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三章

プロローグ

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 ──魔王とは、魔物の王であり、また魔族の王でもある。

 そも、魔族とは人種が魔物化した存在の総称であり、魔物と同様の存在だと人々は認識していた。
 
 しかし、魔族には魔物との決定的な違いがある。それは、知性があって、生殖機能まで備わっており、しかも天職を授かれるという部分だ。

 魔物は子孫を残せないが、魔族にはそれが出来た。魔物は天職を授かれないが、魔族はそれを授かった。そして、魔物化したが故に闘争心が劇的に高まっても、魔族の中にはそんな本能を理性によって律することが出来る者たちもいた。



 遥か遠い昔──。魔族は神を信じて、愛を知り、家庭を持ち、平和を願い、人々との共存を望んでいた。

 だが、人間は魔族を忌まわしい魔物として認識しているので、聞く耳を持つことはなかった。

 魔族は元となった人種よりも強く、凶暴で、知恵まで働き、繁殖するという危険極まりない存在。そう認識している人間たちは、彼らを積極的に討伐していく。

 魔族は強かったが、それでも人間は数が多く、局所的に勝ちを拾えることがあっても、大局を見ると魔族は目減りする一方だった。そんな最中、この世界に【混沌と希望の女神】という天職を授かった人物が現れたことで、魔族は更なる窮地に追い遣られてしまう。

 その女神の能力は、『ダンジョン』と呼ばれる構造体を生み出すことで、この世界に根を張ったダンジョンは広範囲から魔素を吸い取り、それをエネルギー源にして独自に成長し、魔物やお宝を自動で生成した。

 これによって、人種が魔物化するほどの濃い魔素が漂っている場所は激減し、生殖以外の方法で魔族は増えなくなってしまったのだ。

 苦境に立たされた魔族は神を呪い、人々を憎悪し、人間の破滅を望むようになる。

 そうして、魔族にとっての暗黒時代がしばらく続いた後、一人の少女が立ち上がった。

 魔族の特徴である黒い肌を持つ少女は、酸化していない血液のように赤黒い色の髪を靡かせて、鉛色の酷く淀んだ瞳で数多の魔族と魔物を睥睨し、たった一言だけ『従え』と命じる。

 ──それだけで、知性や理性の有無に拘わらず、全ての魔族と魔物が、少女の前で頭を垂れた。

 この少女こそ、後に『魔王ルミナス』という呼称で人類を震撼させる魔族の指導者であり、【魔王】の天職を授かった最初で最後の存在だった。

 ルミナスは魔族と魔物を強制的に従わせる能力を以って、手始めに人間の街や村を滅ぼしながら、過去に類を見ない大移動を行った。そして、世界で最初のダンジョンと言われる場所に辿り着いたところで、その内部に堂々と居を構える。

 魔王は存在するだけで世界中の魔物を活性化させるので、これを放置出来なかった人類は幾度となく件のダンジョンに攻め込んだが、百年掛けても魔王を討ち取ることは叶わず、いつしか其処は『魔界』と呼ばれるようになった。

 魔族は魔王ルミナスの存在に支えられて、魔界で平穏を享受することになる。このダンジョンに出現する魔物は昆虫系統だったので、魔族の主食が昆虫になったのはこの頃からだ。

 人間と魔族の細かな抗争は続いていたが、魔界で守りに徹している魔王を討伐出来ないまま、長い年月が経過して──……次に事態が大きく動き出したのは、とある人間種の国家が、一つのマジックアイテムを手に入れてからとなる。

 それは、『ウッキーでも分かる中級魔法』というタイトルの本で、一度読めば誰であっても例外なく、神様から授かった天職とは別に、【魔法使い】の天職を増やせてしまう途轍もない代物だった。

 人間側は魔族との均衡を崩すために、この本を全ての人間に読ませようと画策し、着々と魔法使いを増やしていく。

 全ての人間が魔法使いの天職を得た状態になると、流石に魔界での防衛戦に徹しても魔族は敗北するだろう。それを察したルミナスは、黙って見ている訳にもいかなくなったので、魔族と魔物を率いて魔界から打って出ることを選んだ。

 こうして始まったのが、お互いに引くことが出来なくなった人魔大戦である。

 その途中、人間種の中から勇者イデアが現れて、最終的に魔王ルミナスは彼女に討ち取られた。

 しかし、ルミナスも無抵抗で敗れた訳ではない。

 ウッキーでも分かる中級魔法の本は跡形もなく燃やして、魔族の生き残りを魔界に逃がした上で、入り口に数百年は持続する強固な結界を張り、勇者イデアには後遺症が残る一撃を与えて、更には賢者ラーゼインの血に呪いを掛けたのだ。まさに、獅子奮迅の活躍と言って良いだろう。

 最後の呪いに関しては、今際の際に放った苦し紛れのものだったので、ルミナス自身どういう呪いだったのか把握出来ていなかったが、何はともかく、こうして人魔大戦は終わりを迎えた。



 それから、数百年の時が流れて──。



 その日、賢者ラーゼインが興した公国では、ラーゼイン公爵家の長女である小公女ルーミアが、十四歳になって天職を授かろうとしていた。

 本日の主役であるルーミアは、天職お披露目会の直前に自室で一人、頭を抱えながらウンウン唸っている。

「困ったのぅ……。困ったのじゃ……。このままでは、わしが魔王であることがバレてしまう……!!」

 十四歳にしては幼く見えるルーミアの容姿は、肌が赤ん坊のように白く、顔や体のパーツが小さめなので、大人の庇護欲を刺激する可憐な美少女といった感じだ。

 しかし、その髪色は酸化していない血液のように赤黒く、瞳は酷く淀んでいる鉛色だった。

 髪を可愛らしくツインテールにして、伸ばした前髪で瞳を覆い隠すことで、それらの色の不気味さを誤魔化しているものの、その特徴は魔王ルミナスのものと完全に一致している。

 ──そう。何を隠そう、ルーミアはルミナスの転生体であり、紛うことなき魔王だったのだ。

 ルミナスが最初で最後の魔王とされているのは、何度死んでも転生して、再び魔王の天職を授かることが理由になっている。ちなみに、口調が妙に年寄り臭いのは、精神的に老成している弊害だった。

「わしは今の贅沢三昧な暮らしが、心底気に入っているというのに……っ!! 手放さんのじゃ……! この暮らしっ、絶対に手放さんのじゃァ……!!」

 草臥れたサラリーマンのような雰囲気を醸し出しているルーミアは、どうしても魔王としての生活に戻りたくはなかった。

 人間への憎しみに染まっている魔族は怖いし、知性のない魔物は馬鹿だし、魔界での食事はあり得ないほど不味いし、人間は信じられないほど執念深くて手強い。

 そんな環境で何百年も頑張っていた魔王ルミナスは、もう心の底から疲れ果てている。降参だった。

 こうして今、賢者ラーゼインの子孫であるルーミアとして転生した原因は、魔王ルミナスだった頃、今際の際にラーゼインへ放った呪いが原因だろう。

 複雑に絡み合った紐を無数に束ねて捏ねくり回したかのような、ルミナス自身も把握出来ていなかった呪いは、何の因果かラーゼインの血に魔王の魂を潜り込ませる結果に繋がったらしい。

 人間として生まれ変わることが出来たルミナスは、生後から三日の間、歓喜に震え続けていた。今までは毎回、魔族の子供として転生していたが、これでようやく魔王としての職務から解放されるのだ。

 幸運が味方しているのか、魔王ルミナスの容姿に関する記述は長い年月の中で逸失しており、現時点でルーミアと魔王の存在を結び付けている者は、誰一人として存在しない。

 そんな事情があって、しかも小公女という身分は我儘放題、贅沢三昧が出来る良い御身分なので、ルミナスはルーミアとしての人生を死守しようとしている。

 特に最近、イデア王国の商人が持ってきた蜂の子……。あれは凄まじく絶品で、一匹食べた瞬間、魔界の昆虫食が地獄の底を突き抜けているようなものだったと認識させられた。もうあんな食生活には死んでも戻りたくないし、あの蜂の子を再び食べるためにも、今の身分にしがみ付く必要がある。

「わしはもう、魔王ではない……! プライドなんぞ幾らでも捨ててくれるわ……!! 斯くなる上は、仮病じゃな!!」

 魔王ルミナス改め、小公女ルーミアは、その場で激しいスクワットをして息を切らせ、汗だくになった状態で寝台に潜り込む。そして、自分を呼びに来た侍女に対して、「今日は体調が悪いのじゃ……」と弱々しい声で伝えた。

 ──この日から、魔王であることを誤魔化したいルーミアの、前途多難な日々が始まる。
 
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