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オージェ伯爵邸襲撃事件編

市へ行こう1

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オージェ伯爵邸襲撃から一ヶ月が経った。
事件捜査の収穫はなかなか芳しくないみたいで、シュロルム支部から王都にある黒宵騎士団本部まで連絡がいったらしく、全国で警戒をしているとアンリから聞いた。それでも情報網に引っ掛からないので、やはりオルレット国に逃亡したのではと考えられているそうだ。

私はといえば、この一ヶ月で男性恐怖症に対する克服が出来てきていると思う。
普通に会話をする分にはもう問題ないんじゃないかな。

最初は部屋の窓からぼんやりと通行人を眺めていた。男の人が通っても問題がなさげだったから、庭に出てさらに通行人の観察を続けた。
その内、診療所の門の近くの花壇に水を遣りながら、通行人や診療所に来る人たちに軽い挨拶ができるようになった。
老若男女関係なく、だ。

アンリは相変わらず毎日のようにお見舞いに来てくれる。たまに、リオネルさんやユーグさんも挨拶に来てくれる。
花壇の水遣りをしていると、アンリの部下だという騎士団の人たちもよく通る。挨拶すれば愛想よく挨拶を返してくれる。

騎士団はもちろん男所帯だ。
相手はもちろん男性ばかり。

ふっふっふっ、やっぱりリハビリの成果が出るんだよ! 大丈夫、これなら私また今まで通り生活ができる!

自分的には心のリハビリのためにもそろそろ次のステップへ行きたいところ。さて、どうしようと今日も今日とて花壇に水を遣る。

この花壇はエリアさんが趣味で作ったものらしい。薬草農園のついでに可愛い花も育てたかったんだって。せっかくなら見る人に癒しをということで、診療所の庭を作ったのだとか。
さらには可愛いだけでなく、これも薬草なんだって。花に薬効があったり、種が薬になったり。そういう種類のものばかりらしい。

もうすぐ夏がくる。この国は冬至と夏至を基準に、冬と夏の概念しかないのだけれど、四季が別れていた日本で育った私は、体感的に春がそろそろ終わるなぁと思った。だって植物が軒並み花を散らして葉っぱだらけになったし。

「今日も精がでるねぇ」
「あ、おはようございます」

すっかり顔馴染みになったおばあちゃんに挨拶をする。このおばあちゃん、健康のために毎朝決まった時間にこの近辺を散歩しているのだそうだ。

「ユカちゃん、飴をあげようねぇ」
「わぁ、良いんですか?」
「いいよぅ。がんばり屋のユカちゃんにご褒美だ」
「ありがとうございます!」

さっそくおばあちゃんから貰った飴を口の中にコロコロ転がした。黄金糖の味がした。

「んん、懐かしい……おばあちゃんちの味がする……」
「あっはっはっ、そうかいそうかい。気に入ってくれたら何よりだねぇ」

それじゃあね、とおばあちゃんが去っていく。
今日は飴を貰えたので幸先がいい気がした。無駄に、今日はきっと良いことがあるのではと期待した。





はたしてその予想は大当たりで、口の中の飴がすっかり溶けた頃、エリアが一緒に町へ出かけないかと誘ってくれた。

私はもちろん「行く!」と即答した。

エリアが服を持ってきてくれたのでそれに着替える。
本日の衣装は、アイボリーの膝下オフショルワンピース。襟には花の刺繍が施されていて可愛らしい。

私とエリアじゃ胸囲に驚異的な差があるというのに、なぜかサイズがぴったりだった。

「どうしたのこれ」
「ロワイエ様から。他にも沢山届いているわ」
「何で私のサイズ知ってるのキモい」

エリアが顔を歪めた私の髪をゆるく編み込んで、毛先を左肩へと流した。リボンがワンピースとおそろいだ。

エリアもいつもの淡い黄緑のワンピースではなくて、白色のブラウスに紺色の丈が長めのタイトスカートを着ている。側面にあるスリットがとっても魅力的だ。頭は後ろに一つでくくるだけ。手には籠を下げている。

「さ、行きましょう」
「はい」

エリアの隣に並ぶ。
一年ちょっとこの世界で過ごして初めて、私は町というものを歩いた。

シュロルムはあまり大きな町ではないらしく、食べ物屋こそ一ヶ所に集中する通りがあるだけで、その他の店は住宅に紛れるようにして店が構えられているらしい。

私は馬車で見た光景と照らし合わせながら、くるくると視線をあちこちへと向ける。
あれはなに、これはなに、と子供のようにエリアに訪ねながら店を覗いた。心なしか、馬車から見たときより活気がないような?

食べ物屋の通りを抜けたところで、私はエリアを見る。そういえば今日はどうしておでかけをするのだろう。私はふらふらとあちこち視線を向けているけど、エリアは確固たる目的地を目指して歩いているようだし。

「エリア、今日はどこ行くの?」
「市よ。今日は広場に行商人が来てるから。珍しい薬草がないかしらと思って。広場の方に人が集まってるから、はぐれないように注意してね」
「はい」

エリアについていくと、段々と人が多くなってくる。通りで食べ物屋の辺りに人がいないわけだ。田舎の通勤ラッシュみたいな混み方。するすると人の合間をエリアが抜けていく。
私もなんとかぶつかりそうになりながらも、人混みをすり抜けてエリアに着いていく。

こんな人混みだから当たり前だけど、途中男性ともぶつかりそうになった。というか考えている矢先にぶつかった。

「す、すみません」
「んぁ、こっちこそすまねぇ」

行商の人かな? マフラーでぐるぐると口元が覆われていて、声がくぐもってる。相手はフードつきのマントを被っていたけど、身長が高いから見上げれば瞳の色が見えた。

「え、なんでいるんだお前?」
「へ?」

行商らしき人の、茶色の瞳が大きく見開かれる。

私を知っているような素振りに、思わず相手の顔をまじまじと見つめるけど、険しい顔をされてフードをぐっと下にさげられてしまった。

「あの、何か」
「いや?」

さっきほどとはうって変わって、より一層声音は低くなるけど、どこか楽しそうな色を含んでいる。
心がざわついた。なんだろう、この感じ。

「おら、ツレが探してんぞ。またなメイドさん?」

霞がかっていた記憶が震えた。
この人は誰だろう。たぶん、知っている人だ。でも、思い出せない。

茫然と人混みに紛れていった行商らしき人物を見送っていると、エリアが私とはぐれたことに気づいたらしく戻ってきてくれた。

「ごめんなさい、早く歩きすぎたわね。人混み大丈夫?」
「え、あ、うん」

心配するエリアにこっくり頷く。

「そう? 無理してない?」
「平気。離れちゃったのは、人とぶつかって謝ってただけだから」
「あら。相手は女性?」
「ううん、男の人」
「そう」

エリアは少し思案するように考える。でもこんな道の真ん中で立ち止まってると通行の邪魔にならないかな。
立ち往生してるのに落ち着かずそわそわしておると、エリアが苦笑しながら聞いてきた。

「疲れたなら帰るけど、どうする?」
「え、大丈夫だよ。久しぶりの外だから、もっと見て回りたいし」
「……分かったわ。でも疲れたらすぐに言ってね? 休憩しながら、ゆっくり歩きましょう」
「はーい」

エリアの過保護なまでの心配にこっちが苦笑したくなるよ。最近はリハビリの甲斐あって、疲れやすいけどそこそこ体力も戻ってきてると思うし、さっきも男性とぶつかっただけで発作は起こらなかった。平気平気。

「はぐれないように手を繋ぐ?」
「エリア、子供扱いはやめてね?」

最後に思い出したかのように、茶目っ気たっぷりに言われた言葉には脱力するしかなかったけどさ!

同い年の子に子供扱いされるとか……本当に私子供にしか見えないのかな……いやでも前に聞いたとき十代半ばに見えるっていってたよ? 十代半ばってそれなりに大きいよね? もしかして私に気を使ってサバ読んだだけで、実はもっと幼く見えるとか?

もしやの可能性に思い当たり愕然とする。
そういえば毎朝お散歩しているおばあちゃんの、私への対応は小さな孫にするソレでは?
……私マジで何歳に見えてるのか甚だ疑問だわ。

「ユカ? やっぱり疲れた?」
「ううん、大丈夫だって」

考え事をしながらエリアの後ろをとことこ歩いていると、振り向いた彼女に心配された。もう、心配性何だから。

「そろそろ露店が見えるはず……あ、ほら」

エリアが視線を前に戻すと、人混みの合間に露店らしきものが見えた。皆さん身長高いですね。私の身長だと皆さんの体が邪魔で見えにくいです。

人混みを必死に掻き分けて、露店へ近づく。
一番近くにあった露店は、反物だった。エリアに「見る?」と言われたけど、布の良し悪しは分からないのでやめた。エリアもそこの露店からさっさと離れた。

それから細工物や置物などの露店を少し冷やかしたり、果物の露店で売ってた「南国果実のジュース」を買って飲んだりする。
いくつもの店を見たところで、ようやくエリアは目的の露店を見つけたようだ。

「あった。ここね」

他の露店と違って人がまったく人が寄り付いていない露店で、エリアは足を止めた。
気難しそうなおじいちゃんが、干した草やら薬やらを店に並べている。

「こんにちわ。大きな切り傷に効く薬草って扱ってるかしら」

気難しそうなおじいちゃんはちらりとエリアに視線を向けると、ザッと品物であろうもの達を見渡した。

「……ねぇな」
「そう……残念だわ」
「……切り傷なんざ、縫って消毒して、痛み止め飲んで治すもんだろ」
「そうなんだけどね。女の子だからあまり傷を残してあげたくないのよ」
「……塞ぐんじゃなくて、肌を綺麗にできればいいのか?」
「ええ、そう」

おじいちゃんはもう一度商品を眺めた。それからおもむろに一つの壺を手に取る。

「……軟膏だ。湿疹とか、擦り傷とかを跡形もなく消してくれる。切り傷もまぁ、ある程度閉じてりゃ消してくれるだろう」
「成分は?」
「……」

おじいちゃんは壺の上の紙蓋を取る。二重になっていたみたいで、陶器の蓋の上に折り畳まれていた紙があった。
エリアがその紙を受け取って、さらりと目を通す。

「なるほど……南国の植物を使ってるのね」
「……買うか?」
「ええ。おいくらかしら?」

ぽんぽんとエリアが即決でその軟膏を買い求めた。
金貨が出てきた。
……ひぇっ、めちゃくちゃ高級品じゃん! というかエリア、そんな大金もって歩いてたの!?

この世界の通過は金銀銅貨だ。庶民の間では銅貨が主流。銀はちょっと小高いイメージ。日本でいう千円札みたいな。金貨に至っては貴族や店同士の巨額取引に使うくらいのものだ。イメージ的には万札。
この国、基本的に物価が安いのもあって、庶民は金貨を使うことなく人生を終えることもしばしばあるらしい。

そんな金貨で取引された軟膏。あっさりエリアはお買い上げしていたけど、良いのだろうか。

「エリア、その薬って……」
「もちろん、貴女用よ」

ですよね! そうだろうと思いました!

「まぁでも、気休め程度にしかならないかもね。貴女、薬が効きにくい体質みたいだし」

解熱剤も痛み止めも効かなかった最初の一週間を思い出したのか、エリアがため息をつきながらいう。
効くかどうかもわからないのにそんな高級品を買わせたあげく、それを私に使うのはなんとも忍びない。

「買わなくてもいいのに」
「遠慮しないの。出来ることは最大限やらなくちゃ。せっかくの綺麗な肌なのに傷を残すのは嫌でしょう?」
「でもこれすごく高いものじゃない?」
「お金のことは気にしないで。伯爵家から出てるから」

どうやら金貨の出所は伯爵からだったらしい。そういえば私の治療費やら保護費が全部診療所に回されるって話だったな。
でも結局は自分のお金ではないからか、人に買わせるという意識が強くて、少し気後れしてしまう。

それでもこれ以上食い下がるとエリアに叱られてしまうので、私は渋々引き下がった。
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