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三章
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しおりを挟むだがそれもキッチンにつくとイサクの手が離れて途切れる。ぽっかりと空虚を感じて、ますますアダムは自分の感情に戸惑った。
「アダム君?」
「あ、すみません。……えと、こちらです。片手で食べれたら、仕事の邪魔にならないかなと思って作ったんですけど、どうでしょう?」
物珍しそうに見ているノエと違い、イサクの表情は変わらない。だが、躊躇なくパクリと口にして数回咀嚼すると、次々に口へ運ぶ姿を見て安堵した。
隣ではノエも満足そうに両手でもち、上品に食べている。
「……味の方は?」
「美味しいです」
「よかった……」
その言葉に嘘はないようだ。冷たい雰囲気のノエだが、眦が下がっていてとても愛らしい。
イサクは何も言わないが、狼としてやってきた頃も、気に食わないものは一切口にしなかった。
言葉よりも行動によく感情が出る人だ。気に入ったということなのだろう。
「あ、ちょっと。ちゃんと野菜も食べてください」
「お前にやる」
「好き嫌いしていると、アダム君が悲しみますよ?」
注意を受けたイサクがこちらを見た。
確かにノエの言うとおり、残されると落ち込む。好き嫌いは仕方ないけれど、できれば食べて欲しいのも本音だ。今回は野菜の青臭さを打ち消すように、こってりとしたソースを使っている。
こくりと頷くと、またしてもイサクがそっぽを向いた。別に期待していたわけじゃないけれど。
なんてことを胸中で呟いたとき、野菜と生ハムを生地で巻いたものをイサクが食べたのだ。
そして一言、
「……まあまあだ」
なんて言って残さずに食べるものだから驚いた。
ノエも同じ気持ちのようで、暫く二人は野菜を食べているイサクを黙って見ていた。
「さて、お腹も満たされたことですし。僕は仕事に戻ります。アダム君は僕たちの事情を汲んでくれるし、美味しいご飯を作れる腕があります。何も心配することはないでしょう。ところで契約については宰相様に任せて大丈夫ですよね」
「なぜ俺がやる。お前がやればいいだろ」
イサクの押し付けるような言い方に、自分と二人きりになりたくないのだろうかと思ってしまう。
「日に何度も、モテモテ宰相様に恋愛相談しにくる馬鹿が多くて、こっちは仕事を中断せざるを得ないんですよ」
「……それは俺のせいではないだろ」
「でしたら、もう少しまともな返答ができるんですね? 知らん、うるさい、邪魔だの三つしか使わないから、代わりに僕が丁寧に客人を送り出してあげてるのですが?」
「……」
「狙った獲物は百発百中どころか、一発千中だなんて。そんな馬鹿げた武勇伝を作るからこうなるんですよ」
「それこそ俺は無関係だ! 誰かが勝手に言ったことだろう」
「はいはい」
凄い。ノエが相手だとイサクが手のひらでコロコロと転がされている。
だがそれよりも先程の「モテモテ宰相」や「百発百中どころか、一発千中」の衝撃が大きかった。
第一印象が最悪だったから認めたくなかったが、確かにこれだけの美貌なのだ。モテないはずがない。
それにぶっきらぼうだけれど優しいし、きっと本当に好きな人のことは大切にするのだろう。
そう思うと今度は胃の奥が重くなる。自分は本当にどうしてしまったのだろうか。
「では、昼食はしっかりと皆に配っておきます」
考えているあいだに、モヤモヤするアダムを置いて、ノエは行ってしまった。
部屋に二人きりになり、再び緊張が襲いかかる。どうしようかと身じろぐと、契約書を取り出したイサクが椅子に腰掛けた。
「お前も座れ」
「……はい」
「ひとまず、試用期間として契約は半年でどうだ? そのあともお前に続ける意思があるなら、更新していくつもりだ」
「構いません。でも、どうして半年なんですか?」
「星華祭だ。この国では、冬の始まりに流星群がおきる。昔から流星群は星に祝福された証であり、平和の象徴だと言い伝えられてきた。そのせいで、約ひと月ほど祭りが催され、俺たちは死ぬほど忙しい」
「……なるほど?」
「……よく気の利くお前がいたら彼奴らも助かるだろ。変に口煩く気位の高い料理人に来られたら堪らないからな」
ぶっきらぼうな口調に隠された言葉。
(もしかして、褒められた……?)
アダムの胸がじわじわと暖かくなるのに呼応するように、イサクの眦がわずかに赤く染まっていた。
「……それから、さっきは言い過ぎた」
「えっ」
「悪かったと言っているんだ……!」
「は、はい!」
まさかまさかとは思っていたが、これは……。
先程よりも朱色に色付いた眦を隠すように、睨めつけてくる。そんな顔を見せられたら、さきほど感じた距離感が、勘違いだったのかもしれないと思えてしまう。
「……あの、名前」
「なんだ?」
「これからも、二人きりの時は名前で呼んでもいいんですか」
「……そうしろと言っただろう」
「……俺の事、嫌いになったり、呆れたんじゃないんですか」
「なんでお前のことを嫌いになるんだ」
怒られた時はもう二度と、こうして話せないんだろうと思った。
イサクがそうすることを許してくれたから、あくまでも自分は彼に話しかけられるのだと。でももう、呆れられたらそんな日は二度と来ないんだと。
「……い、イサク」
初めてその名前を口にしたとき、怖くてイサクの顔が見られなかった。
「俺でよかったら、手紙で言ってたこと、手伝います」
「……手紙?」
「さっきの恋愛相談って、い、イサ……宰相様が俺に謝罪の手紙をくれた時に書いていたことですよね? 毎日たくさんの恋愛相談がくるから、それが知りたいって」
顔が熱い。今のは変だっただろうか。「イサク」と二回も名前で呼ぶのは、想像以上に消耗する。早く返事をしてくれないだろうか。
視線を逸らして返答を待つ。その時間がやけに長く感じた。
「……まあ言ったが。お前はそれで嫌な思いをしたんだろ?」
「それは宰相様が、説明もなしに愛するつもりはない、とか言うから。……でも今は事情も分かったし、恋人関係にならなくても、恋とか愛とかそういうものを言葉で教えることはできますから」
「そうか」
「……」
「なら、頼む」
イサクが頷いたとき、酷く安堵した。
途切れにくい繋がりが、確かにもう一本できたと思ったからだ。
自分からイサクと共有するなにかを作ることが、どういう意味なのかなんて、まだ気付かなかった。
ただ、イサクが呆れてしまえば簡単になくなる繋がり以外の何かが生まれたことに、アダムは酷く安堵したのだ。
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