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オージェ伯爵邸襲撃事件編

拗れに拗れた話 2

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大人げなく泣いていたのが落ち着くと、周囲の様子がよく耳に入ってくるようになる。

やれ痴話喧嘩だの。
やれ泥沼三角関係だの。

町の人々が、診療所の庭で騒いでいた私たちに注目していた。
私は居心地が悪くて、抱き締められてるアンリの腕の中でもぞもぞと体を動かした。

「……移動するか」
「……うん」

アンリも気づいていたらしく、苦笑しながら診療所へと入った。

「そういえばアンリ、エリアは? アンリを呼びに行くみたいなこと言ってたけど」
「んー……置いてきた」
「え?」

置いてきた?

「ユカの目が覚めたって教えに来てくれてさ、早く会いたくてつい全力疾走しちゃったんだよね」

けろっとそんなこと言うけど……え、あの、その。
私どう反応するのが正しいの?

「早く会いたかったって……誰と?」
「ユカに決まってるじゃないか」

不思議そうにきょとんとされたけど、私はアンリの顔を直視できなかった。
こんなにストレートに私に会いに来てくれたとか言われてちょっと恥ずかしい!

「し、心配かけて、ごめんなさい」
「いや、こっちこそ……って、ああもう、これ堂々巡りになるから、これ以上は何も言うな」

またさっきと同じく謝罪の奪い合いになりそうだったので、口を閉じた。埒が明かないから。

診療所の建物へ入ると、私は自分の病室に戻された。アンリがマルスラン先生を連れてくると言ったので、ベッドに半身を起こした状態で待った。

間もなく、アンリとマルスラン先生が入ってくる。

「気分はどうだい、ユカさん」
「大丈夫です」

マルスラン先生は目を細めて微笑むと、ベッドのそばの椅子に腰かけて、私の脈を測ったり、目を見たり、喉を見たりと簡単な診察をしてくれる。
診察が落ち着くと、少しだけ曇った表情になった。

「エリアくんから、記憶が無くなっていると聞いているんだが……」
「記憶?」
「そうなのか、ユカ?」

マルスラン先生の言葉に首を傾げれば、アンリが追従するように聞いてくる。

はて……記憶なんて飛んで……って、ああ。

「飛んではないと思います。でも、起きたときちょっと混乱してて……目が覚めたら診療所だったので、伯爵邸に行く前日だと勘違いしてしまったんです」

エリアとしたやり取りを思い出して伝えたら、なるほど、とマルスラン先生は頷いてくれた。

「それじゃ、嫌だろうけど、オージェ伯爵邸で何があったか教えてくれるかな。騎士団から君に事情を聴くように言われているんだよ。なぁ、アンリ坊」
「そうだけど……嫌なら話さなくても良いし、僕たちに話せなかったらエリアが帰ってきてからでも良い」

騎士団からの要請をマルスラン先生が教えてくれるけど、その要請についてアンリが訂正をいれた。
アンリの優しい心遣いに、ほっこりと胸が温まる。

だからかな。
ずっとアンリは私のことを気にかけてくれていた。用事がなくとも会いに来てくれて、ほんの些細なことにも一緒に笑ってくれて、私が男の人が怖くて震えたときには抱き締めてなだめてくれた。
そんなアンリだったから、私はゆっくりとだけど、あったことをちゃんと話すことができたんだと思う。

夏至の後の市の日、天落香をロワイエ様が買ったこと。
おまけにもらった天落香が、私に媚薬作用をもたらしたこと。
その事を確かめたいと言ったロワイエ様に、なんだかんだ言いくるめられて天落香を使われたこと。
天落香が私に媚薬作用をもたらすのは、私が天降り人だからだとロワイエ様が言っていたこと。

そして、私が真実、異世界から来たこと。

途中、気分が悪くなって何度か休憩をいれつつ、なんとか話終える。
全部話終わる頃にはひどく喉が渇き、疲れてもいたけれど、胸のつかえがようやく取れたような感じがした。

「ユカが天降り人……」

アンリがあんまりにも驚いたように呟くものだから、私は居心地が悪い。何もそんな、珍獣を見たような顔をしなくとも……いや珍獣か。天降りがお伽噺程度の認識なんだから、私は珍獣以上に珍しいでしょうね。

うまく噛み砕けていないアンリを置いて、マルスラン先生は何やら顎に手を置くと考え事を整理するかのように聞いてきた。

「ふむ……天落香が確かに天降り人を性的な意味で落とすという話は確かにある。天降り人がいないから確かめるすべもなく、そういう伝承があるという領域を出ないけれどね。本当にユカさんが嗅いだのは天落香だったのかい? ただの媚香、媚薬の可能性もある」
「それは無いよ。昨日の調査で媚薬は伯爵邸からは見つからなかったし、香も確かめたけど媚香じゃなかった」
「口にするものは全て自分で用意していたので、お薬を盛られたとは思いません。それに天落香で私だけがあんな気分になるのは二回目でした」

ただしく事実を教えようとすると、ロワイエ様との行為を思い出されて頬が熱をもつ。あぁ、恥ずかしい。とても恥ずかしいわ!

マルスラン先生が困ったようにため息をつく。

「その……非常に言いにくいことだが、異世界から来た、というのも本当のことなんだね?」
「はい。それを疑われては、私の二十三年が全て消えてしまいます」
「……すまない」

マルスラン先生が私の気を疑うのは分かるよ。これまで散々心配してもらっていたし、私の心のケアをエリアと一緒にしてくれたんだもの。

でも、私の二十三年は否定できない。
胡蝶の夢なんて言わない。
人の夢であれ、蝶の夢であれ、あれこそが私の現実なんだもの。

「天降りとは神からの贈り物……もし、ユカさんがこの世界に来たのも神の思し召しと言うのなら、君は間違いなく天降り人だ。伝承の通りに本物の天落香に酔うのも頷ける」
「信じてくれるんですか?」
「信じざるを得ないだろうね。そうじゃないと、香がユカにだけ効いてロワイエ様に効かなかった説明がつかないし。それにあの自信のありようが分からないから」
「自信?」

どういうこと?
忌々しげに顔を歪めるアンリに先を促すと、渋々ながら教えてくれる。

「……ロワイエ様が、合意の元行ったとか、ユカが自分と相思相愛だとか抜かしてたから」
「そうなんだ」
「そうなんだ、って……」
「言わされたとは思うから合意かどうかは微妙だけど、私、ロワイエ様の事、嫌いじゃない……と思う。ひどいことはしたけど、私を殺そうとはしなかったから」

そう言うと、アンリだけではなく、マルスラン先生まで厳しい顔になる。え、私なにかいけないこと言った?

「ユカ、自分が異常なこと言ってるって自覚ある?」
「異常なこと?」
「合意じゃないならただの暴力だ。『こっちの方がマシ』だなんてことは絶対にない」

私はアンリの言葉に困惑する。
えぇと、アンリの言いたいことが分かんない。

「確かに怖かったし、悲しかったけど、殺されかけたことに比べれば、平気だよ」

だから、私は大丈夫。

そう言おうとする前に、アンリの表情が今まで見たことがないくらい怖いものになる。私は思わず口をつぐんだ。

「ユカ」
「……」

名前を呼ばれただけだ。
アンリに名前を呼ばれただけ。
それなのにどうしてこんなにも、冷や水を浴びせられたように体が震えるの。

私は本心を語ったはず。
語ったはずなのに、つきつきと針で差したような痛みが胸に残る。
まるで嘘をついたときのような罪悪感が、私の中にわだかまる。

「ユカ」

もう一度、アンリが私の名前を呼ぶ。
どんな顔をしているのか見たくなくて、うつむいた。

「ユカがロワイエ様と恋人同士なら僕はこれ以上何も言わないよ。ユカはロワイエ様と恋人になったのか?」
「……違う」

違うけど、ぼんやりと霞がかってる記憶の向こうで、私は喜んでロワイエ様に腰を振ってたのは覚えている。

「ユカ。もう一度言うけど、あの時のユカは正常な判断ができる状態じゃなかった」
「……まだ何も言ってない」
「顔を見れば、言いたいことくらい分かる」

きっぱりと言いきったアンリ。
私は気まずくて、ますますうつむく。

嫌だ嫌だと言っても、されて喜んでいたのは事実だ。あんなことされて喜ぶのは、私が淫乱だからでしょ?

自分の記憶は嘘をつかない。
ぼんやりとだけど、その時どう思ったことくらい覚えてる。
だからこそ、私は自分自身が一番汚らわしくて、許せない。

媚薬のせいでとは言うけど、本当に媚薬のせいなの? 私自身が思ったことなんじゃないの? 気持ちいいと思ったんでしょ?

あぁ気持ち悪い。吐きそうだ。

またつきつきと胸が痛む。
嘘をついたときのようなもやもやが、まとわりついてる。

言葉が途絶えて沈黙が落ちる。
私は何も言わない。アンリも何も言わない。
互いにかける言葉を失った。
アンリと出会ってからこんな事なかったから、私はどうして良いのか分からなくて唇を噛み締めた。いっそのこと罵ってくれたら良かったのに。

沈黙を破るように、マルスラン先生が私に笑いかける。

「まぁ……今回は結果としては良かったのかもしれないね。皆、ここに来た時のようにユカさんが戻ってしまうのじゃないかと心配していたんだ。かといって、ロワイエ様がしたことは許されるべき事ではないんだが。……アンリ坊」
「分かってる。僕だって怒ってるんだ。なぁなぁにはしない」

アンリがベッドへと近づいてくる。私は顔ごとあさっての方向を見た。
アンリを怒らせたのは私だ。でも私は自分の言ったことが間違ってないと思ってる。

「ユカ」

手が上がる。
叩かれる、と思った。
きゅっと目をつむる。

でも、いつまでたっても衝撃は来ない。
代わりに優しき手つきで、いつものように私の頭を撫でられた。

「ユカは悪くない。ユカのせいじゃない。ユカが自分を否定しても、僕が君の全てを肯定してやる。ユカが辛い思いをするのは僕のせいだ。……助けるの遅くてごめんな」

恐る恐る顔をあげれば、アンリが泣きそうな、悔しそうな、悲しそうな顔で微笑んでいた。

私の心臓がぎゅっと締め付けられる。
あぁ、違う。私は、アンリにそんな顔をしてほしくない。

あのままの状況が続いたら、私はどうなっていたか分からない。
本格的にロワイエ様に囲われたかもしれないし、私の心の方が先に壊れたかもしれない。

アンリは助けるのが遅かったと謝ってくれたけど、私がもっと強くロワイエ様を拒絶したり、そもそもロワイエ様のお話に乗らなければ良いだけの話だった。だから私は、本当にアンリが謝る必要はないと思ってる。
だから私は許す以上に、彼に感謝の気持ちを伝えなきゃいけないんだ。

アンリ、ありがとう。

私をロワイエ様から離してくれて。
私が不安なときはなだめてくれて。
私の命をあの夜に救ってくれて。

汚らわしいと嘆いた私に触れたいと言ってくれたあなたに、沢山のありがとうを伝えたい。
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