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第一部 子育て同棲編
二話
しおりを挟むある日。車の中で帰りを待っていた春太は、帰ってきたテディの顔を見て驚愕した。
顔が真っ青で思い詰めたように俯いている。
何かあったのかと問いかけても、テディは静かに首を振るばかりだ。ふと、握りしめられたカバンを目にする。大切なお守りの姿がなかった。
理由に気づき少しだけ安心する。
そして家につき、いつもと同じくソファに腰掛けると、テディと向き合った。
「なくしちゃった?」
「……っ」
ぎゅうっと拳に力が入る。泣かないように、潤んだ瞳で何度も瞬く。
「ごめんなさい」
沈黙を破ったのは、テディの謝罪だった。
春太は慌ててテディを膝に乗せる。
「バカ。なんで謝るんだよー。なくしちゃったのは仕方がないことだろ? それに、また最初から探す楽しみが増えたじゃないか」
「……っでも」
消え入りそうな声で、テディが呟く。
──初めては二度とないから。
あれが初めての宝物だったとテディが震えた声で教えてくれた。
「はるちゃんと、っ、いっしょに、みつけたのに」
ひくりと喉がなる。そうしたらもう、我慢なんてできない。テディの目からボロボロと涙が溢れる。
えぐえぐと嗚咽をもらして、悔しそうに泣いた。
「……テディ」
そんなに大切なものだったのかと初めて知った。
春太にとってはよくも悪くもただのキーホルダーでしかない。けれど、テディには色んな思いがあったのだ。
「明日、先生に頼むから。見つかるといいな」
鼻をすするテディをあやすように、春太は優しい声音で囁いた。
あんな姿を見てしまうと、春太もどうにかしてやりたくなる。
夜になりルークが帰宅すると、ぽつりと今日のことを話した。
「なくしたのなら同じものを与えればいい」
ルークが瑣末なことだと言う。
「俺の話聞いていた? テディにとってはあれが一番なの。あれだけが宝物なの。ルークってさ、そういうところあるよね」
春太のズケズケとした言い方に、ルークは僅かに眉を顰めただけだった。
週に一度、寝室で時間を過ごすようになってから、ルークがどんな人間か分かってきた。それも春太があまりの気持ちよさに脱力して、動けないわずかな時間に、会話をするようなったからだ。
意外なことに、春太が動けるまでルークは追い出さない。むしろ春太が動こうとしなければ、朝までベッドを占領しても、怒らないだろう。
だがそれはルークにとって、春太もベッドもどうでもいいことだから。
なんだかルークの反応に苛立ちがつのる。
「そのなんとか戦隊というものはなんだ?」
「そこから? ていうか、この前話したよな、それ」
全く興味がないのだと気づいて、ますます怒りが湧いた。
「なぜお前が怒る」
「分からない? テディが可哀想だからだ」
「可哀想? なぜ」
「はあ?」
怒りを顕にしたのは初めてだった。相手が何にも興味が無いと知っていたからできたことだろう。
「……ルークが家族として何もしてやらないからだ。ルークだって小さい頃に色々してもらったんじゃないの?」
春太の台詞にルークは流すかのように答えた。
「私は幼少期の頃から自分のことは全て自分でしていた。親とは独り立ちするまで、ただ衣食住を提供する他人ではないのか?」
何気ない告白に、春太は口を閉ざした。
当たり前のように決めつけていたが、ルークの過去を何も知らない。そうであるにも関わらず、テディを見ようとしない父親の姿に怒ってしまった。
「……ごめん」
春太の謝罪にルークは首を傾げた。理由に全く検討がつかないようだ。
「俺が知ってる親って、もっと暖かくてどんな時でも愛してくれるものだ」
自分で言いながら、笑ってしまいそうになる。愛してくれる? よくも言えたものだ。親など、愛など知らないくせに。
「明日からリビングにノート置いておくから、それちゃんと読んで」
「なんのために」
「そこに、テディの様子とか書くから」
気を取り直して言った提案に、返ってきた反応は大きな溜息だった。
その週の金曜日。
ベッドの上で二人は押し問答を繰り広げていた。
「交換日記読んだ?」
「どうでもいい」
「よくない。読むまで血吸わせないし」
ぴしゃりと拒絶すると、初めてルークの顔が不愉快そうに歪む。
「何様だ。人間如きが反抗するな」
「……テディの前では絶対にそういう言葉使うなよ」
ルークの台詞に春太も不愉快になる。
初めての吸血の時に言われて、春太は書類に目を通した。
吸血鬼は人間なら誰でもいいわけではない。血の相性というものがあるらしい。
要はその味が好きか、嫌いかという問題だ。だが、相性が悪いと、吸血のときに酷い痛みと嫌悪感が出てしまう。すると、血の味も苦味を増して不味くなり、飲めたものではなくなるらしい。
だから、ルークはいつもベッドの上では優しい。春太を優しく蕩けさせる。
愛されているのではないかと、勘違いしてしまいそうになるほど。
「私のことは私が決める。餌が図々しくも指図するな」
「……俺、知ってるから。ルークみたいに純血の吸血鬼は好き嫌いが激しいって。だから右京さんに感謝されたんだ」
負けじと春太は言い返す。
毎週どこかで血の提供者を探すのが、どんなに面倒だったかを語られた。ついでに、ご馳走したカレーを褒めてくれた。春太は右京が好きだ。
「余計なことを」
ルークが忌々しげに吐き捨てた。そんな表情も初めて見た。
「俺の血が飲みたいなら日記見て。ちゃんと見て、テディに何かメッセージをくれたら、いつもより少しだけ多く飲んでいいよ」
春太の取り引きに、ルークの赤い瞳が色を濃くする。そして静かに立ち上がると、リビングへと消えていった。
「……ふう」
一人になると、途端に冷や汗がわきでる。誰かにこうして強く物を言ったのは初めてだ。
いつもいつも、ヘラヘラと中身のない笑顔を浮かべて、流されてきた。
春太と出会う者は、春太のことを必ず「チャラくて能天気なバカ」と評した。悩みなんてなんにも無さそうだと。
片一方ではたまに「つまらない」と言われた。
顔色ばかり伺って、言いなりなる「つまらない男」だと。
何度も脱色して傷んだ金髪、何個も穴のある耳。自分で鏡を見ても、その通りだと思う。
チャラくてなんにも中身がない。空っぽの男。
春太はそっと目をとじ、誤魔化すように腕で隠した。
ぱちっと浅い眠りから覚醒する。
サイドテーブルに置いてある時計を見ると、あれからもう二時間が過ぎていた。
驚愕して飛び起きると、リビングに向かう。
そこには、何やら難しい顔をして、ルークが頭を悩ませていた。
「……あの、何してるの?」
ルークは恨めしげに顔を上げた。
「お前が言ったことを忘れたか」
「いや覚えてるよ。でもさ、そんな、えぇ」
これには春太も困った。二時間かけて、一言も書かれていない。
本当に何でも良かった。ご飯は美味しいか? 最近は、どんな遊びをしているんだ? まだまだ寒いから、風には気をつけろ。
言葉は沢山ある。最悪、適当に書いたって良かったのだ。そこからスタートしていければ及第点だと思っていた。
「……テディの好きな食べ物が何か知ってる?」
「知らない」
「じゃあそれを聞いたら?」
「聞いてどうする」
不思議な顔をしていた。春太はニッコリと笑って、シャツの裾をたくしあげた。
ズボンを履いていないから、春太の白い足が顕になる。ルークの瞳は内腿に向けられていた。
「飲みたいんだろ?」
悔しそうに鼻をならすと、ルークはボールペンを手に取った。そして、確認しろと春太に寄越す。
「ん。いいね」
「これになんの意味がある。俺が把握したところで、テディが何を食べようが自由だ」
「……お互いのこと知らないから、なんの感情も抱かないんだ。ルークが何にも興味がないのは、相手のことを何も知らないからだ」
ぞっとするほど美しい男。財力もあり、地位もある。ルークを皆が羨むだろう。
それは、まるでこの部屋と同じだ。
「空っぽ」
外から見るのはいい。でも住んでしまうと、いつも整然としている部屋は、人の気配がなくて寂しい。
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