鹿と森林

鹿ノ杜

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かみさま

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 むかし会ったかみさまに、きみは似ている。
 彼は、ひげ面で、ぼさぼさで、色黒だけど、
 そうじゃなくて、ちがうとこがきみは似ている。
 遠慮ぎみに笑うとこが、きみらは似ている。

 僕は最後の、「きみらは似ている」のところを、音を上げるように歌い切った。それからギターの弦を押さえ、デタラメなコード進行を繰り返した。覚えたてのFコードは青春そのものって感じの音がして、好きだった。
「なあに、その歌」
 ソファで雑誌を読んでいた夏目先輩が言った。暇つぶしに読んでいる雑誌のページの続きをめくりながら、記事に向けているのと同じくらい興味のなさそうなトーンだった。
「あ、うるさかったですか」
 僕はアコースティックギターを床に置いた。ギターの真ん中に開いた空洞からゴトリと音がした。
「別に、ここは部室なんだから、好きに使うものだよ」
 彼女は雑誌を閉じ、立ち上がって、のびをした。スマホの画面を確認して、まだ時間あるなあ、とつぶやきながら、部室を見渡した。カーペットがしきつめられた十畳ほどの空間に、雑多なものが転がっている。文庫本やマンガがつまった本棚や、もっぱら借りてきた映画の再生用になっているブラウン管のテレビ、天板を裏返せば雀卓にもなる真四角のコタツ、独身者用の小さな冷蔵庫、床に寝っ転がる僕を順にながめ、ため息をひとつ、した。ちょっと幸福なひと息だった。
「お昼食べました? 学食とか、行きません?」
「さっき食べてきちゃった。あ、もしかして、一人で学食行けないタイプ?」
 くすぐってくるような小さな笑い声をもらす彼女に、そんなことないっすよ、と言いながら、笑い合う。
 大学の研究室に行く前の、昼下がりのこの時間、彼女は必ず部室に立ち寄り、時間をつぶしていく。だから僕は必ずこの時間に、ギターの練習をすることにしている。それで、他愛のない話をして、それで、満足していればいい? だけど、およそほとんどのことに興味がなさそうな彼女は、時おり、鮮やかに色づいたような表情を見せるときがあって、僕はそれをながめているのが好きだった。
「これはむかしのことだけど」
 ソファに座りなおした彼女が切り出した。茶色の革のソファがギュッと鳴った。
「あのね、この部室には、ほんとにかみさまがいたんだよ。わたしが一年生の頃だね、暇つぶしにつきあってくれていた、やさしいかみさま」
 その人のことを思い出しているのか、彼女の瞳が少しずつ明るみ始めた。
 知ってますよ、と心の中で答える。ある日、本棚に、現像された写真がそのまま束ねられたものを見つけた。インスタントカメラで撮ったような映りのもので、撮った年も日付もバラバラにだった。誰かがいたずらに撮ったものなのか、とある日のワンシーンといった感じの部室の光景や、川原での飲み会や、年に一度、思い出したように行われる夏の登山、すみれ色の夕空、そこに映り込むかつての部員たちにまじって、夏目先輩が、かみさまの隣ではにかんでいる。遠慮がちに小さくピースまでしている。
「かみさまって、なんだろう、大げさなものでは全然なくて、わたしにとっては、たとえば、自分の左肩にちょこんと乗った小さな人形みたいに、こころのよりどころ、っていうと少しちがうかもだけど」
「先輩、その人のこと、好きだったんですか?」
「さあ、どうかな」
 彼女はいたずらっぽく眉をひそめた。
「なにせ、ひげ面で、ぼさぼさで、熊みたいだったから」
 それから彼女は微笑んだ。夏の、よく晴れた夕暮れのような、澄んだ微笑み。
「ねえ、ちょっとずつ、上手になってるね、ギター」
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