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2章

47 義弟夫妻

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 上弦に発つ朝、霜苓の皮膚の状態はしっかりと回復していた。自前で調合した薬と、代榮が出してくれた薬の相性がとてもよかったらしい。

 慣れない高価な着物の袖に腕を通し、見送りに出て来た碧宇に、形ばかりの挨拶を無事に済ませ、驚くほどに豪奢で洗練された細工が施された馬車に乗り込むこととなった。

 碧宇の妻の彩杏は、まだ体調がすぐれないと言って出てくることはなかった。それ自体は皆の予想の範囲であったため、誰もそこについて触れる者はいなかった。

 ただ一つ霜苓にとって予定外だったのは……

「半年後に、また会わないといけないのか」

「そうですね~、年に一度、この時はどうしても……」


 憂鬱なため息をこぼす霜苓に対し、蘭玉が困ったように微笑む。

「まさか、この国は、毎年即位の年を数えて祝っているのか?」

「そのまさかです。こればかりはもう何代も前からある行事ですからね」

「そんな事のためにわざわざ都に集まらねばならないなんて難儀な話だな……」

「それでお金が動きますからね。悪い事ではないのですよ」

 都に活気が出れば、しばらくは景気も良くなる。そうすれば民の生活も豊かになる。少し前に学んだ事を思い出して、それも必要なものなのだろうと、納得することはできた。

 郷にはそんな娯楽がなかったものの、潜入捜査の最中には、たしかに年に1度その地域でも祭典のようなものがあり、同僚たちも浮き足立っていたのを思い出す。全く興味のなかった霜苓は、いつも留守居役にまわり、一度も参加したことはないが。

「碧宇皇子はもちろん、夫人も来るのでしょう?」
「そうですね……妊娠や病などの障りがなければ」

 毎年ご夫婦でおみえになっておりますね……と言われ、霜苓は眉間にシワを寄せて指を当てる。

「牽制しておいてよかった……蘭玉の感覚で構わない。彩杏はどういう娘だった? 今後のためにも陵瑜と関わっていた事を知りたい」

 今回のように突然椀の中の毒に気づき、何も把握できず、対処しなければならない状況よりも、先に情報を仕入れ覚悟を持っておいたほうがいいだろう。

 しかし、陵瑜に聞いても、彼が霜苓の欲しい情報をくれるとは思えなかった。どうやら、陵瑜は彩杏をあまり警戒していなかったらしい。彼にとって無害な認識の者の対策を教えてほしいと乞うても、きっと必要な情報を得ることはできない。

「そうですね。お知りになっていた方がいいかも知れませんね」

 対して、蘭玉にはそれなりに思う所があるらしい。陵瑜の側にいつもいる従者の男たちよりも、女性同士の関わりのある蘭玉のほうが適任だろうと思ったのは、単に霜苓の嗅覚がそう告げていたからである。「女の世界は、女にしか見えていないこともある」これも女官の潜入捜査の際に得た処世術の一つだ。
 

「彩杏は、幼い頃から皇子殿下達の妃の候補に名を連ねておりました。家は先帝陛下の御代で右丞相をお勤めになった名家。候補の中でも最有力候補でした。彼女も自信をお持ちだったように思います」

 実は私も候補に入っておりましたのよ、かなり早い段階で外されましたけれど……とイタズラめいて笑う蘭玉に、霜苓も頬を緩めて頷く。

「殿下のお父上である今生帝が、帝位につかれたおりに、過去の不正が見つかりまして、彼女の祖父君が失脚なさいました。政から離れはしましたが、やはり名家には変わりはないのですが。妃の候補からは外されました。彩杏は、ずっと陛下の妻になる事を目標にしていましたが、いつの間にか、本当に殿下を慕っていたのかもしれません。殿下が、どなたも娶らないのは、彼女にしてみれば、せめてもの幸いだったのかもしれません。彼女の心を、朝廷に返り咲きたい彼女の家が理解するはずもなく。むしろ彼女の家は、皇位継承の可能性を持つ、碧宇様の妃として彼女を押し出し、二人の婚姻が結ばれました」

「それで、碧宇の妻になった、と……」

 霜苓のつぶやきに蘭玉が深く頷き、そして視線を馬車の外に向ける。
 
「おそらく、彼女は不本意でしょうね。皇后になるつもりが第二皇子の妻で、自分達を退けて生涯独身を貫くと思い諦めていた男が、ある時突然子供ができたと、女と子を連れて来て、あっさり妃にしてしまうのだもの」

「それは腹立たしいかもしれない……」

 なんとなく、彩杏の胸の内のやるせない気持ちを知ると、なるほど、それであえて女の命でもある肌を害すような嫌がらせをしてきたのだろうと理解が及ぶ。

「陵瑜が今回の件は世継ぎ争いとは関係ないと言っていたが……」

「関係ないと思います。夫婦仲が良いとは思えないですし、彩杏は第2皇子である碧宇を内心で嘲笑ってますから、夫のために何かしようとは思わないと思います。まぁ彼女の実家はなんとか碧宇皇子を盛り立てようとしていますけど、それを察知した皇帝陛下が、碧宇皇子を都から離して、こんなところに住まわせたので……」

 確かに少しの時間ではあったものの、酒宴の際に、碧宇と彩杏が言葉を交わしている様子を見た記憶はない。かわりに陵瑜が霜苓や珠樹を気遣う場面に何度かあからさまに睨みつけられたのを記憶している。

「なんなら碧宇皇子殿下の足を引っ張っている存在なのか……確かに今回も」

「多分碧宇皇子は兄上に一つ貸しができたものを、妻の幼稚な嫉妬心でチャラにされてしまって……きっと腑煮えくりかえっている事でしょうね」

「何というか……下の世界は面倒だな」

 ウンザリとつぶやく。郷での生活は今思えば不便なことも多かったが、こうしたややこしい諍いはなかった。

「こんなの、高貴な人とその周りだけですよ。普通の人たちは、色々あるにせよ平穏にしています」

 ころころと笑う蘭玉の言葉に、できればその平穏な生活が良かった……と心底想う。とはいえ、そうであれば、身の安全を常に気にしていなければならなかったのだから、仕方がない。

 現に陵瑜の関係者であるが故に、助かった命がここにある。

 カラカラと手にしていたおもちゃをなめたり振ってみたり、忙しなく遊ぶ珠樹を眺めると、これくらいの事は我慢せねばならないなと、自分に言い聞かせた。
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