上 下
72 / 108
四章

閑話 マルス

しおりを挟む
 
 ──国王とは何か?

 王冠を戴き、玉座に腰を下ろしたその日から、イデア王国の現国王であるマルスは、この疑問と向き合い続けてきた。不治の病に侵され、生死の境を彷徨っている今も、深い深い意識の底で、絶えず自問自答を繰り返している。

『国王とは、民草の生活に責任を持つ者である』

 先代の国王からそう教えられ、最初は何の疑問も抱くことなく、マルスは治世に心血を注いでいた。

 この国をより良くしたい。国民を幸せにしたい。先代の国王から継承したその理想が、マルスという一人の王の原点と言える。

 しかし、神ならざる身では、全ての民の生活に責任を持つことは出来なかった。平和な世の中であっても、手の平から零れ落ちる者たちは数多く存在している。

 玉座という封建社会の頂点から、数多の人々の営みを見下ろしていると、人間が如何に利己的な生物であるのか、痛いほど良く分かった。大勢の者が大なり小なり、己の利益追求に躍起になっており、様々な場面で勝者と敗者に別れ、幸福度の格差は徐々に広がっていく。

 この流れを押し止めるべく、様々な政策を施してきたが、将来的に無理が来るのは明白だ。なにせ、人の欲望には限りが無い。無限の濁流を押し止める堰堤など存在しないように、人の欲望を押し止める政策も存在しない。

 長い間、幸福な者の方が多い時代が続いた。しかし、大勢の人々が現状に満足せず、更なる幸福を求めている。有形無形を問わず、幸福とは有限のリソースであり、誰かが掻き集めれば、誰かの手元から離れていくもの。

 幸福度の格差が更に激しくなったとき、不幸な者たちの不満は何処へ向かうのか……。それは当然、幸福な者たちであり、社会そのものであり、その象徴である王家となるだろう。

 不幸を背負った者の数が、幸福な者の数よりも増えて、『数の暴力』を手に入れた時──。それが、この封建社会の終わりだと、マルスはそんな未来を明確に予見していた。

 それが決定付けられた歴史の流れだとして、マルスは改めて自分自身に問う。

『──国王とは、何か?』

 国家の維持装置。国民の幸福度を底上げする存在。不満の捌け口。色々と思い浮かぶが、そのどれもが国王にしか出来ないことではないと思えた。

『もしかしたら、国王なんて存在は、必要ないのではないか?』

 終生、その考えが脳裏から離れず、マルスは結局ただの一度も、息子たちに国王としての教育を手ずから施すことはしなかった。おかげで、ホモーダとヨクバールはどちらも暗愚に育ったが……国王など、誰がなっても同じだろう。

 王制は終わる。誰が次の国王になるのかなんて、イデア王国の終わり方が変わるだけでしかない。魔王の復活と魔物の活性化。この問題に関しても、また一つ、国の終わり方が増えただけだとしか思えなかった。

 封建社会以外の社会制度など、マルスには想像も付かない。だが、きっと、欲深い人々の中から、最も欲深い者が頂点に立ち、欺瞞と搾取に塗れた息苦しい世の中になるはずだ。

『余は……人の在り方に、失望しているのか……』

 もう随分と昔から、心が酷く冷めている。マルスには、その自覚があった。

 ……ふと、自分の三番目の息子の顔が脳裏を過る。

 アルスに対しての愛情は皆無だ。これは授かった天職の問題ではなく、未来がない王家という一族そのものに、関心を抱けなかったことが原因となっている。

 ただ、アルスが授かった牧場主という天職を聞いたときは、数十年振りに心の奥底から笑いが込み上げてきた。

 国土は牧場、国民は家畜。これくらい割り切って、国家そのものを自らの利益を生み出すために利用していれば、もっと面白い生き方が出来たのかもしれない。



 ──意識が浮上する。マルスはその感覚に落胆してしまった。

 これ以上の人生は蛇足であり、もう何もやることがない。……いや、正確に言えば、やりたいことがないのだ。

 目を覚まして、節々が傷む身体を無理やり傾けると、そこは自分の寝室にあるベッドの上だった。視線を動かすと、付きっ切りで自分を看病していた数名の医師と、王位が動く瞬間を見届ける義務を背負った宰相の姿が視界に映る。

「陛下……っ!? 良かった!! もう目を覚まさないのかと……!!」

「余の命が、風前の灯火であることに、変わりはない……。延命措置は、もう止せ」

「し、しかし……」

 マルスは目力で宰相を黙らせて、医師たちを下がらせる。彼らは回復魔法を使える天職を授かった者たちだが、こんなところに居るよりも有意義な時間の使い方があるはずだ。

 室内は魔法の光によって明るく照らされているが、窓の外に見える月の位置で、今が夜中なのだと理解出来た。

 宰相の顔には疲労が色濃く浮かんでおり、目の下の隈を見れば睡眠不足であることは一目瞭然だ。マルスは内心で、申し訳なく思う。これは、自分が未だに生き永らえていることへの謝意か、あるいは長年、苦労を背負わせ続けてきたことへの謝意か……。

「宰相……。お前と余は長い付き合いだったが、お前から見て、余はどんな国王であった……?」

「無論っ、最上の王に御座います! 陛下ほど民を案じて、私利私欲を捨て、治世に取り組んでいた王は、歴史をどれだけ紐解いても他に存在しません!」

 マルスの問いに、宰相は迫真の表情で賛辞を並べ立てた。これは決して、ご機嫌取りの言葉ではない。マルス自身も、そのような王で在ろうと立ち振る舞っていた自覚がある。

 ただ、それが間違いだったのかもしれないと、今になって思ってしまった。

 自分自身の幸せを追求することこそ、人間の正常な在り方なのだ。世の中には他人に奉仕するのが生き甲斐だと宣う者たちも居るが、それだって自分の心を満たす行為が、たまたま奉仕という形だったに過ぎない。

 マルスは国王としての責務に取り組んできたが……それは、自分が幸せになる方法ではなかった。

 自分が幸せになれない人間は、本質的に他者の幸せを望めない。

「余は……王に向いて、いなかった……」

 他者の幸せを望めない者など、王としての在り方から最も遠い存在だ。

 マルスが弱音を吐いている姿なんて、見たことがなかった宰相は、嗚咽を漏らしながら涙を零す。

「陛下……っ、私は、御身が王であられたことに、心の底から感謝しております……!」

「…………そうか。それだけは、救いだな……」

 マルスは小さな笑みを浮かべて、自分の心が僅かに軽くなったことを感じ取る。

 ──と、そのとき、王城に第三王子が来訪したという知らせが届いた。

 追放された身で、一体何をしに来たのか……。少しだけ興味が湧いて、マルスは三番目の息子を呼び出すことにした。

 これが、お互いに愛情を抱いていない親子の、最期の対話になる。
 
しおりを挟む
感想 120

あなたにおすすめの小説

秘密多め令嬢の自由でデンジャラスな生活〜魔力0、超虚弱体質、たまに白い獣で大冒険して、溺愛されてる話

嵐華子
ファンタジー
【旧題】秘密の多い魔力0令嬢の自由ライフ。 【あらすじ】 イケメン魔術師一家の超虚弱体質養女は史上3人目の魔力0人間。 しかし本人はもちろん、通称、魔王と悪魔兄弟(義理家族達)は気にしない。 ついでに魔王と悪魔兄弟は王子達への雷撃も、国王と宰相の頭を燃やしても、凍らせても気にしない。 そんな一家はむしろ互いに愛情過多。 あてられた周りだけ食傷気味。 「でも魔力0だから魔法が使えないって誰が決めたの?」 なんて養女は言う。 今の所、魔法を使った事ないんですけどね。 ただし時々白い獣になって何かしらやらかしている模様。 僕呼びも含めて養女には色々秘密があるけど、令嬢の成長と共に少しずつ明らかになっていく。 一家の望みは表舞台に出る事なく家族でスローライフ……無理じゃないだろうか。 生活にも困らず、むしろ養女はやりたい事をやりたいように、自由に生きているだけで懐が潤いまくり、慰謝料も魔王達がガッポリ回収しては手渡すからか、懐は潤っている。 でもスローなライフは無理っぽい。 __そんなお話。 ※お気に入り登録、コメント、その他色々ありがとうございます。 ※他サイトでも掲載中。 ※1話1600〜2000文字くらいの、下スクロールでサクサク読めるように句読点改行しています。 ※主人公は溺愛されまくりですが、一部を除いて恋愛要素は今のところ無い模様。 ※サブも含めてタイトルのセンスは壊滅的にありません(自分的にしっくりくるまでちょくちょく変更すると思います)。

「強くてニューゲーム」で異世界無限レベリング ~美少女勇者(3,077歳)、王子様に溺愛されながらレベリングし続けて魔王討伐を目指します!~

明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
 作家志望くずれの孫請けゲームプログラマ喪女26歳。デスマーチ明けの昼下がり、道路に飛び出した子供をかばってトラックに轢かれ、異世界転生することになった。  課せられた使命は魔王討伐!? 女神様から与えられたチートは、赤ちゃんから何度でもやり直せる「強くてニューゲーム!?」  強敵・災害・謀略・謀殺なんのその! 勝つまでレベリングすれば必ず勝つ!  やり直し系女勇者の長い永い戦いが、今始まる!!  本作の数千年後のお話、『アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~』を連載中です!!  何卒御覧下さいませ!!

神獣に転生!?人を助けて死んだら異世界に転生する事になりました

Miki
ファンタジー
学校が終わりバイトに行く途中、子供を助けて代わりに死んでしまった。 実は、助けた子供は別の世界の神様でお詫びに自分の世界に転生させてくれると言う。 何か欲しい能力があるか聞かれたので希望をいい、いよいよ異世界に転生すると・・・・・・ 何故か神獣に転生していた! 始めて書いた小説なので、文章がおかしかったり誤字などあるかもしてませんがよろしくお願いいたします。 更新は、話が思いついたらするので早く更新できる時としばらく更新てきない時があります。ご了承ください。 人との接し方などコミュニケーションが苦手なので感想等は返信できる時とできない時があります。返信できなかった時はごめんなさいm(_ _)m なるべく返信できるように努力します。

エルティモエルフォ ―最後のエルフ―

ポリ 外丸
ファンタジー
 普通の高校生、松田啓18歳が、夏休みに海で溺れていた少年を救って命を落としてしまう。  海の底に沈んで死んだはずの啓が、次に意識を取り戻した時には小さな少年に転生していた。  その少年の記憶を呼び起こすと、どうやらここは異世界のようだ。  もう一度もらった命。  啓は生き抜くことを第一に考え、今いる地で1人生活を始めた。  前世の知識を持った生き残りエルフの気まぐれ人生物語り。 ※カクヨム、小説家になろう、ノベルバ、ツギクルにも載せています

Rich&Lich ~不死の王になれなかった僕は『英霊使役』と『金運』でスローライフを満喫する~

八神 凪
ファンタジー
 僕は残念ながら十六歳という若さでこの世を去ることになった。  もともと小さいころから身体が弱かったので入院していることが多く、その延長で負担がかかった心臓病の手術に耐えられなかったから仕方ない。  両親は酷く悲しんでくれたし、愛されている自覚もあった。  後は弟にその愛情を全部注いでくれたらと、思う。  この話はここで終わり。僕の人生に幕が下りただけ……そう思っていたんだけど――  『抽選の結果あなたを別世界へ移送します♪』  ――ゆるふわ系の女神と名乗る女性によりどうやら僕はラノベやアニメでよくある異世界転生をすることになるらしい。    今度の人生は簡単に死なない身体が欲しいと僕はひとつだけ叶えてくれる願いを決める。  「僕をリッチにして欲しい」  『はあい、わかりましたぁ♪』  そして僕は異世界へ降り立つのだった――

神に同情された転生者物語

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業に勤めていた安田悠翔(やすだ はると)は、電車を待っていると後から背中を押されて電車に轢かれて死んでしまう。 すると、神様と名乗った青年にこれまでの人生を同情された異世界に転生してのんびりと過ごしてと言われる。 悠翔は、チート能力をもらって異世界を旅する。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

宝くじ当選を願って氏神様にお百度参りしていたら、異世界に行き来できるようになったので、交易してみた。

克全
ファンタジー
「アルファポリス」と「カクヨム」にも投稿しています。 2020年11月15日「カクヨム」日間異世界ファンタジーランキング91位 2020年11月20日「カクヨム」日間異世界ファンタジーランキング84位

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。