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2章

02 新しい日常と家事2

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 ……私は炊事は殆ど役に立たない。
 貸本屋に住み始めて早々に、アレクに殆ど丸投げせざるを得ないことを悟った。
 コンロ代わりの火力設備、密閉式レンジ(キッチナー)は開放式に比べ熱伝導がよく、台所に革命を起こしたともいわれる優れものなのだが、それでも現代人の私にはお手上げだった。

 毎朝バケツに入れた石炭を台所に運び入れる作業は単純肉体労働だから頑張れば何とかなるかもしれない。
 しかし火力調整が難しく、毎朝各部の煤落としやメンテナンスも必要。慣れる前に一酸化炭素中毒でアレクを巻き込んで命を落としそうでハラハラする。

 石炭は着火に時間がかかるしレンジが調理できる程温まるのに2時間近くかかるのでガスコンロのように頻繁に着けたり消したりできない。
 ついでに、冷蔵庫がないので食材の使い回し計画は重要で、料理担当者が複数いて思い思いに作ると予定が狂って食材を腐らせかねない。
 2人別々に食事を作るよりまとめて作った方が格段に合理的なので自分が作る、とアレクが言ってくれた。アレクは食に拘る先代に教えてもらって料理が得意だそうだ。
 適材適所だと噛みしめ、ありがたくお任せすることにした。
 シェアハウスというよりB&B……いや、昔の小説に出てくる「賄いつきの下宿」というのに近いのだろうか。下宿代すらまだまだ払えそうになくて心苦しい。

 人として、自分の食事を自分で作るのは性別問わず自立の基本だから将来的には覚えたいが、ハードルが高すぎるので優先順位は後にする。
 アレクの隣で野菜の皮剥きを手伝う位は時々している。ステンレス製万能包丁なら問題なくできた作業も、重くて形状が違う包丁では掛かる時間も完成度も今一で、溜め息を吐かざるを得ない。
 元の世界と異なる品種改良が進んでない食材はアクや甘みや固さが違い、慣れない調味料も相まって勘を掴むまで時間が必要だ。

 そんな状況なので、掃除は私が多目にやっている。店や共用部分は私だ。というか一番初心者向けな家事兼仕事なので回してもらったというか。
 土足の床は毎日結構汚れる。人の出入りの多いリーディングルームは特に。木の床は箒で掃くことを基本にするけど、石を敷いた水回りの床はしゃがんでタワシ洗いだ。腰にくる。
 本が並んだ部屋では本を痛めないよう、煤の少ないオイルランプを使っているが、高価なので生活する部屋は蝋燭を使っている。結構煤が出るのでその掃除の仕方も教えてもらった。
 普通は子供の頃から目にしてる筈の家事や常識を、促成栽培で学んでいる感じなので今はドタバタして回すので精一杯。いずれ慣れて無駄が減っていくだろう。

 アレクの方が家事労働の負担が大きいのは否めない。
 心苦しくてそう指摘するとアレクは言った。
「炊事は一人分も二人分もあまり変わらないし、掃除を引き受けてくれる分一人暮らしの時より負担は減りました。ハナは違う世界に一人置かれて精神的負担が大きい上、仕事や言葉など沢山覚えなければならないことがある。それだけで相当大変な筈で、これ以上家で働かせたいとは思いません」
 当初はアレクはもっと私の家事負担を減らしたがった。話し合いと、私がこの世界の生活手段を身につける勉強という観点から譲歩して、今の状況になった。

 自分に置き替えて考えると、アレクの言い分も一理あり無下にできないと思えた。
 もしもアレクが私の世界に来て帰れなくなって、うちに住むことになったとしたら、私も「慣れるまで大変な筈だから、家事を覚えようとするにしても無理はするな」と言いそうだ。

 一方で、私は今を猶予期間と考えている。半年から一年を目安に自立するのが目標だ。
 アレクはとてもいい人で、だからこそ、互いに負い目で縛ったり遠慮する部分を解消して、対等な人間として関係を構築したい。
 そこのとこきちんと意識してないと、閉塞して共依存まっしぐらになりそうで怖すぎる。
 いずれアレクの庇護の下から離れたい。アレクに相応の利益を与えられる対等なビジネスパートナーならいいけれど。
 多分、アレクと立場が逆でも、アレクは私と同じように考えそうな気がするので、分かってくれるだろう。

 家事を多めにお任せしてしまう分、仕事や勉強を頑張ることにした。家事より元の世界と似通ってる分野だから、より早く「使い物になって」アレクへの負担を減らせる。


「食事ができましたよ」
「ありがとうございます、今行きます」
 アレクが調理中、私が店番をしながら勉強ーー新聞読解ーーをしていて、店を閉めた後もそのまま続けていたらアレクが声をかけた。
 キッチンへ行き皿をダイニングに運ぶのを手伝い、一緒にテーブルに着く。
「前から思っていたんですが、アレクの作る食事って凄いですよね」
「え?どの辺が?」
「美味しいのは勿論ですが、栄養の偏りがなくて健康がよく考えられてます。野菜が多いですし」

 食事内容は裕福さや地域や時代で千差万別なものだが、19世紀頃の西欧ならざっくり言って、パンが多くて、裕福さに合わせて肉が増える傾向だ。庶民なら殆ど動物性蛋白を食べられないことも多い。ビタミンとかの概念がなくて糖質に偏り、卵や乳製品のような栄養バランスのいい食材も現代ほど普及していない。
 日々接する人々から話を聞く限り、私の世界の19世紀よりもずっと食料事情も栄養バランスもいい世界のようだけど、栄養学はあまり発達していない。そんな中、アレクの料理は栄養的に優れている。しかも美味しい。
 アレクははにかんだように笑う。
「この辺は先代のやり方に倣っているんです。先代は様々な国の食事を本で読んで独自の考えを持つ人で。例えばその豆のペーストはもっと南の方の料理ですが、体にいいそうですよ」
 トルコ辺りのひよこ豆のペーストのフムスに似ている。同じものならたんぱく質と不飽和脂肪酸が豊富な筈だ。材料は土地の別のものに置き換えているかも知れないけれど、肉が高価な時代、豆はたんぱく源として有用だろう。

「野菜は貧乏人のもの、と敬遠する人もいますが、ハナに気に入って頂けてよかったです」
 こちらに来てすぐの頃の食事では肉料理を勧められた。それが一般的に豪華で好まれるとされているからだろう。
 その後そうでもなくなったのは、アレクは私の反応を見て自分の流儀に戻したということか。本当によく人を見ている人だ。
「私の国は農耕民族で、肉も食べますが野菜を多く食べてたんです。だから肉食中心の他の国へ旅行すると体の調子を崩してしまうので、旅先ではよく果物を買って食べてた位です」
「果物がお好きですか」
 旅先では、野菜と違い調理なしで食べられる果物が便利というのが大きな理由だが、確かに果物は好きだ。
「そうですね。この店に初めて来た日、昼食にベリーを出してくれたでしょう。美味しかったです」
「あのベリーは街の南の林で採ったものです。今は旬だから今度の休みに摘みに行きますね」
「え?!自分で摘めるんですか?!私も是非行きたいです。教えて貰えれば次から私が行きます」
「……面白いものですか?」
「勿論!元の世界ではできなかったので」
 アレクにとっては私の感覚の方が珍しいのだろう。私を興味深そうに見て考え込んだ後、笑みを作って提案した。
「……ではハーブも一緒に摘みに行きますか?うちのハーブティーは大半が自家製なので」
「え?今まで頂いたエルダーフラワーのお茶とかも?」
「はい。エルダーフラワーは今年はもう花の時期が終わってしまいましたが、他のハーブはこれからのものが多いですし、今度お連れします。世間ではコーヒーや紅茶が流行ですが、混ぜ物がある場合があるので、先代は古いと言われても自家製のハーブティーを好みました。俺は時々外でコーヒーも飲みますが」
 確かにこの時代、輸入品である茶葉は高価で庶民向けのものは出がらしだったり混ぜ物があることが多かった。
 日本も20世紀にはソーセージなどに混ぜ物をしたり緑茶に砂を混ぜて輸出したりしたからJASマークや輸出品検査の制度が整えられた訳で、この辺は国柄と言うより時代性なのだろう。

「初めは先代のやり方を奇妙だと言う人も多かったのですが、俺が昔は同年代の子供の中でも小柄だったのにここで住み込みを始めたらこんなに大きくなったので、真似る人も増えました」
 おどけて「こんなに」と手を広げて見せたのでつられて笑う。
 家系とかの可能性もあるが、成長期に栄養や労働の状態が良ければ成長にも影響があるだろう。実際、ヴィクトリア朝には労働者階級より上流階級の方が身長が高くて、栄養状態の格差と指摘されている。本当に先代の功績は素晴らしい。

 食事といいお茶といい、先代は俯瞰的な知識を基に自分の考えをしっかり持った人だったのだなと尊敬する。変人と言われていたそうだけど、そういうキャラ立ちを装うことで批判をかわして、筋の通った生き方をする人だったのだろう。
 アレクを心身ともに健康に育ててくれたことに頭が下がる。

 アレクはワーキングホリデーのホストファミリーのように、言葉が拙く文化が異なる人間を理解し受け入れる思考に長けた人で、お陰で私もこの世界に馴染みやすい。
 そして私を子供扱いするような過大な庇護はせず、きちんと大人の思考力と能力のある一個の人間として尊重してくれるので、自尊心を失わず社会と関わっていくことができる。
 本当に頭が下がる。早くこの恩を返せるようになりたい。



********
 お読みくださりありがとうございます。
 多分この貸本屋の規模や時代背景からすると、家事使用人がいてもおかしくないな思うのですが、小説的に微妙だったのでいない設定です。きっと先代がそういう方針だったということで……
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