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本編裏話

騎士と猫のような妖精5

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アンリエット嬢は半月ぶりにやって来た。
当然のような、殿下の根回しによって。

殿下の「他の先生の授業がお休みなので」という言葉は「他の先生の授業をお休みするので」が正しかったが……日頃の態度のお陰か融通がきいてしまうあたり、確信犯なのではないかと思っている。

「お姉さま! お話をしてください! ヴァーノンばかりずるいのです!」
「ええ?」
 
お話をしてくださいとアンリエット嬢に飛びつく殿下に呆れていると、困ったようにアンリエット嬢がこちらに視線を寄越した。
 
「ええっと、これは?」
「すまない。先日の個展の話をしたら……」
「あぁ、なるほど……」

隠す必要はないのでそのままを述べる。
それだけで通じたらしく、アンリエット嬢はそのまま膝を折って、殿下と視線を合わせた。

「殿下、お話をしましょう。私も少しだけ面白いお話があるのですよ」
「はい!」

元気よく返事をする殿下と、視線を合わせていたアンリエット嬢を見ていて、ふと気がつく。
髪型こそ違うが、身に纏うドレスは見間違えることはない。クラヴェリ伯爵家で初めて彼女の姿を見つけたときに来ていた、淡いグリーンのドレスだ。

「そのドレス、伯爵家のパーティーの……」
「あら、お気づきになられて?」

アンリエット嬢が微笑む。
確か殿下がねだって着てきてもらうというような話をしていたが……本当に着てきたのか。髪をおろしているので、先日よりも愛らしく見える。

「よく似合っている。とても可愛らしい。お伽噺の妖精のようだ」
「あ、ありがとう」

褒めると、頬に朱が差した。林檎のように真っ赤に熟れる様は見ていて面白い。

彼女が真っ赤な表情を誤魔化すように殿下と一緒にソファへと座る。
他愛ない話が始まり、殿下がアンリエット嬢と踊りたいと言い出した。彼女は困ったように笑ってやんわりと断る。確かにこの身長差では踊りにくいだろうなと思いつつ静観していると、こちらにまで話が飛んできた。

「お姉さま……ぼく、ヴァーノンくらい大きくなりたいです。なれますか?」

会話の相手はアンリエット嬢だ。ちらりと彼女の様子を確認すると返答に窮しているようだった。
……まぁ、確かに返答に困るだろう。俺は自分でも縦によく伸びたと思っているが、殿下の両親や他の王子を見る限り、あまり期待はできない。

アンリエット嬢が言葉を選べないようでいるので、口を挟ませてもらおう。

「殿下、背の事をいうなら分からないが……鍛練をきちんと続けられれば、男としては大きくなれる」
「男として?」
「そうだ。殿下の目指す、立派な騎士になれる。立派な騎士となって、貴方の姫君を迎えにいくと良い」

気落ちしていたらしい殿下の表情がたちまち明るくなる。ソファから降りて、アンリエット嬢の手を取った。

「大きくなれなくても、りっぱな騎士になったら、踊ってくれますか?」
「もちろん。喜んで。格好いい騎士様になってくださいね」
「どれくらいかっこよくなればいいですか?」
「そうですねぇ……ヴァーノンくらいに格好良くなってくださいね」
「ンっ!?」

後はアンリエット嬢が上手く殿下を焚き付けてくれるだろう。中途半端な鍛練も、これでより一層身をいれてくれるに違いないと内心ほくそえんでいたら、アンリエット嬢の口から可笑しな言葉が飛び出てきた。

俺が、何だと?

聞き間違いか? 幻聴か? 今の一言はなんだ? 世辞か?

自慢ではないが、女性に言い寄られる経験が皆無というわけではない。だが、殿下の婚約者であるアンリエット嬢のその言葉の響きは驚くほどにこの身に染み渡る。

もう一度、言ってもらえないだろうか。
今度は聞き逃さない。

じっとアンリエット嬢を見つめると、一瞬だけ視線が合ってすぐにそらされた。

「お姉さまから見て、ヴァーノンは格好いいのですか?」
「そうね。しっかり鍛えられているから、なんだか安心するわ」

殿下の問いの答えにもなっていないし、俺のほしい言葉ともずれているが……これは褒められたととってもいいのだろうか?

いや、感違いはしてはいけない。これは世辞だ。彼女の言葉だと思うと妙に深読みしたくはなるが……先程褒めたドレスに対するお礼くらいの言葉だろう。

アンリエット嬢と視線を合わせるのは気まずい気がした。何もない天井を見上げてやり過ごすか。

「ぼくがんばります! きたえてヴァーノンみたいにかっこよくなります!」

天井を見上げていると、少々予想外な過程を経たが、殿下が鍛練に対してやる気を出した。もう少しだけ様子を見たら、木剣をもう一度持たせてやってもいいだろう。

「ええ、ヴァーノンみたいに格好よくなって、エスコートしてくださいね」

今度は聞き逃さなかった。天井を見上げていて良かったと思う。沸き上がった言いようもない衝動を唇を噛み締めてやり過ごした。
この衝動がなんなのかは考えないようにする。一人の少女の……しかも使えるべき主の婚約者に対して適切な感情ではないと本能が忌避した。

もういいかと思って視線を二人に戻すと、殿下が心置きなくアンリエット嬢に甘えている。すり寄る殿下の様子は年相応と言ってしまえばそれまでだが、これくらいの年頃なら女性に対して恥ずかしがる素振りを見せるはずだ。

殿下がアンリエット嬢にこれだけ甘えられるのは何故か。彼女が、殿下に対して損得なく接しているからだろうか。

「……本当に子供が好きなんだな」
「もちろんよ。可愛いものは好き。子供は可愛い。それに子供が嫌いと言ってしまったら、私の人生不幸になるわ」
「……」

彼女の言葉に視線をそらす。

……アンリエット嬢の言葉は真実だ。子供嫌いだったら、十年も殿下に付き合って、こんなおままごとみたいなことをしてはいないだろう。

「お姉さま、おつらいの?」
「いいえ、幸せよ」

アンリエット嬢が殿下の額にキスをする。
俺のせいで彼女を、殿下を不安にさせてしまったか。
空気を悪くしてしまったのは、俺の望むところではない。他の騎士……カルヴィン辺りにに任せて外で警護をするべきか。

「そうだお姉さま!」
「どうしたの?」
 
思案していると、殿下が声を上げる。
そして突拍子もないことを言い出した。

「ぼくと踊れないのなら、ヴァーノンと踊ってください! お姉さまが踊るところ、見たいです!」
「え?」
「はっ?」

俺と、アンリエット嬢がダンス?

妖精のように可憐な姿をした彼女と共にダンスをする……それは、初めて彼女を見たときに願ったこと。
自分と彼女がダンスをする様を想像しかけて、慌てて崩れかけた表情を隠すべく口元を抑えた。なんだ、殿下、これは褒美か?

「見たいです!」
「音楽もないですし……」
「ぼくがひきます! バイオリン、上手くなったのですよ! それとも、ヴァーノンが相手じゃ、おいやですか?」
「そんな事ないわ。ヴァーノンは素敵な殿方ですもの。でも、お仕事とはいえ、もし恋人がいるなら申し訳が……」

素敵な……今度は幻聴ではない。アンリエット嬢は俺に対して反抗心は持っていない?
自惚れでもいい。もし、あの瞬間に願ったことが叶うのならば、この絶好の機会を有効活用させてもらうだけだ。

「なんだそんな事を気にしているのか。『あーん』までした仲だろう。恋人がいたらあんなことはしない。今さら寂しいことを言うな」
「なっ、なっ」

からかうように言ってやる。
アンリエット嬢が頬を染めながらも睨んでくるが、そんな可愛い顔で睨まれても迫力はない。思わず笑みを浮かべてしまう。

アンリエット嬢の目の前にまで歩みより、殿下の視線に合わせて腰をおろしている彼女に向かい膝を折る。彼女の手を恭しく取った。

「お手をどうぞ、レディ。殿下の『願い』だ」

拒否されたらどうしようと思い、つい殿下を持ち出して退路を塞ぐ。

案の定、彼女は俺の手を取ってくれた。

殿下のためだろうと思うが、手をとってもらえただけでも俺にとっては行幸だ。

殿下がバイオリンを手にとるのを横目で見て、俺はアンリエット嬢の腰を抱く。細いな。ご令嬢の折れそうな腰を見るたびにどうしてそこまで細いことに拘るのかと疑問に思っていたが……実際にその細さに触れると庇護欲がかきたてられる。
アンリエット嬢を応接室の少し空いている空間にまで誘導し、ダンスのポーズをとった。俺がこうしても、アンリエット嬢はされるがまま。……いや、少し強張っているか。

密着しているのもあってか、悪戯心が沸いてしまった。彼女の耳元で吐息をこぼすように囁いてみる。彼女が憧れる、恋人のように。

「力を抜いて」

選ぶ言葉は柔らかく、丁寧に。
彼女はこぼれんばかりに目を丸くし、ついでじわじわと頬を染めていく。呻く彼女は猫のようで、笑いを噛み締めた。

そしてようやく彼女は観念したらしい。一回だけ、という言葉に殿下が喜んで演奏を始める。

ゆったりと、演奏としては簡単な音楽が流れ出す。
俺たちは応接室というダンスホールで、くるくると回る。

踊っているうちに、もう少しだけ彼女に夢を見させようと思った。俺の願望でもあるが……彼女の期待する夢であることを願って、言葉がこぼれる。

「まさか、貴女と踊れるとは思わなかった。クラヴェリ家のパーティーで貴女を見かけた時にダンスに誘うおうとして、パトリック様に止められた。俺の身分では、貴女とダンスをする機会など早々無い。むしろあれが最初で最後の機会かもしれないと思ったが、人生とは不思議なものだな」

本音だ。どうしようもないくらい、真実に近い本音だ。ただ、普段だったら俺はこんな事を思っても口にしない。口にしたのは、彼女にこう言えば一時の夢や、理想を模した現実、そんなものを錯覚してくれるかもしれないという打算だ。
俺のこの悪戯に、彼女が戸惑い、困って、顔を赤くするのが見たい。

そう思っていると、俺の打算通りに彼女は頬を染める。内心動揺しているのか、ステップが乱れる。なんて分かりやすい。

「どうした、ステップが疎かになっているぞ」
「だ、誰のせいだと……!」
「俺のせいだと嬉しいな」

恥ずかしいのか照れているのか、分かりやすいほど頬を染めながらも毅然と睨み付けてくるその表情がたまらない。もっと表情を引き出したくなる。もっと俺が彼女の肌を朱に染めたくなる。

彼女が体勢を崩した。とっさに腕に力を込めて、彼女の腰を支え、倒れこむのを防ぐ。あぁ、これはちょうど良い。もうすこし、攻めるか?
背中を反らせるアンリエット嬢の腰を引き寄せ、顔をぐっと近づける。

「そのドレスで踊れるとは、殿下に感謝だな。この軽さは、貴女が妖精だからだろうか」

我ながらこんなキザな言葉が吐けるのかと自嘲したくなるが、他に聞く者もいないから良しとしよう。
アンリエット嬢がまた猫のように呻く。ふっと笑ってしまう。

「妖精の貴女も良いが、子猫になる貴女もまた好きだ」

今度こそ、彼女が固まった。やりすぎたか?

これ以上、彼女を攻めても良くはないだろう。ちょうど殿下のバイオリンの演奏も止まった。乙女らしく頬を染めるアンリエット嬢が見られただけで十分だ。伝えたいことも伝えたしな。



その後殿下がアンリエット嬢と俺が踊っているのが羨ましいというのを宥めて、俺はそろそろ騎士団の方に呼ばれていた時間だというのを思い出した。
警備の配置を来客用に動かしているため殿下の護衛も十分確保できているという理由で、アンリエット嬢がくる日を狙い、新人騎士団員への稽古指導を手伝うように言われている。

重宝してもらえるのはありがたいが、よりにもよってこの日でなくても良いじゃないかと不満に思うくらいは、許してほしい。

名残惜しく、俺は応接室から退出した。
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