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3章

63 同胞

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「なるほど……郷は、同じはみ出し者の私達を潰し合わせるつもりか……」

 「皇太子妃の霜苓」を消せば、郷は生き残りの彼を黙認するとでも条件を出したのだろうか。
 もしくは、霜苓を討ったことで、燈駕は篩の義を完了させたこととみなされる事になっているのだろうか。霜苓と燈駕は同年に産まれた同士であるため、同じ篩の義を受ける事になっていたのである。制約の多い篩の義ではあるものの、篩の儀を通過した霜苓を討てるならば、素質有りと見なす……それくらいの解釈を持って霜苓と燈駕を入れ替えることくらいはするかもしれない。
 何より、22を目前に、この先子を産める可能性の少ない逃亡者の霜苓より、優秀な種として郷に貢献できる男の燈駕の方が、郷にとっても有益である。
 そうした最終決定を下すのは、他でもない霜苓の父である族長だ。父ならそれくらいの解釈を捻じ曲げて郷に有益な方を選ぶに違いない。

 簡単にやられるつもりはないと、鎖を握る手に力を込める。
 対する燈駕は先程と変わらず、椅子に腰掛けたまま、わずかに眉間に皺をよせると、首を傾けた。

「郷? 郷は関係ねーよ……俺は郷から追われる身だからな、奴らの息のかかるような任には触れるつもりはない。大体、郷自体が殺し屋の集団のくせに、一般の殺し屋に依頼することなんてないだろう?」

 本気で意味がわからないと言っている燈駕の言葉に、霜苓は眉を寄せる。

「郷は、関係ない? どういうことだ」

「つーか、何、霜苓、お前ももしかして郷から逃げてるのか?」

「……知らされていないのか?」

 互いに、わけが分からないという顔で見つめ合う。全く話が噛み合っていない事だけはよく分かった。

「知らされてないどころか、昨日ここに潜入して来るまで、俺だって皇太子妃の霜苓が、お前だとは知らなかった。俺は、暗殺の仲介人から、高額な報酬の話があると聞いて、標的の名前と簡単な所在、情報もらっただけだからな」
 
「仲介人? 一体それは何なんだ?」

 それが、燈駕に霜苓を殺せと言ったのだと言うが、霜苓には、そんな者に命を狙われる心当たりがない。

 心底不審そうに首を傾ける霜苓に対して、燈駕は呆れたように深い息を吐く。

「殺しを依頼したい奴と、請け負って金をもらう殺し屋を繋ぐ仕事をする奴らを仲介人と呼んでいるんだ。皇太子妃だぞ? 邪魔に思うやつだっているだろう? 心当たりないのかよ?」

 「たしかに……いなくはないな……」

 浮かぶのは碧宇と彩杏だが……他にも、いる事は想像にかたくない。

「それで、今ここで私を始末するか? 言っておくが黙って始末されるほど、私も潔くはないが」

 チリッと手の中に仕舞った鎖が鳴る。
 装備は最低限だが、やれない事はない。
 最後に燈駕と手合わせをしたのは15の頃……剣使いである事は変わらないらしいが、知らない時間でどれほど腕が上がっているかは未知だ。
 同じように、霜苓の手の内だって彼はよく知っているはずだ。

 先ほど弾いた剣の行方と、彼の腰に携えられている残りの剣に視線を向けると、その視線を受けた燈駕が、両の手を顔の横に上げてヒラリと翻す。

「はは、冗談はよせ! 誰がお前となんてやり合うかよ! 俺の太刀筋とお前の鎖の相性悪すぎなんだよ! 仮に始末できたとしても、俺の方も無事じゃねえ」
 そんなバカな事しねぇよ、と笑い飛ばす燈駕だが、霜苓にはそれすら信じられない。

「だが任務なのだろう?」
 自らにも危険が及ぶからと言って、それを投げ出すなどという事は、許されないはずなのだ。

 尚も警戒をする霜苓に対して、手を挙げたままの燈駕は、きょとんと瞳を見開いて、一拍して、何かを理解したように「なるほどな……」とつぶやいた。

「霜苓はまだ郷を離れて、さほど時間が経っていない……そうだろ?」
「……どういう事だ」

 それがどうしたのだと言うことと、郷を出て日が浅い事を言い当てられれ、憮然とした口調で問う。
 それなのに、燈駕はどこか楽しそうに、「そうだなぁ」としばらく考え込んだ後に。

「任務を投げ出さない事……それが大事なのは、何故なのか考えた事はあるか?」

 と問い返してくる。
 任務を投げ出さない事なんてのは、当たり前の事で、今までそんな事を深く考えた事はなかった。

 思わず眉間に皺をよせると、燈駕が意味あり気な視線を向けてくる。

「っ……もし、班で動いているならば1人が任を投げ出したら他の者を危険に晒すことになる」
 
 なんとか答えを絞り出すが釈然としないものが残るような答えになった。

 なぜ、任務を投げ出す事が悪なのか……今まで当然と思っていた事だが、それについて疑問を持つ事が無かった事に気付かされる。

 そんな霜苓の心の内に芽生えた小さな疑問は、燈駕には手に取るように分かったらしく、彼が「そうだ……」と言うように、満足気に頷く。

「たしかにそれも一つだろうな……だが、1番は郷の信用に関わるからだ。任務を投げたら、当然次の任を任されなくなる。依頼が来なくなれば、郷は生きていけないだろう? 俺たちはそれを、同胞の連帯や、郷の誇り、戦士としての死に様なんて飾られた言葉を使って教えられていただけだ」

サラリと告げられた言葉だが、霜苓の頭の内に大きな衝撃を与えるには、過ぎるものだった。
 
「確かにそう……かもしれないが……」
 否、きっと、そうでしかない……どこかで燈駕の言葉に納得する己と、理解する事に抵抗を覚える己がいて……言葉を失う。

 そんな霜苓の思考を、少しずつ解くように、燈駕が穏やかな声で口を開く。


「1人で、生きるようになって分かったんだよ。どこまでもしぶとく生きるつもりがあるならば、本当に危険な事には首を突っ込まないのが1番なんだってな! ここで俺が仮にお前を討てて、しかし大怪我をしたとしよう。そうなれば、誰が明日の俺を養い、世話してくれる?」
 
「……たしかに……そう、だな」
 
 燈駕の言葉は、つい数ヶ月前まで1人で赤子を抱いて逃げる事を決意していた霜苓には十分に理解できる事だった。

 郷の刺客として生きていた時は、郷に戻りさえできれば、医術を使う者がいて療養できる場所もある。食事も生活の世話も心配ないが……

 それもなく、ただ1人という事は、燈駕の言う通り無茶な事はしないのが賢い方法であるのだ。

「お前とやり合って大怪我していいほどの報酬でもなけりゃあ、重要な仕事じゃない……まぁなにより、篩の儀で折角殺さなくて済んだ同胞とこんな所で殺し合いたくはないさ」

 そう笑った燈駕が、ゆっくりと立ち上がり、霜苓の後方に絡め取られて投げられた太刀を拾いに行く。 

 すでにそれを制止する事も、阻止する事も霜苓は思いつかなかった。

 「実のところ俺はホッとしたんだ……篩の儀が終わってから目が覚めてさ……。チビの時から一緒だった仲間を誰1人手にかけなくて済んだんだって。それなのに今霜苓に刃を向けたら、台無しじゃん?」

 太刀を鞘に戻した彼は、再び先ほどの岩に腰掛けると、足を組んで霜苓を見上げてくる。

 その瞳は、幼い頃から知っている無邪気な少年のような色をしていて……

「そう……なの、か?」

 乾いた喉から、掠れた声が出る。
 まさか、あんな頃から、燈駕はそこまでの事を考えていたのだと言う事に驚かされる。
 あの頃の霜苓は、ただ篩の儀を生き残ることしか考えていなかった。

 幼い頃から共に過ごした同胞達を殺めたくないなどと、思った事もなかったというのに……

「無理もない。今思えば、あの頃の俺達は随分と郷の考えに洗脳されていた。そして霜苓は今もまだ、それが完全に解けてはいない。だから、呼吸がまだハッキリしているのかもしれないな……」

 納得したように頷く燈駕の言葉に、霜苓は目を見開く。あまりにも衝撃的な情報ばかりで、息苦しさを覚える。

「そんなことと、呼吸が何か関係があるのか? そう言えば……燈駕の呼吸をわずかにしか感じない……何かあるのか?」

 思えば、燈駕が近くに潜んでいても呼吸を感じる時と、感じない時があったり、今のように微かなものを意図的にような時がある。
 呼吸を自在に操る事ができるのか……それと郷の洗脳と何が関係するのだろうか。

 霜苓は、それを詳しく知らねばならない。
 思わず、燈駕に近づいた時、風が強く吹いて、同時に2人揃って息を殺す。

「霜苓! どこだ! 霜苓‼︎」

 木立の外……庭の向こう側の建物の方から、微かだが、霜苓を呼ぶ声が聞こえる。
 その声が陵瑜のものである事は、霜苓にはすぐに分かった。
 
 おそらく、霜苓が寝台におらず、戻らない事を不審に思って、寝床を抜け出してきたのだろう。

「時間切れだな! 見つかると厄介だ! この話はまた今度」

 低く燈駕がつぶやいて、素早い身のこなしで木立の闇の中に溶け込んで行く。

「っ!今度って、お前!」

 呼び止めようとするが、燈駕は何の躊躇もなく、走り去っていったらしい。わずかな足音だけが遠のいて行くのを聞きながら、霜苓は闇の中を呆然と見送る。

 先ほどの話の通り、危機管理にはかなり敏感なのだろうか。たしかにここで見つかれば、兵を呼ばれ、包囲網が敷かれるに違いない。
 忍び込んだ動機が動機なだけに、装備もかなり物騒なものを用意してあるはずだ。捕まれば燈駕の命はないのだ。
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