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1章
7 悔いていること
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ゴトゴトと揺れる馬車の荷台で霜苓は、後方を睨みつける。腕の中では、乳を飲み終えた珠樹が、とろとろと寝入ったところだ。どうやら珠樹は馬車の揺れが心地よいらしい。夜間の移動でもぐずる事もなく、眠ってくれるのはとてもありがたかった。
「いい子ね」
桃のようにみずみずしくふっくらとした頬を撫でて、夜風で冷えないようにしっかりと布に包んで抱き込んで、また視線を、過ぎて行く景色に戻す。丁度、御者の席へ移動していた陵瑜が荷台へ戻って来た所だった。
「珠樹は眠ったか……霜苓、お前も休め……代わりに見張っておくから」
まだすこしばかり体の痛みの残る霜苓を気にしてくれているらしい。その上、霜苓がただぼんやり荷台から後方を眺めているわけではないという事に気付いている陵瑜の敏さに驚かされる。
蝕の郷の者達には朝も夜も関係ない。この暗闇の先のどこかを彼らが追ってきているかもしれないと考えると、眠ることなどできなかった。
小さく首を振って固辞すると、陵瑜は呆れたように息を付いて、どかりと霜苓の隣に腰かける。彼こそ昨晩は夜通し渡南に向けて走っていたわけだし、昼間は目覚めない霜苓の代わりに珠樹の面倒を見ていたのだから、眠った方がいいのでは?そう思って隣を窺うと、驚くことに彼は自身の膝に頬杖を着いたまますでに眠っていた。
いったいどの口が、代わりに見ているから……と言ったのだろうか。まったく頼りになるような、ならないような不思議な男だ。
呆れて、近くに丸めて固められているかけ布を引いてその大きな体にかけてやる。比較的温暖な気候の銀鉤国に近づいているとは言え、夜は冷えるし幌がついた荷台だとしても多少の風は受ける。
やれやれと、肩に布をかけたところで、不意に眠るその横顔に既視感をおぼえる。いったいどこで、眠る男の横顔など見ただろうか。父や兄や弟達とは、同じ家の中にいても互いに休息を取る姿を見せることは無かった。
あとは任務中だろうか……そう考えを巡らせて、そんな頃に男の寝顔を間近で見た衝撃的な出来事があった事を思い出す。
「……」
あの時の相手の男の顔は、今となっては、よく覚えていない、しっかり顔を見てはいるはずだが、あまりの事に直後はその事を意識的に考えないようにしていたためか、時と共にその記憶は薄れて行って、珠碧を身籠っていると知った時には「たしかあんな感じの顔……だったよな?」程度になってしまっていた。
顔については、整っていたように思うのだ。酒に酔った状態の頭でも「どうせこの先任務で不特定多数の好きでもない男に抱かれる事になるのならば、最初くらい自分で選んだ顔の良い男に抱かれてやろうではないか」と半ば自棄糞で思った事は覚えている。肝心な相手の顔と、どうしてそんな状況に陥ったのかは思い出せない自分の酩酊状態の記憶力が憎い。
やめようやめよう、もう済んだことだ……。
首を振って頭からあの時の記憶を振り払う。胡坐をかいた自身の膝ではそれがきっかけで生まれる事となった珠樹が、小さな口を少しだけ開けて気持ちよさそうに眠っている。
後悔をしているわけではない。今となっては珠樹の居ない生活は考えられない。ただ、もし相手の男の、人となりや生活をもう少し知る事が出来ていたのなら、珠樹をここまで危険に晒し、ゆく当てのない旅に連れ出す必要もなかったのかもしない。昼に陵瑜にあんな事を言ったものの、もし相手の男が珠樹を託すに値する男だったら……あの時相手の男を確認もせず、記憶から消した霜苓の罪は重い。この先、霜苓と共に居られない事態に堕ちいったとしても、珠樹は安全な場所で、父親の庇護のもと伸び伸びと暮らす事が出来たかもしれない。その可能性を霜苓は奪ってしまった事は申し訳ないと悔いているのだ。
「いい子ね」
桃のようにみずみずしくふっくらとした頬を撫でて、夜風で冷えないようにしっかりと布に包んで抱き込んで、また視線を、過ぎて行く景色に戻す。丁度、御者の席へ移動していた陵瑜が荷台へ戻って来た所だった。
「珠樹は眠ったか……霜苓、お前も休め……代わりに見張っておくから」
まだすこしばかり体の痛みの残る霜苓を気にしてくれているらしい。その上、霜苓がただぼんやり荷台から後方を眺めているわけではないという事に気付いている陵瑜の敏さに驚かされる。
蝕の郷の者達には朝も夜も関係ない。この暗闇の先のどこかを彼らが追ってきているかもしれないと考えると、眠ることなどできなかった。
小さく首を振って固辞すると、陵瑜は呆れたように息を付いて、どかりと霜苓の隣に腰かける。彼こそ昨晩は夜通し渡南に向けて走っていたわけだし、昼間は目覚めない霜苓の代わりに珠樹の面倒を見ていたのだから、眠った方がいいのでは?そう思って隣を窺うと、驚くことに彼は自身の膝に頬杖を着いたまますでに眠っていた。
いったいどの口が、代わりに見ているから……と言ったのだろうか。まったく頼りになるような、ならないような不思議な男だ。
呆れて、近くに丸めて固められているかけ布を引いてその大きな体にかけてやる。比較的温暖な気候の銀鉤国に近づいているとは言え、夜は冷えるし幌がついた荷台だとしても多少の風は受ける。
やれやれと、肩に布をかけたところで、不意に眠るその横顔に既視感をおぼえる。いったいどこで、眠る男の横顔など見ただろうか。父や兄や弟達とは、同じ家の中にいても互いに休息を取る姿を見せることは無かった。
あとは任務中だろうか……そう考えを巡らせて、そんな頃に男の寝顔を間近で見た衝撃的な出来事があった事を思い出す。
「……」
あの時の相手の男の顔は、今となっては、よく覚えていない、しっかり顔を見てはいるはずだが、あまりの事に直後はその事を意識的に考えないようにしていたためか、時と共にその記憶は薄れて行って、珠碧を身籠っていると知った時には「たしかあんな感じの顔……だったよな?」程度になってしまっていた。
顔については、整っていたように思うのだ。酒に酔った状態の頭でも「どうせこの先任務で不特定多数の好きでもない男に抱かれる事になるのならば、最初くらい自分で選んだ顔の良い男に抱かれてやろうではないか」と半ば自棄糞で思った事は覚えている。肝心な相手の顔と、どうしてそんな状況に陥ったのかは思い出せない自分の酩酊状態の記憶力が憎い。
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