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4章

68 殿下の想い人【ラッセル視点】

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王太子殿下の視察は王都の北部にある国境の山脈地帯で、冬には深い雪に閉ざされる地域だ。

そこを領地とするのは王太子殿下の再従兄弟に当たるノースルド公爵で年齢は殿下よりも20ほど年長だ。武闘派を思わせるしっかりとした体躯に、トレードマークのスキンヘッド、豪雪地域にもかかわらずよく日に焼けた浅黒い肌と一見するといかつい顔立ち。街中で見れば貴族と思う者はいないだろうという独特の雰囲気を持った方だ。

怖いイメージのある人ではあるが、その内は豪快でいて快活。夫人とその間にできた6人の子供達への愛が深いなんとも憎めない方なのだ。
一番上の後継者である息子は確か俺達より少し年若く、最近結婚したと聞いている。

再従兄弟と言っても親と同じくらいの年齢である。彼の元には、10年ほど前から毎年殿下が通っては国境の警備や関税をはじめ、これからやってくる冬の備蓄の状況などを視察するとともに、学ぶ機会を持っているのだ。

自分もすでにこうして追従してきたのは8回目くらいだろうか。勝手知ったる場所になりつつある公爵邸の中庭を殿下のために用意された執務室の窓から眺め、小さく息を吐いた。

殿下について歩く視察の中でも、ここへ来るのはいつも楽しみなものであったはずなのになぜか今回は気分が浮かない。

というのも残してきた王都の自宅には昨年度はいなかった最愛の人がいるわけで、特にここ最近すれ違いが多かったせいか、恋しく思う気持ちが加速している。

出掛けに意気込んでいた商談は上手く行っただろうか……数日前の店主とのやりとりを見るに、彼女ならば心配ないと思いながらも、あの少し緊張しながらも、やる気に満ちたキラキラとした様子は、とても可愛らしかった。


「何をニヤけているのだ? まぁどうせティアナの事を思い出しているのだろうがな!」

唐突に下から声をかけられて、ハッとして声の方を向くと。先程まで認めていた書類をこちらに差し出している殿下が、ニヤリと面白いおもちゃを見つけたぞと言う顔で見上げていた。

そう自分は今、午後から公爵と遠乗に出かけようとしている殿下の首根っこを掴んで、なんとか今の内に片付けさせなければならない書類にサインをさせているのだ。

しまったな……内心でそう思いながら、戸口に立つ警護の騎士と、殿下の側で次の書類を整理している部下の顔を盗みみるが、2人とも何の事やら分からないという顔をしている。


不幸中の幸いだ。おそらく彼らには先程の自分の表情がニヤけているようには見えなかったらしい。
というのも、自分はもともと表情が顔に出にくく、なんならそれが災いしてグランドリーのような直情的な人間の反感を買うことが多いのだ。

家の者や、王太子殿下や、殿下に幼い頃から付いていて付き合いのあった者達くらいは、長年の経験からちょっとした表情の動きから俺の機嫌を読み取れるらしい。

故にこの部屋で、俺がティアナを思い出してニヤけていた事が分かったのは、殿下だけだったと言うことだ。

「そうですね。むさ苦しい男だけ部屋に閉じ込められているのですから、無理もありません」

しれっとそう言い返せば、殿下はわざとらしく大きく息を吐いた。

「いいねぇ、逃避する場所があるヤツは」
そう言って先程まで俺が視線を向けていた中庭に目を移すと、わずかに黄金色の瞳を細めた。

きっと彼の脳裏には、一昨年までこの庭に毎日いた女性が映っているのだろう。

このノースルド公爵家の長女であるエリンナ嬢。
この先の山脈地帯を抜けた先・・・隣国の国境を治める辺境伯のもとに嫁いで行った彼女は、幼い頃から殿下が一途に思い続けた人だ。
きっとその彼女に想いを馳せているのだろう。

来春、殿下は西の隣国の王室から現国王の三番目の王女を妃として迎えることが決まっているのだ。もう、10年も前に決まった事で、お相手は8歳も若い。
完全に政略で決められた結婚を前に、殿下はエリンナ嬢と想いを通わせながら別れた。

『もう、会うこともそうないだろう』

彼女の結婚が決まった当時、そうわざと皮肉気に笑みを浮かべた彼が、自分には泣きそうに見えた。そんな事があったから、この先のことを伝えるのは非常に心苦しく気が重かった。


明日行われる、殿下を囲んだ晩餐会に遠路よりエリンナ嬢と夫である辺境伯がやってくるというのだ。

明日の午前にはこちらに到着するらしい、と。
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