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一章;NEW BEGINNINGS

30話;夕刻の追走劇(10)

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 散策した貴族街の風景を思い浮かべていたジルファリアはふと気になっていたことを口にした。
「そういえばさ、マリア。お前はどうしてバスター家の屋敷にいたんだ?お前の家は王宮なんだろ?」
 ぴくりとラバードが反応するが、きっと詮索している事に対しての牽制なのだろう。
 ジルファリアは無視することに決めた。
 そのままじっとマリスディアを見つめると、彼女は微笑んだ。
「バスター家の当主、ハイネル様は父のことをいつも助けてくださる方で、昔からのご友人でもあるの」
「ふぅん、そうなのか」

 そう言えば、野菜売りの老婦もバスター家はハイネルという人物の屋敷だと言っていた。
 思い出しながらジルファリアは相槌を打つ。

 「ハイネル様は、母を亡くして落ち込んでいたわたしを、気晴らしになるかもしれないと言ってお屋敷にご招待くださったの」
 嬉しそうに笑顔を見せてはいるが、その笑顔にはまだ少し悲しげな色が滲んでいた。

 「ハイネル様のお屋敷は、綺麗なバラの庭園があったり、植え込みで造られた迷路なんかがあったりするのよ」
「迷路?」
「自分ちの庭にか?」
 思わず聞き返すジルファリアとサツキに、彼女も苦笑した。
「ハイネル様は造園がご趣味で、色々なテーマを決めてはお庭をご自身でも造られているの」
「何とまぁ、酔狂なご趣味やな」
 サツキは呆れたようにため息を吐いた。
 金の集まる所には、そんな「遊び」が出来るほどの金が集まるという事か。
 自分達にはとんと縁のない話に呆れるしかないのだろう。
「サツキ」
 ラバードが咎めるような声を出したが、彼は考えを改める気はないようだ。
「それで、お言葉に甘えてお邪魔していたんだけど、まさかこんな事になってしまうなんて。ハイネル様にもご迷惑をおかけしてしまったわ」
 申し訳なさそうな表情で、そのまま彼女は肩を落とした。

 「あの時は身分を明かさず、名前もきちんと言えなくてごめんなさい。名前を告げると、みんなよそよそしくなるから言えなくて……」

 「まぁ無理もないわな、王女様やもん」
 間髪入れず切り返すサツキをラバードがすかさず小突いた。
 そんな言葉に気を悪くした風もなく、マリスディアはジルファリア達の方を見ながら立ち上がると、礼儀正しく頭を下げた。

 「改めて。わたしの名前は、マリスディア=ルイス=セレインストラです」

 その動作から、彼女は本物の王女なのだとジルファリアは実感した。
 自分とは違う育ちの良さが滲み出ている。
 彼女のたおやかな所作もそうだが、表情や顔つきなどからも、汚れを知らず周りから愛でられ大切に育てられたのだなと思わされた。
 悪く言えば、箱入り娘だとサツキなんかは言い出しそうだが、ジルファリアにとって彼女は不思議と親しみを覚えるような感情が起こった。

 「……ほんまに福音名があるんやな。さすが王族や」

 当のサツキは感心したように不可思議な言葉を口にしていたが、その聞き慣れない言葉にジルファリアは首を傾げるだけだった。

 その意味を訊ねようと口を開いた時、入り口が突然ノックされた。

 一瞬表情を堅くしたラバードは素早く入り口方へと向かう。
 足音が一切立たないその歩き方に、ジルファリアは眉を顰めた。
 いつものドタバタとした賑やかな彼の動きとは似ても似つかぬものだったからだ。
 そして先程のサツキの不安げな表情を思い出した。


 「マリスディア様」


 ラバードに招き入れられて店に入ってきたのは、城の従者と思しき二人の大人だった。
 一人は快活そうな背の高い女性騎士で、落ち着いた真紅の髪を後ろで束ねていた。
 マリスディアを見るとホッとしたような人懐こい笑顔を見せる。

 「タチアナ」
 マリスディアも嬉しそうな顔で立ち上がり、彼女に駆け寄る。
「あぁ、心配しましたよ、姫様。ご無事で何よりです」
 タチアナと呼ばれた騎士は、笑顔のまま彼女の肩を抱いた。
「心配をかけてしまって、ごめんなさい」


 「……全くだよ、王女」


 その時、柔らかい中にも鋭い冷たさが混じった声が響き渡る。
 戸口に立っていたもう一人の従者がこちらを呆れたように見つめていた。

 ジルファリアは彼を見た時、その青年が男なのか女なのか正直分からなかった。
 それ程までに彼は綺麗な顔立ちをしていたのだ。
 特にこちらに向けられている淡い澄んだ水面のような瞳は美しく、同時に底の知れない深さを感じさせた。
 心の底まで見透かされてしまいそうな怖さを感じ、ジルファリアは身を竦ませた。

 それだけではない。
 瞳と同じ淡い水色の髪は緩やかにうねりを作っており、それが彼の白く透き通った肌と同化していた。
 そう、一言で言えば彼は“浮世離れ”していたのである。

 「危機感が足りなさすぎるでしょ」
 彼はその優しげな顔立ちとは裏腹な、実に厳しい口調で言い放ったのだ。

 「ヒオ、言い過ぎよ」
 タチアナに鋭く咎められるも、ヒオと呼ばれた青年は口を止めることをしない。

 「いや、この際だからはっきり言わせてもらうけど、いつものほほんと人が良すぎるのも大問題なんだよ、王女」
「なっ……!」

 矢継ぎ早に繰り出される諫言に、ジルファリアは驚いた。
 一国の王女にこれだけの言葉を投げつける彼は一体何様……いや、何者なのだろう。

 「もう少し王女としての自覚を持っていただかないと。我々従者にも迷惑がかかるし、何よりウルファス様にどれだけ心配をかけたと思っているの?起こる事全てが、貴女一人の問題ではないんだよ?」

 長身のタチアナよりも更に背の高い彼が、そのまま冷ややかな視線でマリスディアを見つめている。
 見ようによっては見下ろしているとも取れるその様が、威圧的にも見えた。

 「おい、お前。そこまで言うことないじゃんか」
 辛抱たまらず、ジルファリアが声を荒げる。

 「部外者は黙っててくれない?」
 こちらの事など視界にすら入っていないかのように、ヒオはちらりとも視線を寄越さなかった。

 「けど!マリアだって、わざと捕まったわけじゃないだろ」
「ジル!」
 ラバードが思わずジルの肩を掴んだ。
 これ以上余計な言葉を発するなと言わんばかりに首を横に振る。

 「さっきも言ったけど、王女はご自身がもたらす影響を全く考えていないのでね」
 彼女に何か有事が起こると周りへ迷惑がかかるというあれか、とジルファリアは憤慨した。

 「ヒオの言う通りだわ」
 ところが彼の怒りとは逆に、マリスディアはあっさりとヒオの言葉を受け入れた。
「わたしの軽はずみな行動が招いた事よ。本当にごめんなさい」
「謝るのは、僕らにじゃないよ」
「お父様とハイネル様ね」
 短くばっさりと返すヒオに彼女もこくりと頷いた。

 「さぁ、それでは姫様、王宮へ帰りましょう。皆さん心配しておいでです」
 タチアナが取りなすように促し、ラバードの方へと向き直った。
「ラバード殿と仰いましたね。この度はありがとうございました。また後日王宮よりご連絡いたします」
「いえ。お気遣いは無用です」
 彼女から視線を逸らすとラバードは会釈をした。
 その様子を探るようにヒオが見つめていたがすぐに踵を返す。

 「ジル、サツキ。本当にありがとう」
 マリスディアは二人の前に立つと、もう一度頭を下げた。

 「二人が助けに来てくれた時、本当に嬉しかった」
「結構おもろかったで、お姫さん。気ぃつけて帰りや」
「マリア、気にするな。また会いに行くからな」
 ジルファリアの言葉にラバードが咎めるような咳払いをした。

 「ラバード様も、ありがとうございました」
 そう言って微笑むと、マリスディアはそのまま二人の従者に着いて、ショールを頭からかぶった。


 「マリア!またな!」

 ジルファリアがその後を追いかけるように声をかけると、彼女はこちらを振り返ってにこりと微笑んだのだった。


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