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第二章〜セカンドフィル〜
第二十七話「侯爵との会談 Fin」
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「俺の酒で、人を殺す?」
まさか、酒の中に毒でも盛れとでも言っているのか? そんなことできるわけがない。だけど、相手は侯爵だ。俺に断れるのだろうか、いや、酒に毒なんて入れてしまったら、俺はもう終わりだ。
死んでも、断る。
「ハハハハッ、そう怖い顔をするな。殺すという表現は、言い過ぎてしまった。貴様が、どんな反応をするか見てみたくなってな。その顔を見るに、よほど貴様は酒を愛しているとみる。試させてもらったのだ。」
侯爵は、先程までの真に迫る神妙な顔を崩し、何事もなかった様な空気を出していた。俺は、肩透かしを喰らってしまったようだ。
「えっ」
「貴様の酒の知識は、おそらく魔塔の魔法使いにも匹敵するだろう。だが、その愛はどこから来るのだろうと思ってな、試しに殺しの道具にされそうになったら、どんな顔をするのか……とな。クククッ、それがあっという間に、修羅の顔に変わるのだから、貴様の酒への愛は純朴なのだろう」
「は、はぁ」
まじで、冗談はやめてくれよ。あんたが言うと、洒落にならないよ! 俺は少し安堵して、ため息を吐いた。すると、斜め後ろからただならぬ殺気を感じた。
ティナが、今にも侯爵に飛びかからんとしそうだった。
「テ、ティナ! 落ち着いて、閣下の冗談だから!!」
俺は彼女の肩を、両手で抑えたが、俺が俺より大きい彼女を抑え切れるわけもない。しかし、まだ彼女は理性が残っていたのか、俺を吹き飛ばさない程度には力加減をしてくれていた。
そんな俺越しに、ティナは侯爵に勇んで見せた。
「冗談でも、許されるものか。ショウゴの酒は、私の剣と等しいほどに美しいものだ。それを穢そうとするなど、冗談といえど許されぬものではない」
あぁー、完全に頭の血管切れてるよぉ。ティナの目は、大きく見開かれていて、血走っていた。彼女が今、帯剣していたらと思うと背筋がゾッとした。
その様子を、俯瞰するように侯爵は楽しんでいた。
「ふふふっ、アーネット卿から聞いてはいたが、ファウスティーナ卿も他者を認めるようになったと言う話は、事実だったようだな」
「偉そうな口をほざくなよ。昔のように、私が遅れをとると思ったら大間違いだ。貴様の人を小馬鹿にしたやり口は、昔からたまらなく嫌いだったんだ」
はわわわ、ティナ!? 侯爵と一体どんな因縁が?! というか、これ以上は雇い主である俺の心臓が持たない。俺は、最後の手段を用いた。
俺は、彼女の肩を押さえ付けていた両手を離した。
「ひゃ?! ちょっ! やめないかショウゴ?! こんな人前で何を考えているっ」
急に抑えを失ったティナの体は、必然的に俺に飛び込んできた。そうなれば、彼女の豊かな胸は俺の顔に容赦なくぶつかって来るわけで、俺は彼女を正面から抱きしめることになった。それは以前、彼女を呼び戻す時にした様に。
あの時とは違って、彼女の体はとても熱かった。身体中の筋肉も岩のように硬っていたが、俺に抱きつかれた事を認識したティナの体は、マシュマロのように非常に弾力性を含んだものに変わった。
俺は、彼女の胸に溺れながら顔を見上げ、少々の苛立ちを目で訴えた。
「もう、怒らない?」
「お、怒らないから! 頼む! から離れてくれぇぇ」
ティナの叫び声よりも彼女の褐色の肌に潜んだ赤みが雄弁に必死さを訴えていた。
俺はもう少し、くっ付いていたかったが、前世でいえば立派なセクハラなので諦めた。……なんだか、転移する際に二十歳ぐらいに若返ったせいか、やることも幼稚になってしまったな。
「け、穢された」
もうお嫁にいけない、とか言っているけどそこは聞かなかったことにした。誰のせいで、こっちの命が危なくなったと思っているんだ。
「私の護衛が閣下に大変なご無礼を、どうかお許しください。彼女はその、猛犬の様なものでして、しかし私はそこを買っているのです」
お辞儀をしながら、短気なティナをフォローする。
「ハハハハッ、よい気にするな。元はと言えば、私に非があるのだ。しかし、あのファウスティーナ卿が、遂に愛を知るか。私も歳をとるわけだな、ハハハハッ! 昔の彼女であれば、ショウゴ、貴様は串刺しにされていたぞ」
「そ、そうなんですか?」
俺は恐る恐る、後ろでへたり込んで女の子座りをしているティナを見た。そこには、目に涙を浮かべて、こちらを恨めしそうにみてくる愛らしい女子の姿があった。
よかった。殺人鬼みたいな顔をしていなくて。
「それでは、話を戻そう。試したとはいえ、貴様の酒で、ある人間を黙らせて欲しいことは事実なのだ」
「は、はい。私にできることであれば、協力は惜しみません」
「ふむ、貴様はここより北方のアレス商国を知っているか?」
ユリアに聞いたことがある。確か、アクアリンデルより北方のウラヌス山脈を超えた先にある小国で、交通の要衝を領土としているために、国益の九割が交易によって賄われている商売国家。
「浅識の身ではありますが、多少は」
「ふむ、スタンプ卿地図を」
「御意」
伯爵の指示で使用人たちが続々と入ってきて、大理石を埋めているワイングラスを全て片付けていった。グラスの中のワインが勿体無いと思って、手前にあるワインだけでも飲んで、使用人に返したら少し悲しそうな顔をしていた。
あ、そういえば貴族の食べ残しって、使用人が貰ってもよかったんだっけ。彼らも、この飲み残しを飲みたいわけね。ごめん、ごめん。と言うわけで、俺は他のグラスには手をつけなかった。
伯爵が地図を広げた。
「ここが、我が領地アクアリンデルだ。そしてその北に隣接する、国家こそアレス商国。アレス商国は、ウラヌス山脈で遮られた北方への通行を唯一可能としている。その為、この国とは友好を結ぶほかない。そこで我らランバーグは、彼の国に関税を支払っている。ここまでは良いか」
「はい、ランバーグ王国は北方との取引のために、陸路を使用する際、避けては通れないアレス商国に関税を支払っている。と言うことですよね」
貴族の三人が、俺の発言に感心を示した。いや、いや、俺は言われたことを繰り返しただけ。まぁでも、俺は平民だと思われているから仕方ないか。
たぶんだが、ここにいる誰よりも高等教育を受けてるぞ、日本出身だからな。
「貴様は、本当のところどこかの貴族の婚外児か何かなのではないのか?」
「閣下、私は正真正銘平民出身でございます。私はただ単に、酒を造るために勉強して来たに過ぎません」
「まぁ良いだろう、そう言うことにしておこう。話を続ける。ランバーグとアレスは五年ごとに、関税の契約を改めることになっている。そして、今年がその契約更新にあたるのだが、ランバーグは東の大国ボルドー騎士国との戦争が、ようやく昨年終えたばかりだ。その為、小国とはいえど金銭的な面でアレス商国が圧力をかけて来る可能性は十分にある」
なるほど、アレス商国は、武力で勝てないランバーグに普段は強く出れない。だけど、喧嘩して傷も癒えていない今なら、強気に先の五年の利益を引き上げようとしてくると。
「そこでだ、交渉は武力でなく、食卓の上で行おうと思っている。そう、文化の力を見せつけるのだ。貴様にわかるか、ショウゴ」
「私見でよろしければ、申し上げます」
「よい、申してみよ」
「では、恐れながら申し上げます。私のウイスキーは、閣下の反応を見るに初めての味だったと考えます」
「うむ、左様だ」
「そうであれば、閣下は王国でも三番目に高貴なお方です。その方が、口にしたこともない酒であれば、アレス商国の方も初めての経験になると考えます」
転移してきたこっちの世界には、蒸留酒という概念がなかった。そうなれば、ウイスキーなどあるわけがない。相手が商売人なら、驚愕せずにはいられないだろう。大戦を終えて、疲弊しているはずの隣国に、新たな文化が芽生え始めていると言う事実に。
「ふむ、それで」
「文化においても優れている大国に、喧嘩を売る商売人はいないと考えます。その重責を、私めに任せようと言うのですね」
そして晩餐室に、貴族たちの嘆声が漏れた。閣下も、期待以上の俺の理解に口元を少し上げて、笑みを浮かべていた。
「素晴らしい。これぞ、天の助けだ。ショウゴ、貴様の言うとおりだ。アレス商国との交渉は、シールズ家が任されてきた大事な任務だ。ここで、弱みを見せれば私の中央での評価は失墜し、周りの貴族からも嘲笑われるだろう。故に、此度の交渉決して、間違えられぬ。貴様に、この案件託しても良いか?」
真剣な面持ちで、侯爵は俺に尋ねてきた。
正直なところ、俺は冗談じゃない!! と叫びたかった。だって、酒一つで世界が平和になるとは思えなかった。もちろん、俺の酒が美味い自信はあるが、人を幸せにするほどの力があるとは、まだ思えなかった。その確信は、いつ手に入れられるのだろうか……。
少し長い俺の沈黙に、閣下は痺れを切らし口を開こうとしていた。しかし、それに割って入ってくる者がいた。
「任されようではないか、ショウゴ」
「ティナ」
彼女は、俺の肩に腕をまわして俺に話しかけてきた。若干、あたる胸が嬉しかった。
「ショウゴの酒は、私の剣に匹敵する力がある。知っているか、ショウゴ。私の剣は、各国が欲しがるほどの頂に達している」
「え?」
さすがに、ティナが強いからって、剣士一人にそんな力が宿るわけが……。そう思って、閣下たちの顔をみたら、至って真に受けている顔だった。
「ファウスティーナ卿の言は、正しいぞショウゴ。彼女は、かのボルドー騎士国、最大の剣闘会を優勝し、後にランバーグ王国の剣闘会も優勝した実力者。そして、両国から名誉騎士爵位を授けられた。いわば、彼女一人で騎士団一つ分の戦力を保有することになる。権力者が欲しがらないわけはないのだよ。なのに、その性格のせいでひと所にとどまれた事はないがな、ふふっ、よほど貴様を気に入ったようだ」
そうなんだ。ティナって貴族だったんだ。でも、彼女は商業ギルドの受付嬢の幼馴染で、たぶん平民出身。あれ?こんなに近くにいたのに、ティナのこと色々と知らなかったんだな。……知りたいな。ティナの事をもっと。
「シールズ!! 貴様! それ以上余計なことをほざいたら、その口我が剣で縫ってくれるわ!!」
ティナは、侯爵に煽られて、また顔を赤くしながら怒り始めた。それを面白そうに、閣下はさらに煽り立てる。
「ほう、ならば昔のように稽古をつけてやろう。私に負けるたびに、王宮の中庭で泣きながら素振りをしていた小娘が、生意気を言う様になったものだ。この辺で、もう一度その伸びた鼻を、折っておいた方が良さそうだな」
あぁ、なんで俺が他のことを考えている隙に、喧嘩になるわけ? 俺は、肩に回っているティナの腕を掴んで、彼女の胸を手繰り寄せながら訴えた。
「ティナ? 大人しくしてないと、また抱きしめるよ」
「っ?! き、今日のところは見逃してやろう。そ、それより! ショウゴ、お前ならできるさ。もし、お前の酒をまずいなんて、アレスの商売人どもが抜かしたら、私が全員切り刻んでやる!」
ん、もうティナったら……。
「あはは、ありがとうティナ」
俺は、彼女とおでこを付き合わせながら笑い合った。俺の酒で誰かの心を動かせるかは、まだ分からない。でも、ティナは初めて俺の酒を心の底から認めてくれている。初めての人だ。なんだか、そう思うと力が湧いてくる。
「ショウゴ。もう一度だけ言う、私は酒に関する事ならばお前を第一に信用しよう」
「有難うございます、閣下」
そうだな、俺にできるのは酒を造ることだけだ。それ以上のことは、閣下の領分。俺は出来ることだけに全力を注ごう。
「閣下、このお話、私の全身全霊をかけて、お受けいたします」
「そうか、この侯爵、貴様の献身に心より礼を言う。もう今日は、遅い。明日の朝に詳細を詰めようではないか」
「かしこまりました、それでは失礼します。明日の朝にまた、お伺いいたします」
「いや、今日はもう遅い泊まっていくと良い。部屋なら空いている、スタンプ卿が案内をせよ」
「御意」
俺の意思とは関係なく、決まってしまった。まぁいいか。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「うむ、アーネット卿以外、皆下がれ」
その言葉で、続々とみんなが晩餐室を後にしていく。その最後に、侯爵が思い出したかのように、ティナを呼び止めた。
「ファウスティーナ」
「なんだ」
おいおい、侯爵に向かってその口の聞き方は、こっちの胃がキリキリするからやめてくれ!!
「貴様の部屋にだが、剣を振り回していた子供から、恋する少女に成長したお前へ、私からの贈り物を用意した。うまく使え」
「ふん、くだらん!」
そう吐き捨て、ティナは颯爽と出ていってしまった。侯爵は、少し笑うだけだった。その瞳には、親が子を見るような慈愛の光があった。
そんな閣下に俺はティナの無礼を謝った。
「それはそうと、ショウゴ。あの娘を頼んだぞ」
「は、はい! もちろんです」
俺は、晩餐室を後にした。
まさか、酒の中に毒でも盛れとでも言っているのか? そんなことできるわけがない。だけど、相手は侯爵だ。俺に断れるのだろうか、いや、酒に毒なんて入れてしまったら、俺はもう終わりだ。
死んでも、断る。
「ハハハハッ、そう怖い顔をするな。殺すという表現は、言い過ぎてしまった。貴様が、どんな反応をするか見てみたくなってな。その顔を見るに、よほど貴様は酒を愛しているとみる。試させてもらったのだ。」
侯爵は、先程までの真に迫る神妙な顔を崩し、何事もなかった様な空気を出していた。俺は、肩透かしを喰らってしまったようだ。
「えっ」
「貴様の酒の知識は、おそらく魔塔の魔法使いにも匹敵するだろう。だが、その愛はどこから来るのだろうと思ってな、試しに殺しの道具にされそうになったら、どんな顔をするのか……とな。クククッ、それがあっという間に、修羅の顔に変わるのだから、貴様の酒への愛は純朴なのだろう」
「は、はぁ」
まじで、冗談はやめてくれよ。あんたが言うと、洒落にならないよ! 俺は少し安堵して、ため息を吐いた。すると、斜め後ろからただならぬ殺気を感じた。
ティナが、今にも侯爵に飛びかからんとしそうだった。
「テ、ティナ! 落ち着いて、閣下の冗談だから!!」
俺は彼女の肩を、両手で抑えたが、俺が俺より大きい彼女を抑え切れるわけもない。しかし、まだ彼女は理性が残っていたのか、俺を吹き飛ばさない程度には力加減をしてくれていた。
そんな俺越しに、ティナは侯爵に勇んで見せた。
「冗談でも、許されるものか。ショウゴの酒は、私の剣と等しいほどに美しいものだ。それを穢そうとするなど、冗談といえど許されぬものではない」
あぁー、完全に頭の血管切れてるよぉ。ティナの目は、大きく見開かれていて、血走っていた。彼女が今、帯剣していたらと思うと背筋がゾッとした。
その様子を、俯瞰するように侯爵は楽しんでいた。
「ふふふっ、アーネット卿から聞いてはいたが、ファウスティーナ卿も他者を認めるようになったと言う話は、事実だったようだな」
「偉そうな口をほざくなよ。昔のように、私が遅れをとると思ったら大間違いだ。貴様の人を小馬鹿にしたやり口は、昔からたまらなく嫌いだったんだ」
はわわわ、ティナ!? 侯爵と一体どんな因縁が?! というか、これ以上は雇い主である俺の心臓が持たない。俺は、最後の手段を用いた。
俺は、彼女の肩を押さえ付けていた両手を離した。
「ひゃ?! ちょっ! やめないかショウゴ?! こんな人前で何を考えているっ」
急に抑えを失ったティナの体は、必然的に俺に飛び込んできた。そうなれば、彼女の豊かな胸は俺の顔に容赦なくぶつかって来るわけで、俺は彼女を正面から抱きしめることになった。それは以前、彼女を呼び戻す時にした様に。
あの時とは違って、彼女の体はとても熱かった。身体中の筋肉も岩のように硬っていたが、俺に抱きつかれた事を認識したティナの体は、マシュマロのように非常に弾力性を含んだものに変わった。
俺は、彼女の胸に溺れながら顔を見上げ、少々の苛立ちを目で訴えた。
「もう、怒らない?」
「お、怒らないから! 頼む! から離れてくれぇぇ」
ティナの叫び声よりも彼女の褐色の肌に潜んだ赤みが雄弁に必死さを訴えていた。
俺はもう少し、くっ付いていたかったが、前世でいえば立派なセクハラなので諦めた。……なんだか、転移する際に二十歳ぐらいに若返ったせいか、やることも幼稚になってしまったな。
「け、穢された」
もうお嫁にいけない、とか言っているけどそこは聞かなかったことにした。誰のせいで、こっちの命が危なくなったと思っているんだ。
「私の護衛が閣下に大変なご無礼を、どうかお許しください。彼女はその、猛犬の様なものでして、しかし私はそこを買っているのです」
お辞儀をしながら、短気なティナをフォローする。
「ハハハハッ、よい気にするな。元はと言えば、私に非があるのだ。しかし、あのファウスティーナ卿が、遂に愛を知るか。私も歳をとるわけだな、ハハハハッ! 昔の彼女であれば、ショウゴ、貴様は串刺しにされていたぞ」
「そ、そうなんですか?」
俺は恐る恐る、後ろでへたり込んで女の子座りをしているティナを見た。そこには、目に涙を浮かべて、こちらを恨めしそうにみてくる愛らしい女子の姿があった。
よかった。殺人鬼みたいな顔をしていなくて。
「それでは、話を戻そう。試したとはいえ、貴様の酒で、ある人間を黙らせて欲しいことは事実なのだ」
「は、はい。私にできることであれば、協力は惜しみません」
「ふむ、貴様はここより北方のアレス商国を知っているか?」
ユリアに聞いたことがある。確か、アクアリンデルより北方のウラヌス山脈を超えた先にある小国で、交通の要衝を領土としているために、国益の九割が交易によって賄われている商売国家。
「浅識の身ではありますが、多少は」
「ふむ、スタンプ卿地図を」
「御意」
伯爵の指示で使用人たちが続々と入ってきて、大理石を埋めているワイングラスを全て片付けていった。グラスの中のワインが勿体無いと思って、手前にあるワインだけでも飲んで、使用人に返したら少し悲しそうな顔をしていた。
あ、そういえば貴族の食べ残しって、使用人が貰ってもよかったんだっけ。彼らも、この飲み残しを飲みたいわけね。ごめん、ごめん。と言うわけで、俺は他のグラスには手をつけなかった。
伯爵が地図を広げた。
「ここが、我が領地アクアリンデルだ。そしてその北に隣接する、国家こそアレス商国。アレス商国は、ウラヌス山脈で遮られた北方への通行を唯一可能としている。その為、この国とは友好を結ぶほかない。そこで我らランバーグは、彼の国に関税を支払っている。ここまでは良いか」
「はい、ランバーグ王国は北方との取引のために、陸路を使用する際、避けては通れないアレス商国に関税を支払っている。と言うことですよね」
貴族の三人が、俺の発言に感心を示した。いや、いや、俺は言われたことを繰り返しただけ。まぁでも、俺は平民だと思われているから仕方ないか。
たぶんだが、ここにいる誰よりも高等教育を受けてるぞ、日本出身だからな。
「貴様は、本当のところどこかの貴族の婚外児か何かなのではないのか?」
「閣下、私は正真正銘平民出身でございます。私はただ単に、酒を造るために勉強して来たに過ぎません」
「まぁ良いだろう、そう言うことにしておこう。話を続ける。ランバーグとアレスは五年ごとに、関税の契約を改めることになっている。そして、今年がその契約更新にあたるのだが、ランバーグは東の大国ボルドー騎士国との戦争が、ようやく昨年終えたばかりだ。その為、小国とはいえど金銭的な面でアレス商国が圧力をかけて来る可能性は十分にある」
なるほど、アレス商国は、武力で勝てないランバーグに普段は強く出れない。だけど、喧嘩して傷も癒えていない今なら、強気に先の五年の利益を引き上げようとしてくると。
「そこでだ、交渉は武力でなく、食卓の上で行おうと思っている。そう、文化の力を見せつけるのだ。貴様にわかるか、ショウゴ」
「私見でよろしければ、申し上げます」
「よい、申してみよ」
「では、恐れながら申し上げます。私のウイスキーは、閣下の反応を見るに初めての味だったと考えます」
「うむ、左様だ」
「そうであれば、閣下は王国でも三番目に高貴なお方です。その方が、口にしたこともない酒であれば、アレス商国の方も初めての経験になると考えます」
転移してきたこっちの世界には、蒸留酒という概念がなかった。そうなれば、ウイスキーなどあるわけがない。相手が商売人なら、驚愕せずにはいられないだろう。大戦を終えて、疲弊しているはずの隣国に、新たな文化が芽生え始めていると言う事実に。
「ふむ、それで」
「文化においても優れている大国に、喧嘩を売る商売人はいないと考えます。その重責を、私めに任せようと言うのですね」
そして晩餐室に、貴族たちの嘆声が漏れた。閣下も、期待以上の俺の理解に口元を少し上げて、笑みを浮かべていた。
「素晴らしい。これぞ、天の助けだ。ショウゴ、貴様の言うとおりだ。アレス商国との交渉は、シールズ家が任されてきた大事な任務だ。ここで、弱みを見せれば私の中央での評価は失墜し、周りの貴族からも嘲笑われるだろう。故に、此度の交渉決して、間違えられぬ。貴様に、この案件託しても良いか?」
真剣な面持ちで、侯爵は俺に尋ねてきた。
正直なところ、俺は冗談じゃない!! と叫びたかった。だって、酒一つで世界が平和になるとは思えなかった。もちろん、俺の酒が美味い自信はあるが、人を幸せにするほどの力があるとは、まだ思えなかった。その確信は、いつ手に入れられるのだろうか……。
少し長い俺の沈黙に、閣下は痺れを切らし口を開こうとしていた。しかし、それに割って入ってくる者がいた。
「任されようではないか、ショウゴ」
「ティナ」
彼女は、俺の肩に腕をまわして俺に話しかけてきた。若干、あたる胸が嬉しかった。
「ショウゴの酒は、私の剣に匹敵する力がある。知っているか、ショウゴ。私の剣は、各国が欲しがるほどの頂に達している」
「え?」
さすがに、ティナが強いからって、剣士一人にそんな力が宿るわけが……。そう思って、閣下たちの顔をみたら、至って真に受けている顔だった。
「ファウスティーナ卿の言は、正しいぞショウゴ。彼女は、かのボルドー騎士国、最大の剣闘会を優勝し、後にランバーグ王国の剣闘会も優勝した実力者。そして、両国から名誉騎士爵位を授けられた。いわば、彼女一人で騎士団一つ分の戦力を保有することになる。権力者が欲しがらないわけはないのだよ。なのに、その性格のせいでひと所にとどまれた事はないがな、ふふっ、よほど貴様を気に入ったようだ」
そうなんだ。ティナって貴族だったんだ。でも、彼女は商業ギルドの受付嬢の幼馴染で、たぶん平民出身。あれ?こんなに近くにいたのに、ティナのこと色々と知らなかったんだな。……知りたいな。ティナの事をもっと。
「シールズ!! 貴様! それ以上余計なことをほざいたら、その口我が剣で縫ってくれるわ!!」
ティナは、侯爵に煽られて、また顔を赤くしながら怒り始めた。それを面白そうに、閣下はさらに煽り立てる。
「ほう、ならば昔のように稽古をつけてやろう。私に負けるたびに、王宮の中庭で泣きながら素振りをしていた小娘が、生意気を言う様になったものだ。この辺で、もう一度その伸びた鼻を、折っておいた方が良さそうだな」
あぁ、なんで俺が他のことを考えている隙に、喧嘩になるわけ? 俺は、肩に回っているティナの腕を掴んで、彼女の胸を手繰り寄せながら訴えた。
「ティナ? 大人しくしてないと、また抱きしめるよ」
「っ?! き、今日のところは見逃してやろう。そ、それより! ショウゴ、お前ならできるさ。もし、お前の酒をまずいなんて、アレスの商売人どもが抜かしたら、私が全員切り刻んでやる!」
ん、もうティナったら……。
「あはは、ありがとうティナ」
俺は、彼女とおでこを付き合わせながら笑い合った。俺の酒で誰かの心を動かせるかは、まだ分からない。でも、ティナは初めて俺の酒を心の底から認めてくれている。初めての人だ。なんだか、そう思うと力が湧いてくる。
「ショウゴ。もう一度だけ言う、私は酒に関する事ならばお前を第一に信用しよう」
「有難うございます、閣下」
そうだな、俺にできるのは酒を造ることだけだ。それ以上のことは、閣下の領分。俺は出来ることだけに全力を注ごう。
「閣下、このお話、私の全身全霊をかけて、お受けいたします」
「そうか、この侯爵、貴様の献身に心より礼を言う。もう今日は、遅い。明日の朝に詳細を詰めようではないか」
「かしこまりました、それでは失礼します。明日の朝にまた、お伺いいたします」
「いや、今日はもう遅い泊まっていくと良い。部屋なら空いている、スタンプ卿が案内をせよ」
「御意」
俺の意思とは関係なく、決まってしまった。まぁいいか。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「うむ、アーネット卿以外、皆下がれ」
その言葉で、続々とみんなが晩餐室を後にしていく。その最後に、侯爵が思い出したかのように、ティナを呼び止めた。
「ファウスティーナ」
「なんだ」
おいおい、侯爵に向かってその口の聞き方は、こっちの胃がキリキリするからやめてくれ!!
「貴様の部屋にだが、剣を振り回していた子供から、恋する少女に成長したお前へ、私からの贈り物を用意した。うまく使え」
「ふん、くだらん!」
そう吐き捨て、ティナは颯爽と出ていってしまった。侯爵は、少し笑うだけだった。その瞳には、親が子を見るような慈愛の光があった。
そんな閣下に俺はティナの無礼を謝った。
「それはそうと、ショウゴ。あの娘を頼んだぞ」
「は、はい! もちろんです」
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