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『戦乙女』の場合

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 あの男と再会してからと言うものの、元従者であり今は先輩であるエリエスから泣き付かれる回数が多くなった。彼女、ではなく彼曰く「これ以上あの男を相手にしないでください」とのこと。
 彼の言いたいことはわかる、確かになんの躊躇いもなく女に殴りかかろうとしてくる男なんてクズだ。しかもそのときの男の目が普段と違いキラキラと輝いて……いるというか、ギラついているというか。活き活きとしているのだ、これはもう手遅れ。
「最初貴族として生まれたときは喜んだんです。これでアグリット様と対等でいられる、すぐに助けることもできるのだと……だから社交界デビューしたときアグリット様の姿をくまなく探しました。結果、どこにもいらっしゃらなかったですが……」
 再会してからというものの、学園内でもエリエスと共に過ごすことが多くなった。とは言っても私が通常通り学園生活を過ごしている中、積極的にエリアスのほうが私に会いに来たというわけなんだけど。今日も一緒に昼食を食べていたら肩を落としながらエリエスは今に至るまでのことを教えてくれる。
「まさか立場が逆転しているとは思わず……くっ……!」
「いいじゃない、のんびりと暮らせて私は今の立場を気に入っているわ」
「レリィ様……!」
「レリィ様ではなく、レリィ」
「レ、レリィ、さ……さ……んんッ」
「絞り出したわね……」
 呼び捨ては無理かと一つ溜め息。まぁ今世でも慕ってくれているようだからこれ以上意地悪をするのも可哀想か。それなら妥協すると苦笑してみせればエリエスの顔がパッと輝いた。というか寧ろ私のほうがエリエスに対して様を付けなければならないし、言葉遣いも改めなければいけないのだけれど。でも実際そうしてしまうと気を失ってしまいそうだ。エリエスが。
 立場が逆転したことによってエリエスは最初勘当してもらおうとか考えていたらしい。平民になれば前のように、いや前以上に気兼ねなく一緒にいられる。けれどそれを両親が許すわけがない、何と言ってもエリエスは今となっては立派な嫡男、跡継ぎなのだ。他に兄弟がいるようだけれど折角跡継ぎとして頑張ってきたことを無駄にしてほしくないと、私のほうからも勘当されるなとお願いした。
「レリィさっ……さ、さん、に、そう言われてしまったら……」
「お願いよエリエス、あなたに私のやりたかったことを押しつけるのはいいことではないけれど」
「そのようなことはっ」
 少しだけエリエスのことを羨ましいと思ってしまうことは許してほしい。今世ではそれほどでもないけれど前世は特に強く思っていたことだったから。だから嫡男で、本人も継ぐ気であったのならばそれを放棄してほしくはなかった。エリエスが今世でどのように生きてきたのか、まだこの短い時間の中ですべてわかっているわけではない。それでも所作などを見ているとしっかりと学んできたことが垣間見える。
 私が持ってきたクッキーを二人で食べながら今まで何があったのかどういう環境で育ったのか、そんなことをお互い口にしているとふとエリエスの表情が曇る。何かあったのだろうかと首を傾げていると、一度キュッと口を強く結んだエリエスは意を決したような表情でこっちを見てきた。
「……レリィさん、あなたはもう『アグリット様』ではございません」
「え? ええ、そうね」
「それならば! もう二度とあの男と関わらないでください! レリィさんにとってまったく! 断じて! 関係ございません! 相手にするだけ無駄です!!」
 圧が凄い。目を吊り上げて単語ごとに徐々に顔を近付けてくるエリエスに思わず身を引いてしまう。
 だがまぁエリエスが言うのも最もだ、『レリィ』として『アルト』という男はただのクラスメイト、同じ学園の生徒、所詮その程度。隣の席に座るまで存在すら気付かなかったのだから、あのとき目が合っていなかったらお互い『他人』でいたのだ。
 ところが私達は目が合ってしまった、お互い相手が誰なのかわかってしまった。
「エリエスの言いたいこともわかるのよ」
「……! ならば!」
「でも、ねぇ」
 肘杖をついて視線を遠くにやる。見目麗しいのは相変わらずだけれど髪も黒く顔付きは前とはまったく違う。それに前に比べてお互い十代のせいかその顔にはまだどこかあどけなさが残っていて、とても国々を蹂躙するような男にも見えない。
 それでもあの赤い瞳を見ると、腹の底から何かが湧き上がってくる。男に対してどうしようもない衝動を抱えてしまう。単純に『過去に囚われている』だけの話だけれど、どうしようもないのだ。
「あの顔を見ると無性に殴りたくなるのよ」
「え……?」
「勝ち誇った顔が悔しそうに歪むのを見ると……楽しくて仕方がないのよ」
 歪んだ性癖になってしまったものだ。そうなってしまうほど、あの一瞬が私達にとってあまりにも強烈すぎた。鮮烈に残っている記憶に「もう一度」と互いに望んでしまっているのかもしれない。
 足音が聞こえる。顔を上げると予想していた通りあの男が目の前に姿を現した。隣で必死に私を止める声よりも、やり合おうと笑う声に惹きつけられてしまう。もうほぼ無条件のように動いてしまう身体は、迷うことなく男に対して攻撃を仕掛けようとする。躱されればまた次の手を、それでも躱されたら今度は男が予想もつかないような攻撃を。
『女の子がわざわざ剣術を覚えなくていいんだよ』
『いつだってお淑やかにお上品でありなさい』
『剣術なんて、なんて野蛮な』
『ただの花であればいいものの』
 そんな言葉、反吐が出る。女が剣を握ることの何が悪いの。女性でも騎士になっている人がいるということを聞いたことがあった。男性だって綺麗なものや可愛いものを好んでいる人もいるというのに。他人が決めた型にはめられるのがどれほど苛立たしいことだったか。言い寄ってきた男に剣を握っている手を見せてみれば、顔を真っ青にして一目散に逃げていく。だから私は前世で婚約者のような相手がいなかった。やりたいことをやればいいんだと笑ってくれたお父様と、みっともないと顔を歪めたお母様。
 けれど、目の前の男は。私が剣を握ろうと殴りかかろうと笑うだけ。私の心を折ろうと跪かせようとやり返してくるだけ。そんな人間、今まで一度も出会ったことがなかった。あの一瞬で終わってしまったと思っていたものは、今もこうして目の前にある。
 飛びついてしまう、情けないことに。私を私として見てくれる人間が私を一度殺しそして今も跪かせようとしている男だなんて。
「今日こそ泣かせてやろうか?」
「あら、泣かせてやりたいの?」
「……いいや、お前の悔しげに歪められた顔が見たい」
「まぁ素敵」
 目の前に迫ってきていた蹴りを避け、お返しにと足払いをしてやろうとしたけれどそれも避けられた。真上に振ってきた拳を避ければすぐに拳が飛んできて頬を掠った。
 一旦飛び退き距離を取る。頬を触ってみたけれど本当に掠った程度で傷は付いていない。迷うことなく顔面を殴ろうとしてくる男に笑いが込み上げてくる。
「私もあなたの醜く腫れ上がった顔が見たいわ」
 物語に出てくる、お姫様を助けに颯爽と現れる王子様。手を差し伸べてお姫様を救い出しめでたくハッピーエンドを迎える二人。そんな王子様欲しいとは思わない。そういう王子様はか弱いお姫様に手を差し伸べていればいいのだ。私にとっての王子様は、悔しいけど腹立つけれど目の前にいる男が丁度いいのかもしれない。
「さぁ王子様、やり合いましょう」
 あの日の続きを。終わりを望んでいるようでずっと続けばいいと思っているこの瞬間を、殴り合って斬り合って思う存分二人で愉しめればいい。


 ***
 あるときから学園祭の中で『決闘』という出し物が出るようになった。それまで誰かと争うなんて何一つ考えていなかった生徒の中でそれはあまりにも刺激が強く、そしてどこか恐ろしく感じるものでもあった。
 けれど実際その『決闘』を目にし、誰もが目を釘付けにさせられた。実際真剣での戦いは気をもみ血が流れるのではないかと誰もが心配したが、そんなこと決してなくただただ剣がぶつかり合う音だけが響き渡る。あまりの接戦に仕舞いにはどちらが勝つか賭け事が密かに行われていたことも。しかし結局『決闘』が行われた三年間、勝敗は一度もつかなかった。
 そしてなぜ『決闘』が三年間しか続かなかったのか。それは決闘していた生徒は二人とも決まっていたからだ。とある男子生徒と女子生徒。女子に手を上げるとはと否定的な声も上がったものの、女子生徒の強さにその声は次第に小さくなり三年目だとそのようなことを口にする人間はいなくなっていた。
 男子生徒と女子生徒、その剣の腕もあったが二人とも容姿端麗であり人の目を退いた。貴族である人間は金に物を言わせて己の物にしようとしたが、それが叶った人間は誰一人いない。それは二人が学園を卒業してもだ。
 その後『剣舞』というものが流行りだした。男女がペアになり互いに剣を繰り出している見世物があるのだという。ただの物珍しさで見た者、学園の噂を聞きつけてわざわざ見に行った者。その者たちが見世物を見終わったあと必ず口にした言葉が「次もまた見たい」というもの。荒々しくも美しいそれに徐々に人々は憧憬や羨望、様々な感情を抱かせた。
 しかし以前と同様、どうしてもそのどちらかかそれとも両方か、美しいものを欲したくなる人間が出てくる。欲深い人間があの手この手と趣向を凝らしてどうにかして手に入れようと試みた。
 だがとある日、とある貴婦人は顔を真っ青に寝込んだ。とある私腹を肥やした貴族は身体の一部が欠けた状態で倒れていたところを発見された。欲深い人間たちのあられもない姿にやがて憧憬と共に恐怖という名の感情も人々の心に生まれる。
「完璧に婚期を逃したわ」
「今更だろ。それともお前は俺以外に惹かれる男がいるのかよ」
「……あなたより強い男に未だに出会っていないわ」
「俺もお前より強い女に会ったことがない」
 その後その二人がどうなったのか、知っている者は数少ない。
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