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決断

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 周囲に敵の姿はなかった。味方もラエリウスだけだった。執政官を中心とするローマ騎兵団はカルタゴ軍の囲いを破るため、一方に突撃した。プブリウスはその突撃途中でカルタゴ軍に抑え込まれ、父から離れてしまったのだ。ただ、そのおかげで敵の攻撃対象の中心から外れることになり、戦線から離脱することができたと言える。ラエリウスが主人を探して戦場を駆け回ったのは言うまでもないだろう。
 戦いはまだ終わっていなかった。少し遠くに目をやれば、未だローマ軍とカルタゴ軍が激しく戦っているのがわかる。方々に散ったローマの敗残兵を、必要以上に追い回すカルタゴ騎兵も決して少なくない。直ちに逃げなければ、プブリウスらもいつ餌食となるやもしれぬ状況であった。
「プブリウス様」
 ヌミディア騎兵を追い払ったラエリウスが戻ってきた。見たところ重症ではないが、ラエリウスの盾には数本の矢が刺さり、自分のとも敵のともわからぬ血で全身がどす黒く色塗られていた。近づいてきたラエリウスは下馬して、
「この戦いは我らの負けです。もうすぐ退却の合図があるでしょうから、どうかこの馬でお逃げ下さい」
 と、手綱をプブリウスに渡そうとした。
「馬鹿な、なぜ私だけで。逃げるなら二人で逃げればよいだろう」
「馬の背に二人では、敵の追撃から逃れられないかもしれませんゆえ。どうかお使い下さい」
 ラエリウスの目には凄味があった。二人で逃げることを彼は決して許さない。瞬時にそのことを悟ったプブリウスはここで押し問答をする愚を考え、別の結論を導き出した。それがローマ軍全体を救うことになるとは、現時点では想像もできないだろうが。
「私は大丈夫。父上の加勢をお願いしたい」
 生死を分ける極限状態の中、時間は限られている。ラエリウスもまた性格をよく知る主人の説得を諦めたのだろう。大きくため息をついて、
「主人を失ったもののまだ走れる馬がおりましょう。徒歩では助かりません。必ず馬を捕まえて一刻も早くお逃げ下さい」
「約束しよう」
「ローマ軍兵士として執政官、いえ旦那様を必ずやお助けしてまいります」
 ラエリウスの戦闘力はプブリウスを遥かに凌駕する。執政官の援護に向かうのがローマ兵としての務めであり、馬が一頭しかいないこの状況を考えれば、プブリウスよりもラエリウスの方が適任であろう。
「父上を頼む」
「必ずやお逃げください。どうかプブリウス様に神のご加護を」
 ラエリウスは馬上の人となり、最前線に向かって走り去った。プブリウスはラエリウスの後姿を眺めることなく、自分のための行動に移った。一度は失った命。ラエリウスのおかげでまだ生きている。助けられた命を粗末にするつもりはなかった。剣も盾も失い、疲労も激しい。ただ、それでも不思議と気力は湧いてきた。プブリウスはこの時初めて周囲の状況や戦況を観察し考察した。初陣での高揚感や緊張は消えていた。プブリウスは冷静だった。生死の境を潜り抜けたことで、若者はまた一つ大きな成長を遂げたのである。
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