上 下
51 / 56
本編裏話

ぼくのおねえさま10

しおりを挟む
ゆったりと時は流れていく。
ホールの中心では男女が手を取り合ってくるくると歯車のように廻り、外縁では各々話に花を咲かせている。

僕もお姉様も外縁で花を咲かせていたけれど、ちょうど今しがた話していた子爵夫妻が去っていったところだった。

お姉様を見ると、頬を上気させてとろんとした瞳でワインのグラスを揺らしている。
僕はもうそろそろかなとほくそ笑む。なかなか順調に進んでいるので重畳です。

「お姉様、テラスに移動しましょうか」

後どれくらい飲ませようかと打算しながらお姉様を誘うと、お姉様はふるふると首を横に振った。

お姉様がぽやんと笑うと、ぐりぐりと僕の肩に頭をこすった。

「か、可愛いです……!」

子猫みたいにお姉様が甘えてる! 僕に甘えてます!

全身の血が沸騰するかと思うくらい煮えたぎる。エスコートをしようと思って差し出そうとした腕がぷるぷると震えた。

こういう時はどうすれば良い?
抱きしめればいいんですか?
でもこんな可愛らしいお姉様のどこを抱きしめれば?
それともキス?
つむじにキスをしたいけれど、僕の身長はお姉様よりちょこっとしか高くないのでつむじにキスをするのは難しい?

ぐるぐると思考を巡らせていると、お姉様が先手を打ってきた!

ちゅっと可愛らしいリップ音が耳に響く。
同時にふにっとした柔らかい感触が。
それから少し遅れて熱い吐息が吹き込まれて、背筋がぞくぞくした。

「お、お姉様……っ!?」

思わず驚いて耳を抑えた。それから少しだけお姉様から体を離そうとすると、お姉様が僕の腕を胸にぎゅっと抱え込んだ。
お姉様が目を潤ませて、上目づかいをしてる。僕と視線が交わると、すりすりと僕の腕に額を擦り付けてきた。

わー! わー!
可愛いです! お姉様が僕に甘えてくれてます!

頭に血が上ってのぼせそうになる。あぁ、なんて破壊力でしょう。普段、しっかりしているお姉様がこんなにも甘えてくれるなんて……! あぁもう、食べちゃいたいです。

でれでれとしまりのない顔をしている自覚はありますがやめられません。せめてもと思って赤くなる顔を覆ってしまおうと思っていると、お姉様が舌足らずな言葉でこんなことを言ってきた。

「でんか、私のこときらい?」

なんで、そうなる。

僕はお姉様から出てきた言葉が信じられなくて、瞠目した。

僕がお姉様を嫌うわけないじゃないですか!

こつんとお姉様の額に自分の額を当てる。

「そんなこと、ありえません」

お姉様に伝わるように、聞こえるように、エメラルドの瞳を見つめながら否定する。

お姉様の体がふるりと震えた。

「でんか、でんか、お話、して?」

うっとりと夢見心地におねだりされる。

くぅっ……! もう我慢できません!

獲物に飛び付く獣のように、お姉様を抱き締める。

お姉様の細い首。
お姉様の華奢な肩。
お姉様のふんわりとした胸。
お姉様のシルクのような肌。
お姉様の折れそうな腰。

その全てが僕のもの。
早く、早く、お姉様を僕だけのものにしてしまいたい。
そうしてお姉様を僕でいっばいにしてあげたい。

「お姉様、それは反則です……」

呻くように喉から絞り出すと、お姉様がこてんと首を傾げた。
あぁもう、その動作すら愛しい。

背中に回していた手で後頭部をそっと包んで僕の肩口に抑えつける。こんな可愛いお姉様を他人に見せるなんて癪です。

「あぁ、もう、本当に僕が大人じゃないことが悔やまれます……」

大人だったらすぐにでもお姉様を襲ってたっぷりと愛でてあげられたのに……。

ぐぅ……と嵐のように荒ぶる愛しさをおさえつけておると、お姉様が「来年のぶとーかいは、でんかもワイン、飲みましょうね」と言ってくる。

酔ってるお姉様、めちゃくちゃ可愛いです。
このままだとこんなに可愛いお姉様が他の貴族の目にさらされたままだし、何といってもヴァーノンにこのお姉様を見せたくない。

でも、お姉様に眠ってもらわないことには僕の計画が進まないし……やっぱり睡眠薬を用意した方が良かったのだろうか。でもそこまであからさまなのはなぁ……。
仕方なく、昔よくやってもらったようにお姉様の背中をトントンと叩く。赤子をあやすようにしてやれば、お姉様がぐずぐずと僕の腕から逃れようともがく。それすらも可愛い。

「でんか……ねむたいのです……」

よっし!
僕は心の中で拳を握った。
計画通り!

「はい。飲ませたのは僕なので、最後まで責任を持ちますよ」

お姉様から少しだけ体を離して、腰に手を添えて支えて微笑みかけた。

給仕に飲みかけのワインのグラスを返し、お姉様の手を引いてホールを出る。そのままお姉様を連れて空いている客室へと向かう。

「んぅー」
「お姉様、歩けますか?」

ふらふらとよろけるお姉様を連れていくのはちょっと難しい。
ふむ、と少し考える。
ドレスの裾を擦ってしまいまうけど、仕方ないですよね。

よっとお姉様の足をさらう。膝らしきところに腕を差し入れ、横抱きにして抱えた。

「わぁ」
「お姉様、危ないので首に腕をまわしてくれますか?」

情けないけど、体格の近い僕とお姉様では、ヴァーノンみたいに颯爽と動くことはできない。お姉様にお願いすると、お姉様はにこにこと笑って僕を見た。

「ちがうわよ、こういうときは、なんていうの?」

お姉様が僕の唇を白魚のような指でつつく。

~~~っ! お姉様、それは卑怯です! 僕両手塞がっててお顔が隠せません!

「でんか、おかおがまっかね?」

くすくす笑うお姉様。顔が赤いのはお姉様のせいですよっ!

「お姉様……」
「ちがうでしょう。ほら、おしえたでしょう。こいびとは、なんとよびあうの?」

お姉様の言葉に、一瞬、息がつまる。

……あぁ、この人は。
本当にヴァーノンと決別する気でいるんですね。
でも、本当にあなたはそれで幸せですか?

僕はゆるゆると頬をゆるめて、唇の端を持ち上げる。

「アンリエット」

彼女の名前を構成する文字一つですら愛しい。ゆっくりと、彼女に響くように名を読んだ。

「イレール」

彼女は嬉しそうに僕の名前を呼ぶと、重たげだった瞼をとうとう落としてしまった。
すぅすぅと、酒気の混ざった寝息が聞こえる。

僕は客室へと向かう足を早めた。
とくとくと早まる鼓動と同じ早さで足を動かす。

名前で呼ばれることのなんとも言えない幸福感で体が満たされる影で、彼女はまだ心を僕でいっぱいにしてくれてはいないと戒める。

まだ……まだです。
まだ、彼女のなかにはヴァーノンがいる。
目移りしないと僕が安心するにはまだ足りない。

僕はするりと客室へと入る前に近くにいた使用人に侍女を呼ぶように言いつける。予め、僕が取り込んでおいた侍女だ。
僕はその間に彼女を客室の寝室へと横たえる。彼女がむにむにと口を動かした。可愛くてついついその唇をパクリと食べてしまった。

やって来た侍女は彼女のための夜着を持って来てくれている。うんうん、指示通り。侍女に彼女を着替えさせる。そのついでに化粧も落とさせて、髪もほどかせた。
僕はその間に自室に戻ると、安眠のためにと取り寄せていた香を手にとって客室まで戻った。

彼女の枕元で香を焚く。
量を十分に計算して、彼女が明日の朝まで確実に眠ってくれるようにしてある。

……これでようやく計画の前半が終わりました。
後は明日、彼女が目覚める前に、それっぽい状況を演出するだけ。

さすがに婚前前に事を起こすと父上に叱られる所では済まされないので、今日のところは一旦自室に引き返し、明日の早朝に彼女に挨拶をすると言う名目で客室へと入る。

そう、これこそ完全版既成事実計画。
ふふ、我ながら上手くいったものですね!

侍女が手際よく青雲騎士団から警備の者を呼んでくれたので後は任せて、僕はもう一度ホールへと戻った。これからムーリエ公爵に彼女を城に一泊させるのをお願いをするのです。

僕は軽快に靴の踵を廊下に響かせる。
ムーリエ公爵を説得するのは骨の折れることでしょうが、明日の朝、彼女が今度こそ僕を男として見てくれるであろう事を思えば、何だってやれる気がした。


◇◇◇


彼女は翌朝、僕が予想していた通り赤面して、混乱した中で僕が期待した通りの勘違いをしてくれた。

僕はそれに満足する。
これで、彼女は僕を意識してくれる。
いずれ、ヴァーノンがいても彼に目移りなんかしないで僕を見つめ続けてくれるに違いない。

僕はその日が来るまで、じわじわと彼女を煽り、そして師と呼ぶその人から彼女を悦ばせるための技術を手に入れるために学び続ける。

恋に教科書なんてありません。
それなら自分が恋した人と同じ人に恋した人から教えを乞うのが一番効率がいいでしょう?

長い、長い、十六年の婚約期間。
もう後二年の正式な婚約期間の間に、僕は僕が恋した人の心を僕で埋めてしまうのが目標です。

───さぁ、結婚までに僕は、アンリエットにヴァーノンの事を想う余地などないくらいに想われることは出来るのでしょうか?









【ぼくのおねえさま 完】
しおりを挟む

処理中です...