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三章
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しおりを挟む惚けていたら、一気に場の雰囲気をノエのペースに持って行かれてしまった。昼食を担当するのは分かった。だが人数だったり任期だったり、詳しいことまでは知らない。
アダムの話を聞いたノエは、今まで何を説明していたのかと、隣に座っているだけのイサクを責めるように冷々と見た。
「そうですね。では説明から。アダム君には宰相様と僕を含めた計五人分の昼食をお願いします。作るものは何でもかまいません。作ったからと必・ず・食・べ・る・わけでもありませんので。いつ食べるかも本人次第ですので、作りさえすれば帰って頂いて結構です」
歯に衣を着せぬノエに、もしやと考えが浮かぶ。だが、ひとまずそれは端において、アダムは話に集中することにした。
はっきり言ってうまい話である。これまでと違い、サミーと長く一緒にいられるし、また新しい役目を与えられる喜びもだ。
ただ、また変な噂が流れてしまわないか危惧してしまうのも事実。
答えを言い淀んでいると、勘違いをしたノエが給金について説明をはじめてしまった。
「肝心な給金についてお話しますね。申し訳ないのですが、以前のお仕事と比べて些か少なくなります。ただ、契約内容に含まれていない労働をお願いした際には、追加報酬も用意してあります。……どうでしょう? 引き受けてくださいませんか」
「いや、あの、給金は要りません。私が引っかかっているのは、ここで働いた時にまた要らぬ噂を立ててしまわないかと」
「……うーん、なるほど。後者の方はどうとでもなります。が、給金を断る理由はなぜです?」
「それは──」
「お前は──」
問いかけにアダムが口を開いた時。被さるように、イサクの言葉が遮った。
「お前は、自分の仕事に矜持を持っていると言ったな」
先程と変わりなくだらしない格好で深く腰掛けているのに、どこか雰囲気がピリピリとしている。
初めて聞くイサクの声色や表情を見て、怒っているのだと気づいた。
「給金を断るということは、手を抜いているということか?」
「そんな! 私は仕事に手を抜いたことなんてありません」
「なら、なぜだ? どうしてお前の仕事を正当に評価した結果を受け取らない」
「それは……」
「──オメガだからか?」
鋭い言葉にアダムは息を呑んだ。根底に隠していた自信のなさや劣等感を、いともあっさりと暴かれたからだ。
「底辺のオメガなのに、アルファやベータが当然のように手にする普・通・に並べるだけでも有難い。仕事や役目を頂けるだけでも奇跡だ。だからそれ以上は望まない。そういうことか?」
「……っ」
「馬鹿らしい。俺はてっきり、オメガである己を認めて誇っているとばかりに思っていたが。全くもってくだらない」
次々と突きつけられる重い言葉に、アダムは顔をあげている事ができなかった。きっと今、自分の顔は真っ赤だろう。どんなに平気なふりをしても、どれだけ前向きに物事を考えても、オメガという鎖に縛られていた。
見ぬ振りをしてきたのだ。
なのにそれをイサクは暴いて目の前に差し出してくる。
ノエが言い過ぎだと窘めても、イサクは変わらず貫くような瞳でアダムを捕らえていた。
「いいか。お前が自分の性に劣等感を抱こうがどうでもいい。だかな、お前がこうして正当な評価を受け取らないことで、後に続くオメガの者達まで迷惑を被るんだ」
考えもしなかった意見に、アダムはハッとした。
「先陣を切るお前が報酬は要らないと断れば、後に続く者が報酬を求めてきたとき、人はどう思う?」
「それ、は」
「がめついオメガだと思うだろうな。前任者は慎ましく控えめで──いや、扱いやすく自分の立場をよく知る馬鹿だったのに。そう思うだろう。お前がした行いは善行でもなんでもない。オメガの者たちを貶める風潮を作っただけだ」
「……」
何も言えなかった。報酬は要らないなんて、いい子の振りをしても、本当はただ受け取るのが怖かっただけだ。
イサクが見せた初めての表情にも威圧されてしまい、口を噤むことしかできなかった。
俯く頭にため息が乗せられる。ため息の主は、こちらを気にする様子もなく、部屋を出ていってしまった。
それがなおさら心を曇らせる。
あの人が、あんなふうに言葉を操り、静かに怒りを放つとは知らなかった。いつも怒るのはアダムで、怒られるのはイサクだったから。
あんなにも鋭く恐ろしい一面を持っているのに、これまで一度でもそんな表情を見たことがない。
こうなって初めて気づく。
イサクがそうして居てくれたからなのだと。はるか上に存在する宰相様と、気軽く話をできていたのは、イサクがそうしていてくれたから。
そして思う。彼はもう醜い自分のことなんて視界にも映らないのだろう、と。
これまで軽々しく言葉を交わせていたのは、イサクがそれを良しとしてくれたからだ。
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