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第57話
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翌日、学校は案の定大騒ぎになっていた。テンセイシャが大階段から突き落とされた瞬間─本当は彼女が自ら落ちたのだが─を目撃した生徒達が、エリザベスがついにやったと話を広めたのだ。
だが、昨日エリザベスは自分達とグラウンドで魔法の訓練をしていたと証言する者が複数現れ待ったをかける。
どちらの証言も一貫性があり嘘とは考えられず、現場は混沌を極めていた。事態を面白がったのか混乱のあまりかは不明だが、生徒の誰かが生霊説を唱えたりする始末である。
そんな中でエリザベスはあえて普段通りの時間に登校した。自分には何もやましいことはないと言外にアピールする為である。
「エリザベス!」
(やっぱり来たのね……)
教室に入った途端もう慣れてしまったとも言える彼の大声に、今や事務的な感情しか浮かばなかった。最初こそ自分を蔑ろにされ、言葉を尽くしても信じてもらえず悲しかったが、今やそのような感情はこれっぽっちも湧き上がって来ない。
友人達が自分を守るようにさり気なく前に出る。当たり前だがテンセイシャは出席していないようだった。
「今度は何ですか?」
「とうとうアマーリエを階段から突き落としたな!見損なったぞ!」
嫌味を少々含ませたがあっさりと聞き流されてしまう。残念だがどうせ期待はしていない。
「は?いつですか?」
見損なったという言葉はこちらの台詞だと、言いたいのをグッと我慢し質問する。これはヘスターから聞いた知識なのだが、何も知らない人間はこのようなことを聞かされた際には「どうして?」ではなく「いつ?」と聞き返すのだそうだ。
知らない人はいつ起きたのかも知らないから。
「とぼけるな!昨日の放課後に大階段から彼女を突き落としたのをこの目で見たんだぞ!」
彼等もあの場に居合わせていたのかとこの時エリザベスは初めて知った。恐らくテンセイシャはそれを見越して手紙を机に入れたんだろう。
成程、確かに実際に目の当たりにしたら信じてもおかしくはない。全てテンセイシャが仕組んだことだと知らなければ、見た光景が真実だと思うだろう。
「昨日の放課後はグラウンドで複数人と一緒に小テストの対策をしておりました。嘘だと思うなら彼女達から話を聞いてください」
「とうに聞いたさ!だがどうせ侯爵家の権力で言わせているんだろう!」
一緒に練習した人間の名前を挙げようかと思ったが、意外と周りの証言を聞いていたようだった。しかし人間というものは信じたいものを信じる生き物であるという実証が増えただけだった。
「アマーリエは幸い軽い怪我で済んだが、打ち所が悪かったら酷いことになっていたぞ!おかげで彼女はショックで部屋に引き籠ってしまっている状態だ!」
そして全ての元凶はあとは彼等に任せて部屋でぬくぬくとしていると。本当にいいご身分だ。さぞや今頃は私が周囲から責められているところを想像して上機嫌になっているに違いない。
「ですから、私はその時はグラウンドに居たのでアマーリエさんの事件とは無関係です」
「見苦しいぞ!いい加減に罪を認めろ!!」
自分の思い通りにならないと分かると直ぐにこれだ。最初と違い怒鳴り声に慣れてしまった自分が悲しい。
「何と言われようと、私は昨日の放課後は大階段に行ったことすらないと、主張を曲げるつもりはございません」
背筋を伸ばし毅然と答えるエリザベスの姿に、バーナード達は唇を噛み締める。
「嫉妬のあまり階段から突き落としただけでは飽き足らず、あまつさえ罪を認めないなんて……。お前は本当につまらない女に成り下がったものだ」
吐き捨てるようなバーナードの言葉を理解した瞬間、エリザベスの頭にプツリと何かが切れる音が聞こえた。その直後に沸き上がったのは言いようもない激情。
あぁ、この衝動を人はきっと憤怒と呼ぶのだ。
(ヘスターさん。実は私、言い返すつもりはあっても感情的になるつもりはなかったの。でもごめんなさい、無理みたいだわ……)
「……今、何と仰ったのですか……?」
「……ようやく自分の罪を認めたか。賢さと気立ての良さを高く評価していたが、買い被りだったよう……」
「そうではございません。今、『つまらない女に成り下がった』と仰ったのですか……?」
彼の言葉を遮り、エリザベスはギロリと音が付きそうなほど睨みつける。不敬という言葉が頭にちらつくが今はそんなのは知ったことではなかった。彼は自分の不可侵を土足で踏み荒らしたのだ。
一方些細な喧嘩はあっても、今のように明確な敵意を向けられたことのなかったバーナードは、少々動揺して背中を後ろに引いた。
「ふ、ふん!プライドだけは一人前のようだな!悪足掻きするよりもさっさとアマーリエに……」
「殿下であろうとお戯れが過ぎます!」
一瞬でも気圧された自分を恥じ入るように虚勢を張る彼に向けて、エリザベスの一喝が教室内に響き渡った。
黙って様子を窺っていたクラスメイト達も、彼女の友人達もヒュッと息を飲む。今まで言葉で遠回しに不快を伝えたことはあるが、彼女が激怒したのを見るのは友人達でさえ初めてだった。
「あの大階段は距離が長く、また踊り場も無く、一度滑り落ちれば大怪我は免れないと私も理解しております」
「だからこそそれを狙って突き落としたんだろう!本当に性根の曲がった……」
「殿下は!あそこから突き落とされた人間がどうなるのか!私が分かっていた上で!突き落としたと言いたいのですね!私が殺人さえも厭わない人でなしだと!」
彼女の言葉にクラスメイト達はハッとなる。嫉妬の末の凶行と言えば説明は簡単だが、下手すれば死亡事故になってもおかしくはない。
自分達の言葉は彼女を殺人犯扱いしているようなものだと周囲はようやく気付いて口を噤む。
果たしてそこまで想像できる彼エリザベスが本当に彼女を突き落としただろうか。
「さっ、殺人!そこまでは考えて……」
テンセイシャが無事だったことに注視し過ぎて、その可能性までには至っていなかったバーナードも彼等もたじろいでしまう。
「では何を考えていたと言うのですか!?」
最初と違いエリザベスが彼等に詰め寄る形の構図になる。
エリザベスが彼と婚約したのは12の時、それから四年間色んな時間を過ごしてきた。一緒に居たことでお互いの性格や価値観、考えそうなことは知ってきた筈だ。
だが彼のあの言葉は、自分の人となりを他の人よりも理解している上で、自分が嫉妬に駆られて簡単に命さえ奪うような行為ができる人間だと思っているも同然だった。
そこまで考えなしに犯罪行為に簡単に手を染められるような人間だと思われたのが心外で、この時点で彼女の中の彼への元から低かった信用は地に落ちた。いや、それさえも通り越してマイナスになってしまった。
テンセイシャとのいざこざで彼への愛情は失っていたが、それでも短くない時間を共に過ごしたことで生まれた情というものは残っていた。
しかし、それももう跡形も無く消え去った。平たく言うとなけなしの愛想も尽きたのだ。
その時担任が教室に入って来て、異様な雰囲気に「どうした?」と固い声で問う。バーナード達はばつが悪そうに、エリザベスは溜息を吐いて何でもないと答えるとそれぞれ席に着いた。
(……まぁ、彼が何も考えていないのはこの数カ月間でよく分かっていたけど……)
怒りをぶちまけたお陰で幾分か冷静になれたエリザベスは、最早傍観の念で元婚約者についてそう評したのだった。
だが、昨日エリザベスは自分達とグラウンドで魔法の訓練をしていたと証言する者が複数現れ待ったをかける。
どちらの証言も一貫性があり嘘とは考えられず、現場は混沌を極めていた。事態を面白がったのか混乱のあまりかは不明だが、生徒の誰かが生霊説を唱えたりする始末である。
そんな中でエリザベスはあえて普段通りの時間に登校した。自分には何もやましいことはないと言外にアピールする為である。
「エリザベス!」
(やっぱり来たのね……)
教室に入った途端もう慣れてしまったとも言える彼の大声に、今や事務的な感情しか浮かばなかった。最初こそ自分を蔑ろにされ、言葉を尽くしても信じてもらえず悲しかったが、今やそのような感情はこれっぽっちも湧き上がって来ない。
友人達が自分を守るようにさり気なく前に出る。当たり前だがテンセイシャは出席していないようだった。
「今度は何ですか?」
「とうとうアマーリエを階段から突き落としたな!見損なったぞ!」
嫌味を少々含ませたがあっさりと聞き流されてしまう。残念だがどうせ期待はしていない。
「は?いつですか?」
見損なったという言葉はこちらの台詞だと、言いたいのをグッと我慢し質問する。これはヘスターから聞いた知識なのだが、何も知らない人間はこのようなことを聞かされた際には「どうして?」ではなく「いつ?」と聞き返すのだそうだ。
知らない人はいつ起きたのかも知らないから。
「とぼけるな!昨日の放課後に大階段から彼女を突き落としたのをこの目で見たんだぞ!」
彼等もあの場に居合わせていたのかとこの時エリザベスは初めて知った。恐らくテンセイシャはそれを見越して手紙を机に入れたんだろう。
成程、確かに実際に目の当たりにしたら信じてもおかしくはない。全てテンセイシャが仕組んだことだと知らなければ、見た光景が真実だと思うだろう。
「昨日の放課後はグラウンドで複数人と一緒に小テストの対策をしておりました。嘘だと思うなら彼女達から話を聞いてください」
「とうに聞いたさ!だがどうせ侯爵家の権力で言わせているんだろう!」
一緒に練習した人間の名前を挙げようかと思ったが、意外と周りの証言を聞いていたようだった。しかし人間というものは信じたいものを信じる生き物であるという実証が増えただけだった。
「アマーリエは幸い軽い怪我で済んだが、打ち所が悪かったら酷いことになっていたぞ!おかげで彼女はショックで部屋に引き籠ってしまっている状態だ!」
そして全ての元凶はあとは彼等に任せて部屋でぬくぬくとしていると。本当にいいご身分だ。さぞや今頃は私が周囲から責められているところを想像して上機嫌になっているに違いない。
「ですから、私はその時はグラウンドに居たのでアマーリエさんの事件とは無関係です」
「見苦しいぞ!いい加減に罪を認めろ!!」
自分の思い通りにならないと分かると直ぐにこれだ。最初と違い怒鳴り声に慣れてしまった自分が悲しい。
「何と言われようと、私は昨日の放課後は大階段に行ったことすらないと、主張を曲げるつもりはございません」
背筋を伸ばし毅然と答えるエリザベスの姿に、バーナード達は唇を噛み締める。
「嫉妬のあまり階段から突き落としただけでは飽き足らず、あまつさえ罪を認めないなんて……。お前は本当につまらない女に成り下がったものだ」
吐き捨てるようなバーナードの言葉を理解した瞬間、エリザベスの頭にプツリと何かが切れる音が聞こえた。その直後に沸き上がったのは言いようもない激情。
あぁ、この衝動を人はきっと憤怒と呼ぶのだ。
(ヘスターさん。実は私、言い返すつもりはあっても感情的になるつもりはなかったの。でもごめんなさい、無理みたいだわ……)
「……今、何と仰ったのですか……?」
「……ようやく自分の罪を認めたか。賢さと気立ての良さを高く評価していたが、買い被りだったよう……」
「そうではございません。今、『つまらない女に成り下がった』と仰ったのですか……?」
彼の言葉を遮り、エリザベスはギロリと音が付きそうなほど睨みつける。不敬という言葉が頭にちらつくが今はそんなのは知ったことではなかった。彼は自分の不可侵を土足で踏み荒らしたのだ。
一方些細な喧嘩はあっても、今のように明確な敵意を向けられたことのなかったバーナードは、少々動揺して背中を後ろに引いた。
「ふ、ふん!プライドだけは一人前のようだな!悪足掻きするよりもさっさとアマーリエに……」
「殿下であろうとお戯れが過ぎます!」
一瞬でも気圧された自分を恥じ入るように虚勢を張る彼に向けて、エリザベスの一喝が教室内に響き渡った。
黙って様子を窺っていたクラスメイト達も、彼女の友人達もヒュッと息を飲む。今まで言葉で遠回しに不快を伝えたことはあるが、彼女が激怒したのを見るのは友人達でさえ初めてだった。
「あの大階段は距離が長く、また踊り場も無く、一度滑り落ちれば大怪我は免れないと私も理解しております」
「だからこそそれを狙って突き落としたんだろう!本当に性根の曲がった……」
「殿下は!あそこから突き落とされた人間がどうなるのか!私が分かっていた上で!突き落としたと言いたいのですね!私が殺人さえも厭わない人でなしだと!」
彼女の言葉にクラスメイト達はハッとなる。嫉妬の末の凶行と言えば説明は簡単だが、下手すれば死亡事故になってもおかしくはない。
自分達の言葉は彼女を殺人犯扱いしているようなものだと周囲はようやく気付いて口を噤む。
果たしてそこまで想像できる彼エリザベスが本当に彼女を突き落としただろうか。
「さっ、殺人!そこまでは考えて……」
テンセイシャが無事だったことに注視し過ぎて、その可能性までには至っていなかったバーナードも彼等もたじろいでしまう。
「では何を考えていたと言うのですか!?」
最初と違いエリザベスが彼等に詰め寄る形の構図になる。
エリザベスが彼と婚約したのは12の時、それから四年間色んな時間を過ごしてきた。一緒に居たことでお互いの性格や価値観、考えそうなことは知ってきた筈だ。
だが彼のあの言葉は、自分の人となりを他の人よりも理解している上で、自分が嫉妬に駆られて簡単に命さえ奪うような行為ができる人間だと思っているも同然だった。
そこまで考えなしに犯罪行為に簡単に手を染められるような人間だと思われたのが心外で、この時点で彼女の中の彼への元から低かった信用は地に落ちた。いや、それさえも通り越してマイナスになってしまった。
テンセイシャとのいざこざで彼への愛情は失っていたが、それでも短くない時間を共に過ごしたことで生まれた情というものは残っていた。
しかし、それももう跡形も無く消え去った。平たく言うとなけなしの愛想も尽きたのだ。
その時担任が教室に入って来て、異様な雰囲気に「どうした?」と固い声で問う。バーナード達はばつが悪そうに、エリザベスは溜息を吐いて何でもないと答えるとそれぞれ席に着いた。
(……まぁ、彼が何も考えていないのはこの数カ月間でよく分かっていたけど……)
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