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2章

35 見つめられる瞳

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「おかえりなさいませ」

夕刻、馬車が門前に停まるのを待って、帰宅した夫を出迎えると、彼は少しばかり驚いた顔で、しかしすぐに表情を和らげた。

「ただいま。今日は執務は早めに終わったのか?」

執事や侍女に上着や手にしていた書類束を手渡した彼は私の元までやってくると、挨拶のように軽く頬に口付けて腰を抱き、そのまま彼の部屋に向かう階段を登り始める。


「今日はジャクリーンが来る日だったから、お仕事は午前で切り上げさせていただきました」

並んで歩きながら、そう伝えれば彼は「あぁ、そうか。今日だったな」と頷いて。

「帰宅してすぐ君の顔が見られてうれしいよ」

と、歯の浮くような台詞と笑顔を向けてきた。

顔が一気に熱くなる。なぜこの人は、こんな風に突然こんな甘い言葉を言えるのだ。

結婚するまでの彼……いやそれ以前も含めて、どちらかと言うと人を寄せ付けず、取っ付きにくそうでミステリアスな印象だっただけに、そのギャップがすごい。

きっと彼は身内になるとこうして手の内を見せてくれるタイプの人だったのだ。
契約でも妻となったからには、相応に扱おうとしてくれているのだろう。

普段この時間、私はまだ執務室に篭っていて彼の迎えに出られない事が多い。もちろん彼が執務優先で無理に仕事を切り上げてまで出迎えに出なくていいと言ってくれているからなのであるが、やはり明日から出迎えに出るようにしようかと、欲張りな想いが湧き上がる。


「お茶は楽しめた?」

「えぇ……まぁ」

曖昧に笑って頷くと、彼が不思議そうに首をひねる。


ジャクリーンとのお茶はとてもリラックスした時間にはなったけれど、王宮の舞踏会の事を彼にどう説明しようか・・・それとも彼はもう知っていて、わざと私の耳に入れないようにしていたのだろうか?

そう考え出すとどう話をしたらいいのかわからなくてつい、困ったように微笑むことしかできなかった。


彼の居室に一緒に入ると、優秀なメイド達によってすでにお茶の用意がされていて、私は彼から離れてソファに腰掛けると、お茶の用意に取り掛かかる。彼は部屋の奥へ消えていき、着替えを始めたようだ。

ジャクリーンの話をそのまま捉えるならば、きっと私たちの件は王宮の舞踏会ではそれなりの騒ぎになったのだろう。そうであるならば、きっと王太子殿下の側近である彼の耳にはとっくに入っているだろう。きっと王女殿下や国王陛下になんらかの礼を尽くしているはずだ。

でもそれを私に、一言も言わないと言うことは……


お茶を入れてしばらくすると、彼が奥の部屋から戻ってきて、隣に座る。


「どうしたんだ?何かあったのか?」

心配そうに私の顔を覗き込む彼に、私は努めて通常通りの笑みを貼り付けた。

彼が話すつもりがないのなら、追求しない方がいいのかもしれない。


「いいえ。特に何も?」

首を横に振って、そう告げると彼はどこか納得できないような顔をしたけれど。私はそれを見ないふりをした。


お茶を手に取り一口飲んでソーサに戻すと、それでもまだ彼の視線は私に向けられていて。

「っ……」

あまりにもじっと見つめられるので、思わず息を飲んでしまう。
顔が熱を持っていくのを感じて、慌てて視線を逸らせた。

「何か悪い話でも聞いたのか?」

私の視線を追うように覗き込んできた彼の声が深刻な色を含み始めた。

「ちがうの……」

咄嗟に彼を見返すけれど、またじっと見つめられて、慌てて視線を逸らすことになる。


「ただ、そんなにじっと見られると……少し気恥ずかしくて……」

絞り出すようにそれだけ言って身を縮める。

お願いだからそれ以上を追求しないで欲しい。自分自身が自覚したばかりの気持ちを未だに上手く消化出来ていないのだから……。

きっと彼は、困ったように笑って「すまない」と言って離れるだろう。そう思ったのに。

「きゃあ!」

突然肩を掴まれて、力強くと彼の方へ引き寄せられる。
咄嗟のことに悲鳴をあげて手を伸ばした先には彼の胸があって、身体を持ち上げられ、彼の膝の間に座らされる形になってしまう。


「っえ⁉︎」

驚いて見上げるが、彼は私を落とさないように身を乗り出してテーブルから何かを持ち上げた。

チリンと、可愛らしいベルの音が部屋に響いて……

「お呼びでしょうか?」

部屋にメイドが一人入ってきた。


「夕食の時間を1時間遅らせてくれ」


メイドの方を見もせず、短く彼がそう言うと、心得たとばかりにメイドは一礼して部屋を出て行った。

いまの一連のやり取りにどんな意図が、あるのか……

「あの、どうしてっ! わっ!」

意味を問いかけようとして、突然身体が宙に浮いた私は結局その言葉を飲み込んだ。

私を抱え上げた彼は、そのままスタスタと歩き出した。
そしてそのまま私が運ばれたのは……彼の部屋に備え付けてあるベッドの上で……

え?
これはまさか……

丁寧にベッドに降ろされて、もとい組み敷かれて、そこで私は、彼が夕食を遅らせた理由を理解した。

そんな、まさか……こんな時間に?

唖然として見上げている私に、彼は少しだけ眉を下げて困ったように微笑んだ。

「すまない……だが煽った君が悪い」


「っえ⁉︎」

煽るような事をした覚えはなくて……もしかして知らずに私は何かをしでかしたのだろうか? と惑うけれど、そんな私の混乱を他所に彼はゆっくりと唇を重ねてきた。

「嫌か?」

唇が離れて、甘く熱い吐息混じりの声で問われて、私はふるふると首を振る。
彼の、欲情した艶やかな瞳が嬉しそうに細められた。
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