皇太子殿下は刺客に恋煩う

香月みまり

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1章

15 裏側②

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 最初に霜苓を視認したのは、戦場で異彩を放ちながら、切り込んでいく集団に興味を引かれたのがきっかけだった。
 その中に、随分と華奢な女が混じっているなと思い、自然と彼女を目で追った。

「あれは霊月山にある影の郷の者達です」

 隣に立っていた将が、陵瑜の視線の先に彼らがあることを悟って、そう説明をしてくれた。

 影の郷の者……今まで、話に聞いていただけの集団が本当に存在するのだと、他人事のように思った。

「よくそんな者達が一国の戦に関わる事を承知したな」

 陵瑜が聞いて知る影の郷の者たちは神秘に包まれ、外界と触れ合わない。こんなにも広く身を隠す場もない戦場に堂々と出てくるとは思えなかったのだ。

「郷を維持するにも金がいりますから、戦争は彼らにとっては絶好の金稼ぎの場です」

 しかしそう説明されて妙に納得してしまった。神秘に包まれているようで実はかなり人間臭い。それもそのはず、彼らだって人間なのだから食ってゆかねばならぬのだ。

「なるほど……それであの動きならば、金を出す価値はあるな」

 感心して頷きながら、彼らの戦いぶりから視線を外す事ができなかった。否……その中でも、周囲の男たちに混ざって、鮮やかな動きを見せる華奢な女から目が離せなかった。

 高く結った黒髪が彼女の動きに合わせて揺れる。細い手足から繰り出される迷いのない剣捌き、人を殺す血生臭い行為をしているのに、なぜか美しく思えたから不思議だ。
 まるで戦いの女神が天から降りてきたのかと、柄にもない事を思って一人苦笑した。
 良い物を見させてもらった、その時はそれくらいのことしか思っていなかった。

 戦は問題なくその数日後には勝敗が決した。そんな頃には女の事など、すっかり忘れていた。

 宴に沸く軍の中を労って歩いたのち、そろそろ休もうかと天幕に戻ろうとした所、天幕の陰をフラフラと歩く彼女を見かけ、思わずその後を追った。 

 随分と酔っているらしい彼女は、天幕群の外に向かっていく。
 いくら影の一族の女でもこんな時間に酩酊してフラフラしていては危険だろう。声をかけようとしたところで、案の定、彼女の身体がかしいで、慌てて抱き止めた。

「お前はだれだ?」

 ぼんやりとした赤みの強い茶の瞳で見上げられて、そうか、近くでみるとこんな幼い顔をしていたのかと意外に思いながら、苦笑する。

「ふらついている酔っぱらいを心配した、通りがかりの人間だ」

 「大丈夫か?」そう声をかけると、彼女のとろんとした瞳が少しだけ苦痛に歪められた。

「そうか……世話をかけたな。私は大丈夫だ」

 どこか痛むのだろうか、それとも吐きそうなのだろうか。いつ気を失っても良いように、少しだけ深く体を抱えたところで、酒とは違う独特の甘い香りを感じた。

「大丈夫ではないだろう。現に今目の前で倒れた。ここは血気盛んな男が多い戦場だ、女1人こんなところでふらふらしていたら、危険だ」

 眉を寄せて、背後についている汪景と漢登に目配せをする。彼らはすぐに陵瑜の意図を悟ってその場から離れた。

 彼女の体を纏う酒とは違う香りは、言わば媚薬の香りだった。しかも最近帝都の上流階級を中心に密かに流通しているもので、効果と効能には個人差が多く、そのため効かぬものに大量摂取をさせた挙げ句、時に容態が急変し死亡するという事件が起こっている代物だ。

 皇帝の勅令で流通と使用の禁止と罰則の命が下ってからひと月あまり、いまだ隠し持っている者がいてもおかしくはない。

 このような娘にいったい誰が……そしてどれくらいの量を飲まされたのだろうか……

 離れていく2人の気配を確認して、もう一度彼女に目を向ければ、額に汗を浮かせながら、しかしどこか冷めたように皮肉気な笑みをうかべている。

「危険ね……それなら、それで別にいい。どうせいずれそうなるんだから」

「……どういう事だ?」

 そうなる、という事がどう言うことなのか、彼女は自分が今危うい中にいて、媚薬まで盛られている自覚があって、わざとそうしているというのか……

まだ若く、あれほど強いと言うのに、男たちに好きにされる事が、自分の運命だと……

 陵瑜には、彼女の言葉の意図の何一つ理解出来なかった。

「いのちが惜しければそれ以上聞かない事だ」

 それなのに問いの返しは、なんとも淡白なもので……

「ますます意味が分からんな……」

 多少苛立ちのこもった声が出た。

 しかしそんな陵瑜の反応が、なぜか彼女には面白かったらしい。

 突然ククッと喉を鳴らせて、桃色に色づいた薄い唇を吊り上げた。

「それとも、お前が相手してくれるか?いいな、顔も悪くなさそうだし、いずれ誰ともしれぬ男達のおもちゃになるんだ、初めてくらい自分が選んだ男に抱かれてみるのもいいのかもしれない」

 皮肉気な笑みは陵瑜に向けられていると言うよりも彼女自身へ向けられているらしい。

 白樺のように白く細い指が、陵瑜の頬を撫でる。見た目と反し、触れた指は胼胝たこが目立ち、熱を持っていた。

 ざわざわと背筋を何かが登るような不思議な感覚に陵瑜は、息を飲むとその手から逃れるように身を引いた。

「何をわけわからん事を……相当酔っているな……」

 このまま彼女に触れられていたら、自分まで飲み込まれてしまうと、本能が警告を発していた。
 陵瑜自身が、彼女呼気や身体から発する媚薬の残り香に当てられているのだろう。

 丁度その時、汪景が戻り、杯を手渡してくる。生薬の香りが陵瑜の鼻をつき、頭の奥がすっきりとしたような感覚を覚える。

 杯を差し出すと、警戒したように彼女が眉を寄せるので、先に陵瑜が一口飲んで見せる。

「酔覚ましの薬だ」

 そう言って、手渡せば、今度はおずおずと受けっ取った彼女はぺろりとそれを舐めて見せると「そうか……」となにかを理解したように呟いて、杯を一気に傾けた。

「どこかで休ませたほうがいいでしょう」

 後方で静かに助言する汪景の言葉に頷く。
ただの酔った男ならば、その辺に転がすが、こんな若い娘……しかも何者かに媚薬を盛られていたとあっては、男の多い陣営の兵達の中に戻すのは危険過ぎる。

 それに、媚薬の入手経路も調べたい。

 頭の中で、様々な事を考えていると、突然カランと彼女の手から杯が滑り落ちて、高い音を響かせる。それと同時に、彼女を支えていた腕に、ずしりと重みを感じ、慌てて抱え直すと、彼女は寝息を立て眠りだしていた。

 杯を拾った汪景と、言葉を失ってそれを見下ろす。

「仕方ない……俺の天幕に連れて行く」

 大きく息を吐いて、抱き上げる。
 身軽だとは思っていたが、思った以上に軽くて内心驚く。

「貴方の寝所に女性を連れて行かれるのですか⁉︎」

 正気か? と驚いて立ち上がった汪景に陵瑜は「ははは」と乾いた笑いを漏らす。

「どうせ今夜あたり、地元の有力者共が戦勝祝とでも銘打って、娘を送り込んでくるだろうよ。先に女を連れ込んでいたほうがいいかもしれん」

 この戦場がある州の複数の有力者達からは、戦の前から隙きあらば陵瑜と自身の一族の娘を引き合わせたい魂胆が見えていた。

今夜は彼らにとっても絶好の機会であろう。

「確かに、そうですが……しかし得体が知れない一族の娘ですよ⁉︎ もしかしたら裏がある可能性も……」

 案の定、反対する汪景の言葉に陵瑜は、それこそ鼻で笑う。

「それはそれで、娘1人くらいどうにでもなる。もしかしたら今まで知ることも出来なかったその影とやらの事がわかるかもしれんだろう?もしくは、ひと晩匿って恩を売れたのなら、彼らをこの先上手く使えるかも知れない。あの戦闘力は稀有だ。手に入れられるならば欲しい」

 いくら戦闘に長けた一族の娘でも、陵瑜だって腕に覚えはある。護衛達が駆けつけるまで、耐え忍ぶくらいの力量はある。

「狙いはそこですか……わかりました」

 少しばかりほっとしたように肩を落とした汪景に「大丈夫だ」と肩をすくめてみせて、踵を返して、自身の天幕へ向かった。
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