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三章

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 それを見ていたパパ狼が、ぐるぅっと低く唸ってママ狼に飛びかかる。きゅうんとひと泣きすると、ママ狼はごろんとお腹を見せて、のしかかるパパ狼を甘噛みした。柔らかな草の上を子狼たちも混じえて絡まり合うと、起き上がった二匹の番は甘えるように体を擦り合わせた。
 そして、パパ狼が最後にガブリッとママ狼の顔を甘噛みする。それは、思わず「好き好きっ」と愛情が溢れかえってしまった際に、狼が見せる求愛行動だった。

「いいなあ」

 ぽつりと零れた独り言は、羨望を強く滲ませていた。思ったよりも響いてしまい、周囲にいた獣達が一斉にこちらを見て、悲しそうに眉を下げる。アダムは羞恥で赤く染まった頬を慌てて隠した。

「いやいや、そんな皆してこっち見なくてもいいだろ。……別に俺はさ、サミーがいるし十分なんだからな」

 唇を尖らせて拗ねたふうに言うと、近くにいたメス鹿が慰めるように鼻先でつついてくる。ますます憐れむように見られて参った。請われるがままに頭を撫でながら、アダムは「はぁー」と大きなため息をこぼす。

「実はさ、仕事をやめようと思うんだ」
「ガウッ?!」

 食いつくように、寝転んでいた黒豹が体を起こして吠える。涼し気な瞳がこれでもかと見開かれていた。他の獣たちも、全身の毛をぶわっと膨らませている。頭上では鷲が旋回して、木々の合間からこちらを覗いていた孔雀は美しい羽を広げた。求愛行動と言われているが、何故ここで羽を広げたのか。不思議におもっていると、呆れたように近くにいた兎が、孔雀に蹴りを入れる。
 彼等は本当に頭がいい。こちらの言葉を正しく理解しているし、観察していると人と同じように心があるのが分かる。

「皆のところに来るのを辞めるんじゃなくて、昼の仕事をさ、やめようと思ってて」

 アダムが首を振ると、誤解が解けたのか獣たちは一斉に大人しくなった。
 そして、これまでのことをポツポツと打ち明ける。将来への不安も一緒に。そうして話していると、なんだか心の平穏を取り戻せる気がした。
 色んなことが急に起こり焦っていたが、長い目で見れば、そういうこともあるし、いつかはいい風が吹く。
 視界が狭くなって傷ついてばかりいたが、よくよく考えれば、料理長も先程の女性陣も、アダムに「辞めろ」とは言わなかった。それは彼等なりの優しさなのだろう。
 だからこそ、意地を張って、自分のために我を通すのは憚られた。このまま居続けたら周りに迷惑をかけるばかりだ。
 それを判断できるだけの冷静さは持ち合わせているし、引きどころが分からないほど向こう見ずなわけではない。
 ただ、

「あの狸に勝ったと思われるのは悔しいんだよなー!」

 あーあー、と情けない声を上げて大の字に寝転ぶ。明日、仕事に行ったら辞めることを伝えよう。諦念にも似た思いで空を見上げると、今にも落ちてきそうな大粒の星がキラキラと輝いた。ふと、星の輝きを呼び起こす、銀色の瞳を思い返す。

「……あの人も、傷ついたりするのかな」

 サミーの言葉が浮かんだ。こうして何度も、あの日の宰相を思い返す。けれど、自分を責めているのだろうと思い込んでしまったアダムには、宰相があの時どんな顔をしていたのか分からなかった。
 じくじくした胸の痛みを抱えこむように、手足を小さく折りたたみ丸まると、キキッと頭上から鳴き声が上がった。
 そして、クリクリの瞳をした小猿が、親指ほどの大きさをした果実を差し出す。言われるがままにアーンと口を開けると、完熟した果物特有の甘ったるい味と香りが口内に広がった。咀嚼するたびにじゅわりと果汁が溢れて喉を潤す。嚥下してしばらくすると、不思議なことに体を苛む気だるさや苦しさが緩和された。

「……これ、もしかして発情期の症状を癒してくれるのか?」

 キッ、キキーッ! と、跳ねながら、猿たちは嬉しそうに手を叩いた。

「そうか……。ありがとうな」

 葉っぱの上に積み上げられた果物を、獣たちと仲良く分け合う。泥のように襲いかかっていた気だるさや疲れが、水に流れるように洗われた。
 帰る頃には体の調子も戻っていて、なんだか心も明るくなった気がする。子育てが終わったら、魔の森の中に家でも建てて住んでしまおうか。
 そう言ったらきっと、あの日の官僚は間抜けな顔をして驚くのだろう。
 けけけ、と悪い笑みを浮かべると、魔獣たちも嬉しそうに各々笑い声をあげた。
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