てたからだ!」
「えぇ!?もうお兄ちゃんったら!!」

怒った声。だけど嬉しそうな声。そんな2人の兄妹の楽しそうな声が乾いた荒野に響き渡るのであった。












続く
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