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14、誓約書

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「これは一体どういうことだ?」



 デクスターが顔色も悪く、浮腫んだ顔で、クリスティーナを睨めつけた。

 父親の手には一通の書状が握られていた。

 朝早く帰ってきたデクスターに、執事のロバートが王宮からの手紙を問答無用で差し出したのだ。流石に王家からの手紙を無視して、寝ることはできず、酔いの覚めない頭で読んでみれば、そこには信じられないことが書かれていた。

 クリスティーナの世話役ともいえるペギーを呼び、説明させるが驚愕するだけで、答えにならない。

 デクスターは今度は本人であるクリスティーナをペギーに連れてこさせた。

 執務室には今、デクスターが机に寄りかかり、その前に立たされるようにクリスティーナが位置し、それぞれの横に控えるようにロバートとペギーが立っている。

 デクスターが目の前に手紙を掲げ、読み上げる。



「『デクスター・エメットの子息、クリス・エメットをアルバート王の長子、アレクシス・キースクライド・ダウランドの従者に任ず。尚、出仕はこの手紙を受け取った2日後とする』とある」



 デクスターはクリスティーナを睨みあげた。



「クリス・エメットとはお前のことか?」



 クリスティーナは震えそうになる体を抑えて、小さく応えた。



「はい」



「一体どういうことだ。女のお前が、クリスだと? 男として、偽ったのか。そもそも、それ以前にどうして王太子の従者に任じられることになった? ――そうなるような機会があったのか?」



 デクスターは責めるようにペギーに視線を移した。デクスターは徹夜明け、加えて酒の抜けきらぬことで、その雰囲気は危ないものだった。クリスティーナはいつ目の前の男が理性を捨てるか、予想がつかず、はらはらした。

 そういったものをペギーも感じたのか、ペギーの顔が青ざめた。



「いえ――」



「やめて、ペギーは悪くありません! 全部、わたしひとりでしたことです」



 クリスティーナは全て正直に話すことにした。アレクシスに出会った経緯も、そこから親しくなって、性別を偽り続け何度も遊んだこと、直々に王からアレクシスの従者に任じられたことを。

 ペギーが口元をおおった。



「そんな――クリスティーナ様」



 ロバートも固まっている。

 デクスターは歯を食いしばり、髪を掻きむしって叫んだ。



「なんてことだ。直々に、王を偽ったとは。とんでもないことだぞ、これは。ばれたら、爵位剥奪は勿論、国外追放だってあり得る! 下手すれば、牢屋行きだ!」



 怒鳴りたてて、デクスターは荒げた息に苦しくなったのか、音を立てて呼吸する。



「まだ出仕前で、助かった。今から陛下に断りの手紙を書く。本当のことは伏せて、クリスは病弱で、とても王太子の従者は務まらないと書こう。幸い、これの母親は若くして亡くなっているから、信憑性もあるだろう」



 クリスティーナの中で、何かが弾けた。思わずカッとなって、普段なら絶対に背かわない父親に向かって、詰め寄って叫んだ。



「父上は勝手です!! 今まで散々、好き勝手生きてきたのに、今更人のことは縛るのですか!? あなたは最低です! 人の心がわからない! 今まで散々自由に生きてきたじゃない!! それなのに、どうしてそんなあなたが、それをわたしから奪うの!! そんな権利、あなたなんかには一切ない!! それが当主の権利と言うのなら、あなたはそんな資格、とうの昔に失ってる!!」



 それは父親が母親を悲しませてから、クリスティーナの中でずっと抱いていた思いだった。

 急に開放された激流のような感情に息を整えていると、デクスターが腕を振りあげた。



「クリスティーナ様っ!!」



 ペギーが悲鳴をあげる。クリスティーナは父親の拳をもろに頬に受け、吹っ飛んだ。

 デクスターは倒れ込んだ我が子を、冷酷な眼差しで見下ろした。



「良かろう。そこまで言うなら、好きにするがいい。ただし!! 書面に記せ! お前が王太子に仕えることに我がエメット家、そしてわしは一切関与していないとな。もし王家を謀った罪が明るみに出た場合、その罪は一切自分ひとりでかぶると書くのだ。わかったな。――ロバート、紙とペンを持て」



 ロバートは躊躇いながらも、白紙の紙とペンをローテーブルに置いた。

 クリスティーナはペギーに支えながら起きると、テーブルによろよろと向かった。

 力の入らない手でペンを握る。

 真っ白な紙に書き起こす。



『クリス・エメット、本名クリスティーナ・ジリアン・エメットは性別を偽り、王太子であるアレクシスにお仕えする。このことはわたしひとりの意志であり、我がエメット家、それに関わる者、並びに』



 クリスティーナはペン先に力を込めた。



『当主のデクスター・エメットとは何の関わりもないものとする』



 この瞬間、クリスティーナはデクスターとの決別を決めた。後ろから、ペギーのすすり泣く声が聞こえる。クリスティーナは指を動かし続けた。



『もしこの罪が明らかになった場合、クリスティーナ・エメットただひとりの命をもって、償うものとする。



    クリスティーナ・ジリアン・エメット』



「よし」



 デクスターはクリスティーナの手紙を確認し、折りたたむと懐にしまった。



「みな、部屋から出ていけ。わしはひと眠りする。用があったら、ベルを鳴らすから、それまで騒がしい音を立てるんじゃない」



 クリスティーナはペギーに肩を押され、執務室をあとにした。自分の部屋まで送られ、扉が閉まると、ペギーがわっと泣いて、クリスティーナにすがりついた。



「クリスティーナ様、なんという無茶をされたのですか」



「ごめんね、心配かけて」



「そんなことはどうでもいいのです! 本当に、王太子にお仕えするつもりですか」



 クリスティーナは迷わず頷いた。



「うん。アレクシスと約束したから」



 嬉しそうに笑うクリスティーナに、ペギーも覚悟を決めたのか、涙を引っ込めた。それに王命なら従うよりほかはない。



「出仕は明日からですよね。王宮まで行くのに、馬車が必要ですね。今から探して、御者が間に合うか」



 エメット家の車庫には古びた馬車が一台置かれていた。祖父の代からあったもので、母が生前の折は、年に一、二度領地に行くのに使われていた。塗装も剥げていて、椅子に張られた天鵞絨もあちこち擦れていた記憶がある。母が亡くなって、年老いた馬もその後死を迎えると、誰も使わなくなり、御者も解雇された。今はただひっそりと、車庫に佇むだけである。クリスティーナは当時の記憶を振り返り、首を降った。



「王宮までは歩いていくよ」



「そんな――。王宮までクリスティーナ様の足で30分以上かかってしまうではありませんか」



 正確には、王宮の入り口から更に王太子の住まう奥の宮までは、もっと多くの時間を有するのだが、クリスティーナはそれでも歩いていくつもりだった。



「走っていくから大丈夫。それより、ペギーにはほかのお願いがあって――」



「何でしょうか!?」



 ペギーが勢いよく聞けば、クリスティーナは恥ずかしそうに俯いて笑った。



「男の子の服がほしいの。ザッカリーお兄様のは大き過ぎて、ぶかぶかしてみっともないから」



 ペギーはぽかんと口を開いて、続いて、はっとした。



「そうでしたね! 盲点過ぎて、忘れていました。それが一番の肝心ですよ! 今から急いで、一着詰めなくてはいけませんね。明後日からは新しいのをご用意しますから」



「ありがとう」



 クリスティーナがほっと安心して息を吐くと、扉がノックされた。

 ペギーが開くと、ロバートが立っていた。



「ペギー、叱るのはそれくらいにして、クリスティーナ様の頬を冷やさなければ」



 ペギーははっとした。



「嫌だ、わたしったら使用人失格だわ。次から次へと予想外のことがおきるから、本来の自分の仕事を疎かにするなんて」



「クリスティーナ様、ネイシーに頼んで、冷やした布をご用意しましたから、お使いください」



 ロバートがクリスティーナに白い布を手渡す。



「ありがとう。――でもロバート、ペギーはわたしを叱っていたんじゃなくて、心配してくれたんだよ」



 ロバートはクリスティーナを見下ろし、目を細めさせた。



「左様ですか。――クリスティーナ様、旦那様の手前、お止めすることはできませんでしたが、クリスティーナ様はご自分の進みたい道を歩いていってください。クリスティーナ様が望まれることはきっと、亡き奥様も望まれることでしょうから」



 クリスティーナはロバートの視線を受けて微笑んだ。



「ありがとう」



 その翌朝から、エメット家の門から王宮の門へと続く一本道を、元気に走り抜ける小さな影が見られるようになった。

 しかし、早朝のため、その存在に気付いたのはごく一部の者たちに限られたのだった。



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