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チャプター9
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9
バーキンは目覚めた。
目覚めて真っ先に見えたのは、空を覆う深い青の雲――その隙間からわずかに覗く星だった。
上体を起こし、胸元に手を当てる。もう痛みは無い。
短い息を吐いて、端末にアリシアのメッセージがあるのに気づく。
彼女は一足先に動力教団の神殿へ向かったようだ。
コートを着直し、荷台から降り立つ。
また夜空を仰いで、己の過去を振り返った。
変わってしまったブランドンから逃げるように、ブレード・ディフェンドを去って、空虚に生きてきた。その末に出会ったアリシアとルカに、理想の自分を重ねて――。
今こそ向き合う時だ。
バーキンは車に乗り込み、エンジンをかけた。
◇
ブランドンは刀を横に薙ぐ。
斬撃はフレーシを斬り裂き、吹き飛ばした。
聖の境の柱をへし折り、フレーシは地面に横たわる。
土埃の中に見えるフレーシは満身創痍。血と土砂に汚れた彼は、うめきながら腕を上げる。もはや勝負はついたというのに、フレーシの目には闘志が、顔には戦意があった。けれど、彼はまもなく力尽きた。
動かなくなったフレーシを見て、ベルフェンが言う。
「こうなってしまっては、さしもの岩拳宰も形無しだな」
ブランドンは刀の血を振り払い、聖の境が軋みながら傾き、倒れるのを見守った。
轟音が山間にこだまして、寂寥が戻る。
彼は神殿の方に振り返り、かすかな笑みを浮かべる。
ベルフェンを伴って前に進もうとするが、背後から気配を感じて足を止めた。
ブランドンはベルフェンを見る。
二人は背後を一瞥した。
「先に行ってくれ」ベルフェンが言った。「ここは俺が」
「ああ……たのむ」
ブランドンはその場をベルフェンに任せ、神殿内へ入っていった。
◇
ベルフェンはブランドンを見送った後、大きく息を吐きながら言った。
「どういう仕掛けだ? 彼はたしかに心臓を貫いたはずだ」
背後で枯れ木のきしむような音がする。
「ベルフェン・ガウス……ブレード・ディフェンドの強化薬は……いったいどうやって精製された?」
「ブランドンがそういう大学に進んだのはあんたも知ってるだろう? 研究室を借りてコツコツと開発を進めてたと聞いたぞ」
「原料は?」
「企業秘密だ。……と言いたいところだが、俺も知らない」
「知らぬか……あやつらしい」笑い声がした。
「どうやらあんたたち……いや、あんたも同質の何かを持ってるみたいだな」
ベルフェンは振り向く。
「ミスター・ジョンディ」
ブランドンが殺したはずのジョンディが、己の足で立ち、こちらを見据えていた。
ジョンディは口元の血を拭う。
「やつが神を捨てて以来……私は跡取りを求めることをやめた……その決意を――」
彼は目を見開いて笑い、両手を広げた。
「神は認めてくださった!」
ジョンディの体が赤黒い炎のような光を出し始める。それはまたたく間に彼の全身を覆い尽くして柱を成すと、風圧を伴って空へ霧散した。
光の柱から現れたのは、老人ではなかった。大いなる気迫を伴う、若い男がそこにいた。
すっかり傷は癒えて、衣類の損傷すら無かったことになっている。ぴしりと伸びた背筋と、堅牢な両肩からは奥よりみなぎるパワーを感じ取れて、怪鳥の翼めいた眉が目元に影を落としていた。が、その眼光は影からでもはっきりと見てとれる。顔全体からはしわが姿を消し、なくなった髭の代わりに固く結んだ唇があらわになっていた。
ベルフェンはそんな彼を見て、鼻を鳴らして笑う。
「美容革命モノのアンチエイジングじゃないか。神の奇跡と呼ぶにふさわしい」
「まだ減らず口を叩くか……」
「あなたはそこで永眠しておくべきだった。司教ジョンディ」
若返ったジョンディは、拳を握りしめ、構えを取った。
ベルフェンも、彼に呼応して切っ先を向ける。
その時、声がした。
「内輪もめしてるとこ悪いけどね」
二人は声の方を向く。
「――勢力図を混乱させてもらうよ」
バーキンが姿を現した。
◇
バーキンは刀を肩に担ぎ、ベルフェンとジョンディを見る。
ジョンディの目は忌々しげだが、ベルフェンは心なしか嬉しそうだった。
「そなたはあの運び屋か……。何をしに来た?」
「まずひとつ。神を騙る怪物の生贄にされようとしている姫君を助けに来た」
バーキンの言葉に、ジョンディが鼻で笑う。
「勇者のつもりかね?」
「いいや、その仲間さ」
「ほう……ではふたつめの目的は?」
ジョンディが問い、バーキンはベルフェンへと刀を向けた。
「未練を断ち切りに」
「かつての仲間に刃を向けるのか?」ベルフェンが言った。「ラムダがまた怒るぞ」
「それでも止めなきゃならないんでな」
「よかろう……カラドボルグ、このフラガラッハが相手だ!」
ベルフェンが突進してくる。
バーキンは跳んで避けた。が、着地と同時にジョンディの掌底を喰らう。
寸でのところでガードできた。
その隙に、ベルフェンがまた攻めてきた。
バーキンは斬撃を受け流し、ジョンディに蹴りを当てる。
踵がジョンディの胸を打った。
ベルフェンが剣を振りかぶる。斬撃はジョンディに放たれた。
ジョンディは転がって間合いを置く。
バーキンはベルフェンに斬りかかった。
二人は斬り結び、刃を打ち合う。バーキンが斜めから斬り上げればベルフェンは真っ向から振り下ろして太刀筋をはじき、ベルフェンが突きを繰り出せばバーキンは刀身でそれを滑らせて身を捻る。
この時、ベルフェンは剣をこちらに寄せて引く動作をした。
バーキンはこの動きを知っている。ベルフェン・ガウス<フラガラッハ>の、剣の特殊形状を利用した技だ。
鍔際の広がりを利用して、姿勢を崩す戦法だ。
彼はあえてそれに乗り、ベルフェンに密着する。
が、こちらが拳打を放つ前にベルフェンは飛び退いた。
次の瞬間には、バーキンとベルフェンはまた剣を交えた。
剣戟に、刃のやりとりに、バーキンたちは燃え上がる。
ジョンディが横槍を入れたのはそんな時だった。
交差したバーキンとベルフェンの刃を打ち上げて、二人はよろめく。
ジョンディは聖杖から、剣を引き抜いた。仕込杖と呼ぶには分厚く、幅広だ。ブロードソードと呼ぶにふさわしい剣身である。
バーキンはベルフェンから一旦離れ、ジョンディに斬撃を繰り出した。
ジョンディが受け止めると、ベルフェンが隙を突く。
真横からの袈裟斬りが、ジョンディの肩に傷をつけた。
バーキンは刀を引き、ベルフェンを突き飛ばしつつジョンディへと追撃を行う。
顎を狙って切っ先を突き上げたが、躱された。
しかし、空けておいた左で肘鉄を喰らわせる。ジョンディの喉にヒットした。
ジョンディは喉を押さえて身を屈め、ベルフェンが彼の背を掴む。
ベルフェンはジョンディをこちらに押しやった。
バーキンは避け損ねてぶつかる。
バランスを崩し、ジョンディと共に倒れた。
ジョンディの肩越しに、ベルフェンが笑うのが見える。
彼は剣を逆手に持ち、跳んだ。
バーキンはジョンディを蹴り上げる。
ジョンディは空中に放り出された。
ベルフェンが、ジョンディを串刺しにする。
バーキンは横に逸れて起き上がり、血しぶきと刃から逃れつつ斬撃を放った。
ジョンディの首が断たれ、ベルフェンは剣を手放し追撃を避ける。
大きく仰け反ったベルフェンの身は、隙だらけであった。
バーキンは回し蹴りを喰らわせる。刀を振り上げた勢いを乗せた一撃だ。
ベルフェンは吹っ飛び、壁に衝突してから地に伏せた。
呼吸を整えながら、バーキンはジョンディの死体を見る。
ジョンディの眼球が動き、こちらを睨む。その目には、驚愕の色が濃厚に出ていた。
が、それも束の間。瞳孔が開ききると、生気が消え失せた。
うめき声に振り向けば、ベルフェンが起き上がろうとしている。
バーキンは彼に近づき、刃を突きつけた。
「教団を乗っ取りたいなら好きにすればいい。ただ、ルカさんには手出しさせないぞ」
ベルフェンが笑う。
「なあ、バーキン……ブランドンに教えてもらってないのか……? なぜ教団に手を出したか……」
「……裏があるのか?」
「ああ……大勢が、なるほどと頷く理由がある」
「……正直どうでもいいけど、一応訊いておく。どんな理由だ?」
「――俺が倒せたら教えてやる!」
ベルフェンが殴りかかってきた。
◇
アリシアは神殿の奥深くへと進み、廊下のはるか向こうに人影を見た。
長い髪の男だ。鍔元が波刃になった、幅広の刀を持っている。
ブランドンだった。彼は肩にルカを担ぎ、こちらに一瞥を投げる。
それから背を向けて駆け出した。
「待て!」
彼女は追いかける。
蒼白の通路に二人分の足音が響き、それがすこしずつ近づいてゆく。
いくつかの角を曲がって、階段を駆け上がる。
その先には一直線の広い通路があった。今までの廊下の倍あり、奥に大扉が見える。
ブランドンはそこへ向かっていた。
アリシアは全力で走りブランドンとの距離を縮める。
あとわずかのところまで近づき、彼女は一気に飛びかかろうとした。
その時、横のエレベーター扉が吹っ飛ぶ。
そこからブレード・ディフェンドの傭兵が現れた。
対処する暇もなくアリシアは掴まれ、引き寄せられる。
昇降路の壁に背を打ち、そして落ちる。
彼女は空中で姿勢を整え、エレベーターのカゴに着地した。
両足から全身に衝撃が走る。足の痺れはすぐに消えたが、傭兵が追撃してきた。
アリシアは足元の脱出用ハッチを蹴り抜き、カゴ内に逃れる。
ボタンを押して扉を開けると同時に、傭兵も入り込んできた。
二人は刃を交える。
傭兵のナイフがアリシアの目に向けて迫り、それを彼女は詠春刀ではじいた。
その流れでアリシアも斬撃を放つが、傭兵は左手で払い除け、ショルダータックルを繰り出す。
彼女は扉の向こうの空間に転がった。
傭兵の追い打ちが迫ったが、正面蹴りでカウンターする。
アリシアはこの隙に立ち上がって、林立する巨大タンクに目が行った。
「ここは――!?」
思わず声が出る。
「貯蔵庫だ」
言ったのは傭兵だった。
アリシアは彼を見る。神殿の正門にいたマスクのナイフ使い――カルンウェナンだった。
彼はコンバットナイフを構え直し、攻めかかる。
アリシアは斬撃を詠春刀で受け止め、反撃する。
一発目は避けられ、二発目がブレードの背面で弾き飛ばされた。
胴に隙ができたところに、カルンウェナンの肘鉄。
咄嗟に脚を上げてガードしたが、彼女は後ろに吹っ飛ぶ。
空中で一回転し、両足で着地した。
カルンウェナンは刃をこちらに向け、ゆっくりと、しかし着実に間合いを詰めてくる。
アリシアは再度構え、足を引いて体を晒す面積を小さくした。
その時、視界の端に妙なものがうつる。
巨大人面像だった。バーキンの言っていたやつだ。
「驚いたか?」カルンウェナンが言った。
「意外なものを見たって意味ではね」とアリシア。「要するにここは神さま用のトイレなんだろ?」
「なかなか愉快な言い回しをするじゃないか」
カルンウェナンはマスクの裏でかすかな笑い声を上げ、突進してくる。
その突進は弧を描いていた。
アリシアはそこから来た刺突を受け流し、言う。
「あんたと闘ってる暇はない!」
「私も同じだ。だが!」
カルンウェナンの斜め上からの斬撃。
アリシアはそれを避け損ね、頬に一筋の傷をもらった。
詠春刀を薙ぎ、相手を撥ね退ける。
カルンウェナンは床にブーツの底を滑らせ、わずかな間身動きを止めた。
また突撃してくる。
次の瞬間、銃声が一発轟いた。
弾はアリシアとカルンウェナンの間の床を火花と共にえぐる。
二人は銃撃の方向を見た。
暗がりから、コンクリートの床を叩く足音が聞こえてきた。
「カルンウェナン……いや、ミスター・ラムダ。ここから先はわたしがお相手しよう」
右手のリボルバーが鈍色に輝いて、左手の鉄仮面が銀色の光を反射する。
姿を現したのは、カルバリだった。
銃口をカルンウェナン――ラムダに向けたまま、彼はアリシアを見て言う。
「ミス・アリシア。この直上が大礼拝堂だ。お行きなさい」
「いったいどういうつもりさ」
「あの後、わたしはミス・ルカとそのご家族へはたらいた狼藉の全責任を負わされ、鉄面宰の座を蹴落とされた……しかし、ブレード・ディフェンドの謀反に際して、炎占宰ヒュシャンがわたしを雇ってくれたというのがいきさつだ」
カルバリはラムダに視線をうつし、撃鉄を起こした。
カルンウェナンは構えたまま様子を窺っているみたいだ。
アリシアは二人を交互に見て、駆け出す。
「ならソイツは頼んだ!」
「逃がすか!」
ラムダが怒号と共にアリシアへ迫る。
が、カルバリの銃声が五発響いて、彼女は大礼拝堂へと急いだ。
◇
カルバリは弾を撃ち尽くしたと同時に、ラムダに接近戦を仕掛ける。
銃把で打ちつけ、蹴り飛ばし、彼の肩をタンクに当てた。
リボルバーを納め、仮面を顔の前で掲げる。
「仮面のナイフ使い同士、強さ比べと洒落込もうではないか」
彼は鉄面を装着した。
ラムダはナイフで一度空を斬り、
「ほざけ捨て駒!」
と突っ込んでくる。
カルバリもナイフを抜き、すれ違いざまに胴へ斬撃を放った。
斬撃はラムダにヒットしたが、防具に阻まれ本体への手応えは無い。
ラムダが振り返り、上から斬撃を放つ。
カルバリは腕で受け止め、刺突を繰り出した。
が、手をラムダに掴まれる。
力任せにナイフを引いた。
ナイフのサブヒルトが人差し指にかかり、滑ることなく力を乗せる。
ラムダの指をグローブごと、カルバリのナイフが切り裂いた。
彼は短い声を上げて手を離す。
カルバリは腹へ正面蹴りを放った。
ラムダは仰向けに倒れ、すぐ立ち上がり、憤怒の睨視を向ける。
その眼差しに、カルバリは鉄面の裏で長い息を吐く。
二人はナイフを構えた。
◇
アリシアは階段を駆け上り、先程の広い廊下に戻ってきた。
全力疾走で大扉を蹴飛ばし、球形の厳かな空間に滑り込む。
真っ先に、グロテスクな造形の御神像が目に入った。彼女は思わず顔をしかめる。が、すぐにブランドンの姿を捉えた。
御神像の膝下、桟橋めいた足場の末に、彼はいた。鎖付きの寝台にルカを縛っている。両手足と、首と、胴に、枷がはめられていた。
「ブランドン!」アリシアは叫んだ。
彼女の声に、ブランドンは振り返る。彼は刀を肩に乗せ、笑った。
アリシアはブランドンへとにじり寄る。
ブランドンは横目でルカを見やり、それから怪物の像に目を向けた。
「前回のテヤンの日は、およそ三十年前だった」
「だからなにさ」
「本来の周期なら、短くとも百数十年の猶予はある」
「へえ、心底どうでもいいけど一応訊いとく。なんで今回そんなに短いのさ」
またブランドンはルカを見る。
「先代のヴェラボの姪は……不適当な人物だった。心身が成熟し、子を持ち、色素も充分に備わっていた」
彼は振り向いた。
「私の母だ」
アリシアの足が止まった。
◇
バーキンはベルフェンの手刀を受け流し、右ストレートを喰らわせた。
ベルフェンは顔面から地面に倒れ込み、立ち上がろうとして力尽きる。
今度こそ戦闘不能だ。
彼は血ヘドの中に顔の半分を叩きつけ、ぜいぜいと音を立てて息をしていた。
「さあ……どういうことだ」バーキンは地面に刺していた刀を抜く。
「……ブランドンと……ジョンディは、親子なんだよ……。三十年前……ジョンディは倅の泣きすがる声を無視して……己の妻を生贄にした……。髪も肌も白くさせてな……」
「……なるほど、だから今回は周期が短いのか」
「よく知ってるじゃないか……」
ベルフェンは咳き込みながら笑う。
「彼は……親父を責めたてたらしい……『こんなの人として絶対に正しくない』ってな……だが……なんて返されたと思う?」
「さあ……? どうせロクなことじゃないんだろ」
バーキンは言いながら、ジョンディの死体に一瞥を投げた。
「ああ、その通りさ……ジョンディはこう言ったらしいぜ……」
◇
「――『だが伝統として正しい行いだ』……それが父の返事だった」
アリシアはブランドンの言葉に、悪寒を感じた。
ブランドンは続ける。
「そんな形式的な正しさに、母は殺された。だから私は、それを否定するために……人として正派であることを無上の価値とするためにブレード・ディフェンドを立ち上げた」
「けど、あんたはその人道的な正しささえ捨てた。そうだろう?」
「そうだな……。結局、正しさなど追求するだけ無駄だと――」
突然、像の顔からずるりと大ウツボめいた何かが垂れてきた。
重々しい吐息と共に、その怪物は口を開ける。
アリシアはそれを目の当たりにして、
「コイツが……まさか――!」
脚に力を込める。
が、ブランドンは怪物めがけて拳を叩き込んだ。
殴打の瞬間、朱色の光が散ったような気がした。
怪物は衝撃で上下の歯をぶつけ、うち一本が根本から折れる。
歯は血を滴らせて抜け落ち、奈落めいた闇の底へ落ちていった。
大きな音を立てて歯が底に叩きつけられる。
怪物はだらりと垂れ下がって、動かなくなった。しかしまだ死んではいないようだ。重々しい息遣いは未だ続いている。
ブランドンは、拳についた怪物の血を見て言った。
「我が社の強化薬も、こいつの血を分析して作った。……思えば、今日という日のために作ったようなものだな」
拳から、怪物の血が落ちた。
「……復讐したいなら好きにすればいいさ」アリシアは言う。「だけどこの街はどうなる?」
「知ったことではない」
「ならせめてルカを解放しろ! あんたの復讐とは無関係だろ!」
ブランドンは、ルカの首筋に焼鉄色の、広く分厚い刃を当てる。
「わかるか? 目の前で望みを絶たれるということが、どれだけの苦しみを与えるか」
「コイツ……!」
アリシアは歯ぎしりする。同調するように、怪物も唸った。
ブランドンが刀を振りかぶる。
「させるか!」
アリシアは駆け出し、斬りかかった。
ブランドンはその一撃を受け止め、アリシアに貫手を放つ。
彼女は跳び越えて避け、背後をとった。
タックルでブランドンをルカから引き離す。
ブランドンは踏みとどまり、アリシアを見た。
しばしの間二人は睨み合い、それから刃を交える。
アリシアはブランドンの袈裟斬りを左詠春刀の鍔で受け止め、右詠春刀を突き出す。
刺突は軽く躱された。
ブランドンが刀を捻る。
鍔が刀の波刃に引っかかり、アリシアはにわかに姿勢を崩した。
が、その勢いに逆らわず跳び、ブランドンの貫手を回避する。
着地と同時にアリシアは斬撃を繰り出した。
ブランドンの刀を撥ね上げ、ロックを解く。
「やるな」
ブランドンは笑い、刀を振る。
一、二撃目は防御できたが、三撃目は先より強かった。
衝撃がアリシアのフォームを大きく乱し、隙を作る。
四撃目は防御も回避も間に合わず、肩を斬られた。
鋭い痛みが走り、追撃への対処が遅れる。
アリシアはブランドンのエルボーを受けて吹き飛んだ。
欄干に背面を打ちつけ、片方の詠春刀を落としてしまう。
意識がふらつく。が、ブランドンはさらに攻めてきた。
彼女は斬撃を躱し落とした詠春刀を拾おうとするも、ブランドンに得物を蹴飛ばされる。
詠春刀は入り口付近まで滑り、アリシアは一刀でブランドンと打ち合った。
体格差と得物の長さがもたらす射程の違いは、アリシアを防戦一方にせしめる。
しかし、アリシアはブランドンの連撃を受けながら、懐に飛び込むチャンスを待っていた。
間もなくそれはやって来る。
詠春刀の鈎鍔が、またブランドンの刀を受け止める。
また捻られないよう、アリシアは先んじて手首を曲げ、刀身をロックした。
アリシアはブランドンの刃を左手で掴み、持ち上げる。
にわかに驚いた顔をして、ブランドンは刀を引っ張った。
掌が切り裂かれ、痛みが走る。
だが、手放しはしない。
アリシアは叫びと共に、詠春刀をブランドンの心臓目掛けて突き出す。
ブランドンは刀を手放し、右ストレートでアリシアをふっ飛ばした。
床に打ちつけられたアリシアは、立ち上がる力を失う。
ブランドンの息をつく音が聞こえた。
「今のは驚いた……」
「まだだ……まだ……終わりじゃない」
アリシアは歯を食いしばって片膝をつく。
「いいや、もう終わりだ」
ブランドンは再びルカのところへ行き、今度こそ首を撥ねんとした。
「あんた……あんた! バーキンがいなくなった原因が! 自分だってわかってるのか!?」
アリシアの言葉に、ブランドンは動きを止める。
ほんの一瞬だけだったが、そこに一筋の閃光が走った。
アリシアの横を一本のナイフが飛ぶ。
ブランドンはナイフをはじいた。が、続いたドロップキックを喰らって仰け反り、転落しかかる。
彼は欄干にぶら下がって持ちこたえる。
蹴ったのはアリシアではなかった。
「あわや大惨事だったな」
その声を聞いて、アリシアは笑顔を浮かべる。
バーキンが来てくれたのだ。
バーキンは目覚めた。
目覚めて真っ先に見えたのは、空を覆う深い青の雲――その隙間からわずかに覗く星だった。
上体を起こし、胸元に手を当てる。もう痛みは無い。
短い息を吐いて、端末にアリシアのメッセージがあるのに気づく。
彼女は一足先に動力教団の神殿へ向かったようだ。
コートを着直し、荷台から降り立つ。
また夜空を仰いで、己の過去を振り返った。
変わってしまったブランドンから逃げるように、ブレード・ディフェンドを去って、空虚に生きてきた。その末に出会ったアリシアとルカに、理想の自分を重ねて――。
今こそ向き合う時だ。
バーキンは車に乗り込み、エンジンをかけた。
◇
ブランドンは刀を横に薙ぐ。
斬撃はフレーシを斬り裂き、吹き飛ばした。
聖の境の柱をへし折り、フレーシは地面に横たわる。
土埃の中に見えるフレーシは満身創痍。血と土砂に汚れた彼は、うめきながら腕を上げる。もはや勝負はついたというのに、フレーシの目には闘志が、顔には戦意があった。けれど、彼はまもなく力尽きた。
動かなくなったフレーシを見て、ベルフェンが言う。
「こうなってしまっては、さしもの岩拳宰も形無しだな」
ブランドンは刀の血を振り払い、聖の境が軋みながら傾き、倒れるのを見守った。
轟音が山間にこだまして、寂寥が戻る。
彼は神殿の方に振り返り、かすかな笑みを浮かべる。
ベルフェンを伴って前に進もうとするが、背後から気配を感じて足を止めた。
ブランドンはベルフェンを見る。
二人は背後を一瞥した。
「先に行ってくれ」ベルフェンが言った。「ここは俺が」
「ああ……たのむ」
ブランドンはその場をベルフェンに任せ、神殿内へ入っていった。
◇
ベルフェンはブランドンを見送った後、大きく息を吐きながら言った。
「どういう仕掛けだ? 彼はたしかに心臓を貫いたはずだ」
背後で枯れ木のきしむような音がする。
「ベルフェン・ガウス……ブレード・ディフェンドの強化薬は……いったいどうやって精製された?」
「ブランドンがそういう大学に進んだのはあんたも知ってるだろう? 研究室を借りてコツコツと開発を進めてたと聞いたぞ」
「原料は?」
「企業秘密だ。……と言いたいところだが、俺も知らない」
「知らぬか……あやつらしい」笑い声がした。
「どうやらあんたたち……いや、あんたも同質の何かを持ってるみたいだな」
ベルフェンは振り向く。
「ミスター・ジョンディ」
ブランドンが殺したはずのジョンディが、己の足で立ち、こちらを見据えていた。
ジョンディは口元の血を拭う。
「やつが神を捨てて以来……私は跡取りを求めることをやめた……その決意を――」
彼は目を見開いて笑い、両手を広げた。
「神は認めてくださった!」
ジョンディの体が赤黒い炎のような光を出し始める。それはまたたく間に彼の全身を覆い尽くして柱を成すと、風圧を伴って空へ霧散した。
光の柱から現れたのは、老人ではなかった。大いなる気迫を伴う、若い男がそこにいた。
すっかり傷は癒えて、衣類の損傷すら無かったことになっている。ぴしりと伸びた背筋と、堅牢な両肩からは奥よりみなぎるパワーを感じ取れて、怪鳥の翼めいた眉が目元に影を落としていた。が、その眼光は影からでもはっきりと見てとれる。顔全体からはしわが姿を消し、なくなった髭の代わりに固く結んだ唇があらわになっていた。
ベルフェンはそんな彼を見て、鼻を鳴らして笑う。
「美容革命モノのアンチエイジングじゃないか。神の奇跡と呼ぶにふさわしい」
「まだ減らず口を叩くか……」
「あなたはそこで永眠しておくべきだった。司教ジョンディ」
若返ったジョンディは、拳を握りしめ、構えを取った。
ベルフェンも、彼に呼応して切っ先を向ける。
その時、声がした。
「内輪もめしてるとこ悪いけどね」
二人は声の方を向く。
「――勢力図を混乱させてもらうよ」
バーキンが姿を現した。
◇
バーキンは刀を肩に担ぎ、ベルフェンとジョンディを見る。
ジョンディの目は忌々しげだが、ベルフェンは心なしか嬉しそうだった。
「そなたはあの運び屋か……。何をしに来た?」
「まずひとつ。神を騙る怪物の生贄にされようとしている姫君を助けに来た」
バーキンの言葉に、ジョンディが鼻で笑う。
「勇者のつもりかね?」
「いいや、その仲間さ」
「ほう……ではふたつめの目的は?」
ジョンディが問い、バーキンはベルフェンへと刀を向けた。
「未練を断ち切りに」
「かつての仲間に刃を向けるのか?」ベルフェンが言った。「ラムダがまた怒るぞ」
「それでも止めなきゃならないんでな」
「よかろう……カラドボルグ、このフラガラッハが相手だ!」
ベルフェンが突進してくる。
バーキンは跳んで避けた。が、着地と同時にジョンディの掌底を喰らう。
寸でのところでガードできた。
その隙に、ベルフェンがまた攻めてきた。
バーキンは斬撃を受け流し、ジョンディに蹴りを当てる。
踵がジョンディの胸を打った。
ベルフェンが剣を振りかぶる。斬撃はジョンディに放たれた。
ジョンディは転がって間合いを置く。
バーキンはベルフェンに斬りかかった。
二人は斬り結び、刃を打ち合う。バーキンが斜めから斬り上げればベルフェンは真っ向から振り下ろして太刀筋をはじき、ベルフェンが突きを繰り出せばバーキンは刀身でそれを滑らせて身を捻る。
この時、ベルフェンは剣をこちらに寄せて引く動作をした。
バーキンはこの動きを知っている。ベルフェン・ガウス<フラガラッハ>の、剣の特殊形状を利用した技だ。
鍔際の広がりを利用して、姿勢を崩す戦法だ。
彼はあえてそれに乗り、ベルフェンに密着する。
が、こちらが拳打を放つ前にベルフェンは飛び退いた。
次の瞬間には、バーキンとベルフェンはまた剣を交えた。
剣戟に、刃のやりとりに、バーキンたちは燃え上がる。
ジョンディが横槍を入れたのはそんな時だった。
交差したバーキンとベルフェンの刃を打ち上げて、二人はよろめく。
ジョンディは聖杖から、剣を引き抜いた。仕込杖と呼ぶには分厚く、幅広だ。ブロードソードと呼ぶにふさわしい剣身である。
バーキンはベルフェンから一旦離れ、ジョンディに斬撃を繰り出した。
ジョンディが受け止めると、ベルフェンが隙を突く。
真横からの袈裟斬りが、ジョンディの肩に傷をつけた。
バーキンは刀を引き、ベルフェンを突き飛ばしつつジョンディへと追撃を行う。
顎を狙って切っ先を突き上げたが、躱された。
しかし、空けておいた左で肘鉄を喰らわせる。ジョンディの喉にヒットした。
ジョンディは喉を押さえて身を屈め、ベルフェンが彼の背を掴む。
ベルフェンはジョンディをこちらに押しやった。
バーキンは避け損ねてぶつかる。
バランスを崩し、ジョンディと共に倒れた。
ジョンディの肩越しに、ベルフェンが笑うのが見える。
彼は剣を逆手に持ち、跳んだ。
バーキンはジョンディを蹴り上げる。
ジョンディは空中に放り出された。
ベルフェンが、ジョンディを串刺しにする。
バーキンは横に逸れて起き上がり、血しぶきと刃から逃れつつ斬撃を放った。
ジョンディの首が断たれ、ベルフェンは剣を手放し追撃を避ける。
大きく仰け反ったベルフェンの身は、隙だらけであった。
バーキンは回し蹴りを喰らわせる。刀を振り上げた勢いを乗せた一撃だ。
ベルフェンは吹っ飛び、壁に衝突してから地に伏せた。
呼吸を整えながら、バーキンはジョンディの死体を見る。
ジョンディの眼球が動き、こちらを睨む。その目には、驚愕の色が濃厚に出ていた。
が、それも束の間。瞳孔が開ききると、生気が消え失せた。
うめき声に振り向けば、ベルフェンが起き上がろうとしている。
バーキンは彼に近づき、刃を突きつけた。
「教団を乗っ取りたいなら好きにすればいい。ただ、ルカさんには手出しさせないぞ」
ベルフェンが笑う。
「なあ、バーキン……ブランドンに教えてもらってないのか……? なぜ教団に手を出したか……」
「……裏があるのか?」
「ああ……大勢が、なるほどと頷く理由がある」
「……正直どうでもいいけど、一応訊いておく。どんな理由だ?」
「――俺が倒せたら教えてやる!」
ベルフェンが殴りかかってきた。
◇
アリシアは神殿の奥深くへと進み、廊下のはるか向こうに人影を見た。
長い髪の男だ。鍔元が波刃になった、幅広の刀を持っている。
ブランドンだった。彼は肩にルカを担ぎ、こちらに一瞥を投げる。
それから背を向けて駆け出した。
「待て!」
彼女は追いかける。
蒼白の通路に二人分の足音が響き、それがすこしずつ近づいてゆく。
いくつかの角を曲がって、階段を駆け上がる。
その先には一直線の広い通路があった。今までの廊下の倍あり、奥に大扉が見える。
ブランドンはそこへ向かっていた。
アリシアは全力で走りブランドンとの距離を縮める。
あとわずかのところまで近づき、彼女は一気に飛びかかろうとした。
その時、横のエレベーター扉が吹っ飛ぶ。
そこからブレード・ディフェンドの傭兵が現れた。
対処する暇もなくアリシアは掴まれ、引き寄せられる。
昇降路の壁に背を打ち、そして落ちる。
彼女は空中で姿勢を整え、エレベーターのカゴに着地した。
両足から全身に衝撃が走る。足の痺れはすぐに消えたが、傭兵が追撃してきた。
アリシアは足元の脱出用ハッチを蹴り抜き、カゴ内に逃れる。
ボタンを押して扉を開けると同時に、傭兵も入り込んできた。
二人は刃を交える。
傭兵のナイフがアリシアの目に向けて迫り、それを彼女は詠春刀ではじいた。
その流れでアリシアも斬撃を放つが、傭兵は左手で払い除け、ショルダータックルを繰り出す。
彼女は扉の向こうの空間に転がった。
傭兵の追い打ちが迫ったが、正面蹴りでカウンターする。
アリシアはこの隙に立ち上がって、林立する巨大タンクに目が行った。
「ここは――!?」
思わず声が出る。
「貯蔵庫だ」
言ったのは傭兵だった。
アリシアは彼を見る。神殿の正門にいたマスクのナイフ使い――カルンウェナンだった。
彼はコンバットナイフを構え直し、攻めかかる。
アリシアは斬撃を詠春刀で受け止め、反撃する。
一発目は避けられ、二発目がブレードの背面で弾き飛ばされた。
胴に隙ができたところに、カルンウェナンの肘鉄。
咄嗟に脚を上げてガードしたが、彼女は後ろに吹っ飛ぶ。
空中で一回転し、両足で着地した。
カルンウェナンは刃をこちらに向け、ゆっくりと、しかし着実に間合いを詰めてくる。
アリシアは再度構え、足を引いて体を晒す面積を小さくした。
その時、視界の端に妙なものがうつる。
巨大人面像だった。バーキンの言っていたやつだ。
「驚いたか?」カルンウェナンが言った。
「意外なものを見たって意味ではね」とアリシア。「要するにここは神さま用のトイレなんだろ?」
「なかなか愉快な言い回しをするじゃないか」
カルンウェナンはマスクの裏でかすかな笑い声を上げ、突進してくる。
その突進は弧を描いていた。
アリシアはそこから来た刺突を受け流し、言う。
「あんたと闘ってる暇はない!」
「私も同じだ。だが!」
カルンウェナンの斜め上からの斬撃。
アリシアはそれを避け損ね、頬に一筋の傷をもらった。
詠春刀を薙ぎ、相手を撥ね退ける。
カルンウェナンは床にブーツの底を滑らせ、わずかな間身動きを止めた。
また突撃してくる。
次の瞬間、銃声が一発轟いた。
弾はアリシアとカルンウェナンの間の床を火花と共にえぐる。
二人は銃撃の方向を見た。
暗がりから、コンクリートの床を叩く足音が聞こえてきた。
「カルンウェナン……いや、ミスター・ラムダ。ここから先はわたしがお相手しよう」
右手のリボルバーが鈍色に輝いて、左手の鉄仮面が銀色の光を反射する。
姿を現したのは、カルバリだった。
銃口をカルンウェナン――ラムダに向けたまま、彼はアリシアを見て言う。
「ミス・アリシア。この直上が大礼拝堂だ。お行きなさい」
「いったいどういうつもりさ」
「あの後、わたしはミス・ルカとそのご家族へはたらいた狼藉の全責任を負わされ、鉄面宰の座を蹴落とされた……しかし、ブレード・ディフェンドの謀反に際して、炎占宰ヒュシャンがわたしを雇ってくれたというのがいきさつだ」
カルバリはラムダに視線をうつし、撃鉄を起こした。
カルンウェナンは構えたまま様子を窺っているみたいだ。
アリシアは二人を交互に見て、駆け出す。
「ならソイツは頼んだ!」
「逃がすか!」
ラムダが怒号と共にアリシアへ迫る。
が、カルバリの銃声が五発響いて、彼女は大礼拝堂へと急いだ。
◇
カルバリは弾を撃ち尽くしたと同時に、ラムダに接近戦を仕掛ける。
銃把で打ちつけ、蹴り飛ばし、彼の肩をタンクに当てた。
リボルバーを納め、仮面を顔の前で掲げる。
「仮面のナイフ使い同士、強さ比べと洒落込もうではないか」
彼は鉄面を装着した。
ラムダはナイフで一度空を斬り、
「ほざけ捨て駒!」
と突っ込んでくる。
カルバリもナイフを抜き、すれ違いざまに胴へ斬撃を放った。
斬撃はラムダにヒットしたが、防具に阻まれ本体への手応えは無い。
ラムダが振り返り、上から斬撃を放つ。
カルバリは腕で受け止め、刺突を繰り出した。
が、手をラムダに掴まれる。
力任せにナイフを引いた。
ナイフのサブヒルトが人差し指にかかり、滑ることなく力を乗せる。
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カルバリは腹へ正面蹴りを放った。
ラムダは仰向けに倒れ、すぐ立ち上がり、憤怒の睨視を向ける。
その眼差しに、カルバリは鉄面の裏で長い息を吐く。
二人はナイフを構えた。
◇
アリシアは階段を駆け上り、先程の広い廊下に戻ってきた。
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彼女の声に、ブランドンは振り返る。彼は刀を肩に乗せ、笑った。
アリシアはブランドンへとにじり寄る。
ブランドンは横目でルカを見やり、それから怪物の像に目を向けた。
「前回のテヤンの日は、およそ三十年前だった」
「だからなにさ」
「本来の周期なら、短くとも百数十年の猶予はある」
「へえ、心底どうでもいいけど一応訊いとく。なんで今回そんなに短いのさ」
またブランドンはルカを見る。
「先代のヴェラボの姪は……不適当な人物だった。心身が成熟し、子を持ち、色素も充分に備わっていた」
彼は振り向いた。
「私の母だ」
アリシアの足が止まった。
◇
バーキンはベルフェンの手刀を受け流し、右ストレートを喰らわせた。
ベルフェンは顔面から地面に倒れ込み、立ち上がろうとして力尽きる。
今度こそ戦闘不能だ。
彼は血ヘドの中に顔の半分を叩きつけ、ぜいぜいと音を立てて息をしていた。
「さあ……どういうことだ」バーキンは地面に刺していた刀を抜く。
「……ブランドンと……ジョンディは、親子なんだよ……。三十年前……ジョンディは倅の泣きすがる声を無視して……己の妻を生贄にした……。髪も肌も白くさせてな……」
「……なるほど、だから今回は周期が短いのか」
「よく知ってるじゃないか……」
ベルフェンは咳き込みながら笑う。
「彼は……親父を責めたてたらしい……『こんなの人として絶対に正しくない』ってな……だが……なんて返されたと思う?」
「さあ……? どうせロクなことじゃないんだろ」
バーキンは言いながら、ジョンディの死体に一瞥を投げた。
「ああ、その通りさ……ジョンディはこう言ったらしいぜ……」
◇
「――『だが伝統として正しい行いだ』……それが父の返事だった」
アリシアはブランドンの言葉に、悪寒を感じた。
ブランドンは続ける。
「そんな形式的な正しさに、母は殺された。だから私は、それを否定するために……人として正派であることを無上の価値とするためにブレード・ディフェンドを立ち上げた」
「けど、あんたはその人道的な正しささえ捨てた。そうだろう?」
「そうだな……。結局、正しさなど追求するだけ無駄だと――」
突然、像の顔からずるりと大ウツボめいた何かが垂れてきた。
重々しい吐息と共に、その怪物は口を開ける。
アリシアはそれを目の当たりにして、
「コイツが……まさか――!」
脚に力を込める。
が、ブランドンは怪物めがけて拳を叩き込んだ。
殴打の瞬間、朱色の光が散ったような気がした。
怪物は衝撃で上下の歯をぶつけ、うち一本が根本から折れる。
歯は血を滴らせて抜け落ち、奈落めいた闇の底へ落ちていった。
大きな音を立てて歯が底に叩きつけられる。
怪物はだらりと垂れ下がって、動かなくなった。しかしまだ死んではいないようだ。重々しい息遣いは未だ続いている。
ブランドンは、拳についた怪物の血を見て言った。
「我が社の強化薬も、こいつの血を分析して作った。……思えば、今日という日のために作ったようなものだな」
拳から、怪物の血が落ちた。
「……復讐したいなら好きにすればいいさ」アリシアは言う。「だけどこの街はどうなる?」
「知ったことではない」
「ならせめてルカを解放しろ! あんたの復讐とは無関係だろ!」
ブランドンは、ルカの首筋に焼鉄色の、広く分厚い刃を当てる。
「わかるか? 目の前で望みを絶たれるということが、どれだけの苦しみを与えるか」
「コイツ……!」
アリシアは歯ぎしりする。同調するように、怪物も唸った。
ブランドンが刀を振りかぶる。
「させるか!」
アリシアは駆け出し、斬りかかった。
ブランドンはその一撃を受け止め、アリシアに貫手を放つ。
彼女は跳び越えて避け、背後をとった。
タックルでブランドンをルカから引き離す。
ブランドンは踏みとどまり、アリシアを見た。
しばしの間二人は睨み合い、それから刃を交える。
アリシアはブランドンの袈裟斬りを左詠春刀の鍔で受け止め、右詠春刀を突き出す。
刺突は軽く躱された。
ブランドンが刀を捻る。
鍔が刀の波刃に引っかかり、アリシアはにわかに姿勢を崩した。
が、その勢いに逆らわず跳び、ブランドンの貫手を回避する。
着地と同時にアリシアは斬撃を繰り出した。
ブランドンの刀を撥ね上げ、ロックを解く。
「やるな」
ブランドンは笑い、刀を振る。
一、二撃目は防御できたが、三撃目は先より強かった。
衝撃がアリシアのフォームを大きく乱し、隙を作る。
四撃目は防御も回避も間に合わず、肩を斬られた。
鋭い痛みが走り、追撃への対処が遅れる。
アリシアはブランドンのエルボーを受けて吹き飛んだ。
欄干に背面を打ちつけ、片方の詠春刀を落としてしまう。
意識がふらつく。が、ブランドンはさらに攻めてきた。
彼女は斬撃を躱し落とした詠春刀を拾おうとするも、ブランドンに得物を蹴飛ばされる。
詠春刀は入り口付近まで滑り、アリシアは一刀でブランドンと打ち合った。
体格差と得物の長さがもたらす射程の違いは、アリシアを防戦一方にせしめる。
しかし、アリシアはブランドンの連撃を受けながら、懐に飛び込むチャンスを待っていた。
間もなくそれはやって来る。
詠春刀の鈎鍔が、またブランドンの刀を受け止める。
また捻られないよう、アリシアは先んじて手首を曲げ、刀身をロックした。
アリシアはブランドンの刃を左手で掴み、持ち上げる。
にわかに驚いた顔をして、ブランドンは刀を引っ張った。
掌が切り裂かれ、痛みが走る。
だが、手放しはしない。
アリシアは叫びと共に、詠春刀をブランドンの心臓目掛けて突き出す。
ブランドンは刀を手放し、右ストレートでアリシアをふっ飛ばした。
床に打ちつけられたアリシアは、立ち上がる力を失う。
ブランドンの息をつく音が聞こえた。
「今のは驚いた……」
「まだだ……まだ……終わりじゃない」
アリシアは歯を食いしばって片膝をつく。
「いいや、もう終わりだ」
ブランドンは再びルカのところへ行き、今度こそ首を撥ねんとした。
「あんた……あんた! バーキンがいなくなった原因が! 自分だってわかってるのか!?」
アリシアの言葉に、ブランドンは動きを止める。
ほんの一瞬だけだったが、そこに一筋の閃光が走った。
アリシアの横を一本のナイフが飛ぶ。
ブランドンはナイフをはじいた。が、続いたドロップキックを喰らって仰け反り、転落しかかる。
彼は欄干にぶら下がって持ちこたえる。
蹴ったのはアリシアではなかった。
「あわや大惨事だったな」
その声を聞いて、アリシアは笑顔を浮かべる。
バーキンが来てくれたのだ。
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