ガロンガラージュ正衝傳

もつる

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チャプター1

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   ガロンガラージュ正衝傳せいしょうでん

  1


 数年前。
 冬のガロンガラージュ、<巨域きょいき>二番街にて――。

 バーキンにとっての最高の休日は、一瞬のうちに潰された。
 曇天の下のビル群が鈍色になって、その隙間を縫うように雪が降り始めた。冷たい空気に、硝煙のにおいが渦巻いて、思わず顔をしかめた。硝煙のにおいも、血のにおいも、慣れっこのはずなのに。
 救急車とパトカーのサイレンが近づいてくる。
 バーキンは、ブランドンと共にひとつの死体を見下ろしていた。血だまりの中に突っ伏す死体は、くたびれた服の上からでもわかるほどの痩せぎすだった。黄土色の枯れ枝めいた手指は、なおも.二十二口径の拳銃を放さないでいる。銃のグリップには端の黒ずんだガムテープが巻いてあり、糊が指先で糸を引いていた。辺りにはその銃が吐き出した空薬莢が散乱している。
 ブランドンが血のついた刀を逆手に持ち、死体の前にしゃがみこんだ。
 死体はバーキンの目から隠れて、片方の靴が脱げた足だけが見える。脱げた靴は電柱の根本まで転がっていた。履き口のゴムが波打っていて、靴底は半分以上すり減っていた。
 バーキンは言う。

「……おれたちなら、殺さなくても無力化できただろう?」
「……彼を知っている」ブランドンが答えた。「シューティングレンジで会った……。生活に困窮していて……ストレス発散に来たと言っていたな」

 彼は立ち上がり、続ける。

「弾を分けてやったんだ。それから……励ましの言葉をかけた。……具体的にどんなことを言ったかは、忘れてしまった」
「……自分の責任だと思ってるなら、先に言っとく。あんたのせいじゃない」

 バーキンは彼の肩を持つ。手の甲に冷たい雪が落ちてきた。

「人としての正しさというのは……いったい何なんだろうな」

 ブランドンはバーキンの手を握り、肩から降ろす。
 彼はこちらを見た。
 その顔には微笑が浮かんでいた。けれど、その冥さにバーキンの心臓はどきりと跳ねた。


 ――彼の言葉は、数年経った今でも忘れられない。

 あの時、何を言えばよかったのか。どうするのが正しかったのか。今でもわからない。

 彼のもとを去り、バーキンはまた人生の漂流者となっていた。
 正しい道を見失い、生きる目的と意義がぼやけている日々で、どうにか死なずに過ごしている。そうやって辿り着いたのが、誰もいない山間の道路を、うすぼんやりした白いバンで往来する毎日だ。
 バーキンはハンドルを軽く指で叩きながら、信号が青になるのを待っていた。
 後部には両手で抱えるサイズのダンボール箱や発泡スチロール箱が隙間なく積んである。中身は酒や肉、魚、穀物だ。野菜や果物もある。計数百キロに達するであろう食糧はルームミラーに一部が映り込み、わずかながら後方視界を悪くさせていた。もう慣れたものだが。
 窓から赤い陽光が射し込んできた。光が窓に残った水拭きの跡さえも照らし出す。
 彼はまた信号機を注視した。可搬式の工事用信号機だ。そのカウントダウンを、外の風景やバリケードを避けて進んでくる車列を交えて見守った。
 ここは、すこし前の大雨で土砂崩れが起きた場所で、迂回路は無い。
 平日だが世間は祝日。そのためか、いつもはほとんど車の通らないこの道でも、今日は比較的たくさんの車を見た。
 横を過ぎてゆく車も、家族連れや趣味人の乗る小洒落たクーペ、マスツーリングのバイク集団と多種多様であった。中には自分のように仕事中と思しき者もいたが。
 誰もが皆、幸せそうだった。
 愛する家族、帰る家、誇れる仕事……。人生の正道を進んでいる。そう思った。
 信号のカウントダウンがゼロに近づいてゆく。
 すると、車列の最後に一台のバイクが現れた。カスタムバイクだ。スポーティーで鋭い二灯を光らせるハーフカウル、セミグロスブラックのボディー、そこに爽やかな青のマーキングが映えて、Vツインエンジンの心地よい音が轟く。
 そのマシンを駆るのは、シルバーのスモールジェットを被り、黒いレザージャケットに身を包んだ少女。彼女は微笑みと共に手を振る。キャメルイエローのモトクロスグローブがよく目立っていた。後ろに跨って、彼女の腰に細腕を回しているコも、お辞儀をしてくれた。
 そのわずかな動作には、確かな謝意があって、バーキンは思わず微笑み返す。
 バイクとすれ違い、バーキンはミラー越しに二人を見送った。

 ガールズカップルだろうか。

 バーキンはそんなことを思い、彼女らの未来に幸多からんことを祈る。

 おれの分まで幸せになっておくれよ。

 信号が青になった。


 <ひじりさかい>が見えてきた。遠目には港にあるようなトランスファークレーンにも見える、門型の大構造物だ。これが<動力教団>神殿の正門であり、いわば鳥居なのだ。
 バーキンはバンのスピードをわずかに緩め、聖の境をくぐる。紅色に塗装された門には、蛇がうねるような紋様で描いた幾何学模様が見てとれた。塗り直しがあったのか、紋様の真鍮色は先週までのような赤みがなくなって、鮮やかさを取り戻している。
 敷地内に入るとすぐ、黒い屋根と灰色の外壁を持つ神殿が見えた。屋根は紅色で縁取っていて、浮世離れした雰囲気がある。けれど外壁からは世俗のにおいが少なからず漂っていた。
 神殿は、人口二千万人以上、面積三百万平方キロメートル超えのメガシティ<ガロンガラージュ>全体が消費する電力を賄う、大発電所でもあった。制御所を兼ねた本殿と、変圧設備や鉄塔といった、発電所らしい施設を有している。が、そのどれもが聖の境や本殿のような色合いと紋様で装飾してあった。とくに鉄塔は、送電線を架ける腕金が文字通りの腕の形をしている。血管の浮き出た逞しい腕が、骨ばった手が、がしりと電線を握っているのである。
 なぜ電気エネルギーと宗教が結びついているのか、彼は知らないし詮索する気もなかった。電気といえば雷、雷といえば雷神さまという風に、電力と信仰とを結びつけるのはたやすい。
 それに、動力教団は市民からの評判が悪い。昔から人身売買を行っているなんて良くない噂もある。
 神殿の脇の通路を進む度、バーキンはそんなことを、どこか他人事みたいに思っていた。
 評判が悪いとはいうが、すくなくとも表層的な付き合いをしている限りでは怪しいことは無い。礼儀正しい良い人ばかりだ。
 バンを本殿の裏手にある荷捌き場に停めて降りる。
 バーキンがバックドアを開けると、ちょうど信徒たちが姿を見せた。厳かな、しかし動きやすそうな装束に身を包んだ信徒たちだ。
 挨拶もそこそこに、バーキンと信徒らは飾り立てた台車に品物を積み込んでゆく。
 いつも通りの流れだ。
 だが、今日はすこし雰囲気が違った。空気が張り詰めている。それに、警備の傭兵たちの数も多い気がする。
 作業の合間に、彼は本殿に目をやった。
 傭兵たちは、数が増えたこと以外は普段と同じように思えた。詰め襟に、木製の曲銃床を備えた五.五六ミリ口径の銃剣付自動小銃。神殿の雰囲気を崩さない装備である。
 その中に、眉をひそめるものが見えた。
 
 あれは……ブレード・ディフェンドか?

 銃持ちの傭兵――民間軍事会社P M C<ハイルダイン・セキュリティサービス>の連中に混じって、刀を帯びた傭兵が何名も見えたのだ。かれらは皆、懐かしささえ感じる刀を持っていた。鞘こそ革製の目新しいものだが、あのパラコード巻きの柄を持つ本体は、一般オペレーターに支給される――。

「どうしました?」

 信徒の一人に声をかけられた。
 バーキンは我に返って、止まっていた作業の手を動かす。

「あ、いえ……。今日は心なしか、警備の人が多い気がして……」
「ああ……<テヤンの日>が近いですから」
「テヤン……? 去年の夏にあった例祭とは違うんですか?」
「ええ。テヤンの日とは、バッキヤ法という独自の暦法で導き出される、とても重要な祝祭なんです」
「なるほど、それで」
「テヤンの日当日は世俗に身を置く信徒も集まると聞いてます。そこで諍いや粗相が無いとも限りませんから……」
「そうですか……」
「ただ、歴程によるとテヤンの日はだいたい百年から数百年周期なのに、今度のは前回から三十年しか経ってないんですよ。たまにあることみたいなんですけど」
「へえ……。じゃあ次は一万年後ですかね」

 バーキンの冗談に、信徒は笑う。

「来年かもしれないですよ」

 やがて積荷は全て台車に載った。
 バックドアを閉め、信徒らに挨拶を済ませる。
 これで今日の仕事は終わった。
 バーキンは、赤黒い空の下を走り、神殿を後にした。
 それから車庫に戻って、後片付けを行い、日報と共に事務所へ入る。

「おかえりなさい」

 と言って出迎えてくれたのはコガワだ。彼は営業担当で、バーキンよりも多忙だというのに、いつだって疲れを感じさせない調子の好人物だった。常にグレーのスリーピーススーツと、ダークグリーンのソリッドタイがビシッと引き締まっている。とても四十四歳には見えない。

「何か変わったことはありませんでしたか?」

 日報を受け取りながら、コガワが訊ねる。彼の口癖のようなものだった。

「いいえ、なにも」

 バーキンはいつもの調子で答える。するといつもこう返ってくる。

「ほんとうに?」

 コガワのオーバルの眼鏡が光り、その向こうの目がバーキンを見た。
 普段なら「ほんとうに」とあしらうところだが、今日は違った。

「信徒の方が、テヤンの日が近いと言ってましたね……」
「ほう?」

 コガワは腕を組む。

「特別な祝祭らしいですよ。それで、警備のPMCオペレーターも心なしか多かったかな……」
「この街も物騒になってきたものね」
「まあ、おれなら大丈夫ですよ」

 バーキンは踵を返し、出口へと向かった。

「おつかれさまでした」


  ◇


 鉄面宰てつめんさいカルバリは黒コートをなびかせ、大礼拝堂への道を進んでいた。
 背後には山積みの酒と食糧が台車に載っている。食糧は丁寧に調理され、台車を皿代わりに盛り付けてあった。
 供物である。
 顔を布面で隠した信徒たちがその供物を運ぶ音と、自分のを含めた複数の靴音が一直線の通路でこだまし、間もなく広大な空間に霧散した。
 大礼拝堂に着く。
 そこは直径数十メートルを誇るであろう球状の空間で、中央には御神像が安置されている。
 金色の、竜のような、しかし深海魚を想起させる野太くてぬめりけを感じる姿だ。そこにヒトの手指にも似たヒレ状の器官が見てとれる。
 御神像は頭部を黒い布で隠され、その両脇には四本のレールが天地へと伸びていた。
 そして御神像を囲む形で設けられた座席では、信徒らが祈りの言葉を絶えず唱えている。
 カルバリは片手に持った鉄色の仮面を胸元まで上げ、御神像の真正面へと伸びる道を進んだ。道は深い緑色で、数メートルの幅を持ち、左右に手すりが備わる。
 カルバリと供物が道の中ほどまで進むと、それまで開け放ってあった礼拝堂の大扉が閉ざされる。続いて御神像脇のレールからカゴが降りてきた。

 <五行宰ごぎょうさい>の、残る四人の登場だ。

 カゴに乗る四人の<宰>は紺色の法衣を着て、長い鈎付きの棒を手にしている。
 カゴはカルバリらが御神像の前に着くと同時に、御神像の頭のすぐ横で止まった。
 最後に、御神像の背後にある観音開きの扉が開き、玉座にも似た席につく<司教>が現れる。
 司教は首をもたげた格好の御神像の、うなじ辺りで止まると、座から立ち上がった。

「我らが神よ。今宵ここに司教ジョンディ、そして我が眷属たる五行宰、そしてあなたに祈りを捧ぐ信徒が集いました。今宵も我々に祝福を――」

 司教ジョンディの言葉の後に、カルバリは鉄仮面を被った。
 カルバリが跪くと、五行宰の四人が、棒で御神像の布をたくし上げる。
 すると、その影から目のない大蛇めいた生物がうごめいて、供物にまっすぐ近づいた。
 そして、大口を開けて供物に歯牙を突き立てる。
 数分かけて<神>は供物を完食し、また像の中へと戻っていった。
 四人の宰が布を元に戻し、カルバリは立ち上がる。
 ジョンディが言った。

「テヤンの日は近い。鉄面宰よ、日が昇り次第、傭兵らを放て。そして他の宰らと協力し、<ヴェラボの姪>の確保にあたるのだ……」


  ◇


 土曜日。
 ちっとも気温が上がらない。
 バーキンはダークグリーンのタートルネックを着ながら、曇り空を仰いだ。しばらくは低気圧が居座ってすっきりしない天気が続くらしい。雨の心配は無いようだが、蒼穹がお預けというのはやはり残念だ。
 椅子に身を委ね、何気なく部屋の隅を見る。備え付けのクローゼットの傍に、百三十センチほどの長いソフトケースが立てかけてあった。
 彼は立ち上がり、ケースを手に取るとジッパーを引く。中から覗くのは、人間工学に基づいた形状のG10ハンドルと、角鍔を有する日本刀型刀剣――かつての愛刀であった。

 この刀を振るって、おれたちは信じる正義のため、ささやかな幸せを護るために闘った。それも過去の話だ。

 けれど、と彼は思う。
 神殿にいた、刀を持つ傭兵たちを思い出す。

 またあのひとに会えるのだろうか。

 そんなことが頭によぎり、小さな苦笑を浮かべた。

 会ったところでどうなるというのか。お互いにまた失望するだけだ。

 再びファスナーを閉め、壁に立てかける。
 バーキンはコートを羽織ると外に出た。
 昼食の時間だ。


 街の中心からやや離れた、道の狭い住宅地。その一角にひっそり建つ安アパートがバーキンの住まいだった。
 彼は風を浴びて心身を引き締めつつ、苔と藻でまだら模様になった階段を降りる。
 曇天を見上げると、厚い雲の向こうからわずかに届く太陽の光が、眼鏡のレンズ越しに目へと入ってきた。瞼を閉じ、すこし深く息を吸ってから、いつもの大衆食堂へ向けて歩き出す。
 今日は月一の贅沢の日なのだ。
 途中、指先の冷えが気になってきて、彼は革手袋を装着した。フルフィンガーで、手首をドットボタンで固定する逸品だ。掌には当て革が縫い付けてある。本来はバイクライディングを想定したグローブだったが、それゆえに着けたままでも高い操作性を保ってくれる。長年タクティカルグローブを愛用していた彼にとっては、手指の保護と操作性の両立ができる手袋は理想であった。
 その手袋を着けた手で、バーキンはコートの襟を立て直す。コートも革製だ。細いバーキンの体に沿ったシルエットで、着丈は膝下まである特注品だ。
 ブーツがアスファルトを叩く音を音楽代わりに進んでゆく。中心街へ近づくにつれ、なにやら高らかに語る男の声が聞こえてきた。
 広場が視界に入ると、何を言っているのかはっきりわかった。

「――このようにして動力教団は! 他の発電所そっちのけで利益を独占しているのです! これがどれほど危険なことかは想像に難くないでしょう! もし神殿が事故や災害で機能を停止すれば、街全体の電力が一気に逼迫し大勢の命が脅威に晒される!」

 動力教団に対する反対演説のようだ。
 反対派の代表は、ダブルブレストのスーツを着た恰幅の良い壮年男性だった。整髪料で後ろになでつけた髪は艶を放ち、額からは汗が滲んでいる。

「――こともあろうに動力教団は他の域、他の街区の発電所を強化することを拒んでいる! あまりにも馬鹿げているではありませんか! もし私がかれらの信仰する神の立場であれば、万一に備えてこの広いガロンガラージュ全域の発電所に充分な予算と設備を与えるよう啓示するでしょう!」

 ずいぶんな熱気だ。

 バーキンは思った。だが、彼の言うことは正しいとも感じる。現代文明は電力によって支えられている。しかしその心臓部が実質的にひとつしか無いというのは、確かに不安だ。前職で培った意識が今も残っているのか、安定した供給こそが心の安寧をもたらすという考えに、全力で同意する。
 一方で、自分がその動力教団と仕事で繋がっているとかれらが知ったらどんな反応をするだろうか、とも考えた。

 なんだかんだで止まってしまっては困る発電所を動かす手助けをしているんだ。勘弁しておくれ。

 バーキンは反対派と聴衆からすこし距離を取って、かすかに笑う。
 すると、聴衆の中に見慣れた横顔があるのに気づいた。
 コガワだ。
 演説に聴き入る人々のやや後ろのほうで、表情を変えず腕組みしながら代表を見ていた。

 彼も反対派なのだろうか?

 バーキンはにわかに首をかしげた。自分に神殿への配送業務を紹介してくれたのは彼だというのに。
 だが動力教団に良い感情を持たないこと自体は、この街ではそう珍しいことではなかった。自分みたいに、無関心であることくらい、よくあることだった。
 バーキンは聴衆が拍手をしたところで、かれらに背を向けて遠ざかる。
 次の瞬間には、彼の興味は昼食のことへと移っていた。
 空腹が歩調を早める。しかしその時、踏切が閉まった。開かずの踏切と悪名高いところだ。
 普段なら開くまで待つところだが、今日はどういうわけか早々にしびれを切らした。
 バーキンは脇道に逸れて、別の食堂を探す。
 彼が良さげな店を見つけたのは、それからほどなくしてのことだった。
 木造りのエントランスがオシャレな、イタリアンレストランである。価格も手頃で、いつも行く大衆食堂とさほど変わらない。
 店内に入ると、木の温もりを感じる香りと控えめの照明がバーキンを迎えた。

「いらっしゃいませ」スタッフが近くに来て言った。「お好きなお席へどうぞ」

 バーキンは軽く会釈し、窓際に座ろうとして、やめた。
 窓際は通り沿いで見晴らしが良かったが、すぐ近くにチンピラのような風体の三人組が居座っている。
 安っぽいダウンジャケットに股引のような先細りシルエットのズボンと、ごついブーツの男、アゴヒゲを生やした上下ジャージの小太りの男、そしてテカった生地のスーツに爪先の反り上がったロングノーズの革靴を合わせた男。
 あまり関わり合いたくないタイプの連中だ。まとう雰囲気も店にふさわしくない。
 が、窓際の席はそこしか空いていなかった。
 バーキンは諦めて日陰になっている二人がけの席に座り、手袋を置いて水を汲みに立つ。
 すると、二人の美少女が入ってきた。
 一人は黒いライダースジャケットにハーフフィンガーグローブを合わせている。ボトムスは黒いジーンズと、リングブーツ。ハイティーンなのだろうが、引き締まった口元に凛とした眉、きりっと開かれた双眸が大人びた雰囲気を醸している。つややかな黒髪は一見するとショートボブだが、青いリボンで結われた三つ編みが腰の上まであった。
 そしてもう一人は、入店時には帽子を目深に被っていて、柔らかい素材のショートトレンチコートを着ているということ以外に気が行かなかった。
 しかし、彼女が帽子を脱いだ時、目を奪われた。
 彼女はアルビノだった。真っ白な肌に灰色の目。髪は毛先がわずかに黄色がかっているが、まるで大理石の彫刻が生命を宿したかのような白さだった。
 バーキンはしばし、二人の美しさに見とれたが、彼女らに気取られる前に席へ戻ろうとする。
 彼女らの話す声が耳に入った。

「――できれば、日陰の席だとありがたいんですけど……」
「申し訳ございません」とスタッフの声。「日陰の席は全部埋まっておりまして……」
「仕方ないね、待とう」
「ごめんね、アリシア」
「気にしないで、ルカ」

 アリシアと呼ばれた少女がそう言って、バーキンは振り返った。

「もしよければ、おれの席を譲りますよ」
「いいんですか?」
「ちょうど窓際が空いてる。おれはそこに」
「ありがとうございます」

 二人は声を揃えて言った。
 バーキンは「いえいえ」と軽く返し、窓際の席に移った。
 チンピラの三人が、少女たちを見てひそひそ話しているのが気に障ったが、どうせその程度だ。別に彼女らを襲ってどうこうするつもりなどあるまい。

 無粋な者など気にせず、食事を楽しもう。

 そう思って、バーキンはエビとオニオン、トマトソースをからめたパスタとノンアルコールワインを頼んだ。
 料理を待つ間、窓の外を眺める。大自然や大海原が広がっていれば最高だったのだが、見えるのは立ち並ぶビル群といくつかの集合住宅にコンビニエンスストアだ。時折、歩行者と車が往来する。
 全面スモークガラスの一トンバンが、ハザードランプを点灯させながら店の近くで減速した。
 その車にかすかな不審感を覚える頃、スタッフが料理を運んできてくれた。
 バーキンは礼を言い、合掌してから食べ始める。てらいのない美味に、本能がこの店は大当たりだと判断した。
 そうやって舌鼓を打っていると、またアリシアとルカに気が行った。
 仕事中にすれ違ったバイクのガールズカップルだろうか。
 おそらくそうだろう。アリシアは同じ格好だし、ルカもあの時は顔こそ見えなかったが、万全の日除け装備だったというなら合点がいく。

 意外と近所に住んでいるのだろうか……?

 などと考えていると、隣の席の三人が立ち上がった。
 食べ終わった、というよりも食い散らかしたというほうが適切な、汚い食器がテーブルの上に残っている。
 バーキンは侮蔑の眼差しを三人の背中に向けて、あることに気づいた。
 テカったスーツの男の脇下が、すこし膨らんでいる。
 三人はアリシアとルカに近づいた。

「お姉さんたち、今夜ヒマかい?」
「俺たち今夜パーティ開くんだけどさ、女の子の数が合わなくて困ってんだ」
「礼は弾むぜ。来ておくれよ」
「そんな、困ります……」

 とルカの声。
 一方でアリシアは、

「酔ってます? まだ昼ですよ」

 と返す。
 三人は大声で笑い、スタッフが制止に来た。

「お客さま、あまり……」
「そうカタいこと言うなって」

 ダウンジャケットの男がにやにや笑いでスタッフをあしらう。
 バーキンは食事の手を止め、手袋を装着した。
 太った男が、

「きれいな肌だ……まるでミルクみてえだ」

 とルカの頬に手を伸ばす。
 それを、アリシアが撥ね退けた。

「ちょっといい加減に――!」

 彼女が最後まで言う前に、撃鉄を起こす音がした。
 スーツの男が銃を突きつけたのだ。
 ふざけた調子の口笛が聞こえて、店内が凍る。
 バーキンは、彼らに近づく。

「ナンパなのか脅しなのかどっちなんだ?」

 三人がこちらに振り返った。

「なんだ兄ちゃん。いや……姉ちゃんか? どっちつかずなヤツだな」

 その言葉に、バーキンは鼻で笑って言った。

「どうでもいい。他のお客さんにも迷惑だ」
「フン……ヒーロー気取りか?」
「おれはね、女性に手を出すやつが許せないだけさ」
「そりゃあ大したモンだ……」

 スーツの男が銃口をこちらに向ける。サタデーナイトスペシャルまがいの安物かと思ったが、どうやら違うようだ。この街で<ガロンガ・コルト>とも呼ばれる、ラージュ社のモデル1911クローンで、九ミリパラベラム弾が八発入る。薬室を含めれば九発――銃刀法で許される最大数だ。グレードは最低ランクのようだが、充分実用に足る一流品だ。
 バーキンは素立ちのまま周囲に注意を配り、死角からの攻撃にも備える。
 ダウンジャケットの男が背後をとり、太った男はアリシアとルカの逃げ道を塞いでいた。
 ざわついていた店内が静まり返り、引き金にかかった指がぴくりと動く。
 発砲の寸前で、バーキンはスーツの男の腕を跳ね上げ、弾を天井に逸らした。
 それからダウンジャケットの男に肘鉄を喰らわせる。
 視界の端で、アリシアが太った男に拳を当てるのが見えた。
 周りから悲鳴が上がり、乱闘が始まる。
 バーキンは男から銃を奪い取ると、弾倉を抜き、スライドを引いて薬室内の一発を宙に舞わせた。
 拳銃を投げ捨て、スーツの男の顔面に一発くれてやる。
 続いてダウンジャケットの男と取っ組み合う。
 膝蹴りを胴に受けたが、大したダメージではない。
 ダウンジャケットの男は罵る声と共に蹴りを繰り返すが、軸足がおろそかになっていたようでバランスを崩した。
 バーキンは彼ごと、ガラス戸を突き破って通りに転がった。
 通行人の驚く声を浴びながら、バーキンは起き上がってダウンジャケットの男を膝で抑える。
 それから顔に拳打を浴びせ、気絶させる。
 だが間髪入れずに、別の敵意を感じ振り返った。
 スーツの男が拳を振りかぶっている。
 が、男は背後からの打撃でよろめいた。
 アリシアだった。椅子を振り下ろして援護してくれたのだ。
 しかしその一撃は彼を沈めるには至らなかった。
 太った男も鼻血を噴きつつ、こちらへやってくる。
 バーキンは拳を構え、アリシアも手に残った椅子の脚を棍とした。
 スーツの男が起き上がり、バーキンに飛びかかる。
 しかしバーキンはその攻撃をガードし、反撃した。
 バーキンの拳が、みぞおちを突く。
 男は吹っ飛んで仰向けに倒れた。
 アリシアの方を振り向くと、彼女は軽快な身のこなしで太った男の攻撃を避けている。
 彼が掴みかかろうとすると紙一重で伏せ、殴ろうとすれば跳んで躱し、蹴りを棍でいなし、その流れで叩く。
 そして怯んだ隙を突いて、アリシアの回し蹴りが太った男の側頭部を捉え、地に叩き伏せた。
 彼女は息を切らして、棍代わりの椅子の脚を投げ捨てる。

 これで一見落着か。

 バーキンがそう思ったその時、スーツの男が呻いて起き上がる。
 咄嗟に振り返って、対処しようとした。
 しかしそれには及ばなかった。

「もうやめて!」

 ルカが短銃身のリボルバー拳銃をスーツの男に突きつけていた。
 男はぎくりとした表情で固まる。

「本当に撃ちますよ……!」

 バーキンはそんなルカの代わりにスーツの男に面と向かい、胸ぐらを掴んだ。
 すると男は言った。

「待って! 待ってくれ! 仕事でやったんだ! 頼まれたんだよ!」
「ナンパと脅しつけが仕事か、職安で見つけたのか?」
「嘘じゃねえ! ホントだって! 注意引いておびき出せって……!」
「じゃあ誰に頼まれた? 目的は?」

 男がバーキンの問いに答えようとした次の瞬間であった。
 スーツの男のこめかみから血が吹き出て、気づいたら絶命していた。
 銃撃である。
 続けて、ルカの拳銃がはじき飛ばされ、ダウンジャケットの男と太った男の急所にも銃弾が撃ち込まれた。

「狙撃だ!」

 バーキンたちは弾が飛んできた方を見て、すこし離れたビルの窓から閃光が瞬くのを見る。
 反射的に身を屈めると、弾は店の壁を穿った。
 狙いはバーキンと、アリシアだった。
 姿勢を低くし、物陰へ移ろうとした彼女の足元で銃弾がはじける。
 バーキンは次の銃撃を予測して駆け出し、アリシアを庇った。
 銃弾はコートの肩に二発、背面に一発めり込む。
 これで九発。弾切れのはずだ。

「逃げるぞ!」

 バーキンは叫ぶと同時にアリシアの肩を持ち、ルカの手を引いて射界から離脱した。
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