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みけねこ

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91.追想①

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 おかしい、と気付いたのはわりとすぐだった。
 あの牢屋から抜け出してきて距離を離そうとひたすら歩き続けたものの、思った以上に身体が動かない。
「う……」
 前なら、一日にパン一つだけでも大丈夫だったっていうのに。今はとにかく腹が減ってうまく身体が動かない。自分の中にある魔力を封じ込めて魔力なしの状態で、初めて感じた異常な空腹だった。
 結構な距離を歩いてきたとは思う。ただ動きの悪い身体でどこまで距離を稼げたのか。徐々に足が重くなってきてもつれた時には身体が地面の上に横たわっていた。
 動かない指先に、息のしづらさに、初めて「死」というものがわかったような気がした。
 多分このままだと死ぬんだろう。俺が散々周りにそういう目に合わせておきながら、いざ自分の身がそういうことになると随分と呆気ないもんだとぼんやりとする頭で考える。
 目の前で剣を構えていたヤツらは、何かを必死に守ろうとしていた。逃げようとする人間の中に、まだ死にたくない、と言っているヤツもいた。俺が目にしてきた人間はそうやって最期の最期まで必死だった。それを、今こういう状態になっているにも関わらず俺はそれがわからない。
 あれだけ生きるためにと、飯を食うために寝る場所を確保するために服を着るために色んなものを壊してきたというのに、今となってはなんでそこまで必死になっていたのかもわからなくなる。
 もっと早い段階でこうなっていれば、何かが変わっていたんだろうか。そう考えるのもきっと無駄なんだろう。

 次に目を開けた時は、知らない場所にいた。視線の先には木でできた天井、土の上に横たわっていたはずが白い布が俺の身体の下に敷かれている。身体の上も、同じように真っ白というわけでもなさそうだったが布が被せられていた。
 状況を把握するためにもまだはっきりとしない頭で左右を見てみるも、身体がうまく動かないのは相変わらずらしい。ということは、まだ生きているということなんだろうか。
 なんで、とか、一体誰が、とか、そんな単語単語が頭の中に浮かんでは消える。ただそのままにしておけばよかったものの。それが一番なんじゃないかと、その考えだけが消えることなく頭の中に残っていた。
「あ、よかった、起きたみたいだね」
 視界にいきなり知らない人間が入ってくる。俺よりも少し年上なのか、眼鏡をかけた男が俺の顔を覗き込みながらそう言った。それから男は動かない俺の腕を随分と優しく持ち上げたり、額に手を当てたりと色々と確認をしている。
「あら、その子起きたのかい?」
「そうみたいです。ただまだ意識がはっきりしていないようで……それにこの身体だと、しばらく起き上がるのも難しいでしょう」
「そうだね……可哀想に。子どもだっていうのにこんなにも痩せちまって……」
「一応お頭に起きたということを知らせてもらっていいですか?」
「ああ、行ってくるよ」
 もう一つ聞こえてきた女の声と会話をしていた男は、その後濡れた布を額に乗せて「ゆっくり休んでて」と髪を一度撫でてきた。何かを思うよりまず先に睡魔が襲ってくる。まぶたが重くなってきて俺はもう一度意識を手放した。

 次に目を覚ました時も、同じ場所にいた。腕に針が突き刺さり管を通って何かが落ちてきているのを目で追っていると、部屋の中に入ってきたのは最初に見た眼鏡をかけた男だった。
「おはよう、たくさん寝たね。どうかな、何か喋れそうかな?」
「……こ」
 前よりは少し動くようになったものの、それでもまだ口を動かすのも億劫だった。ただやっぱり疑問はいくつも頭の中に浮かんでいるし未だに状況がわからない。
「こ……こ、は……」
 なんとか絞り出した声はカッスカスで、男の耳には届いてないんじゃないかと思うほどだった。だからといってもう一度同じことを言うのも疲れる。伝わらなかったら別にいいかと思っていたが、男が軽く目を丸くしたところを見ると声は届いたようだ。
「ここは飛空艇セリカの一室だよ。倒れている君を見つけたのは僕たち空賊ラファーガだ。僕は少し治療をできるから、君の看病をしていたんだ」
 そうして男は前回と同じようにまたテキパキと動く。俺の身体を看たり軽く身体を拭いたりと、そんな男に尚更疑問は深まるばかりだ。
 倒れているのを見つけて拾って、半ば死にかけの人間になんでわざわざこんなことをしているのかと。ただ放っておけばそれまでだった。いちいち拾ってこんな手間のかかることをする必要はない。
 なんでこんなことをする、そう男に問いかけたかったが身体も口も動かない。ただ目だけを動かせば、目が合った瞬間男はなぜか笑顔を向けてくる。今の男の感情が俺には理解できなかった。
 それからも男はよく部屋に来ては、俺が起きているのを確認すると同じようなことを繰り返す。時間が経てば身体も動かせるようになり、腕に繋がれていた管は外されその代わり飯が運ばれてきた。
「本当はたくさん食べたほうがいいんだけどね。でも今の君だと逆に胃に負担がかかっちゃうから……まずはスープとパンで身体に慣れさせよう」
 パンはわかるが、パンの横に置かれたスープというやつがわからない。色のついた水の中に色んなものが入っているがこれは食い物なのかどうか。取りあえずパンは手で掴んで食ったものの、このスープというやつの食い方がわからずただ見ているだけだった。この器を掴んでそのまま流し込めばいいのか。
 すると男は器の近くにあった変な棒を掴み、それを器の中に入れると色のついた水をすくい上げた。
「ほら、あーん」
「……?」
「口を開けてごらん? あーん」
 意味がわからないが、すくい上げられた水がそのまま俺の目の前で止まっている。取りあえず男に言われた通り口を開ければいいのかと、小さく開けてみた。するとそこに棒が押し込まれた。
「急がなくていい、ゆっくりと具材を噛んでごらん?」
 口の中に入れられたものには今まで味わったことのない色んな味がした。水だけかと思いきや一緒に別のものもすくい上げていたようで、それがごろりと入ってくる。飲み込もうとする前に男の声が聞こえゆっくり歯で噛んでみる。前に食っていた虫や草とはまた別の味がした。
「おいしい?」
「……わからない」
「……そっか。うん、大丈夫だよ。ゆっくり食べていこう」
 器の中にあるやつを全部食うまでにはかなりの時間がかかった。だというのに男はそれでもずっと俺の口の中にそれを運び続けた。
 男は毎日のように俺のところにやってきた。飯を運んできた時もあれば身体の看に来ることも。ただ腕は変わらず骨と皮だけの状態、と言っていいぐらいでなかなか肉がつかない。イグニート国にいた時はもう少しマシな状態だったというのに、嫌に身体の回復が遅い。
 男もそれを気にしているのか、俺の腕を見る度に微妙な顔になる。たまに誰かと一緒に入ってきてはそいつと軽く喋って、時々聞いてもいないことを教えてくる。
 この船には他にも人間がいるらしい。俺と同じ歳ぐらいの人間だったり、うんと歳が上だったりと様々なのだと言っていた。ただ共通しているのは、ここにいる人間は帰る場所を失ったということ。どこにも行き場がなく、男の言う「お頭」とか言う人間が拾っているそうだ。
 身体は相変わらず細いものの、ようやく起き上がって歩けるようになってから男はそうしょっちゅう来ることはなくなった。ただホッとした顔をして「見て回っていいよ」と笑顔で告げてまた別の部屋に消えていく。確か治療ができるとか言っていたから、他にも似たような人間がベッドの上に横たわっているのかもしれない。
 特にやることもないため船の中を歩いて回ることにした。とはいえ身体は前のように動くわけじゃないため、自分でも驚くほどゆっくりとした速度でだ。船の中には確かに他の人間もいて、慌ただしく動いている人間もいれば俺と目が合った時に「動けるようになってよかったな」とか言う人間もいた。
 ふと顔を上げてみれば小窓があり、そこから外を覗き見た。飛空艇、とかいうやつをしらなかったが目の前に広がるのは空と雲ばかり。これは空を飛んでいるのかとこの時初めて知った。
「……ここから落ちれば」
 今の俺ならあっという間だな。
 そんな考えは言葉になって口の外に出ることはなかったが、ただ今なら簡単に終われるのだと思ったのも確かだった。
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