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議論

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 ようやく一人の元老院議員の手が挙がり、議長であるファビウスに促されて、
「ファビウス殿、あなたの考えはよく理解できる。だが、その選択による犠牲は決して小さくない。身代金を払うことが即、講和に繋がるとは言えないのではないか。捕虜を受け取り、その後にハンニバルを倒すという選択はないのだろうか。他の議員にも聞きたい。どうだろうか」
 と、第一人者であるファビウスに遠慮しながらも自らの意見を述べた。この発言を受け、元老院議員らの議論が幕を開けた。
「身代金の要求に応じることは、我々ローマが弱みを見せることになろう。それこそ、同盟都市のさらなる離反を招きかねない。我々はカルタゴに対して強い態度でのぞまなければならぬ。それがローマの威信を同盟都市に示すことになり、ハンニバル包囲網を盤石にする秘策になるであろう」
「戦時中はどこの国でも捕虜の交換はしておるではないか。不当に高い身代金でもあるまい。返してもらえるなら返してもらうにこしたことはなかろう」
「やはりハンニバルは窮しているのだ。奴への身代金の支払いは、そのまま奴らの軍資金に変わるというものだ。傭兵で組織されたカルタゴ軍にとって、金の確保は最優先のはず。捕虜となった者たちには残酷だが、カルタゴ軍を富ませるのには反対だ。捕虜となった者たちも国のためだと納得してくれるだろう」
「ハンニバルは今まで、ローマ市民からなる捕虜をすべて殺してきた。それが今になって急に釈放するというのは、どう考えても講和へ向けた動きである。ハンニバルとの講和の準備が我々にあるならばこの提案に応じればよいし、なければ破断ということだ」
「私はファビウス殿に賛成だ。我々にとっては辛い決断かもしれんが、それがローマにとって最善と思うならばそれも止むを得ないだろう」
「ハンニバルからの提案は拒絶するにしても、承諾か拒否かではなく、もっと柔軟に考えられないだろうか。例えば、捕虜の中には自費で身代金を支払える者もいるだろう。その者たちだけでも身代金の支払いを許可してはいかがか」
「元老院議員も捕虜の中にはいると言う。彼らは有能な指揮官であり自腹で身代金を支払うことができるだろう。彼らだけでも帰還を許可してはどうか」
「それではいくらなんでも庶民の反感を買わないか。裕福な者もそうでない者も、戦場ではわけ隔てなく平等に命をかけて戦ったのだぞ。自腹で払えるかどうかで決めるのは適当ではない」
「そんなことを私は言っているのではない。経験も知識も豊富な元老院議員はローマの基幹だと言っているのだ。ローマのことを考えれば、多くの元老院議員を失うことほど大きな痛手はないと言っているのだ」
「優れた指揮官の死も、一兵卒の死も、私にとっての価値は等しい。お前こそ何を言っているのだ」
「静粛に」
 一触即発となった議場をファビウスが制した。ファビウスは冷静に議論を交わすよう促し、最終的には多数決を採用すると告げた。
 元老院議員の議論が再び始まるが、プブリウスは不快感から外に出た。慌てて後を追ってきたラエリウスが、
「腹立たしいばかりですが、元老院が今後どう舵を取るのかを我々市民は監視する義務があります。どうかお戻りください。民主政であるローマの行く末は、いつも市民の手にあるのです」
 と、正論を述べた。ローマは寡頭政治である。だが、ローマの元老院は開かれた機関であり、情報を市民に隠蔽することはない。重要なものについての最終的な決定は市民集会で採決される。元老院の議論を市民が拝聴し、元老院の決定に不服があればそれぞれ支持している元老院議員にそのことを訴えることもできる。ローマ市民には国政に対して知る権利が保障されており、それを行使せずにただ反対するのでは信義がないと言われても仕方がないだろう。
 議論するまでもない。と、プブリウスは呆れる他なかった。元老院で議論されていることは馬鹿げており、それを拝聴する者もまた馬鹿げているように感じた。まるで胸の中を百足がうごめくような気持ち悪さに襲われていた。
 しかし、ラエリウスの言うこともよく理解できるプブリウスは、しばらくして落ち着きを取り戻すと、
「戻ろう」
 と、隣で心配そうに見つめる親友に振り返った。
 二人が戻った議場では、先ほどよりも激しい議論が展開していた。だが、第一人者であるファビウスが始めに自分の意見を述べたことで、それに同調する議員が多く、この議論の終着がどこに収まるのかは誰の目にも明らかだった。
 元老院の決議が終わり、ローマの進む道が示された。議場を後にしたプブリウスはラエリウスを連れて市内を流れるテヴェレ川沿いの小道にやってくると、適当な場所を見つけてそこに寝ころんだ。ラエリウスも黙ってそれに倣う。
「なあ、ラエリウス。私は自分の考えに自信を持てなくなった。まあ、最初から自信なんてなかったのかもしれないがね。君はいつも私と考えを共にしてくれるが、今もそれは変わらないのだろうか」
「プブリウス様は捕虜の返還は当然だとお考えなのでしょうね。もちろん私の考えも同じです。戦争に勝つか負けるかということばかりで、犠牲者のことは二の次になっているように感じて仕方がありません。ときには人の命よりも大切なことがあるかもしれませんが、今はそのときではないような気がします」
 私やラエリウスにもわかるようなことが、なぜわからないのだろうか。プブリウスはそれを口には出さず、川面に小石を放り投げた。水面に波紋が広がり、それは無慈悲に消えていった。
 結局、元老院はハンニバルからの捕虜釈放の提案を拒絶し、捕虜となった八千人のローマ市民の帰国への道が閉ざされた。この八千人の捕虜は無情にもグラエキアに売られ、奴隷として生きていくことになる。
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