29 / 93
29、入舎試験(1)
しおりを挟む
「一、ニ、三、一、ニ、三」
マルケッタの張りのある声が響く。クリスティーナとアレクシスは、それぞれの練習相手の女性と組み、踊っていた。
「そこ、もっと指を伸ばして。指先まで綺麗に!」
マルケッタの叱責が飛ぶ。クリスティーナは疲れ果てていた。さっきから同じステップの繰り返しで、女性をずっと支えている腕も痛い。
そんなクリスティーナに構わず、マルケッタが声を飛ばす。
「クリスさん、そこはもっとステップを小さく。あなたは内回りなんだから、あなたが大きく動いたら、女性は大変なのよ」
「すみません」
「ほら、最初から。――左、右、左、右、左、右!」
マルケッタの言葉に従い、足の動きを合わせる。
「このステップを無意識に踏めるくらい、体に叩きこんでください!」
マルケッタが三拍子の拍手をしながら、クリスティーナとアレクシスのダンスに目を光らせる。
クリスティーナたちが今いる場所は、王宮の正面に位置する建物内の一室だ。中広間と呼ばれ、普段は王妃のお茶会や小規模の舞踏会が行われる。同じ建物内に大広間があり、そこが半年後、今アレクシス踊っているダンスを披露する舞台となるのである。
クリスティーナは白とグレージュの幾何学模様が美しいタイルを踏んでいく。頭上には綺羅びやかなシャンデリア。今は窓ガラスから降り注ぐ陽光で、光り輝いていないが充分美しい。最初この広間を見た時、心ときめいたが、今は周りに目を向ける余裕はなく、ときめいたことさえ、遠い過去に感じてくる。
踊りながら、クリスティーナはアルバートの懐の深さを思う。ダンスを学ぶのは本来ならお披露目するアレクシスひとりでいいはずだ。それなのに、一流の講師の元、一介の従者にペアの女性をつけ、ダンスを上達する機会を与えてくれた。
アルバートを見ていると、父親とは本来こういうものかしらと感じることがある。落ち着きがあって、どっしりと構えた様は頼りがいがあって、息子へと向ける眼差しは優しい。そんな父親を持つアレクシスを時々ひどく羨ましく思う。同時に眩しく感じるのは、そんな父親の愛情を受けたおかげで、今の明るく闊達なアレクシスがあるからだろう。
クリスティーナはひたすら、体の向きを変えながら、ステップを踏んでいく。目の前の女性にふと視線を移す。
ヘーゼルブラウンの髪色の優しげな瞳をした女性だった。まだ二十代前半と若い。おそらくマルケッタの弟子なのだろう。初めて組むとき、腹から胸のあたりまで密着してきたので、女性であるクリスティーナのほうが逆に照れてしまった。何度か足を踏んでしまったことは申し訳ない。それにしても、剣の稽古の一貫で腕立て伏せを毎日していたのが幸いした。でなければ、今頃女性を支える腕をこれ以上持ち上げられなかったかもしれない。
クリスティーナの視線に気付いたのか、女性がにこりと微笑んだ。クリスティーナは慌てて、踊りに集中した。
ふたりがようやく流れるようにステップを踏めるようになった頃、宿舎に帰ったクリスティーナはバートに呼びかけられた。
「入舎試験ですか?」
バートが困ったように頬をかく。
「そうなんだ。新たに近衛騎士になって、この宿舎にはいるにあたっての儀式みたいなものなんだけど」
話を要約すると、新人は必ず通らなければならないらしい。内容は至って単純で、目隠ししたまま、独りで一晩武器庫の中で過ごすものだ。いわゆる先輩騎士たちからの洗礼である。
何故、騎士でもないクリスティーナのもとにこの話が来たかというと、今年の新人がクリスティーナが参加したことがないことを知ると、騎士の宿舎に入ってるのに、おかしいと異論を唱えたからだ。今年の新人は成人を迎えたばかりの若い騎士たちばかりで、要は有力貴族たちの子息たちなのだ。
何も持たないクリスティーナが王太子の近くにいることを許されていることを、一部の騎士から妬まれていることは知っていた。これは年齢を重ねるごとに、歳が近いものが増えるせいか、嫉妬される機会が多くなった。といっても、アレクシスの庇護があるから、公には表に出ることはない。
今回、これを期に正当な理由ができたのだろう。それで彼らの鬱憤が晴らせるなら、軽いものだ。
それに実際、宿舎にはお世話になっている。
クリスティーナは頷いた。
「いいですよ。いつがいいですか」
バートがほっとした顔を向ける。新人をうまく束ねるのも、苦労があるのだろう。
「じゃあ三日後はどうかな」
「わかりました」
「それじゃあ」
バートと別れ、クリスティーナは部屋に戻った。
そして、三日後――。
「それって大丈夫なのか?」
嫉妬されていることは伏せて、明日の朝、遅くなる理由を話せば、アレクシスが眉を寄せた。
「大丈夫だよ。一晩過ごすだけで、何もないよ」
「武器庫だろ。おまけに目隠ししてるんだろ。こけて怪我するなよ」
「うん。気をつけるよ。――それじゃあもう行くね。また明日」
「ああ」
去っていくクリスティーナを見ながら、アレクシスは、まだ思うことがあるように眺めていた。
マルケッタの張りのある声が響く。クリスティーナとアレクシスは、それぞれの練習相手の女性と組み、踊っていた。
「そこ、もっと指を伸ばして。指先まで綺麗に!」
マルケッタの叱責が飛ぶ。クリスティーナは疲れ果てていた。さっきから同じステップの繰り返しで、女性をずっと支えている腕も痛い。
そんなクリスティーナに構わず、マルケッタが声を飛ばす。
「クリスさん、そこはもっとステップを小さく。あなたは内回りなんだから、あなたが大きく動いたら、女性は大変なのよ」
「すみません」
「ほら、最初から。――左、右、左、右、左、右!」
マルケッタの言葉に従い、足の動きを合わせる。
「このステップを無意識に踏めるくらい、体に叩きこんでください!」
マルケッタが三拍子の拍手をしながら、クリスティーナとアレクシスのダンスに目を光らせる。
クリスティーナたちが今いる場所は、王宮の正面に位置する建物内の一室だ。中広間と呼ばれ、普段は王妃のお茶会や小規模の舞踏会が行われる。同じ建物内に大広間があり、そこが半年後、今アレクシス踊っているダンスを披露する舞台となるのである。
クリスティーナは白とグレージュの幾何学模様が美しいタイルを踏んでいく。頭上には綺羅びやかなシャンデリア。今は窓ガラスから降り注ぐ陽光で、光り輝いていないが充分美しい。最初この広間を見た時、心ときめいたが、今は周りに目を向ける余裕はなく、ときめいたことさえ、遠い過去に感じてくる。
踊りながら、クリスティーナはアルバートの懐の深さを思う。ダンスを学ぶのは本来ならお披露目するアレクシスひとりでいいはずだ。それなのに、一流の講師の元、一介の従者にペアの女性をつけ、ダンスを上達する機会を与えてくれた。
アルバートを見ていると、父親とは本来こういうものかしらと感じることがある。落ち着きがあって、どっしりと構えた様は頼りがいがあって、息子へと向ける眼差しは優しい。そんな父親を持つアレクシスを時々ひどく羨ましく思う。同時に眩しく感じるのは、そんな父親の愛情を受けたおかげで、今の明るく闊達なアレクシスがあるからだろう。
クリスティーナはひたすら、体の向きを変えながら、ステップを踏んでいく。目の前の女性にふと視線を移す。
ヘーゼルブラウンの髪色の優しげな瞳をした女性だった。まだ二十代前半と若い。おそらくマルケッタの弟子なのだろう。初めて組むとき、腹から胸のあたりまで密着してきたので、女性であるクリスティーナのほうが逆に照れてしまった。何度か足を踏んでしまったことは申し訳ない。それにしても、剣の稽古の一貫で腕立て伏せを毎日していたのが幸いした。でなければ、今頃女性を支える腕をこれ以上持ち上げられなかったかもしれない。
クリスティーナの視線に気付いたのか、女性がにこりと微笑んだ。クリスティーナは慌てて、踊りに集中した。
ふたりがようやく流れるようにステップを踏めるようになった頃、宿舎に帰ったクリスティーナはバートに呼びかけられた。
「入舎試験ですか?」
バートが困ったように頬をかく。
「そうなんだ。新たに近衛騎士になって、この宿舎にはいるにあたっての儀式みたいなものなんだけど」
話を要約すると、新人は必ず通らなければならないらしい。内容は至って単純で、目隠ししたまま、独りで一晩武器庫の中で過ごすものだ。いわゆる先輩騎士たちからの洗礼である。
何故、騎士でもないクリスティーナのもとにこの話が来たかというと、今年の新人がクリスティーナが参加したことがないことを知ると、騎士の宿舎に入ってるのに、おかしいと異論を唱えたからだ。今年の新人は成人を迎えたばかりの若い騎士たちばかりで、要は有力貴族たちの子息たちなのだ。
何も持たないクリスティーナが王太子の近くにいることを許されていることを、一部の騎士から妬まれていることは知っていた。これは年齢を重ねるごとに、歳が近いものが増えるせいか、嫉妬される機会が多くなった。といっても、アレクシスの庇護があるから、公には表に出ることはない。
今回、これを期に正当な理由ができたのだろう。それで彼らの鬱憤が晴らせるなら、軽いものだ。
それに実際、宿舎にはお世話になっている。
クリスティーナは頷いた。
「いいですよ。いつがいいですか」
バートがほっとした顔を向ける。新人をうまく束ねるのも、苦労があるのだろう。
「じゃあ三日後はどうかな」
「わかりました」
「それじゃあ」
バートと別れ、クリスティーナは部屋に戻った。
そして、三日後――。
「それって大丈夫なのか?」
嫉妬されていることは伏せて、明日の朝、遅くなる理由を話せば、アレクシスが眉を寄せた。
「大丈夫だよ。一晩過ごすだけで、何もないよ」
「武器庫だろ。おまけに目隠ししてるんだろ。こけて怪我するなよ」
「うん。気をつけるよ。――それじゃあもう行くね。また明日」
「ああ」
去っていくクリスティーナを見ながら、アレクシスは、まだ思うことがあるように眺めていた。
0
お気に入りに追加
227
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になったら、義兄に溺愛されました。
せいめ
恋愛
婚約者の不貞現場を見た私は、ショックを受けて前世の記憶を思い出す。
そうだ!私は日本のアラサー社畜だった。
前世の記憶が戻って思うのは、こんな婚約者要らないよね!浮気症は治らないだろうし、家族ともそこまで仲良くないから、こんな家にいる必要もないよね。
そうだ!家を出よう。
しかし、二階から逃げようとした私は失敗し、バルコニーから落ちてしまう。
目覚めた私は、今世の記憶がない!あれ?何を悩んでいたんだっけ?何かしようとしていた?
豪華な部屋に沢山のメイド達。そして、カッコいいお兄様。
金持ちの家に生まれて、美少女だなんてラッキー!ふふっ!今世では楽しい人生を送るぞー!
しかし。…婚約者がいたの?しかも、全く愛されてなくて、相手にもされてなかったの?
えっ?私が記憶喪失になった理由?お兄様教えてー!
ご都合主義です。内容も緩いです。
誤字脱字お許しください。
義兄の話が多いです。
閑話も多いです。
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて
木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。
前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)
【完結】人嫌いで有名な塔の魔術師を餌付けしてしまいました
仙桜可律
恋愛
夜の酒場には恋の芽が溢れている。
場違いな苦い顔で座っているフードを被った男性。
魔術師として王城で働いているフレデリックだ。幼い頃から研究を続け、人の感情に敏感になりすぎていた。一人で塔に籠り、一切人との関わりを遮断していたのだが、精神魔法についての考察が弱すぎると指摘されてしまった。
「お酒は要りません、社会勉強として他人の恋を見に来ました」
そんなことを真顔で言う。
店で働くアメリアは、なんだか彼が気になってしまって……。
「絶対この人、悪い女に騙される……!」
生真面目魔術師 × 世話好き看板娘
2/6 タイトル変更しました
酔菜亭『エデン』シリーズ。
【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!
はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。
伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。
しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。
当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。
……本当に好きな人を、諦めてまで。
幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。
そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。
このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。
夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。
愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
【完結】わたしはお飾りの妻らしい。 〜16歳で継母になりました〜
たろ
恋愛
結婚して半年。
わたしはこの家には必要がない。
政略結婚。
愛は何処にもない。
要らないわたしを家から追い出したくて無理矢理結婚させたお義母様。
お義母様のご機嫌を悪くさせたくなくて、わたしを嫁に出したお父様。
とりあえず「嫁」という立場が欲しかった旦那様。
そうしてわたしは旦那様の「嫁」になった。
旦那様には愛する人がいる。
わたしはお飾りの妻。
せっかくのんびり暮らすのだから、好きなことだけさせてもらいますね。
男装魔法使い、女性恐怖症の公爵令息様の治療係に任命される
百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!?
男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!?
※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる