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長城デート  あの日、北京の街角で番外編

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 話の流れで孝弘に「静かな長城、行ってみたい?」と誘われたとき、郊外にふたりきりで出かけるなんてデートみたい、と心のなかで祐樹はひっそり舞い上がった。
 
 上野くんにそんなつもりはないだろうけど。

 単なる親切で申し出てくれただけだとは理解しているけど。

 それでもうれしかった。長城は一度行ってみて人の多さに懲りたけれども、孝弘がおすすめする場所なら行ってみたい。上司の許可をもらわないといけないのは面倒だったが、どうしても行きたくなった。 

 初対面でまず外見が好みだと思った。

「いってーな」という日本語についふり向いて、まだ若い日本人を見たとき、その目つきの鋭さに引き寄せられた。不機嫌そうな顔をしたかっこいい男の子だった。

 お得意のにっこり笑顔で落として半ば強引に通訳を頼んでみたら、案外世話好きなのか中国事情をあれこれ教えてくれて、とても楽しい半日を過ごさせてもらった。

 それで欲が出てプライベートが知りたくなって、半ば強引に食事に誘った。ゆっくり話をしてみたらますます好みで気持ちが弾んだ。

 驚きの連続の留学生活を、不便も理不尽も飲み込んで楽しんでいる健やかさと図太さがとてもよかった。いいな、と何度も思った。この子、好きだなと。

 でもそれ以上、踏み込む気は起きなかった。完全にノンケの未成年に手を出すわけにはいかない。眺めるだけの片恋もいいかな。ちょっと切ないけれど、それも悪くない。

 孝弘にはなにも告げず、ただひっそりと心のなかで恋愛ごっこを楽しんで、半年間の北京研修の思い出にしよう。祐樹はドイツビールを飲みながらそう決心して、長城行きの手配を頼んだ。
 
 孝弘は祐樹が行くと返事するとは思っていなかったらしく、ちょっと驚いた顔をした。そういう表情をするとすこし子供っぽく、年相応に見える。

 ドイツビールの店で19歳と聞いて祐樹のほうが驚いた。しっかりしているから、もう少し上かと思っていたのだ。

「荷物はリュックで両手を空けたほうがいい。あと絶対履き慣れたスニーカーで。それと郊外で案外、標高が高くて涼しかったりするから、羽織るものも一枚持ってきて」

 孝弘のアドバイス通りに荷物をつくった。

 前の晩はうまく寝付けなかった。遠足前の子供じゃあるまいしとじぶんでも思ったが、楽しみで胸がとくとくして眠れないのだと認めざるを得なかった。

 こんな気持ちになるのは久しぶりだった。
 うまく気持ちをコントロールしなければ、と自戒をこめて眠りについた。


 タクシーのなかで、家族の話や日本での学生時代の話をきいた。孝弘はけっこう健全にやんちゃな高校生活を送ったようで、アルバイトの話でかなり笑わされた。

「高橋さんはアルバイトしなかったの?」

「うちの高校、禁止だったよ。中高一貫のけっこう厳しい学校だったから。楽しかったバイトってなに?」

「うーん。わりとどれも楽しかったけど。着ぐるみショーとか子供の反応がおもしろかったな。悪役のほうがリアクションがあって楽しいんだ。あと孫になってお見舞いとか」

「なに、それ?」

「老人ホームにいるおばあちゃんのお見舞いに行くバイト。もうボケちゃってるけど、孫が大好きで、でもその孫ってほんとはもう30歳超えてて。だけどおばあちゃんのなかではまだ高校生なんで、俺がその人に似てるっていうんで頼まれて、月に2回、ほんとのお孫さんと一緒にお見舞いに行ってたんだ」

「おもしろいアルバイトだね。そんなのよく見つけたね」

「あー、いや、見つけられたというか。バス停で声かけられたんだ。そのお孫さん本人に、ちょっと時間ありますかって」

 どこかで聞いたような話だ、と祐樹は笑う。

「それで頼まれてお孫さんになったんだ?」
「そう」

「お孫さんになったり通訳になったり、上野くんは芸達者だね」

 慕田峪長城は孝弘の言ったとおり、だれ一人いなかった。八達嶺の人の多さを見ていたから、こんなにも静かな場所だとは思っていなくて、祐樹は驚いて孝弘をふり向いた。

「すごい、本当にだれもいない」

 うれしくなって笑いかけると、孝弘はちょっと自慢気な顔で、な?というようにうなずいて見せた。

 ふたりでなんとなく並んだり前後になったりしながら、黙々と登ったり降りたりした。沈黙がまったく苦にならず、山から吹くさわやかな風と太陽を感じながらお互いじぶんのペースで登り、たまに会話したり休憩したりした。

 ひときわ高い見張り台のようなところまで来てふり向くと、登り口から山の嶺に沿ってくねくねと続く長城が、龍の体のように見えて壮観だった。

「気持ちいいね」
 風に吹かれながら、今登ってきた道を眺める。

「やっぱり登ると暑いね」
「高橋さんて、汗とかかかなさそう」

「そんなわけないでしょ。けっこうかいたよ。でも乾燥してるからすぐ乾くよね」
 笑いかけると、孝弘が手を伸ばして祐樹の腕に触れてきた。

 どきっとしたが、平然とした顔をよそおった。

 どうしたかなと思って見ていると、唐突に輪ゴムという。パンが乾燥する話をしながら孝弘の髪に飛んできた葉っぱが絡んだのを見て取ってやる。

 祐樹の腕をつかんだ手のひらが温かかった。しっかりした大きな手だった。王府井で歩道に引き寄せられたことを思い出す。もし抱きしめられたら? ちょっとだけ想像してみる。案外悪くない感じだった。

 祐樹がくだらない想像をしているうちに孝弘はするりと手を放し、リュックからカメラを取り出した。

 観光地に来るのに、写真を撮ろうという発想がなかった。というよりもカメラそのものを中国に持ってきていない。聞けば孝弘の持ってきたのも借りものだという。

 ふだんの祐樹なら1,2枚適当に撮って終わりにしたはずの写真を、タイマー機能まで使って2ショットを撮ったのは、最初から半年間の思い出にする予定だったからだ。

 欲しかったのは孝弘の写真だ。

 なんだ、けっこうおれって乙女チックだったんだな。じぶんでもびっくりする。でも孝弘の笑顔を持って帰れるならいいか、と思い直した。

 カメラのタイマー機能を使ったことがないので知らなかったが、点滅してからシャッターを切るまでが意外と長い。その待ち時間が微妙に長くて、どんな表情を作ればいいのか困ってしまう。
 
 孝弘も初めてのようで、タイマーって結構難しいなとつぶやきながら、置き場所を調整している。

「よし、これで背景は完ぺき」

 じぶんのじゃないというカメラで、孝弘がアングルを考え、リュックのうえでバランスをとってシャッターを押す。

 祐樹の待っている位置まで素早く降りてきて横にならんだ。ふたりですこし緊張しているのがおかしくて、祐樹がくすりと笑う。つられて孝弘も笑ってしまい、そのタイミングでシャッターが下りた。
 
 たぶんいい写真が撮れた。
 念のためもう1枚と孝弘がいい、最後にもう1枚撮って撮影を終わる。

「なんかへんに緊張した」
「うん、おれも。タイマーってなんか、恥ずかしいね」
 
 どんな写真になっただろうか。できあがりが楽しみだった。そんなことを思うじぶんをちょっと不思議に思う。もしかして、かなり浮かれているのだろうか。

 ゆうべ寝付けなかったからか、帰りのタクシーでは孝弘の肩を枕に寝てしまい、起きてから驚いた。とても気持ちよくぐっすり寝てしまっていたのだ。
 
 信頼している、ということなんだろう。

 祐樹の恋愛のテンションはわりといつも低めだ。外見から派手な経験があるように見られることも多いが、決してそんなことはない。

 相手から押されることがほとんどで、告白されてなんとなく付き合っていくうちに、だんだん日常になじんでいくというかんじで、そんなにテンション高く恋愛をしたことがない。

 考えてみれば、通訳を頼んだのは半分は仕事だったが、その後の食事にちょっと強引に誘ったのはまったくじぶんの意志だった。祐樹にしてはけっこう珍しいことだ。 

 海外にいるからなのかもしれない。
 非日常の出会い、非日常のテンション。

 まったく乗り気じゃなかった北京研修も、孝弘と遊んでいれば楽しいかもしれない。

 タクシーの外は黄色い大地が流れている。乾燥した空気、広くて色のうすい空。

 となりに座る孝弘の体温がかすかに伝わってくる。この距離でいよう、と思う。

 手を伸ばせば届く距離で。
 帰国までこっそり楽しく過ごそう。


 完


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