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16.差し入れ

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厨房に立った私を料理人たちが訝しげに遠目に見つめている。
私は気にせず、調理台に並んだ材料を確認しているところだ。
流石、乙女ゲーム。必要なものは全部揃ってしまった。
そういえばゲームでも、バレンタインを模倣したようなイベントがあったし、お茶会の画面では普通にケーキがおいてあった。
こっちで手に入るものは向こうでも目にするものばかりだ。

「あのー、カレン様、一体何を作るつもりなんですか?」

「見てわからない? クッキーよ」
 
「クッキーですか?! カレン様、作れるんですか? 今まで一度も厨房に入ったことさえないのに?」

「本で勉強したの。心配ならあとで味見してよ」

嘘ではない。向こうではちゃんと本を見て、毎週のように作っていたから。

「え?! それはちょっと」

「もう邪魔するなら向こう行っててよ」

私はアンナを追い出して、作業を始めた。
初めてお菓子を作ったのは、小学生の時。
趣味らしい趣味もなかった私たち親子にとって、お菓子作りが唯一の楽しみだった。
洋菓子店のショーケースの中に並ぶ綺麗なお菓子たち。
そんなお菓子を見るたび食べてみたかったけど、金額を見たら子供心に遠慮して手を伸ばせなかった。母子家庭では気軽に買える金額ではないとわかったから。そのあたりを小学生で既に悟ってしまうのは、敏いと喜ぶべきか、それとも悲しむべきなのか、今となってもわからない。
そんな私の気持ちに気付いたのか、母が『なら作ってみる?』と提案してくれたのだった。
それからは毎週のように作った。
クッキーから始まって、ドーナツ、マドレーヌ、マフィン。
高級なお店のお菓子に比べれば、見栄えも味も劣るかもしれない。けれどそれは自分で作る特別感があった。その感覚だけはお店で買えるものではない。
そして、自分で一生懸命作ったせいか、とても美味しく感じたのを覚えている。充分それで満足だった。
それから自分で創意工夫ができるのも、面白かった。
子供心で牛乳の代わりにオレンジジュースを入れてみたり、某有名メーカーのクッキーに白餡が入っていることに気付けば、私も入れてみたり。
どれも楽しかった思い出ばかり。
外食ができる環境でもなく、旅行といったものにお金を費やせる環境でもなかったけど、私にとっては間違いなく母と作るお菓子作りは唯一の趣味だと自慢できる。
過去の思い出を振り返りながら、私はお菓子作りに没頭した。
窯から出され、クッキーが焼き上がれば、厨房中に美味しそうな匂いが充満した。
匂いに釣られて、アンナが顔を出す。
並んだクッキーを見て、目を輝かせた。

「まあ! すごく美味しそう! 食べてみても良いですか?」

「もちろん」

アンナがクッキーを一口頬張る。

「わあ、チョコチップが入ってるんですね。すっごく美味しいです! カレン様にこんな才能があるなんて知らなかった」

「才能なんて大袈裟ね。誰だって作れるものなのに」

次のクッキーに手を伸ばそうとするアンナの手をぴしゃりと叩く。

「こら。これは孤児院に持っていくものなの。だから、あんまり食べちゃ駄目」

「孤児院にですか?」

「そうよ」

私は頷く。そのためにクッキーを焼いたのだ。
恵まれない子たちのために少しでも助けになれれば良いと思う。
子ども食堂にお世話になっていた身としては、人の親切は本当に有り難い。人の助けや人の温かみというものに触れると、自分も温かくなる。自分もそれを返していける人間になりたいと思う。
それを経験した身としては、あの子供たちにも同じように感じてほしいと思った。
独りよがりで勝手な要望だけど、もしそうならなくても、それはそれでかまわない。あの子たちが少しでも幸せを感じられるなら。
あの子たちもきっと、昔の私のようにショーウィンドウの前で指をくわえるしかなかったのだから。



次の日孤児院を訪れると、院長はとても喜んでくれた。

「まあ、これを子供たちに! わざわざ貴族の令嬢自ら足を運んでくださるとは、とても嬉しく思います」

こじんまりとした質素な院長室に通されて、挨拶もそこここに、私は早速クッキーを渡した。

「突然の訪問をお許しください」

「突然だなんて。午前中のうちに文を頂きましたし。それにこのような訪問ならいつでも歓迎致します」

院長は五十くらいの女性だった。丸顔が特徴の何とも優しそうな女性だ。

「こんな豪勢なおやつを前にするなんて、子供たちも初めてで、きっと喜びますわ」

「そんな豪勢なんて。私が作っただけですから、そんなに高価なものじゃありません」

「まあ、ご令嬢が自らお作りになったのですか?」

院長が驚いて目を見開く。
買ってきたもののほうが良かったのだろうか。院長もそれを期待して、豪勢なんて言ったのかしら。
私は自分が作ったものが急にみすぼらしく思えて、恥ずかしさから、ちょっと言葉を濁す。

「ええ、まあ――」

「なんということでしょう!」

院長が盛大に手を叩いた。

「素晴らしい!」

え? どういうこと? 私は顔をあげた。

「普通、貴族の令嬢が自ら率先してお菓子なんて作らないものです。手が汚れますし、力もいりますからね。それなのに、あなたは子供たちのために作ってくださった。その優しさに感激しました」

私は院長の表情を伺いながら、恐る恐る口を開く。

「ではこれからも持ってきても構いませんか?」

「まあ。今回だけでなく、次も持ってきてくださるなんて。――ぜひお願いします!」

私はほっとして、にっこり笑った。

「受け入れてくださり、ありがとうございます」

「こちらこそ。ご令嬢の優しさに心から感服致します。本日はお越し下さり、本当にありがとうございます。お見送りいたしますわ」

「あのっ」

院長が立ち上がりかけたところで、私は慌てて声をかける。 

「はい。なんでしょうか」

「持ってきたクッキーは、今日配りますよね」

「はい。御令嬢が帰られましたら、早速、このクッキーを配りますわ。きっとすごく子供たちが喜ぶことでしょう」

「なら、私もその場にいて良いですか?」

「え?」

「私が作ったものを食べているところを、できれば見たいのです。――お邪魔でしょうか」

「いいえ、そのような。ただ驚いてしまって。――ここにやってくる貴族の方々は、寄付をされたらそれで帰られたので。子どもたちの様子を見たいと仰られる方は、今まで一人もいなかったものですから」

「そうですか」

院長が不思議そうに首を傾げて、私の全身を眺める。 

「御令嬢は本当に、少し、他の貴族の方々と違っていますね」

「はあ」

褒められているのか、おかしく思われているのかわからず曖昧な返事を返す。

「――ええ。ぜひ子どもたちを見ていってください。きっと喜びますわ。ご案内します」

クッキーの箱を持って、院長が部屋を出る。

「さあ、皆さん、いい子にして。今日は素晴らしいお客様が来てくれましたよ」

孤児院の中で一番広い部屋に入ると、院長が子どもたちに呼びかける。
テーブルや椅子もあるところから、遊び場とダイニングを兼ねている部屋なのかもしれない。
子どもたちが興味津々に私を見てくる。

「この方はカレン・ドロノア令嬢です。皆さんのために、なんとクッキーを持ってきてくれました!」

子どもたちが歓声をあげる。それだけで、ここの子どもたちが普段どんな食生活を送っているか伺い知ることができた。

「さあ、お嬢様からクッキーを頂いて。ちゃんとお礼を言うのよ」

院長が私にクッキーの箱を手渡す。
私は箱を開いて呼びかけた。

「皆さん、こんにちは。カレン・ドロノアです。クッキーをどうぞ」

子どもたちが並んで、箱の中からクッキーを貰っていく。
その際、ひとりひとり目を合わせて「ありがとう」と言ってくれたのが、印象的だった。
院長がちゃんと子どもたちを教育している証拠である。本当にいい子たちばかりだ。
そのあとクッキーを食べた子どもたちが嬉しそうに笑ったり、目を丸くして顔を見合わせて「美味しい!」と叫んでいるのが見られて、私の心は満たされていった。

「私もあの子たちと一緒に食べても良いでしょうか」

院長が驚いたように目を丸くしたあと、微笑んだ。

「ええ、ええ。ぜひ。カレン様がお嫌でなければ、ぜひそうしてください」

「はい、ありがとうございます」

私は返事を返すと、子どもたちのほうへ入っていった。
最初人見知りしていた子どもたちも、帰る頃にはすっかり打ち解けて「お姉ちゃん」と呼んでくれるようになっていた。同い年くらいの一部の男子からちょっと遠巻きにされたけど。
でも通っていくうちに、全員と仲良くなれたらいいなと思った。
私は笑顔で手を振り、子どもたちと別れた。
それから一ヶ月に二回、私は孤児院を訪れるようになる。


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