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02 婿と弟

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 この国に銀髪は少ない。この王宮では、元は異国の王子だった王配たる彼、クラレンスのみである。
 王宮の廊下を銀色の影が過る。
 怪談の雪の幽鬼もかくやという風情で、陰鬱な空気をまとい屍のような目をして廊下を歩く青年に、声をかける強者はいなかった。
「義兄さん!」
 何故か一人だけいた。空気を読まぬ強者が。
 黄みの強い温かな金色の髪の青年はにこにこと、王宮内では禁止されている筈の小走りで駆け寄る。
 
「王弟殿下、ご機嫌麗しく…」
「義兄さん、どうしたの。そんな地獄の底から響いてくるような声して」
 骨身に染みた礼儀作法の脊髄反射で答えた義兄の努力を、義弟はあっさり粉砕した。
 最早最後の虚勢も粉々になったクラレンスは、美しい唇からぼそぼそとした声を溢した。
「……殿下、少し話をしてもよろしいでしょうか」

◇◆◇◆◇◆

 王配クラレンスと王弟エディアルドは、王族家族用の居室のソファに向かい合った。
「……私は近々、この王宮をお暇し、国に戻ることになるかもしれません」
「え?家族の誰かが具合悪いとか?」
 心配そうなエディアルドの言葉に手を振る。
「そうではありません。……女王陛下は離婚を望まれています」
 クラレンスは息を吐いた。
「え?まさか」
「先程、直々にお話があったところです……」
「いや、それは不可能でしょ?」
「陛下は、政治的に問題ないよう片付けるでしょう…」
「ああ、姉さんならできそう…って、それ以前に、国教でも法でも無理でしょ?!」
 神の教えにより夫婦は死が二人を分かつまで愛し合うことを誓う。死別でなく生別の離婚は、国教の教義でも法でも認められていない。
 ちなみに、東方や南方の国には、側室や後宮やハーレムと呼ばれるものがあり、一夫多妻という野蛮な制度があるそうだが、当国は教義的に当然一夫一妻なのでありえない。
 残念ながら当国でも不倫はゼロではないが、王であってもその行いは蔑まれるものとして扱われ、表面上は「お友達」と呼ばれる。

クラレンスは死人のような目と顔色で口元だけ笑みの形を作り言った。
「いえ…。私達は『白い結婚』なので」
 エディアルドは息を飲んだ。
 白い結婚は、政略結婚で一方が幼い場合などで、夜を共にしない形だけの結婚だ。国教でも、これは例外的に離婚が認められる。
「白い…って、結婚してから10年近いよね?」
「9年」
 こだわり処だったようだ。
「それに結婚の時点で私は13歳でした」
「あ、そりゃ守られるべき子供だよね。でも、えーと……義兄さんは今…22歳?」
 恐る恐る言ったエディアルドから、クラレンスは目を逸らした。
 この国の成人は18歳だ。彼は4年前に成人している。子供だからという理由はなくなった。
「人の夫婦生活は深く聞かないのがマナーです」
「……………うん」
 ただでさえデリケートな話なのに、その先の更なるデリケートの深淵を覗き込みそうになったエディアルドは、淵を見なかったことにして引き返すことにした。

「そんな訳で、政治的にも教義的にも法的にも離婚は可能です。あとは、女王の決断ひとつ」
 深く俯き、頭も声も地にめり込みそうな彼に、エディアルドはかける言葉を失った。
「私はこの国へ来て9年、王配として女王を支える存在となれるよう努力してきたつもりでした。政略結婚とはいえ、尊敬と愛情をもった関係を築くことはできる、と。私に至らぬ点は多々あろうと思いますが……離婚を切り出す程、耐え難かったとは…気づいておりませんでした。恥ずべき自分を消してしまいたい」
 クラレンスは頭を抱えため息をついた。
 しかも彼女は、クラレンスも離婚を喜ぶと信じきっていたような物言いだった。
 関係はそれなりに上手くいっていると信じていたのは、クラレンスの一人相撲だったのだ。その認識のずれが、更にクラレンスを落ち込ませた。

「うーん。僕にも義兄さん達は上手くいってるように見えたけど?姉さんが、義兄さんのことを耐え難いって言ったの?」
 姉は義兄にそんな含むところがあるようには見えなかった。
「いえ。でも、至らない私のこと、不満に思われる心当たりは山とありますので」
「義兄さんは自己評価低すぎだと思う」

 同性のエディアルドの目から見ても、義兄は顔も性格も良く、所謂、理想的な貴公子というカテゴリの人だと思う。
 程よく筋肉のついた肢体、優雅で清廉な立ち居振舞い。聡明かつ謙虚。そして心から女王を、姉を敬愛し支える姿勢が貫かれていて、姉や国にとっても理想的な王配と言えると思っている。
 これで何故、自分の至らなさで離婚される、となるのか。
 エディアルドは今でこそ健康体だが幼少の頃は体が弱く、実の親きょうだいよりも、年が近いクラレンスが身近にいてくれて面倒をみてもらった。それゆえ義兄への身内びいきがあるが、それを差し引いても納得がいかない。

「義兄さんいい男だし。何より義兄ほど姉さんにふさわしい人いないって」
「でも私は10も年下ですから、頼り甲斐に欠けるかと」
「大丈夫!姉さんより頼り甲斐ある男は普通いないから!不可能を可能にしなくて大丈夫!」
 太鼓判を押した。
 あの姉は、王様業が天職みたいな人だ。国を支える器も実力も覚悟も意思もある。ナチュラルに。こんな王を持てたこの国は幸せだ。彼は姉を高く評価していた。
 しかし一方、この夫婦の年齢差や風貌についての心ない噂は多く、嫌でも耳に入る。しかし噂で攻撃される対象は、主に女王の方だった。

 22歳の若き美丈夫の王配に対し、美よりはその実力や威厳について語られる女王は32歳。
 男王が微妙すぎる風貌と実力で10も年下の美しい王妃を得ても何も言われない。
 しかしこれが逆だと、年増女が若い男を権力で買った、人身御供だなどに始まり、更に耳が腐り落ちそうな下種な中傷まで、陰口が酷かった。
 エディアルドはそんな理不尽に憤慨し反論する一人であるので、義兄が噂通りに思い込んだり自惚れていたら怒っただろう。しかし義兄がむしろ噂と真逆で、容姿や若さを自身のマイナス要素としてこれ程気にしているとは思わなかった。

 クラレンスは義弟のエディアルドを含め多くの人に敬語で話す。
 味方のいない他国へ一人で婿入りし、まだ13歳で勉強も追いつかない未熟な身での生存戦略として、腰が低く空気を読む性質を身につけたのかもしれない。
 幼少の頃から天使のような美少年だったが、長じてからは更に、長身と美麗な外見と物腰の優しさから女性達から絶大な人気があるのだが、本人は実感できていない。

「義兄さん女性に人気あるじゃない。大丈夫!」
「王配という地位にいる者に笑顔で接するのは、男女問わずごく一般的な社交でしょう。それを勘違いする程愚かではありません。それに…他の女性でなく、陛下に好かれなければ何にもなりません」
「あぁ…うん、そこは真理だね」
 エディアルドはどこまでも真っ直ぐで率直だった。
 クラレンスは更にがっくりと肩を落とした。
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