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第44話

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「え?誰?」
「誰じゃないわよ!貴女何てことをしてくれたの!」

 あまりの予想外に一瞬素に戻るテンセイシャ。そんな無責任なセリフに見知らぬ少女は余計激昂してしまった。

「エリザベス!どうしたんだ!?」

 たかがドレスが汚れたくらいでそんな怒らなくていいのにと思っていると、別の男の声がかかる。
 パーティーの参加者だろう盛装をした青年が駆けつけて少女を抱き締めると、彼女のまだらに染まったドレスを見て、空のグラスを持っているテンセイシャを見て、目を吊り上げた。
 
「これは一体どういうことなんだ?」
「ち、違うんです!知り合いかと思って声をかけようとしたら、手が滑っちゃって……!」

 マズいと思ったテンセイシャは慌てて取り繕う。自分でも苦しい言い訳だけど、かけたのは微妙なタイミングだったから100%故意だとは思われない……筈。
 
 なおも懐疑的な目で見る青年だが、「ウィリアム……」と腕の中から弱弱しい声がかかり、慌てて向き直る。
 
「とにかくスタッフに言おう。もしかしたら替えのドレスが用意されているかもしれない」

 優しく落ち着かせるように言うと、パートナーらしき少女に向けていたのとは一変して憤怒の目でテンセイシャを睨みつける。

「汚したドレスの弁償は後日請求させてもらうぞ」

 そう捨て台詞を残し、青年は今にも崩れ落ちそうな少女に肩を寄せて立ち去って行った。嵐のような出来事が過ぎ去りしばし呆けていたテンセイシャだが、我に返ると歯を剥き出しにして噛み締める。

「は?ざけんな」

(何が弁償だよ!紛らわしい物を着てる方が悪いくせに!しかも名前も同じ「エリザベス」って余計紛らわしいだろうが!)

 エリザベスを象徴する色と言えばバーナードの瞳に似た青だが、実は何も彼女だけに許された色ではない。上品さを演出できるとむしろ年齢問わず人気の色なのだ。
 またエリザベスという名も貴族の女性にはよくある名なのだが、彼女にとっては全て知ったことではなかった。

 自分の行動を棚に上げ、心の中で悪態を吐き責任転嫁するテンセイシャには、悪いことをした自覚は一切無い。自分とエリザベス以外は0と1で構成されたデータだと思い込んでいる彼女にとっては、人違いでドレスを汚してしまった少女もそのパートナーも、計画の邪魔をした障害物に過ぎないのだ。

「あーもう、本物のエリザベスはどこなのよぉ!」

 鬱憤をハイヒールの踵を使って床にぶつける。だが毛の長い絨毯で覆われている所為であまり効果は無い。
 仕方が無いのでブツブツと文句を言いながら、その場を立ち去るテンセイシャを死角から注視している者達が居た。それは先程ドレスを汚されて激昂していたカップルであった。

「警戒しておいて良かったな」
「そうね」

 カップル達はリンブルクから命令を受けた部下の一組であった。
 
 こんな美味しいイベントでテンセイシャが大人しくしている筈が無い。絶対何かやらかすに違いないと、事前に学校に話を通して生徒を装った部下達を監視にあたらせていたのだ。
 
 一部は後ろ姿をエリザベス達そっくりにさせることで本物を守る為の囮にしていたのだが、こうして釣られてくれるとは。

「自分からジュースをかけるとはな?ミカから聞いた話と違うな」
「実際には嫌がらせされていないから、この方が早いと思ったんじゃないかしら?」

 女の方は両手を叩くと、ドレスが歪なまだら模様からシミ一つないワインレッドへと変わる。それに合わせてデザインも一新されていた。変化を得意とする死霊にはこの程度は朝飯前である。

「てっきり自分にジュースをかけた後で、私にグラスを押し付けるものだと予想していたけど」
 
 おかしな部分は無いか確認しながらサラリとよりタチの悪い展開を言う相棒に、男は考えることが怖いと小言を入れる。
 
「もしそうされたらどうするつもりだったんだ?」

 仮にテンセイシャがそういう行動を取ったとして、王子が目撃していたら人違いだとしても面倒な事態にはなっていた。向こうが短絡的な思考で助かった。
 
「勿論素直に受け取ったら相手の思う壺だから……。グラスを落とすか、『不審者!』って叫びながら逃げてたかな?」

 うっかりその光景を想像してしまい、男は思わず吹き出してしまう。
 
「確かに!自分でドレスを汚すなんて不審者以外の何者でもないもんな!」
 
 実際に不審者扱いされて焦るテンセイシャも見てみたかったと、それが少しだけ心残りだった。

「でも彼女、まだ諦めていないみたいだな」

 笑いを抑えて真面目な顔に戻った男は疑問だと思考を巡らせる。
 なぜテンセイシャは彼女に執着するのか。一番身分の高い男の新たな婚約者に収まる為には、エリザベスを蹴落とす必要があるのは分かる。
 だがテンセイシャの執着具合はそれだけでは収まらない感じがした。完全な勘でしかないが、本能が無視してはならないと警告している。

「仲間に伝えてエリザベス様の周りを固めてもらいましょうか?」

 今は分散している仲間だが、集中させて彼女の護衛をさせた方が良いかもしれない。男もそれに同意すると、接触される前にと動き出した。
 

 
「そう、ありがとう。仕事が早くて助かるわ」

 先程のカップルは仲間達に情報共有を済ませた上でヘスターに近況を報告していた。彼女は予想が当たって良かったと思いながら、引き続き監視をするよう命じる。

 結果的にはエリザベスには被害は及ばなかったが、過程の違いにはヘスターも疑問を抱いた。
 わざとエリザベスの神経を逆撫でさせて、ジュースをかけられるよう画策するものだとばかり思っていたのに、ここでテンセイシャの方がジュースをかけるとは。

 このタイミングで行動を変えた理由は何か、向こうに何の意図があるのか。情報が無い今は彼等の報告を辛抱強く待つしかなかった。

「今のは……?」
「友達とちょっとお話してたの」
 
 飲み物を持って戻ってきたラドクリフが立ち去った彼らを見て不思議がる。一瞬あんな人達学校に居ただろうかと思ったが、彼女がそう言うならきっと学年違いの生徒なんだろうと疑念を流した。
 

 二度目のダンスも終わった時点でテンセイシャはまだ本物のエリザベスを見つけられないでいた。彼女は青いドレスを着ているという思い込みが目を曇らせていたのである。
 
 ダンスに、エリザベス探しに、更に苛立ちも重なるとお腹も空く。軽食が置かれたテーブルでモリモリと料理を腹に詰め込んでいると、近くに居る男子生徒の会話が聞こえて来た。

「俺エリザベス様と踊っちゃったよ!」
「良いなぁ」
 
 知りたかった情報に彼女は耳をそばだてる。いやいや、またあの紛らわしい奴かもしれない。誰の話をしているのかハッキリさせる為にも料理を選んでいるフリをしてさり気なく近づいた。

「てっきりいつもの青いドレスかと思ったら、変えてくるなんてな」
「でも黄緑のドレスも似合うと思うよ。妖精みたいでさ」

(黄緑の、ドレスだって……!?)

 テンセイシャはグワリと目を剥き、怒りで白目の部分が充血し赤く染まる。
 
 まさかドレスをゲームとは全然違う物にするなんて……!間違いない、やっぱり100%エリザベスも転生者なんだ!
 私に絡まれる可能性を見越してドレスを変えてきたんだ!お陰でまんまと嵌められた!悪役令嬢のくせに無駄な苦労をさせやがって!もう許さない!
 
 空腹ももう気にならない。あるのは今すぐ報復しなければという衝動だけだ。
 
 勢いよくジュースが入ったグラスを掴んで一気に煽り喉を潤す。濡れた唇を乱暴に拭うと、黄緑のドレスを頼りに今度こそ見つけ出す!とズカズカと歩き出した。
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