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三章
閑話 王妃
しおりを挟む──ルーミアがイデア王国に到着して、早々に『仮病』という切り札を使った次の日。
国王は依然として寝たきりで、ルーミアは今日も誰かに、『何れかの王子へ挨拶をした方が良い』と催促されるかと思っていたが、それよりも先に叔母からお茶会への誘いがあった。
ルーミアの叔母は、ラーゼイン公爵家からイデア王家に嫁いで王妃となった女性で、その名前はイナンナ。
彼女は三人の王子を産み、その内の二人が剣聖と賢者という伝説級の天職を授かっていることから、王国内での地位と権威を不動のものにしている。国王以外の誰もが、常に顔色を窺う必要がある要注意人物だ。
イナンナは叔母とは言え、ルーミアが生まれる前にはもうイデア王国に嫁いでいたので、面識は数える程しかない。お互いに簡単な挨拶を交わしたことがある程度の関係性なので、その人柄を把握してはいなかった。
「困ったのぅ……。わしは叔母上を信用して良いのか? お茶会に参加したら、どちらかの王子とばったり出くわして、面倒事に巻き込まれるという可能性も有り得そうじゃが……」
ルーミアがベッドの中からメイドたちに問い掛けると、三色メイドはお互いに顔を見合わせて、三人同時に首を捻る。
「正直に申し上げると、分かり兼ねます……。イナンナ様はもう、ラーゼイン公爵家の人間として生きた年数よりも、イデア王家の人間として生きた年数の方が、長いので……」
「イナンナ様がイデア王家に嫁いだ目的は、ラーゼイン公国とイデア王国の薄れつつあった関係を、再び強固なものにしようという思惑があったからです。その点を踏まえれば、両国の関係が抉れるような真似はしないはずなので、信じてみても宜しいかと……」
「それはどうですかね……? イナンナ様も一人の母親になった訳ですから、特に可愛がっている息子がいるかもしれませんよ? その息子に王位を継承させたいと考えていたら、何をやっても不思議ではないと思います」
分からない。信じられる。信じられない。三色メイドの意見が綺麗に割れたところで、警備のために扉の外に立っている赤薔薇騎士団の者の声が聞こえてきた。
「い、イナンナ様!? お待ちください! この先は──」
「私は叔母として、姪に会いに来ただけだ。政治的な意味合いはない。退け」
騎士が止められなかった相手は、大きな物音を立てて扉を開け放ち、ズカズカと部屋の中に入ってくる。それは、白髪交じりで色素が薄い蜂蜜色の長髪と、琥珀色の瞳を持つ妙齢の女性で、つい今し方までルーミアたちが噂していた人物──王妃のイナンナだった。
紺碧のドレスを身に纏い、白銀のティアラを頭に乗せているイナンナは、酷薄な笑みをルーミアに向けながら口を開く。
「病弱だと聞いていたが、随分と顔色が良いな。今日こそは私の息子へ、挨拶しに行けるのか?」
どちらの王子へ挨拶しに行くのか、それはルーミアに委ねられたままだ。イナンナはルーミアたちが現状に困っていることを理解した上で、こんな発言をしているに違いない。
ルーミアはそれを察して、底意地が悪い女だと内心で溜息を吐く。それから、腹の探り合いも面倒なので、単刀直入に尋ねることにした。
「叔母上はわしに、どちらの殿下へ挨拶しに行って欲しいんじゃ?」
イナンナはその問いを聞いて、くつくつと愉悦を噛み締めるように笑う。
「私としては、どちらでも良い。お前がどちらに付いても、それなりに見所はあるだろう。……強いて言えば、出来るだけ事が大きくなると、私は嬉しいな。イデア王国の動乱にラーゼイン公国が巻き込まれれば、さぞや見応えのある劇になるとは思わないか?」
喜劇になるか、悲劇になるか、それは分からないが……と付け加えたイナンナは、心底楽しみだと言わんばかりに、口が裂けているかのような深い笑みを浮かべた。
「ああ、なるほどのぅ……。そういう感じなんじゃな……」
無責任とも思えるイナンナの発言を聞いて、ルーミアはイナンナがどういう人物なのか凡そ理解した。
長年、退屈と寄り添って生きてきた者の中には、己の享楽を何よりも優先するようになってしまう者がいる。それはある種、心の病のようなもので、仮に病名を付けるとすれば『幸福病』となるだろう。
退屈と幸福は同義だと、ルーミアはそう考えている。なにせ、不幸であれば退屈なんて感じる余裕はない。
例えば、食べ物が足りなくて不幸なら、食べ物を得るために必死になって働く。外敵に脅かされて不幸なら、生き残るために必死になって抗う。こうして、不幸であれば幸福になるための努力を行い、退屈とは無縁の生活を送ることになるのだ。
逆に、何一つとして憂うことのない幸福な生活を続けていると、人の心は『退屈』に蝕まれていく。一つ一つの人生が連続していないとは言え、ルーミアは長い時を生きているので、そういう目に見えない心の病に一定の理解があった。
偶発的に発生する刺激的な出来事を楽しむだけであれば、幸福病を患っている者は無害なのだが──『自分の手で混沌を撒き散らし、刺激的な出来事を意図的に発生させてしまおう』という考えに至っていると、大勢の人にとって有害になることが多い。
ルーミアが接した感じだと、イナンナは有害な人物だった。既に我が子のことすら、自分を楽しませるための道具としか見ていないのだから……。
平和なイデア王国で、安泰が約束された地位に長らく居座っているイナンナ。そんな彼女が幸福病を患っているのは、そう不思議なことではないのかもしれない。
「ルーミア……。イデア王国の動乱は近いぞ? お前はどう動く? 誰のために、何を目的とし、何を成そうとするんだ?」
「わしは……ほんの少し……ほんの少しだけ、人助けがしたい。言うておくが、叔母上の退屈を紛らわしてやれるような、大それたことをするつもりはない」
ルーミアがそっぽを向いて素っ気ない態度を取ると、イナンナはフンと小さく鼻を鳴らした。
「そうか、詰まらんな……。お前はもっと我儘放題で、場を荒らしてくれると期待していたが……。そういう事なかれ主義なところは、私の兄に似たか?」
イナンナが言う『兄』とは、ルーミアの父親であり、現在のラーゼイン公爵のことだ。
事なかれ主義など唾棄すべき考えだと、イナンナがラーゼイン公爵を快く思っていないことは、その態度からありありと伝わってくる。
「公国の平和を恙なく維持している父上は、とても立派な人物じゃ。大事を起こさない、起こさせないというのは、物凄く難しきことなんじゃぞ」
現在のラーゼイン公爵の治世は、可もなく不可もなくと言った評価が適切だ。公国の何かが著しく発展したということもないし、かと言って衰退したということもない。
公爵は事なかれ主義だと指摘されれば、確かにその通りだと誰もが頷くし、その手腕に物足りなさを感じる者だって少なくはない。……だが、魔界の治世に多大な苦労をしていた記憶があるルーミアは、事なかれ主義の治世を維持する大変さを知っていたので、ラーゼイン公爵の能力を高く評価していた。
イナンナはこの後も、新しい刺激を求めるようにルーミアと会話をしていたが、次第に年長者に窘められているような気がしてきて、気分が悪くなってくる。
「──チッ、お前と話していても白けるだけだな! 枯れた老人みたいに、どこまでも面白味のない奴だ」
「叔母上。わしが思うに、世の中なんてものは、平穏無事が何よりなんじゃよ。往々にして、それを失ってから気付いても、もう遅いのじゃ。然るに、もっと今を大切にして──」
「喧しい! どうしてこの私が、お前みたいな小娘に説教されないといけないんだ!? しかもっ、説教が妙に年寄り臭いのも気に食わん!」
ルーミアが年寄り臭くなってしまうのは、仕方のないことだ。何せ、その精神年齢はイナンナの実年齢を遥かに超えている。
「話し合いは平行線か……。困ったのぅ……」
ルーミアは深い溜息を吐いて、イデア王国の未来を憂う。
国王は不治の病によって身体を蝕まれ、王妃は退屈によって心を蝕まれている。第一王子と第二王子の仲は険悪で、後継者争いの真っ最中。そこに『魔物の活性化』という事態が重なったので、勇者が建てた国は魔王が意図していないところで、勝手に滅びそうだった。
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