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第59話

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「……では落としてくれ」

 生徒達が帰宅し静まり返った夜の校内では、複数人の大人とヘスターの姿だけがあった。指示を受けたヘスターが目の前にある縦長の物を大階段の上から突き落とす。
 それは派手な音を立てて一階まで落ちると、待機していた大人達が数人がかりで重そうに立たせた。

「……傷は頭部、右の太腿、左の脛、背中、そして首の部分が折れておりますね」

 大人達の検分に立ち合っている王が「そうか……」と重い返事をする。王の目には誰が見ても一目でボロボロだと分かる小柄な人間程の大きさの藁人形が立っていた。

 この藁人形はただの人形ではない。物作りが得意な教師が作成した、人間の硬さとアマーリエの身長や体重を再現した物である。
 ヘスター達は王や側近、教師達を交えてテンセイシャが防御魔法を使わずに大階段から突き落とされた場合のシミュレーションを行っていた。婚約破棄の場で確実に彼女を追い詰める為に。

 テンセイシャはあれを奇跡、それが通じなければ咄嗟に防御魔法を展開したと言い訳するだろう。その手を使わせないよう、バーナードの誕生日が来るまでの間に物証固めをしていた。

「突き落とされてから身体が地面に触れるまでの時間も短過ぎます。鍛え上げた軍人なら兎も角、戦いに縁の無い少女が不意打ちを受けたとして、あの一瞬で防御魔法を展開できるとは思えません」

 王の左腕である将軍が長年の経験から培った推測を述べ、右腕である文官がそれを書き留める。防御態勢を取れなかった場合を想定した藁人形は、無情にも頚椎骨折による即死を示していた。

 次の合図でヘスターは腕で頭部を覆い、背中を丸める防御姿勢を取った藁人形を突き落とす。先ほどより派手さは抑えられているものの、やはり大きな音を立てながら藁人形は落ちて行った。

 今度の人形は頭部に大きな損傷は見られなかったが、両腕と両足の骨折、並びに腰の部分が大きく破損していた。即死は免れても後遺症は残る可能性が高い程の重症だ。

 これで暫定的に被害者とされている彼女は、階段から落ちると予想して事前に対策を取っていたと証明される。そして予想していたのなら、なぜ階段付近に立っていたのか行動の矛盾も突ける。

 検証が終わると彼らは入念に痕跡を消してその場を後にした。
 検証に使われた人形は持ち帰られ、来るべき日が来るまで大切に保管される手筈になっている。各々全ての準備を整えて来たるべく日を迎えた。

 

「エリザベス!お前がアマーリエに行った所業!到底許してはおけん!よってお前との婚約は破棄させてもらう!」

 王族らしい堂々とした態度で宣言するバーナードと傍らに寄り添う庇護欲を擽る愛らしい少女。そして少女を守護する騎士のように周りを固める彼等は、何も知らない人間が見れば正義の一団のように思えたことだろう。

 だがしかしルカヤの生徒達、並びに生徒からここ数ヶ月間の彼等の良くない行いを聞いていた親や親戚達は、とうとう強硬手段に出たとなと、叶うなら天を仰ぎたい気分だった。

 あの女に誑し込まれたとしても、まさか公衆の面前で婚約破棄なんて馬鹿な真似をするとは思わなかったのだ。しかも自分の誕生日をぶち壊してまで。
 知っていたらもっと強く忠告したり、女が関われないよう引き剥がしたりもしたのにと、今更ながら生徒達に後悔の念が押し寄せる。
 
 もう殿下や彼等は駄目だ、完全にあの女の手の平の上で踊らされてしまった。エリザベスもこれには打ちのめされてしまっただろうと同情と憐憫の目を向けると、彼女は意外な言葉を放った。

「婚約破棄とおっしゃいますが……。殿下と私の婚約は昨年に我がオブライエンの申し立てによる無効が成立しております」
「何!?」

 隣の彼女に良いところを見せようと格好良く決めたのに、まさかとっくに無効になっているという説明に、バーナードも彼等も分かりやすく動揺する。同時にニヤニヤとエリザベスを蔑むようにニヤケ面をしていたテンセイシャも、あり得ないと言いたげな顔に一変させた。
 
 これには固唾を飲んで成り行きを見守っていた者達も驚き、あちこちでヒソヒソと囁かれる。

「う!嘘だ!僕はそんな話知らないぞ!?」
「陛下も王后陛下も受け入れて下さった上での無効の成立です。あぁ、そうそう。貴方方も彼女達との婚約は解消されておりますのであしからず」

 扇子でテンセイシャの周りを固めている彼等にも告げれば、自分には関係ないと思っていたのが「そんな!」「どうして!」と狼狽する。

「既に無効が成立していたとは……」
「エリザベス様も役者でございますね」
「本当は折を見て公表する手筈だったのかしら……」

 婚約破棄はエリザベスにとって痛くも痒くもないと安心した生徒達は舌を巻く。
 もし今までの出来事を自分に当て嵌めたとして、散々心を掻き乱してくれた婚約者に無効が成立した時点でボロを出してしまいそうだ。「もう赤の他人になったのだからこれ以上関わるな」と。

 数ヶ月間、微塵もその気配を見せなかった彼女はやはり優れた才覚を持つ人間なのだ。この分であればきっと引く手数多だろう。
 婚約の無効や解消であればその後の縁談に不利は発生しないし、今後彼女はある意味で忙しくなりそうだ。

「それにしても完全にフラれたことに全然気づかなかったなんて……」
「いかにあの女にかまけていたのかよく分かるわ……」
「次の縁談は大変ね……」

 そして同時にエリザベス達にしてやられた形となった彼等はすっかり嘲笑の的になっていた。王子であるバーナードには分かりやすい蔑みの目は向けられていないが、囁く声の端々に侮蔑が含まれている。

 自分が予想していたのとは全く違う展開に、テンセイシャは憤怒で肩を震わせる。婚約破棄を突きつけられて崩れ落ちるエリザベスが見たかったのに、自分の知らない婚約の無効が出て来るなんてと唇を噛み締める。

(そうか……。事前に婚約を無効にしておけば、婚約破棄されない算段って訳ね!?)

 完全に予定が狂ってしまったが、でもそれだけだ。エリザベスを追い落とす手段は沢山ある。彼女は目に涙を溜めると、怖くても精一杯勇気を出すいじらしさを誘うよう口を開いた。

「ですがあなたの罪が軽くなる訳ではありません!あなたに嫌がらせを受けたり、階段から突き落とされたのは本当……」
「何をしている?」

 突如横入りした威厳のある声は、この国の王のものだった。予期しないタイミングでの父親の登場に、バーナードは「父上!?登場はまだ先では!?」と驚く。だが王はそんな様子の息子にも一瞥もしなかった。

 国王の登場にエリザベスも周囲の者達も即座に最敬礼を取る。「こんな展開あったっけ?」と呆けていたテンセイシャは礼も取らずにぼうっと突っ立っていた。
 バーナード以外の取り巻きが最敬礼しているのを見て、やっと頭を下げる始末である。その下げ方も貴族令嬢とは思えない杜撰さだった。

「ちょうどよかった。父上!エリザベスは卑劣にも僕の友人であるアマーリエに数々の嫌がらせをしたあげく、嫉妬の末に階段から突き落としたんです!彼女はオブライエンの申し立てで無効になったと言っていますが、本当はこうなることを予感した父上の意向で婚約が無効になったのですよね?」
「お願いします!私は何度もエリザベス様に傷付けられてきたんです!どうか正当な裁きを!」

 本来は彼も王の登場の際は礼を取らなければならないのだが、それを無視して自分の要望を受け入れてもらおうと訴える。
 彼女もまだ王からの許しを得ていないのに勝手に頭を上げ、両手を組んで庇護を誘うように懇願する。息の合った常識知らずの行動は、ある意味でお似合いのカップルであった。

 王は全く周りが見えていない愚者となり果てた息子に、冷たい目を向けた。
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