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愛と重圧 3/7
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また朝が来た。捜し始めてからそろそろ二週間が経過しようとしている。
シェイドはいつものように目覚め、身支度をしていた。
髪を整え、動力供給チューブを挿し、シェービングをする。部下が朗報を持ってきたのはその時だった。
「捜索チームから報告が」
鏡越しに部下を見る。
「どこに、誰といる?」
「現在はギルド所属のガンベクターと共にいるそうです」
「詳細は?」
「二十三番グリーンゾーンを拠点としているようです。プロテクトがかけられているため本名は不明ですが、登録名はマスク・ザ・ベアメタルとあります」
シェービングを済ませたシェイドはチューブの繋がったタンクを持ち上げて部下に近づく。
タブレット端末を受け取り、そこに表示された情報を読んで、言った。
「姪と仕事をしているのか……。だがそれ以外は不明点が多いな」
「ですが定期的に走るコースは特定しました。八番グリーンゾーンの全域です」
「……なるほど」
「問い合わせて身柄の引き渡しを要求――」
「それはまずい。銃のことを詮索される」
「ではどうします?」
シェイドは地図を表示し、八番グリーンゾーンのすぐ近くを指差した。
「ここを使う」
リトがベクターとニースのところで暮らし始めてから約二週間。生活にもだいぶ慣れてきた。暴徒襲撃の件もあってか、あれ以降は拠点の留守を任されることが増えたが、それでも忙しい日は外に駆り出される。
今日は二人で事足りる日なので、リトものんびり過ごしていた。
掃除と整理整頓を済ませ、買い出しから戻ってくると椅子に身を委ねて一休みする。
ダクトと配線の目立つ天井を見ながら、彼はぼーっとした。何も考えないでいると、またニースのことが頭に浮かんでくる。
夢を見ているような気分だった。それも、とびきり良い夢だ。
嬉しさのさざ波が、リトの心に起こる。
けれど、と彼はふと思った。ニースは自分のことをどう思っているのだろうか。
ただの護るべき少年以上の何者でもないのだろうか。
あれ……?
ぼくはどう見られたいんだろう……?
リトは自分がほんのすこし、混乱しているのがわかった。
それから一時間ほど経って、ベクターとニースが戻ってくる。
いつものように挨拶を交わし、手洗いとうがいを済ませ、明日の準備もそこそこに食卓を囲む。
今日はギルドの配給食ではなく、三人で役割分担して作った、きちんとした料理だ。
食事の席では、ベクターはいつも通り穏やかな雑談と共に、上品に食べ進めていたが、ニースはここ最近、すこし口数が減っているようにも思えた。
時々、横目でこちらを見る回数も増えているような気がする。
すると唐突にベクターの電話が鳴った。
ベクター曰く、電話はギルドからの呼び出しだった。別コースを担当しているガンベクターが暴徒の襲撃に遭ったとのことだ。車も物資も破損し、当人も負傷したため、応援を頼まれたのである。
ベクターはリトとニースに、
「今からだ。戻れるのは翌朝になると思う。留守をよろしくね」
と言い残して出て行った。
リトとニースは一緒に後片付けをする。
大急ぎで食べ切ったベクターの皿を流し台に入れ、洗い始める。
三人分の洗い物をしながら、リトは訊いた。
「……こういうこと、しょっちゅうなんですか?」
「いえ……滅多に無いことです。二、三年に一度あるかないか程度……」
「そうなんだ……」
リトのつぶやきに、ニースはしばしの沈黙を挟んでから言った。
「……二人っきりですね」
洗い物を終え、水を止める。
彼女はこちらを見た。いつもと違う目つきだった。
「……私の病気のこと、お話ししましたよね」
「はい……」
「知っておくのも……損ではないと思います」
それからリトはニースの部屋に招き入れられる。
ニースはカーテンを開け、満月の光で室内を照らした。
彼女の部屋は殺風景だったが、どこか温かみがあって、気品に満ちている。
部屋の香りにかすかな酔いを感じていると、ニースは上衣を一枚、脱いだ。
リトは一瞬驚いて身をこわばらせたが、すぐに彼女の透き通った姿に魅入られる。
月明かりのせいだろうか、ただでさえ色白なニースの肌は真っ白に見えた。まるで色素の存在を感じない。皮膚のすぐ下を通う彼女の血の赤が、うっすらと浮かんでいる。
髪もまるでガラス細工のように繊細な光を放っていた。
ニースは儚げな微笑みと共にリトを見る。
ここでリトは彼女の変化に気づいた。
「その目は……」
ニースのヘーゼルの瞳は、薄青色に変色していた。
「原因不明の後天性白皮症……私はアルビノなんです」ニースはリトに近づく。「ベクターの血清が切れればこの通り」
「じゃあ……早く血清を打たないと――」
「いま、私はいちばん弱い姿を見せてる。あなたに。あなただけに」
ニースの顔が近くなる。血の色が透けた瞳孔に、リトは何も言えなかった。
「カノン」彼女は覚えのない名前を口にする。「私のほんとうの名前」
艶やかな響きだった。
リトはその名を、小さく繰り返す。
「ねえ、リト」ニースが言う。「私のこと……好き?」
リトは小さく頷いた。
ニースは嬉しそうに微笑んで、その白い掌で彼の頬を撫でる。
「誰にも言っちゃダメだよ」
ニースはリトに口づけした。
翌朝、ベクターは拠点に戻ってくる。思ったほど深刻な案件ではなく、仕事自体は日をまたぐ頃に終わった。
モーターロッジで入浴と睡眠を済ませていたので、気分も悪くない。
「いま戻った」
言いながら玄関扉を開ける。が、返事はない。
いつもならもう起きているはずだが、とベクターは思った。
念の為、いつでも銃を抜けるよう構えながらリビングに進む。するとそこでニースとリトが現れた。
「ああ……おかえりなさい……」
二人ともまだ寝間着姿で寝ぼけ眼だ。が、手を繋いでいることにベクターは目が行った。
夜の間に何があったのか思考を巡らせてしまう。
うかつなことは言えない。
ベクターは、
「……ただいま……」
と、視線を固めたまま答えた。
二人もそれに気づいたようで、一気に顔を赤くして手を離す。
「あああ、あの、その、これは……!」
「みなまで言わずともよい……」
そっと掌をかざし、ベクターは顔を逸らす。
ニースは恥ずかしげな唸り声を上げ、リトも紅潮した顔を伏せていた。
それからリトたちはすこし遅めの朝食を摂り、今日の仕事の用意をする。ベクターが濃いめのコーヒーを淹れてくれたからか、出発時間になるころにはニースはすっかりいつもの調子に戻っていた。
リトもニースと同じコーヒーを飲み、慣れない酸味とカフェインでしっかり目を覚ます。
発着場までの車内で、ニースがタブレット端末を手にブリーフィングを行う。今日から期間限定で新しい顧客がリストに載ったのだ。
「境界ぎりぎりだな……」ベクターが言う。
「大丈夫とは思いますが、気をつけてくださいね」
「ああ。……きみたちも、用心したまえよ」
赤信号で止まると、ベクターはリトに振り向いた。
「もしわたしに何かあれば……姪を護れるのはたぶんきみだけだ」
「――はい」
やがて発着場に到る。
いつものようにニースは事務所へ、リトはベクターと共に荷物の積み込み作業だ。
その時、リトは軽い頭痛を感じた。
痛みはだんだん強くなり、思わず顔をしかめて額に手を当てる。
が、ピークは一瞬だった。痛みはさっと引いていって、間もなくすっきりする。
そして――、
「……ひとつ……思い出しました」
彼はベクターの背に言った。
ベクターは振り向き、問う。
「どんなことだい?」
「……ぼくが入ってたあのケース……。あれは――ぼくが自分で入ると決めたんです」
「どういうことだ……? ではあのガンベクターは人さらいではなかった……?」
「そこまではわからないですけど……」
リトは俯いた。ベクターは腕を組んで唸り、それから言う。
「いずれにせよ一歩前進だ」
ニースが戻ってきて、三人は発着場を出る。リトの記憶が一部戻ったことを知って、ニースは喜んでいた。
「晴れてご両親のもとに帰れる日が来たら、挨拶をしに出向かなければならないな」
車内でベクターは笑う。冗談めかした調子だが、リトはその言葉に祝いの気持ちを感じる。きっとニースも同じだろう。
その日は三人とも、気分良く仕事ができた。
新しい顧客のところへ行くまでは。
グリーンゾーンぎりぎりの、古びた集合住宅の前にバンが停まる。
確かにゾーン内ではあるが、市街地からは妙に離れていて、とても人が住んでいる様子ではない。巡回の自警団員もいない。
赤い西日に照らされ、うっすらと白い霧が立ち込めた中にそびえる灰色の建物は、ボロボロに朽ちていて枯れた蔦が壁にへばりついている。
その数十メートル先で回転する瘴霧避けファンを見てから、ベクターは言った。
「本当にここで合っているのか……?」
「……私も不安になってきました……」
「事務員さんか、お客さんが住所を書き間違えたとか……?」
「その可能性はありそう」
ニースはそう言うと、ベクターから無線機を受け取る。
「とりあえず行ってみる。二人はここに残って事務所に問い合わせてくれたまえ」
「わかりました」
「お気をつけて」
ベクターは配達する薬品のケースを持ち、車を降りた。
ニースは運転席に移動して、ラップトップPCを開くとマップを表示する。
「ライフルを」
リトはバッグから小銃を取り出し、彼女に渡した。
「外の様子を見てて。何か変なものを見たらすぐ言ってね。電話中だからって気にしなくていいから」
ベクターは集合住宅の敷地内に足を踏み入れ、その荒れ具合になおさら不審感を募らせる。
剥がれた壁であろう落石が駐車場のあちこちに散乱し、アスファルトもヒビだらけだ。そこから生えた雑草も赤茶けて枯死している。芝生も、植木も、全部枯れ果てていた。
なんとか人の住んでいる痕跡を見つけようと辺りを見回すが、目につくのは割れ窓に閉鎖された出入り口ばかりだ。
そうやって歩いていると、ゴミ庫を見つけた。
金網越しに中を覗いてみる。暗闇の中にゴミ袋がひとつあった。
すこしホッとした。いちおう人は住んでいるみたいだ。
ベクターは無意識的に握っていた銃把から手を離す。
「生活の痕跡を発見……」ベクターは無線機越しにニースたちに言った。
「……よかった」リトの声がイヤホンからする。「あとはお客さんに届けるだけですね」
「だといいけどね」ベクターは少し笑った。「ニースは電話中かい?」
「はい。事務所に問い合わせてくれてます。……あっ今終わりました。住所間違えではなさそうです」
「わかった。速やかに配達を終わらせてそっちに戻るよ」
「はい。待ってます」
会話は一旦終わり、ベクターは閉鎖されていない入り口から屋内へ踏み込んだ。
内部は外と同じく、薄暗い。
冷たく湿った空気が流れる廊下を進んでいくと、間もなく依頼人の住む部屋にたどり着いた。
インターホンを鳴らす前に、ベクターは開けっ放しの窓から中の様子を見てみる。
薄暗い室内に、人が一人いるのがわかった。影になっていて全容は不明だが、力なく座って、テーブルの上で両手を組んでいる。
ベクターはそれを確認してようやく、呼び鈴を鳴らし来訪を伝える。
ざらついた音が響き、住人はそれを聞いてのっそりと立ち上がった。
その手には――。
リトは車窓越しに、崩れかけた塀の向こうで動く影を見とめた。
一瞬、見間違いかとも思ったが、それならそれで別にかまわない。そう思いながらニースに報告する。
「あの……向こうでなんか動いたような……」
ニースは振り返って、リトの指した方を見る。
「……暴徒かな……?」
「暴徒ならもう襲ってきてるはず……」
「ということは――人間……?」
「単に私たちがよそ者ゆえに警戒してるだけならいいんだけど――」
次の瞬間、無線機からベクターの叫び声がした。
「逃げろ!」
廃墟の住人が自動小銃を発砲する。
ベクターはとっさに伏せ、拳銃を抜きながら距離をとった。
敵はドアを蹴破り、さらに撃ってくる。
銃弾が壁を穿ち、破片を散らした。
外まで逃げたベクターは追ってくる相手に弾を喰らわせ倒す。
それからニースの小銃の発砲音がして、バンが走り去るのを見た。が、装甲SUVがバンを追う。
ベクターはSUVに発砲するも、拳銃弾では表面しかダメージを与えられない。
すると死角から銃撃を受けた。体へのヒットは避けたが無線機を破壊される。
コートの裾を穿たれながらも急いで屋内に逃げ込み、倒した相手の自動小銃を拾う。
予備の弾薬は無いが、弾倉にはまだ半分ほど残っていた。
敵の数は五、六人。廃墟の部屋に陣取り、上から攻撃を仕掛けてくる。
ベクターは多少のダメージを覚悟して、車の後を追った。
敵の銃弾がベクターの体を掠める。ベクターの攻撃は敵を三人、仕留めた。
なんとか相手の射界から外れたと思いきや、塀の陰から短機関銃を持った部隊が現れる。
眼前の一人は反射的に倒したが、左右の二人から斉射を受けてしまう。
ベクターはコートを翻して防御した。
銃撃が止んだ隙に二人を仕留め、弾切れした自動小銃の代わりに短機関銃を装備する。
無事でいてくれ。
ベクターは走り出した。
また朝が来た。捜し始めてからそろそろ二週間が経過しようとしている。
シェイドはいつものように目覚め、身支度をしていた。
髪を整え、動力供給チューブを挿し、シェービングをする。部下が朗報を持ってきたのはその時だった。
「捜索チームから報告が」
鏡越しに部下を見る。
「どこに、誰といる?」
「現在はギルド所属のガンベクターと共にいるそうです」
「詳細は?」
「二十三番グリーンゾーンを拠点としているようです。プロテクトがかけられているため本名は不明ですが、登録名はマスク・ザ・ベアメタルとあります」
シェービングを済ませたシェイドはチューブの繋がったタンクを持ち上げて部下に近づく。
タブレット端末を受け取り、そこに表示された情報を読んで、言った。
「姪と仕事をしているのか……。だがそれ以外は不明点が多いな」
「ですが定期的に走るコースは特定しました。八番グリーンゾーンの全域です」
「……なるほど」
「問い合わせて身柄の引き渡しを要求――」
「それはまずい。銃のことを詮索される」
「ではどうします?」
シェイドは地図を表示し、八番グリーンゾーンのすぐ近くを指差した。
「ここを使う」
リトがベクターとニースのところで暮らし始めてから約二週間。生活にもだいぶ慣れてきた。暴徒襲撃の件もあってか、あれ以降は拠点の留守を任されることが増えたが、それでも忙しい日は外に駆り出される。
今日は二人で事足りる日なので、リトものんびり過ごしていた。
掃除と整理整頓を済ませ、買い出しから戻ってくると椅子に身を委ねて一休みする。
ダクトと配線の目立つ天井を見ながら、彼はぼーっとした。何も考えないでいると、またニースのことが頭に浮かんでくる。
夢を見ているような気分だった。それも、とびきり良い夢だ。
嬉しさのさざ波が、リトの心に起こる。
けれど、と彼はふと思った。ニースは自分のことをどう思っているのだろうか。
ただの護るべき少年以上の何者でもないのだろうか。
あれ……?
ぼくはどう見られたいんだろう……?
リトは自分がほんのすこし、混乱しているのがわかった。
それから一時間ほど経って、ベクターとニースが戻ってくる。
いつものように挨拶を交わし、手洗いとうがいを済ませ、明日の準備もそこそこに食卓を囲む。
今日はギルドの配給食ではなく、三人で役割分担して作った、きちんとした料理だ。
食事の席では、ベクターはいつも通り穏やかな雑談と共に、上品に食べ進めていたが、ニースはここ最近、すこし口数が減っているようにも思えた。
時々、横目でこちらを見る回数も増えているような気がする。
すると唐突にベクターの電話が鳴った。
ベクター曰く、電話はギルドからの呼び出しだった。別コースを担当しているガンベクターが暴徒の襲撃に遭ったとのことだ。車も物資も破損し、当人も負傷したため、応援を頼まれたのである。
ベクターはリトとニースに、
「今からだ。戻れるのは翌朝になると思う。留守をよろしくね」
と言い残して出て行った。
リトとニースは一緒に後片付けをする。
大急ぎで食べ切ったベクターの皿を流し台に入れ、洗い始める。
三人分の洗い物をしながら、リトは訊いた。
「……こういうこと、しょっちゅうなんですか?」
「いえ……滅多に無いことです。二、三年に一度あるかないか程度……」
「そうなんだ……」
リトのつぶやきに、ニースはしばしの沈黙を挟んでから言った。
「……二人っきりですね」
洗い物を終え、水を止める。
彼女はこちらを見た。いつもと違う目つきだった。
「……私の病気のこと、お話ししましたよね」
「はい……」
「知っておくのも……損ではないと思います」
それからリトはニースの部屋に招き入れられる。
ニースはカーテンを開け、満月の光で室内を照らした。
彼女の部屋は殺風景だったが、どこか温かみがあって、気品に満ちている。
部屋の香りにかすかな酔いを感じていると、ニースは上衣を一枚、脱いだ。
リトは一瞬驚いて身をこわばらせたが、すぐに彼女の透き通った姿に魅入られる。
月明かりのせいだろうか、ただでさえ色白なニースの肌は真っ白に見えた。まるで色素の存在を感じない。皮膚のすぐ下を通う彼女の血の赤が、うっすらと浮かんでいる。
髪もまるでガラス細工のように繊細な光を放っていた。
ニースは儚げな微笑みと共にリトを見る。
ここでリトは彼女の変化に気づいた。
「その目は……」
ニースのヘーゼルの瞳は、薄青色に変色していた。
「原因不明の後天性白皮症……私はアルビノなんです」ニースはリトに近づく。「ベクターの血清が切れればこの通り」
「じゃあ……早く血清を打たないと――」
「いま、私はいちばん弱い姿を見せてる。あなたに。あなただけに」
ニースの顔が近くなる。血の色が透けた瞳孔に、リトは何も言えなかった。
「カノン」彼女は覚えのない名前を口にする。「私のほんとうの名前」
艶やかな響きだった。
リトはその名を、小さく繰り返す。
「ねえ、リト」ニースが言う。「私のこと……好き?」
リトは小さく頷いた。
ニースは嬉しそうに微笑んで、その白い掌で彼の頬を撫でる。
「誰にも言っちゃダメだよ」
ニースはリトに口づけした。
翌朝、ベクターは拠点に戻ってくる。思ったほど深刻な案件ではなく、仕事自体は日をまたぐ頃に終わった。
モーターロッジで入浴と睡眠を済ませていたので、気分も悪くない。
「いま戻った」
言いながら玄関扉を開ける。が、返事はない。
いつもならもう起きているはずだが、とベクターは思った。
念の為、いつでも銃を抜けるよう構えながらリビングに進む。するとそこでニースとリトが現れた。
「ああ……おかえりなさい……」
二人ともまだ寝間着姿で寝ぼけ眼だ。が、手を繋いでいることにベクターは目が行った。
夜の間に何があったのか思考を巡らせてしまう。
うかつなことは言えない。
ベクターは、
「……ただいま……」
と、視線を固めたまま答えた。
二人もそれに気づいたようで、一気に顔を赤くして手を離す。
「あああ、あの、その、これは……!」
「みなまで言わずともよい……」
そっと掌をかざし、ベクターは顔を逸らす。
ニースは恥ずかしげな唸り声を上げ、リトも紅潮した顔を伏せていた。
それからリトたちはすこし遅めの朝食を摂り、今日の仕事の用意をする。ベクターが濃いめのコーヒーを淹れてくれたからか、出発時間になるころにはニースはすっかりいつもの調子に戻っていた。
リトもニースと同じコーヒーを飲み、慣れない酸味とカフェインでしっかり目を覚ます。
発着場までの車内で、ニースがタブレット端末を手にブリーフィングを行う。今日から期間限定で新しい顧客がリストに載ったのだ。
「境界ぎりぎりだな……」ベクターが言う。
「大丈夫とは思いますが、気をつけてくださいね」
「ああ。……きみたちも、用心したまえよ」
赤信号で止まると、ベクターはリトに振り向いた。
「もしわたしに何かあれば……姪を護れるのはたぶんきみだけだ」
「――はい」
やがて発着場に到る。
いつものようにニースは事務所へ、リトはベクターと共に荷物の積み込み作業だ。
その時、リトは軽い頭痛を感じた。
痛みはだんだん強くなり、思わず顔をしかめて額に手を当てる。
が、ピークは一瞬だった。痛みはさっと引いていって、間もなくすっきりする。
そして――、
「……ひとつ……思い出しました」
彼はベクターの背に言った。
ベクターは振り向き、問う。
「どんなことだい?」
「……ぼくが入ってたあのケース……。あれは――ぼくが自分で入ると決めたんです」
「どういうことだ……? ではあのガンベクターは人さらいではなかった……?」
「そこまではわからないですけど……」
リトは俯いた。ベクターは腕を組んで唸り、それから言う。
「いずれにせよ一歩前進だ」
ニースが戻ってきて、三人は発着場を出る。リトの記憶が一部戻ったことを知って、ニースは喜んでいた。
「晴れてご両親のもとに帰れる日が来たら、挨拶をしに出向かなければならないな」
車内でベクターは笑う。冗談めかした調子だが、リトはその言葉に祝いの気持ちを感じる。きっとニースも同じだろう。
その日は三人とも、気分良く仕事ができた。
新しい顧客のところへ行くまでは。
グリーンゾーンぎりぎりの、古びた集合住宅の前にバンが停まる。
確かにゾーン内ではあるが、市街地からは妙に離れていて、とても人が住んでいる様子ではない。巡回の自警団員もいない。
赤い西日に照らされ、うっすらと白い霧が立ち込めた中にそびえる灰色の建物は、ボロボロに朽ちていて枯れた蔦が壁にへばりついている。
その数十メートル先で回転する瘴霧避けファンを見てから、ベクターは言った。
「本当にここで合っているのか……?」
「……私も不安になってきました……」
「事務員さんか、お客さんが住所を書き間違えたとか……?」
「その可能性はありそう」
ニースはそう言うと、ベクターから無線機を受け取る。
「とりあえず行ってみる。二人はここに残って事務所に問い合わせてくれたまえ」
「わかりました」
「お気をつけて」
ベクターは配達する薬品のケースを持ち、車を降りた。
ニースは運転席に移動して、ラップトップPCを開くとマップを表示する。
「ライフルを」
リトはバッグから小銃を取り出し、彼女に渡した。
「外の様子を見てて。何か変なものを見たらすぐ言ってね。電話中だからって気にしなくていいから」
ベクターは集合住宅の敷地内に足を踏み入れ、その荒れ具合になおさら不審感を募らせる。
剥がれた壁であろう落石が駐車場のあちこちに散乱し、アスファルトもヒビだらけだ。そこから生えた雑草も赤茶けて枯死している。芝生も、植木も、全部枯れ果てていた。
なんとか人の住んでいる痕跡を見つけようと辺りを見回すが、目につくのは割れ窓に閉鎖された出入り口ばかりだ。
そうやって歩いていると、ゴミ庫を見つけた。
金網越しに中を覗いてみる。暗闇の中にゴミ袋がひとつあった。
すこしホッとした。いちおう人は住んでいるみたいだ。
ベクターは無意識的に握っていた銃把から手を離す。
「生活の痕跡を発見……」ベクターは無線機越しにニースたちに言った。
「……よかった」リトの声がイヤホンからする。「あとはお客さんに届けるだけですね」
「だといいけどね」ベクターは少し笑った。「ニースは電話中かい?」
「はい。事務所に問い合わせてくれてます。……あっ今終わりました。住所間違えではなさそうです」
「わかった。速やかに配達を終わらせてそっちに戻るよ」
「はい。待ってます」
会話は一旦終わり、ベクターは閉鎖されていない入り口から屋内へ踏み込んだ。
内部は外と同じく、薄暗い。
冷たく湿った空気が流れる廊下を進んでいくと、間もなく依頼人の住む部屋にたどり着いた。
インターホンを鳴らす前に、ベクターは開けっ放しの窓から中の様子を見てみる。
薄暗い室内に、人が一人いるのがわかった。影になっていて全容は不明だが、力なく座って、テーブルの上で両手を組んでいる。
ベクターはそれを確認してようやく、呼び鈴を鳴らし来訪を伝える。
ざらついた音が響き、住人はそれを聞いてのっそりと立ち上がった。
その手には――。
リトは車窓越しに、崩れかけた塀の向こうで動く影を見とめた。
一瞬、見間違いかとも思ったが、それならそれで別にかまわない。そう思いながらニースに報告する。
「あの……向こうでなんか動いたような……」
ニースは振り返って、リトの指した方を見る。
「……暴徒かな……?」
「暴徒ならもう襲ってきてるはず……」
「ということは――人間……?」
「単に私たちがよそ者ゆえに警戒してるだけならいいんだけど――」
次の瞬間、無線機からベクターの叫び声がした。
「逃げろ!」
廃墟の住人が自動小銃を発砲する。
ベクターはとっさに伏せ、拳銃を抜きながら距離をとった。
敵はドアを蹴破り、さらに撃ってくる。
銃弾が壁を穿ち、破片を散らした。
外まで逃げたベクターは追ってくる相手に弾を喰らわせ倒す。
それからニースの小銃の発砲音がして、バンが走り去るのを見た。が、装甲SUVがバンを追う。
ベクターはSUVに発砲するも、拳銃弾では表面しかダメージを与えられない。
すると死角から銃撃を受けた。体へのヒットは避けたが無線機を破壊される。
コートの裾を穿たれながらも急いで屋内に逃げ込み、倒した相手の自動小銃を拾う。
予備の弾薬は無いが、弾倉にはまだ半分ほど残っていた。
敵の数は五、六人。廃墟の部屋に陣取り、上から攻撃を仕掛けてくる。
ベクターは多少のダメージを覚悟して、車の後を追った。
敵の銃弾がベクターの体を掠める。ベクターの攻撃は敵を三人、仕留めた。
なんとか相手の射界から外れたと思いきや、塀の陰から短機関銃を持った部隊が現れる。
眼前の一人は反射的に倒したが、左右の二人から斉射を受けてしまう。
ベクターはコートを翻して防御した。
銃撃が止んだ隙に二人を仕留め、弾切れした自動小銃の代わりに短機関銃を装備する。
無事でいてくれ。
ベクターは走り出した。
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第五章:三ヶ月でやれる!現代国家破壊のこと(vs国家権力&人造神)
シリーズ構成済。全五章+短編一章にて完結
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