愛と重圧

もつる

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愛と重圧 3/7

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 また朝が来た。捜し始めてからそろそろ二週間が経過しようとしている。
 シェイドはいつものように目覚め、身支度をしていた。
 髪を整え、動力供給チューブを挿し、シェービングをする。部下が朗報を持ってきたのはその時だった。

「捜索チームから報告が」

 鏡越しに部下を見る。

「どこに、誰といる?」
「現在はギルド所属のガンベクターと共にいるそうです」
「詳細は?」
「二十三番グリーンゾーンを拠点としているようです。プロテクトがかけられているため本名は不明ですが、登録名はマスク・ザ・ベアメタルとあります」

 シェービングを済ませたシェイドはチューブの繋がったタンクを持ち上げて部下に近づく。
 タブレット端末を受け取り、そこに表示された情報を読んで、言った。

「姪と仕事をしているのか……。だがそれ以外は不明点が多いな」
「ですが定期的に走るコースは特定しました。八番グリーンゾーンの全域です」
「……なるほど」
「問い合わせて身柄の引き渡しを要求――」
「それはまずい。銃のことを詮索される」
「ではどうします?」

 シェイドは地図を表示し、八番グリーンゾーンのすぐ近くを指差した。

「ここを使う」


 リトがベクターとニースのところで暮らし始めてから約二週間。生活にもだいぶ慣れてきた。暴徒襲撃の件もあってか、あれ以降は拠点の留守を任されることが増えたが、それでも忙しい日は外に駆り出される。
 今日は二人で事足りる日なので、リトものんびり過ごしていた。
 掃除と整理整頓を済ませ、買い出しから戻ってくると椅子に身を委ねて一休みする。
 ダクトと配線の目立つ天井を見ながら、彼はぼーっとした。何も考えないでいると、またニースのことが頭に浮かんでくる。
 夢を見ているような気分だった。それも、とびきり良い夢だ。
 嬉しさのさざ波が、リトの心に起こる。
 けれど、と彼はふと思った。ニースは自分のことをどう思っているのだろうか。
 ただの護るべき少年以上の何者でもないのだろうか。

 あれ……?
 ぼくはどう見られたいんだろう……?

 リトは自分がほんのすこし、混乱しているのがわかった。
 それから一時間ほど経って、ベクターとニースが戻ってくる。
 いつものように挨拶を交わし、手洗いとうがいを済ませ、明日の準備もそこそこに食卓を囲む。
 今日はギルドの配給食ではなく、三人で役割分担して作った、きちんとした料理だ。
 食事の席では、ベクターはいつも通り穏やかな雑談と共に、上品に食べ進めていたが、ニースはここ最近、すこし口数が減っているようにも思えた。
 時々、横目でこちらを見る回数も増えているような気がする。
 すると唐突にベクターの電話が鳴った。


 ベクター曰く、電話はギルドからの呼び出しだった。別コースを担当しているガンベクターが暴徒の襲撃に遭ったとのことだ。車も物資も破損し、当人も負傷したため、応援を頼まれたのである。
 ベクターはリトとニースに、

「今からだ。戻れるのは翌朝になると思う。留守をよろしくね」

 と言い残して出て行った。
 リトとニースは一緒に後片付けをする。
 大急ぎで食べ切ったベクターの皿を流し台に入れ、洗い始める。
 三人分の洗い物をしながら、リトは訊いた。

「……こういうこと、しょっちゅうなんですか?」
「いえ……滅多に無いことです。二、三年に一度あるかないか程度……」
「そうなんだ……」

 リトのつぶやきに、ニースはしばしの沈黙を挟んでから言った。

「……二人っきりですね」

 洗い物を終え、水を止める。
 彼女はこちらを見た。いつもと違う目つきだった。

「……私の病気のこと、お話ししましたよね」
「はい……」
「知っておくのも……損ではないと思います」

 それからリトはニースの部屋に招き入れられる。
 ニースはカーテンを開け、満月の光で室内を照らした。
 彼女の部屋は殺風景だったが、どこか温かみがあって、気品に満ちている。
 部屋の香りにかすかな酔いを感じていると、ニースは上衣を一枚、脱いだ。
 リトは一瞬驚いて身をこわばらせたが、すぐに彼女の透き通った姿に魅入られる。
 月明かりのせいだろうか、ただでさえ色白なニースの肌は真っ白に見えた。まるで色素の存在を感じない。皮膚のすぐ下を通う彼女の血の赤が、うっすらと浮かんでいる。
 髪もまるでガラス細工のように繊細な光を放っていた。
 ニースは儚げな微笑みと共にリトを見る。
 ここでリトは彼女の変化に気づいた。

「その目は……」

 ニースのヘーゼルの瞳は、薄青色に変色していた。

「原因不明の後天性白皮症……私はアルビノなんです」ニースはリトに近づく。「ベクターの血清が切れればこの通り」
「じゃあ……早く血清を打たないと――」
「いま、私はいちばん弱い姿を見せてる。あなたに。あなただけに」

 ニースの顔が近くなる。血の色が透けた瞳孔に、リトは何も言えなかった。

「カノン」彼女は覚えのない名前を口にする。「私のほんとうの名前」

 艶やかな響きだった。
 リトはその名を、小さく繰り返す。 

「ねえ、リト・・」ニースが言う。「私のこと……好き?」

 リトは小さく頷いた。
 ニースは嬉しそうに微笑んで、その白い掌で彼の頬を撫でる。

「誰にも言っちゃダメだよ」

 ニースはリトに口づけした。


 翌朝、ベクターは拠点に戻ってくる。思ったほど深刻な案件ではなく、仕事自体は日をまたぐ頃に終わった。
 モーターロッジで入浴と睡眠を済ませていたので、気分も悪くない。

「いま戻った」

 言いながら玄関扉を開ける。が、返事はない。
 いつもならもう起きているはずだが、とベクターは思った。
 念の為、いつでも銃を抜けるよう構えながらリビングに進む。するとそこでニースとリトが現れた。

「ああ……おかえりなさい……」

 二人ともまだ寝間着姿で寝ぼけ眼だ。が、手を繋いでいることにベクターは目が行った。
 夜の間に何があったのか思考を巡らせてしまう。
 うかつなことは言えない。
 ベクターは、

「……ただいま……」

 と、視線を固めたまま答えた。
 二人もそれに気づいたようで、一気に顔を赤くして手を離す。

「あああ、あの、その、これは……!」
「みなまで言わずともよい……」

 そっと掌をかざし、ベクターは顔を逸らす。
 ニースは恥ずかしげな唸り声を上げ、リトも紅潮した顔を伏せていた。


 それからリトたちはすこし遅めの朝食を摂り、今日の仕事の用意をする。ベクターが濃いめのコーヒーを淹れてくれたからか、出発時間になるころにはニースはすっかりいつもの調子に戻っていた。
 リトもニースと同じコーヒーを飲み、慣れない酸味とカフェインでしっかり目を覚ます。
 発着場までの車内で、ニースがタブレット端末を手にブリーフィングを行う。今日から期間限定で新しい顧客がリストに載ったのだ。

「境界ぎりぎりだな……」ベクターが言う。
「大丈夫とは思いますが、気をつけてくださいね」
「ああ。……きみたちも、用心したまえよ」

 赤信号で止まると、ベクターはリトに振り向いた。

「もしわたしに何かあれば……姪を護れるのはたぶんきみだけだ」
「――はい」

 やがて発着場に到る。
 いつものようにニースは事務所へ、リトはベクターと共に荷物の積み込み作業だ。
 その時、リトは軽い頭痛を感じた。
 痛みはだんだん強くなり、思わず顔をしかめて額に手を当てる。
 が、ピークは一瞬だった。痛みはさっと引いていって、間もなくすっきりする。
 そして――、

「……ひとつ……思い出しました」

 彼はベクターの背に言った。
 ベクターは振り向き、問う。

「どんなことだい?」
「……ぼくが入ってたあのケース……。あれは――ぼくが自分で入ると決めたんです」
「どういうことだ……? ではあのガンベクターは人さらいではなかった……?」
「そこまではわからないですけど……」

 リトは俯いた。ベクターは腕を組んで唸り、それから言う。

「いずれにせよ一歩前進だ」

 ニースが戻ってきて、三人は発着場を出る。リトの記憶が一部戻ったことを知って、ニースは喜んでいた。

「晴れてご両親のもとに帰れる日が来たら、挨拶をしに出向かなければならないな」

 車内でベクターは笑う。冗談めかした調子だが、リトはその言葉に祝いの気持ちを感じる。きっとニースも同じだろう。
 その日は三人とも、気分良く仕事ができた。
 新しい顧客のところへ行くまでは。


 グリーンゾーンぎりぎりの、古びた集合住宅の前にバンが停まる。
 確かにゾーン内ではあるが、市街地からは妙に離れていて、とても人が住んでいる様子ではない。巡回の自警団員もいない。
 赤い西日に照らされ、うっすらと白い霧が立ち込めた中にそびえる灰色の建物は、ボロボロに朽ちていて枯れた蔦が壁にへばりついている。
 その数十メートル先で回転する瘴霧避けファンを見てから、ベクターは言った。

「本当にここで合っているのか……?」
「……私も不安になってきました……」
「事務員さんか、お客さんが住所を書き間違えたとか……?」
「その可能性はありそう」

 ニースはそう言うと、ベクターから無線機を受け取る。

「とりあえず行ってみる。二人はここに残って事務所に問い合わせてくれたまえ」
「わかりました」
「お気をつけて」

 ベクターは配達する薬品のケースを持ち、車を降りた。
 ニースは運転席に移動して、ラップトップPCを開くとマップを表示する。

「ライフルを」

 リトはバッグから小銃を取り出し、彼女に渡した。

「外の様子を見てて。何か変なものを見たらすぐ言ってね。電話中だからって気にしなくていいから」


 ベクターは集合住宅の敷地内に足を踏み入れ、その荒れ具合になおさら不審感を募らせる。
 剥がれた壁であろう落石が駐車場のあちこちに散乱し、アスファルトもヒビだらけだ。そこから生えた雑草も赤茶けて枯死している。芝生も、植木も、全部枯れ果てていた。
 なんとか人の住んでいる痕跡を見つけようと辺りを見回すが、目につくのは割れ窓に閉鎖された出入り口ばかりだ。
 そうやって歩いていると、ゴミ庫を見つけた。
 金網越しに中を覗いてみる。暗闇の中にゴミ袋がひとつあった。
 すこしホッとした。いちおう人は住んでいるみたいだ。
 ベクターは無意識的に握っていた銃把から手を離す。

「生活の痕跡を発見……」ベクターは無線機越しにニースたちに言った。
「……よかった」リトの声がイヤホンからする。「あとはお客さんに届けるだけですね」
「だといいけどね」ベクターは少し笑った。「ニースは電話中かい?」
「はい。事務所に問い合わせてくれてます。……あっ今終わりました。住所間違えではなさそうです」
「わかった。速やかに配達を終わらせてそっちに戻るよ」
「はい。待ってます」

 会話は一旦終わり、ベクターは閉鎖されていない入り口から屋内へ踏み込んだ。
 内部は外と同じく、薄暗い。
 冷たく湿った空気が流れる廊下を進んでいくと、間もなく依頼人の住む部屋にたどり着いた。
 インターホンを鳴らす前に、ベクターは開けっ放しの窓から中の様子を見てみる。
 薄暗い室内に、人が一人いるのがわかった。影になっていて全容は不明だが、力なく座って、テーブルの上で両手を組んでいる。
 ベクターはそれを確認してようやく、呼び鈴を鳴らし来訪を伝える。
 ざらついた音が響き、住人はそれを聞いてのっそりと立ち上がった。
 その手には――。


 リトは車窓越しに、崩れかけた塀の向こうで動く影を見とめた。
 一瞬、見間違いかとも思ったが、それならそれで別にかまわない。そう思いながらニースに報告する。

「あの……向こうでなんか動いたような……」

 ニースは振り返って、リトの指した方を見る。

「……暴徒かな……?」
「暴徒ならもう襲ってきてるはず……」
「ということは――人間……?」
「単に私たちがよそ者ゆえに警戒してるだけならいいんだけど――」

 次の瞬間、無線機からベクターの叫び声がした。

「逃げろ!」


 廃墟の住人が自動小銃を発砲する。
 ベクターはとっさに伏せ、拳銃を抜きながら距離をとった。
 敵はドアを蹴破り、さらに撃ってくる。
 銃弾が壁を穿ち、破片を散らした。
 外まで逃げたベクターは追ってくる相手に弾を喰らわせ倒す。
 それからニースの小銃の発砲音がして、バンが走り去るのを見た。が、装甲SUVがバンを追う。
 ベクターはSUVに発砲するも、拳銃弾では表面しかダメージを与えられない。
 すると死角から銃撃を受けた。体へのヒットは避けたが無線機を破壊される。
 コートの裾を穿たれながらも急いで屋内に逃げ込み、倒した相手の自動小銃を拾う。
 予備の弾薬は無いが、弾倉にはまだ半分ほど残っていた。
 敵の数は五、六人。廃墟の部屋に陣取り、上から攻撃を仕掛けてくる。
 ベクターは多少のダメージを覚悟して、車の後を追った。
 敵の銃弾がベクターの体を掠める。ベクターの攻撃は敵を三人、仕留めた。
 なんとか相手の射界から外れたと思いきや、塀の陰から短機関銃を持った部隊が現れる。
 眼前の一人は反射的に倒したが、左右の二人から斉射を受けてしまう。
 ベクターはコートを翻して防御した。
 銃撃が止んだ隙に二人を仕留め、弾切れした自動小銃の代わりに短機関銃を装備する。

 無事でいてくれ。

 ベクターは走り出した。
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